彼らの仕事2
メリッサは何から言えばいいのか悩んだ結果、口を噤んだ。
神獣の魔獣化という今までに例のない事件ではある。しかし神獣とはまだ決まっていないのだ。もう一度言う、魔獣のその正体について決定打は公式には出ていない。
だというのに、「もし、それが神獣であったものならば」という仮定を前提にして進めるのはいかがなものかと思うわけだ。第一、そのことについて調べに来たのだ。少なくとも表立っては。その上で神獣とそれに神力を加えた神の推定に入り、あわよくば接触を図るという流れのはずである。どこから予定が狂ったのかはわからないが、そこにそれぞれの神殿や個人の思惑が絡んでいると推察するのは誤りではないだろう。
いろんなものの事情が複雑に絡み合った結果、この結論が出されたのならばメリッサがここで「当初の予定をこなしてからするべきだ」と主張したところで通るまい。他の人間から言うのであれば客観性もあるが、メリッサがそういったところで命乞いや自己保身にしか聞こえない。別にそれも間違ってはないし、当然の主張だとは思うのだがそれが通るかどうかというのは別の話だ。
現在のメリッサはリーベス神の神子ではなく、「神託の巫女」見習いの少女である。クーベルトと同等かそれ以上の立場で話していた時とは異なる。他愛無い意見ならば通るかもしれないが、各個人の打算に絡むような主張であればすげなく却下されるだろう。
ならば、メリッサが今できることは少なくとも無駄な体力と力を使わないように大人しくしていることだ。
そんないろいろ達観しているメリッサの反応をどうとらえたのか、ロリスはメリッサを励ますように説明した。
「そんなに不安にならなくても大丈夫ですよ、メリッサ殿。ダメもとでやる作戦ですし、トフェトの森は基本的に魔獣ですら寄り付かない森ですから、メリッサ殿が生贄役になったとしても魔獣が現れるとは限りません。こう見えて自分はリーベス教内の武道会で3位の腕ですから、少なくとも時間稼ぎはできるはずです」
「ムナ教皇直々の命令です。我々の命に代えてでもメリッサ殿は守り抜きます。ご心配なされますな」
やっぱり安心できる要素はほとんどなかった。
仮に元神獣であった場合、人の身など腕の一振りで木端微塵にされてもおかしくないのだ。そんな状態でどうやってメリッサを逃すことができるのかぜひ説明してもらいたい。確かにロリスはこの大陸でも有数の実力者なのだろう。道中に何度か現れた獣や賊についても無駄のない動きで怪我ひとつなく対応してくれた。
だが、今回はその比ではない。比較することすら烏滸がましいのだ、その魔獣が神獣であったなどという最悪の場合だと。ロリスの同僚であるイザヤという中年の男はロリスに続けてメリッサを宥めるように言うのだが、別段、メリッサは命を懸けて守ってもらいたいなど露程も思っていない。彼に守られるよりもこの場にいる神殿騎士6名を守って余りあるほどの実力を持つメリッサである。そんなことよりも是非とも我が身を優先して守っていただきたいと思う。夢に出てくるわけではないが、少なくとも気持ちの良い眠りにはならなそうだし。
「それにメリッサ殿。トフェトの森は供物を捧げる場ではありますが、この500年近く使用されたことはないそうです。であれば、もしかしたら供物を神まで運ぶ神獣は既に神の世に戻っている可能性もあります。しかし、よくそこまで記録が残っていたと驚きましたが、さすがラル湖を守る一族…湖の乙女ティス様の血脈というべきか」
イザヤはしみじみと手元の資料の写しを眺めた。まめな管理をしているらしい彼らはそういった書物が痛むたびに新たに写本を作ることで知識を受け継いでいるらしい。イザヤが写しの一部を借り受けることができたのも、既に新しい写本が作成済みだったということもある。
それはそうと、メリッサにとってこの情報は吉凶についてわかりかねる話であった。神獣でないのならばただの大型の獣である可能性がある。その場合は恐らく順当に騎士に討伐され何事もなく神殿へ引き返すことになるだろう。だが、それが魔獣で、なおかつ神獣であったものならば、ここのいる全員の命がなくなることも十分にあり得る話であった。500年といえば、神にとっても「久しぶり」と感じられる程度の時間である。それでも人と比べればささやかな時間ではあるのだが、神がふと忘れていたという程度ならば、今まで供物を必要とするそれが再び起こるのならば…メリッサは神の下に大人しく下ることになるだけだ。それがどんな形なのかはわからないが。
「メリッサ殿。我々のことは気になさらないでください」
あくまで軽い口調で言うロリスに、メリッサは何も言えないままだった。
着かず離れずの距離で馬車の前後にいる4名の騎士もまた、その会話に加わることはなく、されど確実にその耳に入っていた。
予定通りにメリッサたち一行はトフェトの森の中心部に位置する広場へ着いた。
道中のイグの間を縫うような細道を抜けた後ではわずか10ヤード四方と言えどもそれなりの広さを感じられ、広場の中心には祭壇というには大雑把な石壇が置かれていた。いびつな長方形に切られた石壇の四方にはそれぞれ先端に穴の開いた石壇より少し背の低い細長い灯篭のような石棒が立っている。
メリッサは広場に入ってすぐの場所で馬車から降りた。
ロリスの手を借りながら降りたそこは、日中だというのにほの暗い広場に肌寒さを感じるが、そこには積年の澱んだ気配も空気もなく、ただ日の光が当たりにくいというだけということが少し意外だとメリッサは思った。
周囲を見渡しても祭壇以外は特に変わり映えのなさを淡々と見ていると、移動中に先頭を走っていた20代前半の生真面目そうな霞色の髪をした白色を基調とした制服を着たヴェレ神殿騎士イヴァンがメリッサの前に立った。
「メリッサ殿、先ほど騎士ロリスと騎士イザヤより説明があったかと思いますが、メリッサ殿にはここで魔獣を呼び寄せる囮として待機していただきたい」
イヴァンは感情の色を隠した目は真っ直ぐにメリッサを視ている。
ここにきて逃亡や己の身の不遇やら突発的な予定変更について主張するつもりはない。
メリッサはイヴァンの前に進むと右手をイヴァンに差し出した。
「承知しました。私はかの神獣を待ちましょう」
メリッサがはっきりとした声でそう告げると、イヴァンを始め4名の騎士はどことなくほっとしたような空気を出して、すぐに引き締めた。
イヴァンは差し出された手を取ると、祭壇へと導いた。
他の騎士は周囲の警戒と、馬車から荷物を取り出す作業に移ったようだ。
メリッサは石壇の中央に腰かけ、イヴァンを見上げた。
階段状になっているため、祭壇部分は広場からはやや高い位置にある。それでもメリッサが祭壇に座れば一段下の階段に立つイヴァンの方が頭3つ分は高い。
メリッサは自由な両手首をそっと撫でながら、口を開いた。
「ヴェレ神殿騎士、イヴァン。あなたに聞きたいことがあります」
「何でしょうか、メリッサ殿」
あらかじめ何かしら聞かれることがわかっていたような口ぶりでイヴァンは先を促した。
「彼らを殺さずに済む方法を採れますか」
極力でかまいません。
メリッサの何の感情も込められていない美しい声とその言葉にイヴァンは一瞬息を止めて、ゆっくり目を細めた。