『Marie』
世界とは何か。
突然そんな質問を投げかけられて、真っ先に頭に浮かぶものはなんだろうか。そんなもの人によって違うと言われればそれまでだが、しかし多くの場合――多くの人の場合、世界を広大な何かにイメージする。自然であったり、街であったり、はたまた地球そのものであったり。もしかしたら、宇宙にまでそのイメージを飛ばす人もいるかもしれない。宇宙飛行士などはきっとそうだ。
多くの人にとって、世界とは広くて大きな、雄大な何かなのだという。
そんな話をどこかの名前も知らない哲学者が書いた本の中で知った時、私が初めに抱いた感想は「そんな馬鹿なことがあるか」という嘲りだった。世界がそんなに広いはずがないと、当時の私はたいした確証もなく、当たり前のように信じていたのだ。
だがそれも仕方のないことだと理解してほしい。私の世界は本当に狭かったのだし、私はあまりにものを知らな過ぎたのだ。
六畳一間。テレビがあって、本棚があって、机があって、椅子があって、鏡がある。あとはまあ、ベッドくらい。それだけだ。これだけが、この部屋の全ての物であり、私はその中にいる。ここから外に出たことはない。
私の名はマリー。
この六畳一間こそが、私の世界だった。
+
いつから自分がここにいるのか。その正確な記憶は私にはない。気づいた時には私はここにいたし、ここにいる前の記憶も全く持っていなかった。マリーという名前だって、私が着ているぼろ布のようなワンピースの胸に付けられたワッペンにそう書かれていたから「ああ、きっと私はマリーという名前なのだろう」と勝手に推測してそう名乗っているだけであって、本当の私の名前がマリーだという確証はどこにもない。
つまり私は便宜上のマリーである。
堂々と名乗ったところ悪いのだが。
とにかく。とにかくだ。
私にはこの部屋にいる私の記憶しかない。だからこそ、この部屋だけが私の世界なのだ。この部屋だけであり、この部屋以外に私の世界は存在しない。
もう一度言おう。
私の名はマリー。
この六畳一間こそが、私の世界なのだ。
+
そもそも私が《外》という認識を持つに至るまで、随分と時間が掛かったような気がする。最初の内、私は本当に世界はここだけ、この部屋だけなのだと信じていた。
と言っても《外》の情報がなかったわけではない。テレビはある。本棚には本も入っている。情報は充分にあったはずなのだ。
しかし私はテレビで流れる番組は全てフィクションの嘘っぱちで、全部が全部はめ込みの合成で出来ていると思い込んでいたのだ。人々がニュースと呼ぶあの番組ですら、私はサスペンスの一種としてしか見ていなかった。それが外の世界で起きている事件を知らせてくれる番組だとは思わなかったのだ。
本もそうだ。私の中では、難しい言葉で馬鹿みたいな理屈を並べたてる評論と、夢と冒険のファンタジーノベルの区別がついていなかった。
だがさすがに、他の人間の存在を否定していたわけではなかった。
当時の私は、世界は部屋だと思っていた。それぞれに繋がりのない、無数の部屋の集合こそが世界なのだと。他の人たちも、私と同じようにそれぞれが部屋の中にいて、テレビに映る番組や本棚に並べられた本は全て彼らが作って発信しているものだと思っていた。
だから全てはフィクションだと思っていたのだ。人と人とのふれあいも、角ばった街並みも、動物の走る自然の大地も、全ては作り物のお伽話だと信じていた。この小さな世界の中で、何もすることのない暇人が妄想で生み出した架空の存在だと信じて疑わなかった。
だから私にとってはニュースもバラエティも評論もファンタジーも、皆等しくエンターテイメントだった。
滑稽なことに。
酷く、残酷なことに。
私は疑うことを知らないお馬鹿さんだったのだ。
私の中のくだらない常識が崩れたのは、いったい何が原因だったんだろう。
+
