マスターのお料理教室
「きざむ〜」「キザム〜♪」
「まぜる〜」「マゼル〜♪」
『la〜 la〜 lalalala♪』
軽快なリズムに合わせて、即興ソングを口ずさむ1人と1匹。しぃちゃん、包丁を持ったまま踊らないで、危ないから。マリリン、羽ばたいちゃだめ、材料が飛び散っちゃう。ちなみに、マリリンはティーカップドラゴンといって極小サイズのドラゴンのこと。
今日は私の部屋のキッチンで料理中。けれど、さっきからたびたび注意しても、ご機嫌なふたりはどこ吹く風。
「こねるぅぅぅ〜」「コネルゥゥゥ〜♪」
ここ一番だったのか、やけにビブラートを効かせて一際高く歌い上げる。危なっかしい行動のフォローをしながら、とりあえず気が済むまでと生温かく見守ってきたが、そろそろ我慢の限界。
タ・タン♪ タタタ・タタン♪ タタタ・タタン♪
そんな時、負けず劣らずリズミカルな音が割り込んでくる。マスターの見事な包丁さばきで、次々と玉ねぎがみじん切りにされていく。そのリズムと見事な美技に、ふざけていた二人もいつの間にか見入っている。
やれやれと安心したのも束の間、よくよく見ていれば、マスター刻みすぎじゃないですか? そんなに玉ねぎ必要ないんですけど。これは、あれですね。マスターも調子に乗っているんですね。
「こら! 3人ともいいかげんにしなさい!」
とうとう我慢できずに大きな声でちょっと強めに注意すると、しぃちゃんがハッとしたあと申し訳なさそうに眉を下げ、私の両手をそっと包み込む。
「ごめんね。バンちゃんを仲間外れにしたわけじゃないけど、一人で寂しかったよね」
いえ、違います。
「じゃあ、今度はバンちゃんが歌って。私とマリリンがハモるから」
「いや、ハモるなら私の方でしょ。いつも仕事で……てか、そうじゃなくて」
しぃちゃんと不毛なやりとりをしていると、足下の方からぐすぐすとなにやら泣声が聞こえてくる。ふと、視線を下ろすとマリリンのつぶらな瞳から今にも零れ落ちそうな涙の粒が。
「マ、マリちゃん、ごめんだお……」
「いや、何も泣かなくても……。怒ったわけじゃなくて、危ないから注意しただけだよ」
「あ〜! バ〜ンちゃんが、マリリンを泣〜かせた!」
小学生か! と思わずツッコミを入れそうになったけど、今はしぃちゃんに付き合っている暇はない。
「マリちゃん、怒ってる?」
「ううん、怒ってない。心配しただけだよ」
「ほんと?」
「本当!」
「えへへ、マリちゃん大好きだお!」
「うん、私もマリリンが大好きだから、危ないことはしちゃだめだよ」
マリリンは、ちょっぴりやんちゃな所もあるけど素直で可愛いな。
……。てか、マリリン自分でふつうにしゃべってるよね。確か、腹話術がなんたらかんたらだったはず。そんな疑問をちょっと前にマスターに聞いてみけど、腹話術を応用した魔法だから自分でも喋れるし、代弁も出来るらしい。
え? じゃあマスターの代弁かどうか、どうやって見分けるのかと聞いたら「愛だお!」という返事。うん、深く考えるのはやめとこう。
「バンちゃん……。最近マリリンにばっかりかまって、私の事ないがしろにしてない?」
やっとのことでマリリンをなだめたら、今度はしぃちゃんがジトッとした目で私を見る。普段は、マリリンと仲が良いのに、ちょくちょくこのように嫉妬の炎を燃やしてくる。しょうがないなと思いつつも、両手を広げて「んっ」としぃちゃんにアイコンタクト。
「……」
あれ? いつもなら飛び込んでくるのに、今日のしぃちゃんはちょっと手強い。もうひと押し。
「しぃちゃんこそ、最近マリリンと仲が良いいから、やっぱりちょっと寂しかったかも」
「!」
「しぃちゃんが、怪我しないか心配してたんだよ。だって、しぃちゃんが痛い思いしているの見ると、私も痛くなるから。だから……」
言い終わらないうちに、強烈なタックル。いつもより強めの衝撃にグッと耐えながらも、よしよしと背中をポンポンしてあげる。まったく、もう。マリリンが来てから、しぃちゃんは少し甘えん坊になった。
