ユニ神殿の巫女長
久々更新になりますが短いです。
今回も閑話になります。
日も落ちきった時間の神殿は薄暗い。
暗闇とまで言わないのは、寄付で賄われた蝋燭が点々と設置されているため、僅かな一人ではあるが屋内を歩く分には不自由しない程度の明るさを保っていたためだ。
しかし、その一角は暗闇に包まれていた。
それが意図してのものなのかはわからないが、昼間でも人目に付きにくいその場所は後ろ暗いやり取りをするに適した場所ではあった。
日没とともに緊急の連絡を受けるための夜番以外は各家へ戻るか神殿の居住区に移ることが定められている。そのため、既に門が閉められている神殿内は針の尾とすらも響きそうな静けさが広がっていた。
そんな静けさを砕くように、甲高い足音を鳴らして一人の男が不自然に蝋燭が途絶えているその場所へ足を踏み入れた。
まだ暗闇に目が慣れない男は目を凝らしながら周囲を見渡した。
と、したところで、背中にぞわりとした寒々しい何かが這い上るような気配がして振り返えろうとして
―――闇が動いた。
慌ててのけぞると、闇は女の声で哂った。
その声は聞きなれたもので、男は漸く落ち着くと同時に舌打ちをした。
「エリス巫女長殿、そのような遊びはあまり勧められたものではない」
「ごめんなさい?ザリ様があまりにも驚くから可愛くって」
色々含んだように笑いをこらえながらエリス巫女長と呼ばれた女は闇から忍び出るように姿を見せた。女は癖のない真っ直ぐな黒髪に血を水に垂らしたような薄い赤色の瞳をしていた。まだ10代といっても通りそうな幼さを感じる容貌であるが、2歳の子を持つ女である。
そのことをよくわかっているのか、少女のように楽しげに笑う様をザリと呼ばれた男は苦笑した。
「それで、ザリ様。あの子はどうなりました?」
「私の思う娘とあなたの思う娘で相違があるかもしれませんが、私の”手配”した娘は残念ながら仕事を成し遂げられなかったようです」
「あら、そうなの?やっぱり駄目だったのね。使い潰す寸前だったのがダメだったのかしら?うーん、難しいわねぇ」
なんで今晩のおかずが失敗したのか聞くような気軽さで、エリスは小首をかしげた。軽く言ってはいるが、一人の命が亡くなったことはよく理解している。
エリス巫女長は少し悩んだようなそぶりを見せて、面倒くさくなったのか「まぁ、次もあるし」という結論を出して考えることをやめた。
そんなエリス巫女長を見てザリは「よくありません」と首を振った。
「エリス巫女長、あの娘が失敗したということはユニ神殿に不信の目を向けられることになりますと言いましたよね」
「そういえばそんなこと言ってたかしら」
「いいましたよ。禍福の巫女が神殿の外、しかも他国に出ているというだけでも処罰対象だというのに、神子姫の暗殺まで企てたと指摘されたら」
「どうもしませんよ」
この身の破滅だと嘆くように言って見せるザリに、エリスはなんてことのないように否定した。あまりにもはっきりというものだから、ザリは聞き間違えたかと眉をひそめるが、エリス巫女長は事も無げにもう一度「どうもしません」と言った。
「禍福の巫女が神殿の外に出た。そしてあの忌々しい娘が殺される危険があった。…それだけでしょう?禍福の巫女が外に出たのは誰かが連れ去ったからだし、あの娘はリーベス主神殿でも特に人目のつかない場所で監禁されているはずなんだから、そう簡単に見つかるわけがないわ。もし見つかったとしても、どうしてそんな場所にたどり着けるのかしら?」
きっとリーベス主神殿内にあの娘のことが嫌いで手引きした人間がいたのね。だとしたら、私たちには何の関係もないわ。
エリス巫女長がそういうと、ザリはしばらく思案した後に頷いた。
最善とは思わないが、誤魔化す分にはその程度で十分だろう。疑うにしても「ユニ神殿の手のもの」と断言できるものはそうないはずだ。使い潰した禍福の業を背負った娘が万が一にも生きていればもしかしたら事態は変わったかもしれないが、ザリは自分が掛けた術の発動を感じたのだから、その可能性はないはずだ。
しかも、
ザリはたまたまというような体を装ってエリス巫女長を斜め見た。
この女が正式にユニ神殿の巫女になったからというもの、あまり表立ってできたものではない物事も派手とまではいかないが活発な動きを見せている。
これが大陸遵法で定められているような重罪になるものですら、エリス巫女長は躊躇なく手に欠けるのだから。それを隠すためにさらに大きな闇を食らうことになるという、このループは留まることはない。そしてなぜか、エリス巫女長…以前はラティ・イシュター・エリス上級神官付巫女、この女が関わると穴だらけな計画であっても高い確率で成功するのだ。
ザリがユニ神殿の神官長になった時すでに、この神殿の腐敗は重度のものではあったが、現在はその比ではない。しかし、それによって甘い蜜を吸うことに何のためらいもないザリが何かを言うことは決してない。
だから、ザリは巫女長が言うがままに「そのように」と一言だけ告げた。
それに「よろしくね」と軽く返すと、身を翻し闇に翻る黒いローブを舞い上がらせた。
今日はこのまま帰るのだろうと思ったザリに、「次のモノ、用意しておくように」と釘を刺された。
*********
エリス巫女長と呼ばれたラティは、ザリが付いてこないことを耳を澄ませながら確認しながら歩みを速めた。
巫女長という女性であれば神子の位を除けば神殿で最も尊い身分になり上がったラティであるが、その顔は全く明るいものではなかった。むしろ不機嫌を露骨に表していた。
「さっさと死ねばよかったのに。いや、よくないのかしら。なら、死なないまでも、死ぬまで苦しめばいいのに。そうなるべきなのに」
独り言にもならないような大きさで、ラティは毀れた言葉の危うさに気づき、そっと口元に手を寄せて笑った。
本当にそうなればいいと思っているのだけど、つい、ね?
誰もいないのに無邪気を装う姿は彼女の年齢や中身を知っていれば目をしかめるようなものではあるのだが、彼女は一人芝居を続けた。
「あんな子が生まれるから、私の娘が可哀そうな目に合うのよ。本当に可哀そうなフローラ!順当にいけば、あの子が聖女となって、私は聖母として崇められるはずだったのに…こんなたかが巫女長程度の面倒な仕事だなんて、酷い話」
本当にひどいこと。
ラティはもう一度呟いて、愛しい男とわが子のいる家へと向かった。
自分が幸せになるためには、次は何をするべきか。
こんな辛くて可哀そうな目に合っている自分の心を癒すためには、何をしたいのか。
そのためにも次なる禍福の業を背負った娘に手を差し伸べなければ。
そんなことを考えながら帰り家路はどことなく軽やかに見えた。