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アヤメ  作者: 柊燈籠
1/3

名を縛るという事

西暦も2,000年を超える現代。


この話を始めるには、まずこの女の話から始めなければならないだろう。


名前をアヤメという。


肌が白く、黒髪を背にかかるほど伸ばし、それを一つにまとめている。


器量の良い顔立ちをしていて、紅をつけずとも唇は紅くともっている。


着物を好み、家でもほとんど着物のままである。


その紅い唇にはいつも在るか無しかの微笑が含まれている。


驚くことにアヤメとはなんと偽名である。


本人がそう言うだけで本名かもしれない。本当に偽名かも知れない。


現代において名前を偽るのは難しい。


住民票やら免許証やらでその人間の身元など簡単に分かる。


しかしこの女の場合、7歳までどこで暮らしていたかわかっていない。

そもそも年齢すら定かではない。



幼少期から艶のある黒髪を肩まで伸ばし、まん丸の大きな目、肌の色は白く唇は紅を塗ったように赤い。

可愛らしい女の子だった。物語の落としどころとしては、動物に育てられたような汚らしい格好で、

髪もぼさぼさ、言葉も話せない方が、物語としては面白いかもしれない。


しかしながら、記録によれば埼玉県秩父市武甲山のふもとの山道を、夜中に1人で歩いている所を保護されている。

汚い服でもなく、アヤメはきれいな菖蒲の花が刺繡された、白い着物を纏っていたという。

誰かに仕立ててもらったとしか思えないが、山にそんなことが出来る人間がいるとは考えにくいし、

とうとうそれが誰かも解らなかった。


年齢も本人がそう言うだけで本当の所など分かったものではない。誕生日も知らないという。


孤児院に引き取られるまでのいっさいを誰も知らないのだ。


名前を聞くとあやめとだけ答えた。苗字は分からない、書かせてみればカタカナでそれを書く。


誕生日はこの子が見つかった5月5日となっている。


ちょうど菖蒲(アヤメ)の花も咲きだすころである。


ある日あやめの花の漢字知りたいと言われて、それを教えれば、その日から自分の物に菖蒲(あやめ)と書くようになった。


まだ8才頃の事で小学3年生くらいには難しい漢字であるのに一度教えただけでスラスラ書く。


線が一本多いとか点が一つ多いとかそういう間違いもない。


これがこの子の本当の名前なのかもしれない。


その時アヤメの世話をしていた高宮君江はそう思った。


アヤメがただ一度でその漢字を覚えてしまっただけかも知れないが、彼女の日常を見ているとそれも考えにくい。


ほかの同級生くらいに間違えることもあれば忘れる事もある。


過去に何度も書いたことがあるとしか考えられなかった。


それは彼女の過去を探る手掛かりになるのではないか?


高宮はそれを同僚に相談し、上と掛け合いこの漢字の女の子の出生記録を探れれば、何かわかるのではないか?