そう、そう。思い出した。私が《外》という認識を持ったのは、ほんの些細なきっかけだった。それでもやはりヒントをくれたのはテレビだった。いや本当のところ彼はずっと私に向かってヒント――というよりもあからさまな答えを出し続けてくれていたのだが、お馬鹿な私がそれにようやく気づいたのは、あるドキュメント番組を見ている時だった。たいした内容ではなかった。細かい内容も覚えていない。大まかに覚えていることは、引きこもりの男を妙に偉そうにしている声の大きなおばさんが更生させるということだけ。
それを見た私は、今まで考えたこともないような違和感を覚えたのだった。だって、そうだろう。この番組が私と同じように部屋の世界に住む者が作っているのだとしたら、こんな内容になるのはおかしい。引きこもり、なんて概念は私たちにはないはずなのだから。だって私たちにとっては部屋こそが世界で、それ以外には何もない。《外》という発想はできても《内》という発想など、どうしたって生まれないはずなのだ。
当時の私がそこまで考えていたのかどうかは非常に怪しいところだが。というか絶対に考えていなかっただろう。その時の私はきっと「なんだかよくわからないけどこれはおかしい」程度に思っていたはずだ。まごうことなき、お馬鹿さんである。
しかしお馬鹿さんはお馬鹿さんなりに気づいたのだ。私が信じてきた世界は何かがおかしいのだということに。
そうだったそうだった。そうだったのだ。
その日を境に、私の中の愚かな常識は崩れ去ったのだ。
+
しかしいかに愚かと言えど、私が築き上げた常識は作りがおかしいというだけで、設計段階からのミスがあったというだけで、強固な作りをしていた。そう簡単に崩れてはくれなかったのだ。しばらく私は「いやいやそんなまさか」と、楽観的になっていつものようにテレビを見て本を読んで堕落した。だが一度気になってしまったことだ。頭は無意識の内にそれを考える。
私は頭の隅の方で、自分の常識と与えられる常識との矛盾を探すようになっていた。とはいっても、バラエティとニュースの区別もつかないのだ。まずは何が現実で、そうでないのかを探す必要があった。この作業は困難を極めた。私が信じてきた常識が嘘だっとして、しかし与えられる情報もまた嘘かもしれないのだ。
嘘の中から真実を見つけ出す。その作業をテレビという映像で行うことは、私にとっては酷く難しいことだった。
だから私は本に頼った。部屋の本棚に入れられた大量の書物を読み漁った。本の中から真実を見つけ出すことは映像よりも遥かに容易だった。自分のペースでじっくり考えられるし、大抵の場合劇場的に読者の感情を煽るような書き方をされている文は嘘だからだ。ただ、これもまた大抵の場合、そういった嘘の文で描かれた本は面白かった。現実を書き連ねた書物はなんとなく嫌味ったらしく、私の好みではなかった。
それでも私は嫌味ったらしく書かれた面白くない本を頑張って読んだ。読み終わった本は部屋の隅に放り投げた。途中でタイトルや表紙の肌触りに惹かれて、フィクションの本を読みたくなってしまったが、我慢して机の上に丁寧に積んでおいた。
一番上の段から、一番下の段まで。全ての本に目を通しても終わりではない。この本棚には、本の後ろにも本があったのだ。その本の後ろにもまた、同じように本が並んでいた。そうして何層にもなって、たくさんの本の整列は延々と続いていた。そのうち部屋は本で足の踏み場もなくなり、机の上に積んだ読みたい嘘の本たちが天井へと届きそうなほどになると、ようやく本棚の終わりが見えた。
そうして全ての真実の本を読み終えると、私には充分な知識がついた。科学を知り物理を愛で、難解な数式を鼻歌交じりに解き明かせるようになった。また地球の歴史や、その中で生まれては消えていく国々のことも知った。人間以外の生き物の存在も、初めて信じることができた。
私は世界を知ったのだ。そうして改めて、自分の住む六畳一間の世界を見て、愕然とした。
私の世界はおかしい。
