メリッサ・アストレアという少女
会話なしのほぼ説明文になってしまった……。
メリッサ・アストレア・エリスを一言で表すのは難しい。
強いて言うのであれば、神子としての生を隠された、もしくはその存在を奪われた少女、というものが現状を一番正しく表現しているのかもしれない。
これを話すには、メリッサという少女ではなくその両親について話すのが適しているだろう。
メリッサは死と再生・祈りの女神であるイシス神の神託の巫女である母・シルティと豊穣と大地を司る男神テトの神殿に仕える第五上級神官の父・ユルグの子である。仕える神も神殿も異なる二人が何故出逢ったのかをメリッサは知らない。普通であれば母親であるシルティが何かしらの機会にでも話すのであろうが、シルティはメリッサが生まれて2年も経たぬうちに神に下に帰ることになったのだから。その死因についてメリッサが知ることは叶わなかった。
単純に原因がわからないということもあるのだが、最もの理由としては母が死んでまだ喪が明ける1年も経たないうちに父が後妻を迎えたからだ。
ユルグの後妻でありメリッサの継母となったのはラティ・イシュターという女で、これも巫女ではあるのだが、なぜかまた父の仕える神殿とは異なる神殿の巫女であった。大陸の母神であり愛と美を司る女神ユニ神殿の者で、実母のように神託を受けるほどの力はなく、持ち回りで神官のいずれかに仕える巫女の一人であった。
父からすれば愛の女神に仕える巫女である継母であれば、継子であるメリッサにも優しく接してくれようという心もあったのかもしれない。残念ながら、メリッサは結論から言えば両親(この場合は実父と継母に限るが)の愛情を知ることなく育つことになった。
大きな理由は2つある。一つは、父がラティと再婚することになったのはラティが父ユルグの子を孕んだからということ、
もう一つはメリッサがメルカ大陸の主神であり創世神であるリーベス神の加護と祝福を与えられた唯一の存在であるということだろう。
しかもこれは当時シルティとユルグの関係者(当然ながら神殿関係者も含まれる)には密やかに知られていたことであるのだが、メリッサがまだシルティの胎の中にいたという時分にというのだから、リーベス神の寵愛深い子であることは察してしかるべきだろう。
本来ならば神職に就く者であるならば、その存在を祝い喜ぶものなのだ。しかし、神に仕える身であろうと継母のラティにとっては面白いものではなかった。
最も、亡き妻の喪が明ける前に女を孕むようなことをする男と、神に仕える身でありながら妻のいる男とそのようなことをする女であるのだから、真っ当な巫女と比べるのも比べられた当人には失礼な話だろうが。まぁ、言うなればラティという女はそういうあまり性質のよろしくない、実に自分の快楽に従って生きている女なのだ。
もし、シルティが健在であればメリッサは皆が望む通り、この国で聖職者になるものと同じように8歳の誕生日を迎えてからリーベス主神殿にて主神の寵愛深い娘として、本人の資質によって将来は神の愛し仔である神子として、手厚く保護され神の御業ともいうべき奇跡で世の澱みを払う存在となるはずであった。
これはただ主神の寵愛深い御子だからという理由ではなく、シルティがメリッサを孕む3年前に近々そういった類の娘が生まれると神託があったからだ。そしてその神託を受けたのがイシス神殿の神託の巫女であり、メリッサの母であるシルティ・アストレアであった。
当時、すでにシルティはユルグと婚姻を結んではいたのだが、まだメリッサは胎の中には存在しておらず、しかも神託としても曖昧なものである。神々のいう”近々”というのは地の上で生きる人間にとっては明日なのか10年後なのかもわからないという、実に長い”近々”という期間なのだ。そして期間もさながら神託の内容も抽象的だった。
「近々、神の寵愛を受けるに相応しい娘から、神の祝福を受けし愛し仔がこの世に産声を上げるだろう。愛し仔である娘はこの地に大いなる祝福と安息を与え、邪なるものを払うだろう」
どこの誰なのかもわからないが、神の寵愛を受けるに相応しいという点で、巫女、もしくは神の祝福や加護を受けた娘であるということは予想できた。ただ、いつどこの誰なのかということはさっぱりわからないのだ。生まれた時点で何かしら神の祝福を与えられていることは予想できたのだが、この大陸中の赤子に加護や祝福が与えられているのかを探すとなるととてもではないができるものではなかった。そんな金も人手も人間も軽々出せる神殿はないのだ。そのため、神殿はすべての巫女と祝福や加護を受けた娘が懐妊した際に仕える神の神殿で保護することとなったのだ。
シルティの胎の子にリーベス神の祝福が与えられたと発覚したのはシルティが懐妊し、安定期に移った頃であった。
