「今日はちょっぴりアンニュイだね万里ちゃん」
揺り椅子でゆ〜らゆら、窓のそばで日向ぼっこ。
ご飯も大事だけど光合成も欠かせないよね。女の子だから日焼けが気になるのは仕方ないけど、一日一回ほんのちょっぴりお日様に当たったほうがいいんだよ。
……。何? 引きこもって苔生やしてた奴の言うことじゃない? ご心配おかけしました。
あれから丸一日、しぃちゃんの甲斐甲斐しいお世話のおかげですっかり完璧!パーペキ! そんな彼女は今私にぴったりくっついてゆ〜らゆら。これには理由があって。
「あのね、バンちゃんのお世話するのも充分ご褒美なんだけど……」
知ってるよ? 何を今更と思いながらしぃちゃんを見る。目が合うとポッと頬を赤らめて何やらもじもじしている。イヤな予感しかしないけれど、お世話になった手前ぐっと堪えて次の言葉を待つ。
「たまには、特別なご褒美も、欲しいかな……。なんて」
キャ、恥ずかしい! と顔を伏せながらチラチラとこちらを伺っている。なんという古典的仕草……嫌いじゃない。さすがしぃちゃんマニアックなツボを押してくる。まぁ、お世話になったし「特別ね」と言って、両手を広げると恒例のタックル。そして揺り椅子で一緒にゆ〜らゆら。
ただ、しぃちゃんはコロンと横になったら5秒でスヤスヤだから、寝てる間のあれやこれやの心配がないので実は安眠。
窓から入るそよ風は、ほんの少しつんとして鼻がむずむず。
「しぃちゃん、春の気配がする」
「そうだよ。だからマスターにバンちゃんの差し入れ頼まれたの」
寝付きも良ければ寝起きも良いんだね。さすがだよ、しぃちゃん。
「じゃあ、とりあえずマスターの所に行こっか」
「え〜。もう少しバンちゃんとこのままがいい!」
やだやだとダダをこねるしぃちゃんは、いつも焦茶色の髪をお団子にして同じ色した瞳は只今上目遣い中でそばかすがチャームポイントの女の子。可愛くない、こともないけれど、と思っていたら急に立ち上がりぱあと笑顔を輝かせた。
「あ、やっぱ行こう! お出掛けコーディネイトは任せてね。グフフ、着せ替えごっこも楽しそうだな〜」
切り替えも早いね。どうか、お手柔らかに。
「バンちゃん、メイクアッ〜プ☆」と宣言した後、しぃちゃんオリジナルのやたらキルキルキラリン!とした謎のBGMでお着替えタイム。
と言っても、魔法少女のようにヒラヒラした服は着ない。仕事上歩きやすい服装しかないのでいつもどおりのズボンに長袖だ。ただ今日はクリーム色のチュニックに花柄の刺繍が入っているのがほんの少し女の子らしい。やっぱり可愛い服はテンション上がる。エヘヘと笑うとしぃちゃんが……。
マンションからでるとさらに眩しい太陽の光に一瞬目の前がぼわんと暗くなる。が、すぐに視界がひらける。久しぶりの外出なのでしぃちゃんに手を引かれながらマスターのカフェに向かう。
しばらくして辿りついた一軒のお店の扉には「CLOSE」が掲げられていた。今日は定休日だったのか。引きこもっていたので曜日感覚もあやふやだ。しかし、そんなプレートなど気にせずしぃちゃんがお店の中に突撃する。
「マスター! こんにちは〜」
「マスター。お邪魔します」
店内に入るとふわりとした珈琲の香りとともに穏やかな笑顔に出迎えられた。ややグレー寄りの銀髪は全体を七・三に分けたア・シンメトリーの爽やかなツーブロックヘアで、アーモンド形の瞳は新緑を思わせる色彩を持つ、まごうことなき美青年だ。これで関西弁とかしゃべったらギャップ萌えかも知れないが、このマスターは予想の斜め上を行く。
「……」