そのことに気づくと、私は言いようのない孤独を体験した。急に寒くなったのだ。寒くなった時は体を動かせばいいと、知識を持った私は知っていたので、部屋中に散乱した本を本棚に戻すことにした。立ち上がり、いくつかの本を手にして本棚の前に立って――――そこで妙なことに気づいた。
本棚の終わりは本棚の背のはずだ。だが、本の無くなって裸になった棚の終わりは背ではなかった。この本棚は本と同じ大きさのものならこちら側から向こう側へ通り抜けられるようになっていたのだ。突きぬけていたのだ。そして、その向こう側にあったのは壁ではなかった。私の知識が、それがなんなのかを確かに告げていた。
扉だ。
本棚の向こう。大量の書物を消費した先にあったのは、扉だったのだ。
マリー、マリー。
この世界には、出口があるらしい。
+
だが出口があったところで、人がそこから出て行くとは限らない。あの引きこもりの青年のように、出口を拒絶し、《内》にこもることを選ぶ人間もいる。
私もそうだった。本棚の裏、知識に裏付けされたその先に見つけた出口を私は開かなかった。そのドアノブを、握ろうとも思わなかった。なまじ《外》の知識を身に着けてしまったのがいけないのだろう。私にとって扉の向こうの世界は「酷く恐ろしいもの」と認識されてしまっていた。
だって、そうだろう。絶えず他人が近くにいて、一人になることも叶わない。せっかく仲良くなろうと歩み寄った他人に裏切られることもある。隣人は自分勝手な戦争をやめないし、平和を謳う大国は平和のために人を殺す。
ただそこに存在しているというだけで、死ぬ可能性が付きまとう世界なのだ。
それが怖くない人間がいるのだろうか。きっと、外の住人たちも毎日びくびくと怯えながら暮らしているに違いないのだ。
その姿の、なんとくだらないことか。
私はそんな思いはしたくなかった。そんな風にくだらなく生きるくらいならば、愚かに堕落した方がいい。大体、食べるもの飲むものを自分で調達する必要があるというだけでも面倒だ。ここにいれば私がお腹が空いたころになると、机の上に温かなご飯が勝手に用意されているというのに。
これもまた外の知識をつけた今ではおかしなことだというのはわかっていたが、例えおかしくてもお腹が満たされればそれでいい。そもそも私は美食家ではない。呼び出すシェフなどいなくても困らない。
黙っていてもご飯が出る。テレビもある。本だって、たくさんだ。わざわざ危険を冒して、扉の向こうに行く必要はない。
私は部屋に散らばった本を集めて、本棚へと戻した。そうすることで、扉は知識に阻まれ見えなくなった。
さらば、扉よ。私は君を拒絶する。
私はマリーだ。
世界は、この部屋だけで充分なのだ。
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それから私は、いかに外がくだらない世界なのかを考えて嘲笑する悪趣味を覚えた。一日中テレビにかじりつき、ニュースで残虐な事件が起こり人が死ぬ度に、にやりと笑って私が唯一身に着けているぼろ布のワンピースに小さく線を一本書き込んだ。
これで、一ポイント。
バラエティで狙い過ぎな芸人が滑ったら、また同じように線を一本。
これで二ポイント。
世間では人気らしい頭の緩そうなアイドルがドラマで下手くそな演技を見せれば、さらに一本。
これで三ポイントだ。
そうして、外の世界の全てを嘲笑いながら、私は時間を過ごした。どこかの国と国とが戦争を始めた時は、線を二本書き込んでやった。私は増えていく線を見つめてはにやにやしながら「なんて馬鹿な人たちだ」と呟くのだ。
悪趣味である。紛れもない醜悪な趣味だ。
だがそれを責める隣人も、私の世界にはいないのだ。
ロンリー、ロンリー。
私は一人で、満たされていたのだ。
+
