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植物姫  作者: 歩共あるま
3/11

アレルの目的

 イットの献身的な介抱のおかげで、体力も以前と変わらないほどにまで戻った。イットは食事から、歩行の手伝いから、とにかく何でも手伝ってくれた。コロウはアレルと話したがらなかったが、イットやアレルが困ったときは結局力を貸してくれた。コロウには常識が備わっていたため、助けられることも多かった。


 歩けるようになって一人で浜辺に行ってみた。覚悟して行ったが、いざ目の前にしてみると衝撃は凄まじいものだった。


 真っ二つに折れたマストが浜辺に流れ着いており、風で帆がはためいていた。浜辺には多くの船だったものが打ち寄せていて、残骸の山を作っていた。大破。その言葉にどこも間違いはない。倒れていたところに連れていってもらうと、そこには木の破片が落ちていた。小さく覚悟を決めて破片を拾い上げてみる。彫られていた文字を見て、アレルは心の奥にあった小さな期待が消えていくのを感じた。「ゲルーセント号」と確かに彫られていた。見間違えるはずがない。アクシードが自慢げに叩いていたマストの破片。意識を失う直前に見たことは現実だったと理解する。


 船は大破。仲間は全滅。生き残ったのは自分だけ。浜辺で見る全ての物から、厳しい現実を嫌でも突きつけられた。


「はは、やっぱり、そう、だよなぁ」


声は震えていた。分かっていても、やはりどこかで仲間や船が無事であるのではないかとアレルは思っていたのだ。仲間と肩を組んだ光景が夢で、目の前に広がるこの残酷なものこそが現実だと理解すると、アレルはその場に座り込んでしまいそうになった。


 アレルと同じ道を進んでいたルードは、ある日「俺は外の世界を生きる。でも、アレルがここにいたいなら頑張れよ。俺はいつだってお前の友達だからな!」と、言って学問の道を捨て、広い世界へ飛び出していった。髪を金色に、青のメッシュを入れて染め上げ、外の世界を謳歌していた。それから何度も一緒に仕事をした。アレルの目的地までアクシードが船を出し、ルードが一緒に船に乗った。

 体ががっしりとしていたアクシードは、俺の腕2本を合わせてもかなわないほどの太い腕で「お前はちびっこすぎるぞ! ほら、もっと食え!」と、何度も言いながらアレルの背中を叩いたものだった。何度嵐に遭ってもその度にアクシードやルードと共に乗り越えた。アクシードは嵐を乗り越える度に「俺らの船は無敵だ」と笑っていたし、ルードはアレルの隣で笑っていた。


 アレルは「ゲルーセント号」と彫られた木の破片をもう一度見た。上から一文字ずつ読んでいく。そうして、やはり見間違えではないと知った。


 ほんの数日前、俺は仲間に囲まれていた。それが、今はどうだ? あるのは船の残骸ばかり。もう世界のどこを探しても、皆に会えない。肩組んで、海を見て笑っていた日々には戻れない。もう一度だけでもルード、お前に会いたい。あぁ、こんなことならお前は俺の人生を変えてくれた本当に大切な仲間だって、親友なんだって、伝えておけば良かった。夕食の誘いを断らなければ良かった。もっと時間をとって、多くを語れば良かった。何よりも、心の中でではなくて、ありがとうって、一度でも口に出して伝えておけば良かった。


 そう思えば思うほど、アレルには後悔と悲しみが押し寄せた。

 ルード、俺がどれだけルードの存在に救われたか分からないだろう。この学問を習得するために人生のほとんどを捨ててきた。俺にはびっくりするぐらい学問しか見えてなかった。そんな中でいつも話しかけてくれた。その笑顔と明るさに俺がどれだけ救われてきたか。どれだけ元気をもらったか。


