世界はちょっぴり不思議で美しい
「実は、こういうハイキングイベントで時々お見かけしていたのですが、なかなか話し掛ける機会がなくて、今日アーモンドの花の前にいた貴方がたをみて、良いタイミングだと……」
少し照れた様子の村木さん。幸恵さんがお化粧室へと席を外したあと、しぃちゃんの視線に耐え切れなくなったのか、事情を説明してくれた。
うん。村木さんだと純情に思えるからセーフ! これがしぃちゃんだとしたらストーカーに思われても不思議じゃない。
「ごめんなさい。お待たせしちゃって、あら? 何か楽しいお話でもしてたの?」
しぃちゃんと私の顔を見た幸恵さんがそう言う。おっと、顔に出ちゃってた。
「いえ、ただの世間話ですよ。緑川さんも落ち着かれたことですし、そろそろ出発しますか」
話を逸らそうとしても、村木さんもちょっぴり顔に出ちゃってますよ。
ただ出発したいのは、やまやまだけどその前にお仕事かな。
だって、聞こえるでしょ。
草花の芽吹く音
ほころぶ音
それに共鳴するようにいろんな人の
優しい音
哀しい音
愛しい音
そっとポシェットから小瓶を取り出す。幸恵さんと村木さんがどうしたのかというような顔をしたが、しぃちゃんのフォローのおかげで、静かに見守ってくれるようだ。
耳をすませ、漂う音に合わせてハミングするとメロディー軽やかに伸びていく。それは、時には鼻歌だったり、口笛だったりもする。
私の唄に息吹達が集う。そこに漂う色んな感情を抱きしめて小さな光の粒子となって、小瓶の中へさらさらと。
ああ、世界はなんて綺麗なんだろう。
この瞬間私はいつも思う。ただ、当たり前のように存在している、そこに生きている、それが「奇跡」なんだということを。
良かった。この仕事が出来るような体に生まれてきて、この仕事に就けて。だから、しぃちゃんそんな心配そうな顔しないで私は大丈夫だから。きっと、ずっと大丈夫だから。笑ってて、しぃちゃんの笑顔に私は何度も救われてきたんだから。
小瓶にきらきらの粒が半分以上集まると、キュッと小瓶にコルク栓をする。ふうっと息をついて大事にポシェットにしまう。
「バンちゃん……」
「しぃちゃん、大丈夫。ただちょっと休憩が必要かな。なので幸恵さんと村木さんは先に出発してください」
「あら、そんな、最後まで一緒に……」
「ええ、そうですよ。僕も皆さんとご一緒に……」
「大丈夫です。私たち若いからすぐ追いつきます。ね、しぃちゃん!」
「そうです。村木さんが残念がるくらい早く追いつきます。ね、バンちゃん!」
あら、あら。まあどうしましょう。と、言いながらも幸恵さんも村木さんもまんざらでもない様子。
それから、一旦二人を見送ったのだけれど、本当に早く追いついて最後まで一緒に歩いた。空気が読めない私たち。なんとか制限時間内にゴールしスタンプラリーの景品も貰い、幸恵さんと村木さんに別れを告げ、マスターのお店に向かう。
「マスター、お弁当ありがとう。これ今日収穫した調味素材」
「……」
柔らかく微笑んでくれたので、おかえり、おつかれさま。と言っている、たぶん。しかし、これで終わりではない。もうひとつお仕事が残っているのだ。それは、マスターとの「お喋り」。
えっ? あの「今日はちょっぴりアンニュイだね万里ちゃん」を使って会話するのかって? いや、しないよ……。てか、いくら仕事でも自分に似ているビスクドールとの会話なんて嫌だよ。
大丈夫。基本的には私が収穫した時の様子をマスターにお話しするだけ。マスターは聞き役に徹してる。でも、すごく聞き上手なんだよ! マスターの顔見ると熱心に聞いてくれるの分かるし、表情豊かな微笑みでいつのまにかすっかりお喋りに夢中になってるもん。
そしたら後で、マスターが季節魔法を使って様々な調味料に変えてくれるの。でね、この「お喋り」っていうのが肝心なのね。このひと手間を怠るとなんだかぼやけちゃって食べた時にあまり心に響かないの。
それから数日後。
今日はマスターの作る新メニューの試食会。幸恵さんにぜひ村木さんも誘ってお越しくださいとご招待したのだけれど、店に訪れた幸恵さんは一人だった。
「あれ、あの村木さんは?」