表情で語るのだ。今のは眉を少し下げ気遣わしげな視線だったので、「大丈夫? 心配したよ」と言っているんだと思う。たぶん。
「心配かけてごめんね。マスターの人参ポタージュで元気になったよ」
そう言うと、マスターはホッとしたようにふわりと笑う。ほら、当たってたでしょ。しかし、私もエスパーではないしマスターも季節魔法は得意だがテレパシーが使えるわけではない。表情で語るにも限界がある。
そこで奥の手の登場。マスターが一旦カウンターの奥に行き、戻って来た時にはその腕に人形を抱えていた。今日は少しアンニュイなビスクドールだ。
「きゃあああ〜! 新作ですねマスター!」
いやだから急に大声出されると耳がキーンと……。しぃちゃんの黄色い悲鳴にマスターが何故か得意気に頷く。すると、カウンターの上にそのビスクドールを座らせると、マスターは器用に胸元や脚を少しはだけさせてグラビアポーズをとらせる。絶妙なチラリズムにアンニュイも加わってやけに煽情的だ。
「っっっ〜!!!」
しぃちゃんはもう悲鳴すら出ないほどの感激ぶり。すると、突然ビスクドールが喋り出す。
「君ならこの子の良さを分かってくれると思ったよ、志乃ぶちゃん。新作の「今日はちょっぴりアンニュイだね万里ちゃん」だよ」
訂正します。ビスクドールが喋っているのではなく、正確に言うとマスターの腹話術で「今日はちょっぴりアンニュイだね万里ちゃん」が喋っているように見えるのだ。
ちなみに、マスターは私のことを唯一「万里」と呼んでくれる。
え、呼び名なんてどうでもいいから説明しろ? 説明は得意じゃないんだけど。ねえ、いいの? 本当に聞きたい? 今なら寡黙な美青年マスターのままで話が進むけど……、分かった。
まず、隣でマスターとしぃちゃんが盛り上がってる「今日はちょっぴりアンニュイだね万里ちゃん」についてだけど、あれはマスターが腹話術を覚えた頃どこかに依頼して制作してもらってるビスクドール。モデルは私らしい……理由は怖くてまだ聞けてないんだけど。
腹話術の人形ってギョロッとした独特な感じでちょっぴり怖いでしょ? だから可愛い方がいいとかでビスクドールにしたらしいんだけど、さすがに美青年のマスターとはいえ、女性客にはドン引きされて一時期閑古鳥がないたから、今では女性のお客様の前では腹話術は自粛して、麗しい笑顔一つで乗り切ってるの。
ただ、たまにこうやって新作が届くと私としぃちゃんに披露してくれる。そういえば「今日はちょっぴりゴキゲンだね万里ちゃん」っていうのもあったかな。
でもね、あの腹話術れっきとした魔法の一つなんだよ。だって、「今日はちょっぴりアンニュイだね万里ちゃん」が本当に喋っているみたいに口や表情が動くし、たまにポーズもかえたりするし。
肝心な説明がまだ? う〜ん、プライバシーの問題もあるから詳しくは言えないけどマスターは、女性恐怖症なの……あ、だったの。ただ後遺症で女性と直接おしゃべり出来ないだけ。男性客には普通に対応できてるから問題ないし、女性客には喋れないかわりに笑顔向けたり、ウインクしたり、時にはそれ以上のサービスも出来るんだよ。
あ〜もう、面倒くさいから全部ひっくるめてお客様の間でも暗黙のルールとして「寡黙」って事になってる。
うん! 今回は前回より上手く説明できたような気がする!
あと、うすうす気づいてると思うけど、マスター年齢不詳だから!
え〜と、とにかく綺麗な薔薇には棘があるってこと!
あ、やめて石なげないで!
きっとマスターは、リハビリ中の作者の後遺症が招いた被害者なの!