光は全てを照らさない
「本当にこれでよかったのですか?」
クーベルトはメリッサを地下から神殿の地上階の一室に移すなり、切り出した。
メリッサは訊かれることが分かっていたのだろう、感情もなく肯定した。
「事情を知る人間は少ない方がよいのです。クーベルトも、可愛い孫娘をわざわざ危険にさらしたくはないでしょう」
「神子様の命と比べるまでもありません」
ふてぶてしく返したクーベルトにメリッサはもはや癖とも言える溜息をついた。
「……あなたのそういうところはあまり好きではないわ」
「好まれるようなことをしてきたつもりはありませんから、仕方ありませんな」
「あなたの本心は分からないけれど、神子扱いされているとはいえ、人外じみている人間で誰からかは知ないけれども私の処遇について通知が出ていたのでしょう?…ここまで引き延ばしてくれたことに感謝しているの」
「それがララを遠ざけた理由ですか?」
メリッサの存在はリーベス教の上層部でもさらに一部にしか知られていないものだった。だからこそ、この年までメリッサはたまに刺客が贈られてくるとはいえ比較的静かに過ごせていた。だが、異母妹と遭ってからは偶然も故意も関係なしに命を狙われることが増えてきたのだ。そうなれば、メリッサの一番傍にいるララが巻き添えを食らう事は必然であろう。
10年もいれば情も湧く。しかもララは母を除いて唯一人として、時には姉のように、あるいは年の離れた友のように接してくれた人であった。良い見本かどうかは別として、少なくともメリッサはララのおかげで孤独というものを感じることはなかった。常に傍らに神がいて、彼らから多大な加護と寵愛を受けているメリッサと言えど薄皮一枚分の隣の住人のようなもので、どれほど近くとも親しい存在ではなかった。
クーベルトの言うように、ララの身の安全を守るということもある。だが、それ以上にこのタイミングで外に出るということはメリッサにとっても必要な行動であった。
「それもあるけれど、それだけではないわ。理由はなんであれ、外に出たかったというのも本心ではあるから」
「外に出たいがために、私にこの判断を認めさせたわけではないでしょうな」
クーベルトは苦々しく口元を歪めた。こんな不出来なシナリオに沿ってやるほどクーベルトの持つ力は決して弱くない。むしろそのようなふざけた案など即座に切り捨てるだけの権限は持っている。
だが、メリッサはクーベルトよりこのタイミングでメリッサを外に出す案があれば、内容問わず承認するよう伝えていた。かなりギリギリまで渋ったクーベルトではあるが、7年前に聞いた予言を思い出せば、仕方なしに受け入れるしかなかった。
自分の命が搾取されようとしているにも関わらず、メリッサは淡々と事実のみ肯定した。
「否定はしないわ。でも、この機会を逃すともっと危険度は上がると思わない?」
「ラティ・エリス、ユニ神殿巫女長殿がいるからですか?」
「既にいくらかは取り込まれているでしょう。彼女はそういうものが得意なようだから」
今回は魔獣の調査と神との対話というのが表向きの決定である。
だが、ララの言うとおりこの程度のものであれば、神殿騎士かギルドに依頼を出し、現在調査している人間よりも優秀な人間を向かわせ、魔獣について調査もしくは討伐をすれば済む話なのだ。人が何の準備も証拠もなしに神に喧嘩を売るなど、街一つ消える程度で済む話ではない。そもそも何の神の神力によって変化した魔獣なのかもわからないというのに随分と稚拙な話である。
露骨すぎる罠と杜撰な策略に失笑するが、それだけ雑な計略であるのであれば、今後、彼女に優秀なブレインが付く前に乗った方が安全だろう。魔獣が多い地域ではあるが、数多の神の加護を持つメリッサにしてみれば危険はほとんどないようなものだ。死角からの攻撃であっても勝手に反射撃が付与されているので、勝手に自滅してくれるなら楽でよいというぐらいの気持ちだ。
今までの刺客について力技で押してくるラティではあるが詰めが甘いのかさほど期待していないのか、結果を出すにはいささか今一歩どころか三歩ぐらい足りないものが多かった。しかし反面、その数は多い。あまり頭の良いやり方ではないので危機感をそこまで煽られることもないのは良いのか悪いのかわからないが、実行力はあるのだ。
