勇者が召喚されなかった異世界で
ウィルはフレース王国の第一王子として生まれた。
父は良き指導者として民に慕われ、母は美しく優しい。
そんな両親に囲まれてウィルは幸せに暮らしていた。
10歳になったある日のこと、ウィルは父と母に連れられて城の地下にある謎の部屋にいた。
父と母が護衛の兵をつけずに隠し通路を通ってこの部屋まで来たことから、この謎の秘密の地下室が王家にとって重要な場所であることは明らかだ。
「お父様、お母様、この部屋は何なのでしょうか?」
ウィルは部屋を興味深く観察しながら質問した。
地下室には祭壇のようなものがあり、床には巨大な魔法陣が描かれている。
いったいどういった目的でこの部屋が作られたのか……
「この部屋は代々王家に伝わる勇者召喚の間だ。使用すれば国に危機が訪れた時に救世主である勇者様を呼ぶことが出来るとされている」
父である王がウィルの肩に手を乗せて答えた。
勇者――
母が小さな頃に寝る前に童話として読み聞かせてくれた、はるか昔に救世主として国に現れた英雄である。
所詮、子供向けに創作された童話だと思い、信じていなかったウィルであったが……
「本当の話だったのですか。すごいです。もし、国に危機が訪れたらこの魔法陣を使って勇者様を呼べば良いのですね?」
「違うのよ。この魔法陣は使ってはなりません」
「お母様?」
母である王妃は悲しそうに首を振って答えた。
てっきり、この魔法陣の使い方を教えるためにここに連れて来られたと思ったのだが違ったらしい。
「例えばお前が突然知らない場所に飛ばされて、見ず知らずの人々から魔物を倒してくれと言われたらどう思う?」
「そ、それは嫌です……魔物は獰猛で恐ろしい存在です……」
ウィルは父親の質問に正直に答えた。
答えた後になって、ウィルは魔物と戦うことに恐怖を感じる自分を恥ずかしく思った。
ウィルは父が臆病な自分に幻滅したのではないかと不安になり、顔色を窺った。
しかし、予想に反して王は穏やかな表情でウィルの答えに満足そうに云々と頷いている。
「ウィルよ。それで良いのだ。それが普通の人間の反応だ。そして大昔にこの国に現れ、我々を救ってくださった勇者様もお前と同じ人間。同じ気持ちだったということを覚えておくのだ」
「勇者様は我々を救うために来られるのではないのですか?」
ウィルは勇者という存在は神のようなものだと思っていた。しかし、父は勇者も同じ人間なのだと言う。
「いいや、勇者様は我々の勝手な都合で呼び出され、戦わされることになったのだ。しかし、勇者様は危険を顧みず我々を救ってくださった。私たちの祖先は勇者様に多大な迷惑をかけてしまった。もう二度とこの勇者召喚の魔法陣が使われてはならぬ……」
「自分たちのことは、自分たちの力で解決しなければならないということですね」
「その通りだ」
王は目を細めてウィルの頭を撫でた。
「お父様、僕はこの魔法陣が使われることのないように剣術、魔法、学問をたくさん勉強します。そして、お父様のような立派な王になって国を繁栄させたいと思います!」
「流石、我が息子だ。期待しているぞ」
王と王妃は将来の世継ぎの頼もしい言葉に感動してウィルを抱きしめた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
それから五年後――
突如として空から現れた魔王の軍勢に攻められ、フレース王国の王都は瞬く間に火の海に包まれた。
魔王軍の軍事力は予想よりも遥かに強大であり、王都は陥落寸前である。
「父上、俺も最後まで戦います!」
「ならぬ。ウィルよ、お前は逃げるのだ」
「嫌です!」
勇者召喚の間にてウィルと王は言い争いをしていた。
これから魔王軍との最後の戦いが始まるというのに、王はウィルだけ逃げろと言うのだ。
しかし、そんなこと許されるはずがない。
ウィルは王族として最後まで運命を共にする覚悟だ。
絶望的な戦いを前に勇者召喚の間に集まったことから、最後の希望である勇者様を召喚するのかと思ったのだが……
「母上、勇者召喚をしましょう。そうすれば……」
「それは駄目です。この世界と無関係の人を巻き込んではいけません」
勇者さえ召喚すればこの絶体絶命の窮地を救えるかもしれないというのに、王と王妃は勇者召喚を拒んだ。
「これから勇者召喚の魔法陣を使ってお前を勇者様がいるとされる平和な世界に送喚する」
「ウィル、貴方だけでも生き延びて」
「そんな……一人だけ逃げるなんて嫌です。逃げるなら皆一緒に逃げましょう!」
ウィルは一人だけ逃げるのを拒んだ。
民を……父と母を置いて一人だけ逃げるなんて出来ない。
「その魔法陣に集まった魔力では人を一人しか送ることが出来ないのだ。それに私は王だ。逃げる訳にはいかぬ。兵と共に民を逃がすために時間を稼がなければならない」
「それなら、俺もっ……!?」
俺も最後まで戦うと言おうとしたウィルであったが、身体の自由が突然奪われ動けなくなった。
「ウィル……許して……私たちは王族である前に人の親なのよ」
王妃は魔法でウィルの身体の自由を奪ったのであった。
そして、ウィルの身体が浮かび、魔法陣の中央に固定された。
「元気でね……」
「達者でな……」
王妃が呪文を詠唱すると魔法陣が光り輝く。
「くっ……」
身体に力を入れるが魔法による拘束の力が強く抜け出すことが出来ない。
そして――
ウィルの身体は光に包まれ、この世界から消え去った。
「……行ったか」
「ええ……」
勇者召喚の間には王と王妃だけが残された。
「すまんな。本当はお前も逃がしてやりたかったんだが……」
「いいのです……死ぬ時は一緒です」
王は王妃を抱きしめた。
そして身体を開放した後、王は王妃に一振りの短剣を渡した。
「私はこれから出陣する……敵軍に捕まりそうになったらこれで……」
「ええ、分かっていますわ……」
二人は見つめ合い頷く。
王は戦場に向かい、王妃は短剣を握りしめて王を見送った。