「誘わなかったんですか? なんなら私が今から連絡しますよ!」
「バンちゃん、しぃちゃん、あまり年寄りを炊きつけてはだめよ? やっと長年の胸のつかえがとれた感じがして……。幸せな追想の愛にあと少しだけ浸っていたいの。村木さんとの事はそれからね」
うふふ、と笑う幸恵さん。これは、村木さんこれから大変そうだなと余計な心配をしてしまう。
「幸恵さん、こちらこの店のマスターです」
「はじめまして。今日はお招きありがとうございます」
「……」
にっこりと笑い、席に案内するマスター。マスターの事は事前に幸恵さんに話しておいた。だって、プライバシーの問題もあるけど「今日はちょっぴりアンニュイだね万里ちゃん」を抱きかかえて腹話術で接客するよりいいよね。
そして、マスターはあらかじめ用意しておいた新メニューの仕上げに入る。
材料を混ぜ合わせ、オーブンで蒸し焼きにしたものに、「季節の調味料」を振りかけ、ドラゴンのブレスでほんの少し表面を焦がしたら、出来上がり。
スプーンで、カラメルをパリパリと割ると、中はなめらかカスタードクリーム。口に入れた瞬間、濃厚な甘さに、ほんのすこしのほろ苦さ。でも、とっても幸せな気分になるスイーツ「クレームブリュレ」。
「まあ、なんて美味しいのかしら」
「わぁ! さすがバンちゃんが収穫した春砂糖だね。すごく美味しい」
「知ってる? クリームブリュレはフランス語で「焦げたクリーム」の意味……」
マスターの新作スイーツに、幸恵さんもしぃちゃんも私もなんだか心がウキウキ。だからかな、なんか気になることがあったような気がしたんだけど、サラッと流しちゃったよね。
あれ、なんかちょっとおかしい部分あったよね。
(ドラゴンのブレスでほんの少し焦がしたら)
ドラゴン?
え? ちょっと待って。ドラゴンてなに?
その心の疑問に答えるように、マスターが目の前にティーカップをすっと差し出す。すると中からひょっこり薄紅色の小さな「何か」が……、いやドラゴンが顔を出す。
「マスター、まさかこれってティーカップドラゴン?」
「そうだお! 小さくて愛らしくて今密かに人気なんだお! けどまだ世界に数体しかいないからとっても希少なんだお!」
喋った。ドラゴンが、いま喋ったね。あれ、でもこれまさか……。
「腹話術?」
「その通りだお! さすがマリちゃん。普通の腹話術って意外と魔力消耗しちゃうから困ってたんだお! でも、ドラゴンのテレパシー能力を応用したから半分の魔力で済むんだお!」
「……ナルホド。デモ、ソノ「ダオ」ッテ、イウノハ?」
もう何処から突っ込んで良いのか、なぜ自分が急にカタコトになっているのか分からない。とりあえず、1番気になる疑問を聞いてみると。
「それはマスターの言葉を、アタチが変換して喋っているからだお!」
うん。まっ、いっか、深く考えるな! 正直、「今日はちょっぴりアンニュイだね万里ちゃん」よりか数倍マシだ。
だって、よく見ればくるりんとしたつぶらな瞳に、あくびしながら羽を伸ばす仕草なんかちょっと、いやかなり可愛い。
「ねぇ、マスターこの子の名前は?」
「マリリンだお!」
……。
「あ! バンちゃんの名前にちなんでるんですね? わぁ、可愛いなあ〜、これからよろしくね。マリリン」
「よろしくだお! しぃちゃん」
「あらあらまあ、可愛らしいこと。とっても素敵な名前よ、マリリン」
「ありがとうだお! ゆっきー」
本当にマリリンの言葉で喋ってるんだよね?
マスターの実際の口調じゃないよね? うん、違うはず……だってビスクドールの時は普通の口調だったもんね。
「マリちゃん、これからよろしくだお!」
……違うよね?
さまざまな謎を残したまま、ここで一旦幕が降ります。
第1部完結というところです。
アーモンドの花と出会い出来たこのお話。
また素敵な出会いがあれば書きたいと思います。
(実は出会っているので、書く事は決定です)
現実世界とは似て非なる、ちょっぴり不思議が潜む世界。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
では、第2部でお会いしましょう!