仮にメリッサがこの件で万が一神の下に帰るとしても、別段困ることはない。メリッサにとって死は自分を取り巻く神の傍に寄るだけのことで、怖しいものではない。だが、相手の策に馬鹿正直に乗って命を散らす気はない。
「本当にこの件に神が関わっているというのであれば、私なりに対処します。しかし、そうではなく、純粋に私の殺害を目的としているのであれば私は一時的にでも身を隠す方がよいと思うのです」
「神子という身分が無くなったメリッサ様は12歳の子供です。独り身では危険であることはなどよくわかっているはずでしょう」
「毎日刺客をご丁寧に贈られていることは危険ではないの?」
それを言われてしまえばクーベルトは何も言えなくなる。
クーベルトは自分でできる限りで、メリッサの下に行く前に”処分”はしているのだ。ただ、それにも限界がある。一々対処するよりもまとめてとらえて処分してしまう方が楽である為、刺客が二けたを迎えた頃にはメリッサを囮にして部屋に入るタイミングで呪殺するということがパターン化されたのだ。メリッサの部屋までは二つの扉があるため、そのいずれかに術を施しているので、本当にメリッサの前まで行き着くということは稀ではあったのだが、そういう問題ではないだろう。常に明確な殺意にさらされているという現状よりは随分と健全に思えるのは間違いではないはずなのだが、腑に落ちることはない。
「クーベルト。現在のこの神殿と宗教の在り方はおかしいと思いませんか?
弱者の救済のため、人の、この世の営みを正しく動かす神への感謝を奉げるためのものであるはずでしょう。一部の人間のエゴや利権のためだけに存在しているのは、本来の形ではない。何の祈りも伴わない神殿など、形だけです。そんなもの、何の価値があるのですか。救いを求めてきた人間を貶め、妬み、搾取し、切り捨てるなど、神に仕える人間のすることではない」
本来の神殿の在り方は力を司る神の恩恵を享受してきた人間が感謝を示したことが始まりである。そこから神殿を中心としたコミュニティが生まれリーベス教を軸とした社会が形成されている。現在に至るまで利益や打算が全くないとは言わない。それもまた人の在り方だからだ。だが、神殿そのものは祈りと弱者の受け皿としての機能が根本にあるのだ。
人の存在を妬み、持てる者から搾取あるいは奪い、命まで貪る人間は悪鬼として神に討たれると経典にも書いてあるのだ。それを、神職者が進んでしているというのだから、腐敗どころか悪鬼の侵略ともいえよう。
「私が存在する理由など、私の知るところではありません。しかし、本来神に臨まれる者が神殿から追放され、駆逐されるべき者が我が物顔で神の家を占領することを放っては置けません」
「メリッサ様・・・」
「クーベルト、神に臨まれてその位にいるあなたなら、私の気持ちを理解してくれるでしょう。確かに、侮られる姿をしていますが決してあなたが危惧するようなことにはならないと約束します」
瞳を潤ませるクーベルトにメリッサは微笑んだ。
クーベルトはこれこそ本来の神子の姿だろうと、ようやく一人で歩ける年齢でこの神殿に来て以来、初めて日の光を浴びたメリッサは正に神の寵児たる輝きを放っていた。
クーベルトは跪き、頭を垂れた。
「クーベルト・ムナはメリッサ・アストレアを信じます。どうか、ご無事で」
「クーベルト、あなたにリーベス神の祝福があらんことを」
メリッサはクーベルトの額を指先でなぞり、過去の聖女と同じ言祝を与えた。
クーベルトも去り、一人になったメリッサはガラス越しに10年ぶりの外の世界を眺めた。
青々とした木々と背の低い多種多様な花が大地を彩っている。
人払いがしているのか、メリッサのいる客室を中心に既に人の気配はない。
ガラスに映る自分の冷え冷えとした顔を見て、メリッサは先ほどまでララとクーベルトと話していた自分を思い出し、鼻で笑った。
「そんな綺麗事を心底思えるような育ちをしていると思っているのかしら」
今なお自分の腕に着けられた金の枷の慣れきった重みを感じながら、すぐそこまで来ている秘され育った神殿を出されるその時を待った。