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追放された私、宮廷楽師になったら最強騎士に溺愛されました  作者: mera


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第九章

宿舎に戻る途中、私はずっと黙っていた。


「大丈夫か?」


アーロンが心配そうに尋ねた。


「はい......でも、どうしてあそこに?」

「お前が音楽堂を出た後、嫌な予感がした」


アーロンは答えた。


「案の定、侯爵が動いていた」

「彼は......私の母のことを知っているんですね」

「ああ」


アーロンは頷いた。


「王室魔導師団には、過去に特殊能力を持つ者たちの記録が残っている。お前の母親も、その一人だ」

「では、私も......」


アーロンが立ち止まり、私の方を向いた。


「クレア。ストラトフォード侯爵は、この国で最も権力を持つ貴族の一人だ。彼が本気でお前を手に入れようとすれば――」


彼の表情が、険しくなった。


「俺一人では、守りきれないかもしれない」

「では、どうすれば......」


私は不安を隠せなかった。

アーロンは少し迷うような表情を見せた。

そして――覚悟を決めたように、私の手を取った。


「クレア。俺と――婚約しないか」


私は目を見開いた。


「婚約......ですか?」

「ああ」


アーロンは真剣な表情で続けた。


「形式的なものでいい。お前が近衛騎士団隊長の婚約者となれば、侯爵も簡単には手出しできない。

それに、俺が常にお前の傍にいる口実にもなる」


形式的な婚約。

それは、私を守るための手段。

でも私の胸が、激しく高鳴っている。


さっき、音楽堂で感じた気持ち。

アーロンのために演奏したいという想い。

それは――。


「もちろん、嫌なら断ってくれて構わない。他の方法を考える」


アーロンは付け加えた。


「いえ」


私は彼の目を見つめた。


「お願いします」


アーロンの目が、わずかに見開かれた。


「いいのか?」

「はい」


私は頷いた。


「あなたになら――私の命を預けられます」


それだけじゃない。

本当は、もっと違う理由がある。

でも、今はまだうまく――言葉にできない。


アーロンは、ゆっくりと微笑んだ。

冷たく美しいと思っていた彼の笑顔が、今は――温かく見えた。


「ありがとう、クレア」


彼は私の手を、優しく握りしめた。月明かりの下、私たちは見つめ合っていた。

この婚約は形式的なもの。

彼はそう言った。


でも――私は、もうそうは思っていなかった。


アーロンのためにだけ演奏したい。

アーロンに喜んでいてほしい。

この気持ちは恋だ。



祝賀会当日。

私は緊張で手が震えていた。

控室で、エリンが私の髪を整えてくれる。


「大丈夫ですよ、クレア様」


彼女は明るく言った。


「あなたなら、絶対にできます」

「ありがとう、エリン」


私は深呼吸をした。

今日の演奏で、全てが決まる。

扉がノックされ、グレゴリー卿が入ってきた。


「準備はいいですか、クレア」

「はい」


私は立ち上がった。


「では、参りましょう」


私たちは大広間へと向かった。

扉の前で、アーロンが待っていた。彼は正装に身を包み、腰には儀礼用の剣を帯びている。


「クレア」

「アーロン」


私は彼に近づいた。


「緊張しているか?」

「とても」


私は正直に答えた。


「でも――あなたのために演奏します」


アーロンの目が、わずかに見開かれた。


「俺の、ために?」

「ええ」


私は頷いた。


「あなたが教えてくれたでしょう。誰かのために演奏する時が、一番輝くって」


アーロンは――微笑んだ。冷たく美しいと思っていた彼の笑顔が、今はこんなにも温かい。


「ありがとう、クレア」


彼は私の手を取り、優しく口づけした。


「お前なら、できるさ」


扉が開かれた。

大広間は、既に多くの賓客で埋め尽くされていた。