ある時、私は本棚に見たこともない本が追加されているのに気が付いた。いや、もともとこの本棚は私の気分に合わせて並べる本の種類を変える不思議な本棚なので、見たこともない本は結構な頻度で見たことがある。だから正確には、見たこともない妙な本だ。度々見たことのあるはずの見たこともない本の中で、その一冊だけが私に興味を持たせたのだ。
端的に言えば、気になったのだ。
その一冊だけが、とてつもなく。
私はその本を手に取る。
題名は『色図鑑』。
私は首を傾げる。色? なんだそれは。中を見てみれば、赤だとか青だとか黄色だとかという名前らしきものと、それぞれに簡単な文章と円が書かれていた。
円だ。丸だ。ぐるりと、地球と同じ形をしたあれだ。
緑、紫、朱色、茶色、オレンジ。
読み進めていく。だが一向に私にはこの本に込められた意味がわからなかった。図鑑という名前に相応しく区分けされているものの、その違いが理解できない。どれもこれも簡単な文章と一緒に、全く同じ形の円を書いているだけだ。これの一体どこが図鑑なのだと、私は憤慨した。そして同時に、やっぱり外の人間はくだらないと吐き捨てた。
ああ、どうか許してほしい。私の愚かさを笑わないでほしい。私は知らなかったのだ。あらゆる知識を身に着けて、他人を笑う悪徳を覚えた今になってさえ、まだ信じていなかったのだ。《色》という存在を信じなかったのだ。
色、色、色。
私の世界には《色》がなかったのだ。
+
言い訳をするようだが、私は何も《色》という言葉自体を知らなかったわけではないし、その概念も理解はしていた。だが、その存在を信じてはいなかった。
あの本棚の書物を嘘と真実とでわけていた時、私は色についての記述は全て嘘だとしていたのだ。赤だとか黄色だとか、色とりどりのあれこれだとか、そんな記述は全部嘘っぱちで《色》なんてものはいい歳した大人の恥ずかしい妄想の産物だと思っていたのだ。
恥ずかしいのはどちらだという話だ。
私はあらゆる知識を蓄えながら、しかしそれでもお馬鹿さんのままだったのだ。根拠のない常識を当たり前に信じる愚か者だったのだ。
だが、許してほしい。私は悪くない。言い訳だということはわかっているが、それでも言わせてほしい。私は悪くない。
だって、私の世界には色がないのだから。
机も、椅子も、鏡もベッドも、テレビに映る映像にも。そして、私自身にも。
色なんてものは付いていない。あるのは、明暗の区別だけだ。私の世界には色がない。私は色を見たことがなかったのだ。
外の情報は絶えず入って来ていた。書物を通じて知識を、テレビを通じて映像を見ることが出来た。だが、色だけは別だ。本の中に書かれているのは文字だけだし、テレビの映像は明るいか暗いかの違いしかない。私の世界にはどこにも色がない。私は色を見たことがない。
見たことがないものを、どうやって信じろというのだ。
情報は持っていた。人が色を見る仕組みを解説した本だって読んだ。だけどそれは私にとってはファンタジーで、大人が自分の妄想に具体性を持たせるために必死になっているようにしか見えなかったのだ。
これっぽっちも信じていなかった。
私の常識は再び崩れ去ったのだ。
しかし、前例があったということもあるだろう。積み上げられた常識はそれほど強固というわけではなく、何冊かの本を読めば私は色の存在を自然と信じることができていた。
へー、ふーん。そんなものがあるんだー。
投げやりにも似た感情で、私は色を受け入れた。受け入れてしまえば、楽だと思ったのだ。
だが現実はそうはいかない。私は色という存在を受け入れてしまったがために、別の疑問に悩まされることになるのだ。
あれ? と、そう思った。ベッドの上でごろごろしながら、天井と床を交互に見つめる遊びをしていた時にふと思いついてしまったのだ。
それは単純な疑問だった。
この世界に色がないのか。
私は色が見えないだけなのか。
つまりこの世界には最初から色がないのか、それとも色はあるが、それを私が見ることができないのか。そんな疑問だ。