そうやって職員一丸となってさあ動くかとそういう時にふとアヤメから回収したプリントを見るとアヤメ


の名前を書く欄に彩芽と書かれている。


職員室でアヤメに聞けば、カタカナだと味気がないからと、色々な漢字を当てているだけだとアヤメは言った。


それを聞いて職員皆でため息をついた。


それを見てアヤメはいたずらに微笑し、職員室をスタスタ出て行ってしまった。


8歳の女の子に微笑とは似合わないように聞こえるだろうが、アヤメにはむしろその表現がしっくりとくる。


よく見なければ普通のおとなしい女の子に見える。しかし注意してみれば大人しいと言うよりか、落ち着き払っているように見えてくる。


友達と遊ぶ時もどこか落ち着きを残している。大人を真似て背伸びをしているようにもみえない。


そしてほかの子供たちと大きく違うのが微笑である。


アヤメは微笑を浮かべる以上に笑った事がない。


休み時間や遠足などでほかの子の笑顔に囲まれながら一歩引いたように小さく口の両端をもちあげる。


つまらなそうにしているわけではない。楽しみながらも己を残す。


周りの同じくらいの子供たちの様に好奇心に支配されない。夢中にならない。


読書をしている時でさえ、もう一つ全く別の何かを思案しているように見える。


そのうちにいつどんな時でも、その口元に小さな笑みが浮かんでいるようにも見えてくる。


ここまでくると彼女が何を考えているのか全く分からなくなってくる。


そんな大人たちの考えていることは逆にお見通しであるかのようにいたずらに笑う。


不思議な少女だった。


孤児院はその時代30人の6歳から14歳までの子供たちが共同生活していたが、そのどの子たちよりも大人びて見えた。



ここに来る子供たちは全員が何かしらの事情があってここに来るわけだから、大人びるのが早い。


それでも8才にしては落ち着きすぎている。


そもそも8才であるのかさえ分からない訳だが。

生い立ちと言い、その振る舞いと言い、全くもって読み手や、この物語に出てくる人々ばかりだけではなく、作者すらも惑わされる始末である。


そんなアヤメが10才の誕生日を迎えて間もない頃、ある僧侶が住職として住む寺に1日泊まることになった。



その和尚の名を久内謙徳(くないけんとく)という。


謙徳和尚は、陰陽道に通じる和尚で神通力があると噂があり、その道で知らないものがいないくらいに、有名な和尚であった。


仏教の全般に精通していたのは言うまでもないが、天文道や暦道のような方角や太陽と月の位置、季節や暦を重んじる陰陽道のようなものにも深く精通していた。


その知識を活かして、人に憑いた悪いものやその場に憑いた悪いものを落とすことを専門にして、その腕には定評がある。


式神も扱えると噂され、陰陽師と呼ぶ人もいたが、本人は「今の世にそのような役職はありませんので。」とそれを否定してしまう。


様々な苦行、荒行に耐え法力を会得したのは、才能というよりかは生真面目な性格がよく働いたのかも知れない。


顔の彫りが深く太い眉と鋭い目元をしているため、性格は気難しくて頑固であるよう思われがちだが、決してそんなことはなく温厚で面倒見もよい。


しかしそんな謙徳和尚が今頭を悩ませているのは、意外にも跡取りの事である。


謙徳和尚も今年で68歳になる。そろそろ隠居もしたいと考えてはいる。


しかし、いざ自分の全てを委ねようにもそのような人間がいない。


才能に恵まれたものはゴロゴロとしている。それこそ自分以上にその力を扱える者など腐るほどにいる。問題なのはそれを扱うだけの器を持つものがいないのである。


謙徳和尚は表では陰陽師ではないといってはいるが、自分にそう呼ばれるに相応しいだけの知識や力があることは、心得ているつもりではいる。


もし、自分の全てを誰かに授けたとして、よい人間がその力を使えばよい方向に物事が進むのは言うまでもないが、悪い人間が扱えば取り返しのつかないことになる。


その善い悪いを見極めるには様々な物の見方があるが、謙徳和尚が特に重んじているのが人の持つ欲の形である。


誰しも人には欲がありそれを心の中にしまって生きている。これを昔の人は鬼に例える事があった。


大人しくしていた欲、鬼が特別な力を得ることで大きくなり、その人の心を喰いつくしてしまえば、その人は鬼となって災いを呼んでしまうのだ。