「なんで……なんで、俺言わなかったんだ」


人生、何が起こるか分からないのに、伝えられるときに伝えるべきことを。


 涙が止まらなかった。


「ルード、なぁ、聞いてくれよ。ありがとうって、この感謝だけでもいい、届いてくれよ。頼む。頼むよ……。くそ、くそ、くそ……ルード……」


アレルの声は虚しく海に吸い込まれるようにして消えた。涙はしばらく止まらなかった。


 アクシード。船員達。そして人生で一番の友。全てを一瞬にして失ったアレルは、ただ一人、「ゲルーセント号」と彫られた木の破片を握り締めて泣いていた。





 浜辺にはイットが出してくれた綺麗な花束が置かれ、風で揺れていた。あれから何度も後ろにイットを連れて浜辺を訪れていた。心配そうにアレルの顔色を窺いながらイットはついてきた。


「アレル、大丈夫?」


「大丈夫だよ。ありがとう」


介抱のお礼に、アレルは学問や正しい言葉などをイットに教えていた。おかげで随分スムーズに会話は出来るようになったが、常識がないのは相変わらずだ。


 喉が渇いてヤシの実を探していたら、出せばいいのよと言ってみたり、お腹が空いたら果物を出せばいいと言ってみたり。イットにとってそれがいかに普通であったかがよく分かる。しかし、不思議な力のことは本人もよくわかっていないようで、常識あるコロウに聞いてみたが、知らないの一点張りだった。


「また何か探してるの?」


「何か使えそうなものないかと思って。でも、ほとんど波にさらわれたか、壊れてて使えそうにない」


気持ちの整理は無理矢理つけた。仲間を失ったことに嘆いている時間はアレルにはない。何度も浜辺を訪れているのは、仲間を探しているからではない。アレルが海を越えようとしたのは目的があったからだった。


 それは、流行り病の原因を特定すること。産業が著しく進歩し、国が活発になっていく一方で、謎の病が流行し始めていた。最初は外れの村に数人、謎の症状を訴える人が現れた。数人が数十人、数百人と恐るべき速さで増え、このままでは国の機能が停止してしまうと状況を重く見た政府は学者達に調査を依頼した。その中に、国の中でも頭脳明晰だったアレルも含まれており、本格的な調査が始まったのだ。


 アレルはやがて、その病の原因となっているのは空気中に含まれる謎の毒素であると突き止めた。解決策が必ずあると踏んだアレルは毒素の究明に取りかかり、方角まで突き止めたのだ。しかし残念なことに毒素は本土を越え、さらに海の向こうからやってきていることが分かった。そして同じ頃、この病が過去に一度流行り、終息していたことを知った。「カヘナ島」それが過去毒素の原因であると文献に記されていた島の名前だった。しかし、なぜかそれ以上の記載はなく、解決にまでは至らなかった。その島に行き、原因物質を知ることができれば今病で苦しんでいる人に薬を作ることができるかもしれない。そう考えたアレルは、何度も他国へ航海を重ねてきた自慢の仲間達に島の話を持ち掛け、出港したのだった。


 しかし、船は大破。流れ着いた場所も不明で、研究器具どころか毒素を防ぐマスクすら失った。完全にお手上げ状態である。国に帰ることでもできればまた挑戦することができるはず。ここで諦めてしまっては、仲間の死が無駄になる。仲間達とアレルが共有した目的を、何としてでもやり遂げたかったのだ。


 だからこそ毎日のように浜辺に通っているのだが、目ぼしいものは特になかった。


「アレル、ねぇ」


仲良くなればなるほど、イットはアレルと自分との間に距離ができると不安そうにするようになった。大きな残骸の側は足場が不安定なところが多く、イットには浜辺で待たせていた。大きな残骸には何かが引っ掛かっているかもしれない。それは今病で苦しんでいる誰かのためになるかもしれない。残骸の中を掘り起こそうとしゃがんだ時、イットが悲鳴のような声を上げた。


「アレル、アレル! 私も行く!」


「え?」


アレルが驚いて顔を上げると、イットが泣きそうな顔で突進してきていた。アレルが身構えるよりも先に飛び込んできていたイットもろとも倒れこむ。飛び散った木の破片が遅れてアレルの額に当たり、小さく跳ねて落ちた。