この疑問はまずかった。考えるべきではなかった。思いつくべきではなかった。
何故なら、この私の疑問は《外》に出なければ解消のしようがないものだったのだ。
こっちにおいでよマリー。
拒絶したはずの扉が、私を呼んでいるような気がした。
+
この世界に色がないのか。私に色が見えていないだけなのか。その疑問を解き明かす先は《外》だった。
簡単だ。外に出て色が見えたのなら、この世界に色がなかっただけのことになる。色が見えなかったのなら、それは私自身に欠陥があるというわけだ。まず前提として外には色があるというのが確かでなければいけないが、それは信じてもよいと私の知識が告げていた。もうこの時既に私は色の存在を確信していた。むしろ、信じていなかったのは自分の方だった。
私は本当に正常なのだろうか。
今まで、なんの疑いもなく自分を人間と信じてきた。鏡に映る自分と、テレビに映る人間と呼ばれる生き物が同じような見た目をしていたからだ。それは多分、間違いはない。だが正常な人間かどうか問われれば、きっと私は口をつぐんでしまう。
だって、そんなもの、わからない。
私は他の人間にあったこともないのだから。彼らがテレビ以外の場所で、どんな風にしているかなんて知らないのだ。
だけど、きっと本当はそんな悩みを持つ必要すらないのだ。色の証明と同じだ。外に出て、扉の先に出て、そこら辺を歩く人間に聞けばいいのだ。私は普通か、それとも異常なのかどうかを。
そう扉。扉だ。全てはあの知識の裏に隠された扉の先にある。あれを開ければ、このもやもやとした胸につっかえるような汚泥は取り除けるはずなのだ。本棚をどかして扉を開ける。それだけのこと。それだけのこと。
それだけのことのはずなのに、私の体は何かに怯えるように震えて動かなかった。
どうしたんだい、マリー?
ああ、扉よ。私は臆病を抱えてしまった。
+
私は外が怖かった。どうしようもなく、怖かった。この小さな世界を出て、広い世界を手にすることが、とても恐ろしいことのように思えて仕方なかったのだ。
だが黙っていても胸につっかえた汚泥は無くなってくれない。気にしなければいいのに、そういうわけにもいかなかった。色だ。全ては色が悪い。あれの存在を知ってしまった日から、それを見たことがないと知ってしまった時から、私はおかしくなってしまったのだ。見たことなんてないはずの色とりどりの情景が、浮かんでは消えて浮かんでは消えて、それがとても痛かった。汚泥はいつまでも私の胸でうごめいていた。
私は胸の汚泥の不快感と外への恐怖と戦った。ベッドに潜り込み布団を被り、誰もいないはずの世界で誰かから身を守るようにしながら必死になって戦った。そうして「外に出て疑問を解消してすぐに戻ってくればいい。何も一生を外で過ごす必要はないのだ」と、自分に言い訳を重ねてようやく行動を開始した。外への進軍が始まったのだ。
まずやることは本棚をどかすことだ。ただ大量の書物が並べられた本棚をそのまま私の細腕で動かすことはできない。だからとりあえず中に入っていた本を取り出す作業から始めた。
本を取り出し、本棚を軽くする。そんな簡単な作業に私は思いのほか時間をかけた。取り出した本は神経質なほどきっちりと床に並べ、時折あいうえお順から大きさ順に並べ替えてみたりしていたのだ。その無駄な行動はまさしく私の恐怖の表れだったといえよう。作業にかけた無益な時間と同じだけ、私は外への恐怖をもっていたのだ。
だがそれでも終わらない作業はない。いつしか本棚の中身は空になり、奥の扉が顔を覗かせた。
久しぶりだと、そう言われた気がした。
できれば会いたくなかったと、返した。
空になった本棚を横から押して、どける。そうすれば扉の前には何もない。遮るものはない。今、外への出口がむき出しの状態で私を待っていた。
心臓が鼓動する音が嫌に大きく聞こえた。息は荒くなり、吐き気まで催した。初めて感じる感覚に戸惑いを得ながら、それでも胸の汚泥の不快感には耐え切れず私はドアノブに手をかけた。