謙徳和尚はそんな心に巣食う鬼の正体を探るためある虫を使う。


繭蚕まゆこ』という蚕の類の式神で生まれるとその人の背中に憑き一週間ほどで、近くの木に移り繭を作り次の日には成虫となる。


普通の人間には見えないし成長の過程で憑いた人間に悪影響は全くない。


この虫の面白いところは、繭から何が生まれるか分からない所だ。その姿は憑いた人間の心の在り方が大きく反映される。


その人が恨み辛みに狂えば、繭蚕もそれに影響されて禍々しい姿に変貌する。その逆であればとても美しい姿へと変貌する。


謙徳和尚はこの虫を弟子にしてほしいとせがまれていた5人に忍ばせることにした。


5人ともある程度の位、器をもった寺の住職や坊主たちである。


この繭蚕は式神の中でもなかなかに貴重な存在であるため、試験と称して一週間自分の寺に住まわせ、一人ずつ試す形となった。


まず宮川と言う男にこれを忍ばせてみた。5人の中で一番位の高い坊主だ。


繭蚕の卵はとても小さくビーズくらいの大きさしかない。


幼虫もおおきくても5センチほどまでしか成長しない。大きく変わるのは繭になってからで、木に移り蛹になるとこれが大きさにかなりの個性が出る。


大きいものは子牛ほどの大きさまでなり、小さいものだと鶏卵くらいにしかならない。大きさは主にその人の気の強さなどに影響を受ける。


繭の色もそれぞれ違う。赤かったり緑がかっていたりとさまざまである。色はその人の性格に影響を受ける。


ここまでである程度の性格やらがわかるような気がするが、肝心なのはその姿、形である。こればかりは本当に生まれてこなければわからない。


生まれるのは虫であることに違いないが、蛾であるとは限らない。善い人間ほど美しいものが生まれ、悪しき人間ほど醜いものが生まれる。


一週間後、日が暮れる頃に寺の庭にあった檜ヒノキに繭蚕が繭を作った。


色はヤマブキ色に近く、ダチョウの卵くらいの大きさがある。謙徳和尚は期待してその羽化をまった。


この一週間この男と過ごしてみたが、なかなかに印象が良かった。


高い位など気にせず自ら進んで掃除もするし、朝も寺の誰よりも早く起きて庭先を掃いたりしている。


挨拶や礼儀作法にも怠りは見られない。この男にならば任せられると謙徳和尚は思った。


そうしてついに繭の真ん中あたりから亀裂が入り中からそれは姿を現した。


黒い蜘蛛であった。胴体から細い足が伸び、八つの黒い眼をぎらつかせている。体は黒く胴体が小さく腹が丸く大きい。


そして口から伸びた牙だけが血の様に赤い。ゴケ蜘蛛のような体つきをしているが、大きさが掌ほどある為、似ても似つかない。


醜い姿であった。黒に赤の生き物はその道ではあまり良い色とは言えないし、ゴケ蜘蛛は毒を持つものがおおい。


毒を持つ虫が生まれるのはその人間に悪の心が強いからである。


謙徳和尚は大きくため息をついて繭から孵ったばかりで、じっとその体を乾かしている蜘蛛の上に青い風呂敷を乗せ、何やらぶつぶつと唱えた。


そして風呂敷を取るともう醜い蜘蛛はそこにおらず、蜘蛛はビーズくらいの卵に戻っていた。


謙徳和尚はそれを拾い上げると小さな硝子のビンに入れるとそれを懐にしまうとすぐ寝床についてしまった。

そして次の日の朝「すまないが弟子にはできないと」と言ってこの男宮川を帰してしまった。


宮川はそれを聞きなかなかに食い下がって帰るのを渋ったが、昨日のおぞましい心の姿を見た謙徳和尚の気持ちは変わらなかった。

この後も残り4人にこれを試したが、みな醜い虫ばかりが産まれた。


宮川の様に毒を持つ虫は産まれなかったものの、みな足が多かったり色が悪かったり、ヌメリがあったりと、お世辞にも美しいとは言えないものばかりであった。そしてとうとう宮川と同じようにその4人も帰してしまったのである。アヤメに出会ったのはそんな事があって一月ほど経ったころである。


もう誰に教えるでもなく隠居してしまおうかとそう考え始めた矢先、謙徳和尚のもとにアヤメが訪れる事になったのである。



 その内容はお寺での1日お泊り会である。謙徳和尚のもとでお昼頃から次の日の昼までの間、住職としての仕事を手伝ったり、一緒に食事をとったり、近くの野山を散策したりする。