ユルグとは月に一度、いずれかの神殿を行き来する生活が続いており、そのうちイシス神の主神殿のあるブリタ地方にあるテト神を祀る神の家の分所へ司祭として移る予定であった。
イシス神の神託の巫女であるシルティではあるが、懐妊が分かった時点でユルグのいるテト神殿に出産まで世話になる予定であった。これはイシス神殿があるのはメルカ大陸の北方を横断するロンメル山脈に程近い位置にある。夏場は避暑地として好まれるがそれ以外は厳しい寒さに見舞われる土地であるため、比較的温暖なセレ地方に養生のために移住する者も多い。
シルティが唯一の神託の巫女のため、ギリギリまで職務に就きたいという本人の意向と、つわりが酷く長距離の移動が難しいという理由から安定期に移るまでイシス神殿で過ごしており、そろそろユルグの元へ、ということを神官長と話していた時だった。
シルティが腹を撫でようと手を触れた瞬間、どこからともなく金に輝く光が無数に現れたかと思うと、シルティの胎へと消えていった。何かの呪いかとその場で神官長が調べた結果、胎の子に主神リーベスの祝福と加護が与えられていることが発覚した。
神々を象徴とする神力は神によってその神力の色が異なる。創世神であり、すべての神の父であるリーベス神の神力は金色とされている。対してイシス神の神力の色は紫紺である。
ましてやイシス神は再生と死を司る神であり、それには出産も含まれる。そのイシス神殿の長である神官長自らの見立てに間違いはないだろう。
なぜイシス神殿に仕えるシルティにリーベス神の加護なのかはわからないが、すべての神の父であるリーベス神はどこの神殿に行ってもリーベス神を祈ることに問題はない。何故なら父神と母神のリーベス神とユニ神はどの神殿にも祀られているからだ。わが子の家に遊びに行くような気軽さとでもいえばいいのだろうか。リーベス神も祀られている以上、イシス神殿の巫女であるシルティの子にリーベスの寵愛を得たとしても必ずしも不審にはつながらないのだ。
ましてや、シルティは現在、大陸唯一の神託の巫女である。神の声を直接聞くことのできるシルティであれば神の寵愛深い娘としても異論はないだろう。
とはいえシルティ自身は神の愛し仔の神託をした自分がまさかその仔を身ごもるとは思ってはいなかった。さらに言ってしまえば、神託を与えた神が自らが仕えるイシス神なのかリーベス神なのか、はたまたほかの神々なのかもシルティにはわかっていなかったのだ。
確かにいつもとは違う感覚で受けた神託ではあったが、神々の姿や声をシルティが聞くことはない。リーベス神およびユニ神とその子である神々は肉体を持たないため、神託は神々の”意思”を感覚から言葉にいかに上手く変換できるかというものだからだ。
もし、初めからシルティに愛し仔を与えると言っていれば違ったのであろうがそうとは言い切れないニュアンスをシルティは感じていた。そのため、実に抽象的な内容として告げることになってしまったのだ。
シルティからすれば、主神リーベスから祝福と加護を受けたからと言って必ずしもわが子が神託の愛し仔とは限らないという思いであった。直接自分に愛し仔を授けると告知したわけでもないし、何をもってして愛し仔とするのかもわからない。第一、まだ生まれていないのだから息子なのか娘なのかもわからない。そうでなくともリーベス神でなくとも神託から3年も経てば他にも他の神々の祝福を受けた赤子はいるのだ。
何より、わが子がそのような救世のような大役を受けるとすれば、常人と比べるまでもなく困難な道を歩むことになるだろうことは容易く想像できる。可愛いわが子であれば多少の苦労は進めてもそのような大陸を巻き込むような苦行を一人の母としてはとてもではないが勧めたくはない。
巫女という立場からすればそうもいってはられないのは理解はしてはいるのだが、そう割り切れるものではない。
そんなシルティの母としての苦悩を見て何か思うことがあったのか、神官長はこのことは他言無用とした。無論、父であるユルグには話すべきではあるが、神官長という立場からはどうしてもリーベス主神殿に祝福を受けた仔が生まれたと出産後に通達しなければならないことはシルティも了承せざるを得なかった。胎から出てすぐに神殿にわが子を奪われるというわけではなく、出産後にリーベス主神殿に通達されると言えども、無理矢理に神殿に子を取り上げられるわけではないからだ。
リーベス教では子の親は赤子を神から託されているとされ、原則として7歳まではわが子と過ごすことが定められている。また、自分の地位からすれば必ずしも無理矢理に子供を取り上げられることもあるまいという自負もあった。一般的に神官や巫女などの聖職者につく場合は、8歳になると両親のいずれかが同伴して各地を巡礼することが求められているからだ。