貴族たち、外国の使節団、そして――高座に座る、若き王太子殿下。

隣には、ヴァルデマール王国の王女が座っている。


「それでは」


司会役の侍従が声を張り上げた。


「宮廷楽師首席、クレア・エヴァンス嬢による演奏をお楽しみください」


私は舞台の中央へと歩いた。全ての視線が、私に集まる。

リュートを構える。


手が震えそうになったが――アーロンの顔を思い浮かべる。

彼のために。私は、彼のために演奏するのだ。


指が弦に触れる。そして――演奏が始まった。


『春の円舞曲』。華やかで優雅な旋律が、大広間に響き渡る。


私は全ての雑念を捨てて、ただ音楽に身を委ねた。

アーロンへの想い、彼と出会えた喜び、彼に守られている安心感、そして――彼への、この溢れる気持ち。

全てを、音楽に託す。


曲は中盤へと差し掛かり、最も技術を要する部分へと移っていく。

複雑な装飾音と急激なテンポの変化が要求されるが、私はグレゴリー卿の指導とアーロンとの練習を思い出しながら、確実に音を紡いでいった。


演奏はクライマックスへと向かい、最も感情的な部分で私は全てを解き放った。

技術も、感情も、魂も、全てを音楽に注ぎ込んでいく。

そして――曲が終わった。


静寂。


私は息を整えながら、賓客たちを見渡した。

全員が、深い感動に包まれているようだった。


その時だった。

王太子殿下が立ち上がった。彼は拍手を始めた。ゆっくりと、しかし力強く。


「素晴らしい」


殿下の声が、大広間に響いた。


「これほどまでに美しい音楽を、私は聴いたことがない」


次に、ヴァルデマール王国の王女も立ち上がった。


「まるで春の訪れを感じるような、温かく優雅な演奏でしたわ」


そして――賓客たち全員が、次々と立ち上がっていく。大広間全体が、拍手と歓声に包まれた。

私は信じられない気持ちで、その光景を見つめていた。成功、したのだ。


「クレア・エヴァンス」


王太子殿下が私を呼んだ。


「こちらへ」


私は緊張しながら、高座の前へと進んだ。殿下は優しく微笑んでいた。


「あなたの演奏、心から楽しませていただきました」

「恐れ入ります、殿下」


私は深々と頭を下げた。

殿下は侍従に何か指示を出した。侍従が、小さな箱を持ってきた。


「クレア・エヴァンス。あなたの才能に敬意を表します」


殿下は箱を開けた。中には、美しいサファイアのネックレスが入っていた。


「これは、王室に代々伝わる宝飾品です。音楽を愛する者に授けられる、栄誉の印です」


私は息を呑んだ。


「殿下、そのような貴重なものを――」

「受け取ってください」


殿下は微笑んだ。


「それから――本日より、クレア・エヴァンスを王室専属楽師に任命します」


大広間が、どよめいた。王室専属楽師――それは、宮廷楽師の中でも最高位の称号だ。


「ありがとうございます、殿下」


私は震える声で答えた。

祝賀会は続き、私は何人もの貴族たちから祝福を受けた。


「素晴らしい演奏でした」

「王室専属楽師、おめでとうございます」


私は一人一人に、丁寧に礼を述べた。

その中に――ヴィクトリアの姿もあった。彼女は複雑な表情で、私を見ていた。


「クレア様」


彼女は近づいてきた。


「おめでとうございます」

「ありがとう、ヴィクトリア様」


私は微笑んだ。

だが、彼女の目には――明らかな嫉妬の色があった。


「あなたは本当に、何もかもうまくいくのね」


ヴィクトリアは低い声で言った。


「首席合格、近衛騎士団隊長との婚約、そして今度は王室専属楽師。まるで、全てが最初から決まっていたみたい」


私は何も答えられなかった。彼女の言葉には、深い怒りが込められていた。


「でも――」


ヴィクトリアは私に顔を近づけた。


「あなたがどれほど優れていても、所詮は爵位のない平民。私は伯爵家の令嬢よ。立場が違うということを、忘れないことね」


彼女はそう言い残して、去っていった。

私は胸に、嫌な予感を感じた。


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