供物にされた少女
―――どうしてこんなことになっているのかしら
メリッサはそっと小さなため息をつきながら、胸中は酸素と一緒に吸い込んだ憂鬱がともに肺を満たした。
蜂蜜が溶け込んだようなメリッサの美しい金の髪は日の入らない部屋の中であっても輝くばかりなのに。
物憂げなアメジストの瞳と合わせて光が陰るように、メリッサは正面の鉄の扉にはめられた格子から顔をそむけた。
そうしたところで何の気休めにもならず、美しい顔だけはその豊かな髪でその表情を隠すのみではあったが。
何がそんなにもメリッサを憂鬱とさせるのかといえば、いつもであれば、決まった日時と特定の人間しか立ち入ることが許されないこの場所に、まだ幼子から少女になったばかりといえるような子供が目の前にいたからだった。
まだ10歳も届かない少女はこちらの気も知らないまま、落ち着きなく周囲を見ている。
「ねぇ、どうしてそんなところにいるの。何か悪いことしたの?」
メリッサは鉄格子越しに無邪気ともいえる様子の少女を歯噛みした。
この場所がどんな場所か知っていてそんなことをいうのであれば、小悪魔もいいところだ。嫌味だけならきっとそこら辺の貴族にも劣らない悪女になるんじゃないかとすら思う。会ったことはないけれども。
なぜなら自分がいるこの場所は、この国の主神リーベスを祀る本神殿でも限られた人間しか入ることのできない場所で、さらに言えばメリッサの存在は極めてタブーとされているからだ。それを示すかのように、メリッサの左腕は鎖で繋がれているのだから。それが罪人ではないと示すのは広く小奇麗に整えられた部屋とメリッサ自身の清潔さ、そして腕を縛る左手首に着けられた枷が紛れもなく飾り気はないが金細工の腕輪である。
異様な光景であることはメリッサも碌に世俗に関わらないながらも理解はしている。
「私ね、フローラ。フローラ・エリスっていうの。8歳になったから、1か月くらい前から巫女見習いになって、いろんな神殿を巡礼しているの。今日はママと一緒にきたのよ」
そんな異常さを適当流しながら、フローラは名乗り、くるりとその場で回って見せた。貞淑さを示すように露出が極めて少ない白い巫女見習いを示すローブは軽やかに翻り、少女は黒い癖のない艶やかな髪を肩で切りそろえた、いかにも少女然とした姿だ。将来は美しいといわれるよりも、愛らしくなりそうな顔立ちだが、強い自己主張をする瞳は好奇心で爛々と赤く光るように輝いている。
「ママは今、神官様とお話ししていてつまらなかったから探検していたの。あ、ママはね、ユニ様の巫女なのよ?パパは私のこと、ママにそっくりって言っているからきっと私もママみたいに可愛い巫女になるって…あれ?えーと、何の話だっけ。そうだ、途中で迷子になっちゃったんだけど、こんな場所があるなんでびっくりしちゃった。」
こんな場所で牢ともいえるような場所に女一人いたら、それはまぁ、驚くかもしれない。かもしれないが、少なくとも普通の幼子であればもう少し怯えるなりなんなりするのではないだろうか。実に図太いと思う。比較対象が少ないので明言はできないが、少なくとも繊細なたちではないことは確かだ。
別に怯えて泣かれたいわけではないが。
少なくともメリッサ自身はこの少女のことを少しも労わる気がない。労わるどころか、なぜか不快感すら湧いているといってもいい。初対面のはずの、少女に。
「ねぇ、あなた、名前は?こんなところに一人なんて寂しいでしょう?友達になってあげる!」
さも良いことを思いついたと言わんばかりに手を合わせ喜色を表すフローラに、顔を上げることもなく、瞳を瞼の下に閉まったままに、無感動にメリッサは答えた。
「今すぐここから立ち去りなさい」
「え?」
「その白い肌を鞭で叩かれて赤く染めたいのなら止めないわ。昼の祈りの鐘がなって半刻は経ったから、もうすぐここに人が来るわ。見つかっても泣いて謝れば済むと思っているならそれは違うわ。あなたと、あなたの両親が1週間はまともに動けなくなる程度のことはされるわよ」
抑揚もなく、淡々と事実のみを伝えるメリッサに、フローラは露骨に不機嫌そうに顔をしかめた。こんな場所に閉じ込められているお前が何を言うかと言わんばかりに。
こんな素敵な自分の申し出を断ることなんて有り得ないと言わんばかりに。
そんなフローラの様子など目を閉じているメリッサにすれば見えないのだから気にすることもない。見えたとしても気にすることもないたろうが。
「なによ、いずれは聖女になる私が友達になってあげるっていうのに!そんな態度だからこんなところに入れられちゃうのよっ!!ふん、あなたみたいな根暗で生意気な女なんて、さっさとリーベス様のお叱りが落ちるといいわ」
見習いとはいえ、巫女が言うべきではない言葉と罵声を吐き捨てながらフローラはメリッサの前からさっさと出て行った。やたらと響くドアの向こうの回廊を走る足音が小さくなっていく。
ようやく静かになったと、そっとメリッサは息を吐いた。
ろくに相手に模していないのに、変に体力を使ったような気分だ。
疲れた気分のまま、メリッサは鎖を引き摺りながらベットに倒れこむように身を投げた。
汚れひとつないシーツに頬を摺り寄せながら、先ほどの少女を思い出す。
「エリス家のフローラ、ね……」
フローラと名乗る少女とは初対面だった。しかし、その面影を強く感じる女をメリッサは知っていた。
ラティ・イシュター
現在はユルグ・エリスの妻、ラティ・エリスを名乗る国教リーベス教の主神・全知全能のリーベス神の妻である愛の神・ユニに仕える巫女の一人であり、メリッサの継母である。
夜闇を閉じ込めたような黒髪に、地に沈む太陽にも似た赤い瞳が印象に残る。継母であるラティは邪気などないような素直で愛らしい少女のような女……に魅せるのに長けた、メリッサから言えば悪女の見本だ。
本来であればメリッサは今は亡き実母であるセルティ・アストレア・エリスに導かれ、この国を導く神子として起っているはずであった。セルティの娘であるメリッサ・アストレア・エリスは父の後妻であるラティによってこの神殿に監禁された。
――――狂った神に奉げる供物として。