「いてっ」


数秒空を見てから、小さく息をついて胸の上を見た。


「大丈夫?」


声をかけてみると、今にも泣き出しそうな顔でアレルを見た。ゆっくりと胸の上からどきながら、


「ごめんなさい。怖かったの。アレル、どこかに消えちゃうんじゃないかと思って」


と目を伏せる。アレルが起き上がると、まるでしおれた花のようにしょんぼりしたイットがいた。


「俺は大丈夫。それに、急に目の前から消えたりしないよ。俺はイットみたいに不思議な力は使えないから」


そう言うと、イットは恐る恐る顔をあげてアレルの表情を窺った。


「アレル、怒ってない?」


「怒ってないよ。怪我がなくて良かった。ほら、行こう」


アレルは立ち上がってイットに手を差し伸べた。それを見てイットは安心したようににっこりと微笑んだ。


「アレルはあったかいね。なんだかぽかぽかする」


「そう? そんなに体温高くないけどなぁ」


イットの手を引いて立ち上がらせると、イットがいた場所に何かが転がっているのが見えた。アレルはそっとそれを拾い上げた。透明なビニル製の容器。サンプルを持ち帰るために持ってきた密閉瓶だ。


「アレル、それ何?」


「ただの容器だよ。ほら、帰ろう。これ以上遅くなるとコロウにどやされる」


アレルは密閉瓶をポケットに突っ込んで、イットと共に帰路についた。


 その晩、イットが出してくれた果物を食べながらアレルは衝撃的な事実を知った。


「イットって、名前じゃなかったのか?」


「今更気づいたのか、鈍いやつだな」


コロウがため息をつく。


「だって、イットって呼んでたじゃないか。普通、それが名前だって思うだろ?」


その会話をどこか楽しそうにイットが、いや、名前不明の女性が聞いている。


「じゃあ、実際の名前は何なんだ?」


女性が目をぱちくりさせるばかりなので、コロウが代わりに答えた。


「そんなものないに決まってるだろ」


「名前がない? コロウにはあるじゃないか」


「だって俺はイットが作ったものだし、イットはたくさん仲間を作れるだろ? 今は俺一人だけど、俺以外にも仲間を作ったら誰を呼んでるか分からなくなるから名前があるだけ。俺が呼ぶのはイットだけだから、名前なんて特別なものがなくても分かるし、いいんだ」


「じゃあイットってなんなんだ?」


「it isのイットさ。イットってなんだって指すだろ? 特に意味もないし、丁度いいからイットにしてるだけ」


 そこまで聞いて、命の恩人を今まで「それ」と呼んでいたのかと思うと申し訳なくてたまらなかった。俺は今までなんと失礼なことをしていたんだろう。知らなかったとはいえ、毎日丁寧に介抱してくれたこの女性を「それ」と呼んでいたなんて。


「名前、つけてあげろよ」


「別に困ってないしもういいだろ」


「俺が呼ぶとき困るだろ」


「イットって呼べばいいじゃないか」


「そんなの失礼だろ」


「別にイットがいいんだからいいだろ」


「いや、失礼だ」


「物の名前ってのには当てはまってるだろ」


「この人は物じゃない! この女性をそんな風に呼ぶのは俺が許せない!」


コロウに掴みかかりそうな勢いで立ち上がり、声を荒げて初めて自分が柄にもなく怒っていることに気がついた。コロウも女性も目を丸くしてアレルを見ている。


「ご、ごめん。でも、この女性をそれなんて、そんな物みたいなひどい呼び方なんて、俺にはできないんだよ」


ゆっくりと座りながらアレルは言った。相手に対し怒鳴ることなど一度もなかったアレルにとって、自分の行動は異様なものだった。


「アレルがつけて」


思わず女性を見ると、なぜか嬉しそうに笑っていた。


「え? 俺が?」


念のため確認すると、コロウも女性も当たり前だと言いたげに頷いた。


「そんな、名前をつけるなんて……」


猫や犬の名前だってつけたことがないのに、いきなり人間の名前なんて、正直勘弁願いたかった。


「じゃあやっぱりイットでーー」


「俺がつける!」


イットに戻るのだけは許せず、女性の名付け親を引き受けることにした。

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