でも良かった。何だかんだ言っていつも、甘えているのは私の方で、ああ見えてしっかり者のしぃちゃんを、どうやって甘やかせばよいのか少しだけ考えたりもしてた。
ぐふふ。と笑いながら頬ずりするしぃちゃんを横目に、マスターの方を見ると、一連の様子を静かに見守っていたのか、目が合うとニッコリ。ところが、いつまでたっても微笑んだまま、そして何やら期待に満ちたような瞳。まさか、順番を待っている? でも、マスターを甘やかす術は私にはまだなくて、どうすれば……。
ちょっとしつこくなった、しぃちゃんを引っぺがして、意を決したようにマスターの前に行くと、左手を腰に当て、右手の人差し指を立ててマスターを捕らえる。
「マスターが一番年上なんだし、危ないことはちゃんと注意しないとダメじゃないですか! めっ!」
正直、マスターは年齢不詳だから本当の歳は知らないけど。
さっき頬ずりされている時に、しぃちゃんにマスターの対応を相談すると、こうしてあーして、ちょっとあざといくらい……。ごにょごにょとレクチャーされたので、試してみたけど、目の前できょとんとしたままのマスターに失敗を悟る。
しぃちゃんの嘘つき。決めポーズを解くタイミングを失ったまま、心の中で文句を並べていると、おもむろにマスターがグッと親指を立てて、しぃちゃんに合図。すると、しぃちゃんも同じようにグッと親指を立て大きくうなずいた。
頭にクエッションマークを浮かべていると、マスターが近づいて首を傾げてちょっと悲しそうな顔をする。「さっきは、ごめんね」と言いたいらしい。多分。けれど、新緑を思わせる瞳をほんの少し潤ませるあたりが、マスターのテクニックなのか。
「わ、分かれば良いんですよ。もうふざけちゃだめですよ」
その仕草とこのポーズの恥ずかしさに少し動揺しながらもそう言うと、素直に頷いたあと、私の人差し指に軽く唇を寄せた。
ひぇ!
失礼にも程があるが、思わずそんな風に叫びそうになった。美青年にそういう事をされると位も言われぬ衝撃と迫力。
「マスター! 誰がそこまでして良いって言いました?」
事の成り行きを見ていたしぃちゃんが、すごい剣幕で、すぐさまマスターから私を奪い返す。正直助かったけど、しぃちゃんだって前に私の指を咥えてたよね。マスターはそんなしぃちゃんにも「ごめんね」ポーズ。ぐぬぬと悔しそうにしながらも、それ以上は怒れないしぃちゃん。
恐るべしマスターの「ごめんね」。
「ねぇ、もう良いから早く続きに戻ろう」
私がそう言うと、二人ともやっと本来の作業を思い出したのか、自分の持ち場に戻る。今日は一体何をしているかと言うと、マスターによるお料理教室。
しょっちゅう食事の差し入れをしてもらっているけど、一人の時でもちゃんとしたものを食べて欲しいという思いから、こうやってカフェの仕事の合間に度々料理教室を開いてくれる。ちなみに、明日私の仕事のための「お弁当づくり」も兼ねている。
別に料理が出来ないわけじゃないけど、しぃちゃんは手際は良いけど豪快でおおざっぱ。私は、丁寧だけどスピードが遅いので、刻むだけで疲れちゃうし、途中お腹が空いて断念。結局、今のところマスターの差し入れなしには、まともな食事にありつけない状態が続いている。
「じゃあ、ケッコンすれば解決だお!」
いきなり、マリリンがとんでもない発言をする。
ちょっと待って。今のはマスターの代弁じゃなくて、マリリン自身が言った言葉だよね。真相を聞こうとしても、その言葉に、しぃちゃんが反応してマリリンとぎゃあ、ぎゃあ言い合っている。
仕方ないので、恐る恐るマスターを見ると、いつものように穏やかに微笑んでいるだけだった。
うん、分かんない。
とりあえず、スルーだ。
帰ってきた3人と1匹。
今回はどんな人と出会えるのか「一期一会」。
というか、まだ出発には時間がかかりそうな予感。