これは各地の神殿との顔を繋ぐという意味もある。ここで神託の巫女である自分が傍にいれば、ある程度は自分の名で守ることができるという思いもあった。
ただ、それもシルティがまだ娘のメリッサが1歳を過ぎたころに不慮の死を迎えたことで意味のないものになってしまった。
本来であれば、シルティの夫でありメリッサの父であるユルグがメリッサを守るべき立ち位置であることは言うまでもない。ましてや、ユルグは神殿は違えど上級神官第五位の男である。神により定められている通りに7歳になるまでは自分の手元に置き、無理なことも伝手を使うなりして娘を守ることはできたはずであった。
シルティが巫女として母として優れた女であったとしたら、ユルグは神官として父親として愚かな男であったと言い切れるだろう。別居婚ではあったが、それでも神に誓った夫婦であり、妻は唯一ともいえる神託の巫女を娶ったのであるのだから、誠実であることは義務ともいえた。
わが子も、それも主神の祝福と加護を持つ子である。メリッサは神の祝福を受けたからなのか妻に似た蜂蜜色の金髪に美しく加工されたアメジストのような紫の瞳で、1歳を迎えるころには将来はそれはもう美しくなることが予想される輝かんばかりの赤子であった。他人の子であったとしても庇護欲を抱かずにはいられないような赤子であった。
別居婚の弊害ともいうべきなのか、単純に貞操観念の低さというべきなのか、ユルグという男は己の責任も解らぬようで愚かしいことに、シルティが身ごもりイシス神殿から出られない時にであったラティに唆され手を出してしまった。呆れたことにそれはメリッサと一つの家に住んでからも続いていた。
ラティの女としての手管のせいだったのか、神託の巫女を妻に持つが故の劣等感からラティに逃げたのかは定かではない。
シルティとしては貞淑な妻としてユルグと接していたつもりではあったのだが、唯一シルティが避難されるとすれば、シルティの男を見る目がなかったということだけだろう。もしくは釣り合いが取れていないということを意識し、それを補うようユルグを気遣うことができればよかったのかもしれない。それを差し置いたとしてもユルグとラティの二人の裏切りは聖職を務める男女のすることではない。いくらシルティの非を上げたところで、ユルグがシルティに行った行為は誠実とは真逆のものであり、紛れもなく裏切りであることは確かなのだから。
シルティは神のもとへ帰るまでユルグとラティの不貞を知ることがなかったのは幸せなのか不幸なのか。少なくとも、メリッサにとっては悲劇の始まりだった。
先に触れたが、ラティがユルグの後妻となった時には、ラティの胎にはすでに子がいた。ユルグとラティのしたことは神に背を向けるような行為であるが、それでも二人は神官と巫女という職を変わらなく続けていた。
ラティという女からすれば、自分が一緒になるはずの男が「たまたま」別の女をうっかり妻にしてしまったというだけで、本来であれば自分が妻になるはずだとすら思っていた。なぜなら自分は愛の女神の巫女であり、愛の神に仕える自分の愛が通らないなどとは思ってもいなかった。
そして、そんな愛に生きる自分は自らの神に愛されるにふさわしいとすら思っていた。
神殿に努める女の一人として、シルティの神託のことは知っていた。たしかに、継子であるメリッサはいかに”自分の男を奪った女”の忌々しい娘ではあろうとも、リーベス神の加護と祝福を与えられた仔である。
しかし、ラティの生む子も同じユルグの子であり、神に仕える巫女の子でもあるのだ。神託の愛し仔がわが子という可能性に希望を持つことは自由である。が、己の行いを振り返ればそのような妄想も烏滸がましいというか甚だしいのだが、残念ながら彼女の周りで指摘する者はいなかった。忌々しい女の娘ですら主神の祝福を受けるのだから、わが子であれば尚のこと素晴らしい未来を約束してしかるべきだとすら思っていた。
しかし、ラティの身に降り注いだのは祝福でも神の寵愛の印である加護でもなく、忌み子の呪印であった。
ラティは孕んでもそこまで体を崩すこともなく、極めて健康的に過ごしていた。シルティと同じく安定期に入り、本来であればシルティが住んでいたはずの家で生まれてくるわが子のために編み物をしていた。
その時、何の前触れもなくラティの胎にめがけて黒い矢のような光が突き刺さった。それに痛みはなく、淀んだ黒い何かが胎に入った途端じわりとラティの体を蝕むように徐々に膨らんだ胎へ嫌悪感としか言えない感覚が集まり、それは浸み込むようにラティの胎の子の中へ入ったことを感じた。
ラティは巫女というには心身ともに清らかではない女ではあるが、それでも神殿に務めることができた女である。大した力もないが、それでも感覚としてわが子に災禍の類の呪いが与えられたと本能として直感した。