いわゆる林間学校のようなもので、謙徳和尚が毎年楽しみにしている行事である。


アヤメがほかの子と少し違うように感じたのは、来た日の夕方頃だった。


夕食を作る当番と食器を並べたり、長机を並べる当番に分かれて子供たちが働く中で、アヤメは長机を出すのを手伝っていた。


4~50人が入ってもまだ余裕のある大きな部屋からは外の庭園が見渡せるようになっていて、夕日が庭全体を包んでいた。


その庭園を少し暇ができる度に、見つめているのである。まんべんなく見渡すというよりも、ある一点を見つめているように見える。


その視線は更によく見れば庭園の先にある門の方に向けられているようだ。


「ほう…」謙徳和尚は感心するかの用に小さくつぶやくと、アヤメを観察することにした。


この時、謙徳和尚はアヤメの持つ才能の片鱗に気付き始めたのである。



食事も終わり、みんな順番に風呂に入って、布団を敷くと小さな子たちはその上をを走り回ったりした。


大きな部屋にたくさんの布団が敷き詰められ、一つの大きな布団の様になっているのだ。


そんないつもとは大きく食い違う部屋の広さに、好奇心の強い小学生に大人しくしろと言う方が、無理な話かも知れない。


大きい子たちがそれに混ざって、遊んでいる。おもりと言うのが妥当だろうか?施設で育つ子たちは大人びるのも早い。そして絆も強い。誰かに頼まれるでなく、こうやって下の子の面倒を見たりするのだ。


まだ消灯までは1時間ほどある。皆が皆好きに時間を過ごした。


アヤメはそんな笑顔で騒ぐ同級生たちから、適当に距離を置いた場所の壁に背を預けながら、本を読んでいた。時折本から目を離し、皆の笑顔を見るとまた本に目を落とす。


やはり口元には、ほのかな微笑が漂っている。本を読んでいる時よりも、みんなの方をチラリと見るときの方がその唇の両側が持ち上がっている様に見える。


ほかの子供たちの明るい雰囲気を楽しみつつ、本を読んでいるように見えた。


そこにいる子供たちの中で群を抜いて落ち着き払っている。


そんなほかの子供たちから一歩引いて見守るように本を読むアヤメに謙徳和尚はそっと近づいた。


「本を読むのは楽しいかね?」


謙徳和尚はアヤメの隣にゆっくりと座った。


「楽しいです。読むことよりもその風景や状況を想像する方が好きですけど。」


アヤメは謙徳和尚の目を見ながら話した。もう本には栞を挟み、ひざに本を乗せている。


「謙徳様は本を読まれるのお好きですか?」


アヤメは初めて笑顔と分かるほどに笑うと謙徳和尚に言った。先ほどとは打って変わって年相応に見えてくる。

様付けや敬語を除いては。


「昔はよく読んだが、今は目が悪くなってしまってね。すっかり読まなくなってしまった。」


そういって謙徳和尚は頭をかいた。


「まぁ目は悪くなっても余計なものが見えるのは変わらないがね。」


その言葉にアヤメは目を大きくした。謙徳和尚もその反応を見て何かを確信したようだった。


「君には表の門にいる者が見えるんだろう?」


それを聞き少しの間をおいてからアヤメは小さく頷いた。


「はい、ほかの子たちに聞いても何も見えないと不思議な顔をされ、最初は気のせいかと思いましたが、何度見てもそこに立っているのでその存在に確信を持ちました。」


「今までにも何か見たことはあるかね?」


アヤメは少し考えまた小さく頷いた。


「はっきりしないものも合わせれば、数えきれないほどにあります。」


そう言ってアヤメは今までに体験した不可思議なことを話し始めた。今まで誰にも話せなっかたのだろう。


まるでせき止めた石を取り除いたかの様に、アヤメは流れるように話し始めた。


あくまでその水流はせき止められていたとは考えられぬほどに、穏やかであったわけだが。


ガツガツとせず、本当に本当に穏やかに話すのだ。


謙徳和尚は何度か頷いてアヤメの話を聞いていた。時たま「うんうん」とあいずちも打っていた。


しかしあっという間に消灯時間となり、まだアヤメは話し足りない様にも見えたが、謙徳和尚は立ち上がり、一度子供たちを集めみな布団に入るように促した。


大きな子たちも手伝って小さな子たちを寝かしつける。


「門にいる者の正体…知りたいかね?」


子供たちが踏みつけた布団をなおしていたアヤメに謙徳和尚は声をかけた。


アヤメが頷くと謙徳和尚はにっこりして、「明日の朝までには答えが出ているだろう。今日はゆっくりお休み」


そう言ってアヤメの頭をなでるとほかの子たちの面倒をに戻り、静かになったところで電気が消された。


「朝ということは、夜の間に何かわかるのだろうか?」


アヤメはどうにも謙徳和尚の言葉が引っかかりなかなか寝付くことが出来なかった。


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