押した。
扉は開かない。
引いてみる。
扉は開かない。
横に引っ張っても、扉は開かなかった。力を入れて何度か押してみると甲高い音がドアノブの部分から響いた、錆びついているのだ。私は一瞬拍子抜けした気分になって、すぐに自分が馬鹿にされたような思いがして、激怒した。
床に並べられた本を手にして扉に投げつける。何度かそれを繰り返した後、今度は椅子を持ち上げて、そのまま扉に叩きつけた。
ふざけるな、ふざけるな。そんな思いだった。
私は、外に、出たいんだ。出たくはなかったけれど、出ると決めたから、出たいんだ。それを邪魔するな。私を馬鹿にするな。
たまった何かを爆発させるように椅子を叩きつける。椅子の足が折れて飛んだ。その先には鏡があって、勢いよく椅子の足をぶつけられた鏡にはひびが入ってしまった。
その時だ。鏡が割れるピシッ、という音と同時に歯車が嵌るような大きな音がしたのだ。耳元で響くようなその音が鳴った瞬間、扉のドアノブが一人で勝手に回った。くるくると、プロペラのようにしばらく回り続けると、花が根元から腐り落ちるかのように扉から外れ地面へ落ちた。
ドアノブを失った扉は、支えを失くした。錆びついた金属の甲高い音と共に少しだけ開いた。隙間が生まれたのだ。
感動と期待で私の胸の汚泥は洗い流された。その瞬間だけ、私が抱いていたはずの疑問はすっかり消え去って、私の中には何もなくなった。ただ導かれるままに扉の隙間に手を差し込んで目を瞑って力を入れて、思いっきり引いた。
錆びついていたはずなのに、扉は驚く程軽かった。
開いた。開いた。扉が開いたのだ。
私は目を開けた。
扉の先には何もなかった。
空も海も地面も、人も、何も何もなかった。ただ真っ暗な、先の見えない空間がずっと続いているだけだった。
予想だにしなかった現実だが、私には漠然とした確信のようなものがあった。この暗闇の先には何もない。これはきっと、私の世界の限界なのだと。
私は思い知る。
この世界は閉じられていたのだ。
+
暗闇の先には何もない。そういう確信はあったにしても、本当にそうなのかどうか試してみずにはいられなかった。それはきっと縋り付くような感情だったのだろう。
私はなんだか朦朧とした足元のおぼつかない意識のまま、まずは本を暗闇に投げ入れた。暗闇の中に本は消えていき、どこかに落ちる音も飛んでいく紙のはためきのかすかな音さえもさせず、取り戻すことも叶わなかった。
暗闇に入った瞬間、消滅したのだ。
その一例だけでも充分だったはずだ。だが私は部屋にあった本を全て暗闇に投げ入れた。そのまま、本棚も横に倒して扉へ押し込んだ。もう殆ど、自暴自棄だったのかもしれない。だがそんなことさえも、もう私にはわからない。私はこの世界にある数少ない物を殆ど扉へ投げ込んでしまった。残ったのはテレビと、鏡だけだ。この二つだけはどうしてか手放す気になれなかったのだ。
がらんとしてしまった部屋で私は床に寝ころびながらつけっぱなしのテレビを眺めていた。色のない映像を垂れ流す画面の中ではニュースキャスターが酷く焦った様子で涙を流しながら、世界の終りを叫んでいた。
――――どれだけの時間がたっただろう。しばらく何も口にしていない。机を捨ててしまったせいか、食べ物はどこからも湧いて出てこなかった。胃をきりきりと締め付けられるような空腹だけが、私がまだ生きていることの証明のように思えた。
少し視線を上げれば、鏡が見える。ひび割れた鏡に映るのは私の姿だ。痩せこけた、貧層な体をした少女。ぼろ布のようなワンピースの胸に付けられたワッペンには掠れた文字で「Marie」と書かれている。
もちろん、鏡の中にも色はない。
私は自分の色を知ることもできないのだ。
改めてそれを知った時、私は忘れていた孤独を思い出す。
私の名はマリー。
この六畳一間こそが、私の世界だった。
だけど私の世界には色がなかったのだ。