ラティにとっての災厄の始まりであった。
なぜなら見計らったように、その直後にイシス神殿に新しく就いた神託の巫女が忌み子が生まれ落ちると宣託を出したのだ。
もしもラティが少しでも自分以外の者へ向ける慈しみや罪悪感や聖職としての義務感などというものを持ち合わせていれば、自らがシルティにしたことに対しての因果と考えることができたかもしれないし、あるいは自らの仕える神に慈悲を願うなりして子の命の助命を願うことぐらいはできただろうし、真摯な姿勢を見せることで生まれたのちに呪いを解くための手が講じられる可能性など、何かしら状況は変わったかもしれない。
そもそも、ラティのしたことといえば、妻のいる男を寝取り、継子であるメリッサを虐げ、他人を慮ることもなく、自己愛を主軸として生きているのだ。清く正しく生きていれば、もしかしたらラティの子が忌み子ではなかったかもしれない。今更ではあるけれども。因果応報というにはラティの子が可哀そうではあるが、自業自得と言えるのではあるが、本人にしてみれば反省するべきことではないのだから、言葉もない。
ラティにとって、あくまで慈しむべきは己のみであった。
頭に浮かぶことは継子であるメリッサが神の寵愛を受けたというのに、わが子は忌み子である。彼女の心を占めたのは忌み子を生んだ女として自分が世間から嗜虐される可能性を消さなければならないという保身であった。わが子への愛すらも、自己愛の前では犠牲とされた。
わが子を忌み子にするわけにはいかない。では、わが子の代わりに誰かが身代わりになればよいのではないだろうか。それも、自分が憎く思っている者であれば尚のことよろしい。
可愛い我が身を守るため、ラティはユルグと共謀することにした。
メリッサが神の祝福を受けたのは、この世に禍を招くであろう狂神に捧げるためであると。その時のために幼子が身を守るように神が加護を与えたのだと主張した。
忌み子が生まれると神託が下されているのだから、恐らく世が荒れることを暗示しているのではないか。それはきっと狂神、もしくは悪しき神によるものだろう。それほどのことでない限り、寵愛を受ける仔を神託で告げるはずがない。
ならば、主神リーベスの寵愛深いメリッサは神の子とも言えるのだから、父たる神のもとで過ごすべきだと。
ユルグはようやく赤子から幼児といえるような年になったばかりのわが子を神殿に託すことに躊躇いはしたものの、メリッサを選べばラティの愛はなくなり、またラティとの子と会うこともないと言われれば、愚かな男は亡き妻よりも今目の前にいる女であるラティの手を取るよりほかはなかった。
父親としての情がないわけではなかったが、ユルグはラティの子が忌み子とは知らなかったが、忌み子が生まれると神託が下されても、狂神が出ると予言されているわけでもなく、リーベス神の寵愛を受けるメリッサであれば、継母であるラティに気を遣いながら生活するよりも手厚く保護されるだろうという思いもあった。
本来であればそのような愚かしい主張が通ることはない。原則として7歳になるまで親や親族をなくすなど、どうにもならない例を除いて子供は親の庇護のもとにいるべきという原則に則るべきと却下されるのが常だからだ。
さらに言えば記憶か残っている限りではあるが、リーベス神の加護が与えられたのは聖女のみであった。彼女がこの世を去ってからはこの大陸にあるリーベス神以外の神々が人の子に祝福や加護を与えることはあっても、主神リーベスに限っては祝福も加護も、いずれも与えられる者はいなかったのだ。この点だけでも、メリッサが歴史的観点からも特別の寵愛を与えられていることはわかりやすいぐらいであろう。
残念なことに、その愚かなことを通せるだけの伝手がラティにはあった。母神ユニの神官長である男に仕えたことのあるラティは神官長の弱みを握っていた。何のことはない、ラティと一度交わったというだけのことである。
当時のユニ神殿の神官長は地位に固執している者であることはユニ神殿では有名な話であった。神官長はすでに老人とも言える男なのだが、自身の淫蕩ぶりを世間に辱められることは耐えられないと、ラティの望むままにリーベス主神殿へメリッサを人の目に触れぬよう神の家から出さないことを約束したのだった。
さっそくユニ神殿長は、リーベス主神殿の長であり、総ての神殿を取り仕切る教皇にメリッサを引き渡した。
リーベス神の寵愛を得た娘がこの地を救うためにも、来たるべき時が来るその日まで、メリッサは寵愛深い父である神に守られ、その身を捧げ続けるべきであると。
そして、教皇であるリーベス神殿長はそれを受けた。
ユニ神殿長の思惑や背後を知りながら、それとは別の意志をもって。
当時、メリッサ・アストレア・エリス 2歳となる年である。