第七章
「何だ?」
「クレア嬢が魔法を使ったという直接的な証拠がない。
母親の能力の記録だけでは、娘が同じ能力を持っているとは断定できません」
「しかし――」
「それに」
グレゴリー卿は続けた。
「仮にクレア嬢が特殊な能力を持っていたとして、それを今日の演奏で使用したという証明ができますか?」
バートンは言葉に詰まった。
「私は審査員として、彼女の演奏を最初から最後まで見ていました。魔法の痕跡など、一切ありませんでした」
他の審査員たちも頷いた。
「その通りです」
一人の審査員が立ち上がった。
「私は王室魔導師団の元顧問を務めていました。
魔法の使用を見抜く目には自信があります。クレア嬢の演奏に、魔法の気配は一切感じられませんでした」
「それは――」
「それに」
別の審査員が言った。
「バートン男爵、あなたは音楽の専門家ではないでしょう。
我々審査員は、全員が長年音楽に携わってきた者たちです。
クレア嬢の演奏が純粋な技術と感性によるものだと、すぐにわかりました」
観客席から、同意の声が上がる。
「確かに」
「あの演奏は、魔法などではなく、本物の才能だった」
「バートン男爵は、姪の才能を認めたくないだけではないのか」
バートンの顔が、さらに赤くなった。
「貴様ら――」
「父上」
ペトラが立ち上がった。
「クレアは確かに不正をしたのです。私は知っています。彼女は昨夜、怪しい光を放っていました。あれは絶対に魔法です」
観客席が、再びざわめいた。
だが――。
「ペトラ嬢」
マーガレットが口を開いた。
彼女は首席に次ぐ二席で合格した令嬢だ。
「私は昨夜、クレア様が音楽堂で練習しているのを見ました。でも、怪しい光など見ませんでしたわ」
「え?」
ペトラが驚いた顔をした。
「それに」
エリザベスも言った。
「私も偶然、廊下で見かけましたが、クレア様はただ真摯に練習されていました。
魔法を使っているようには見えませんでしたわ」
「そんな......」
ペトラは言葉を失った。
「ペトラ様」
アナスタシアが冷たい声で言った。
「あなたは選考会で不合格になった。
それが悔しくて、クレア様に濡れ衣を着せようとしているのではありませんか?」
「違います」
ペトラは必死に否定した。
「私は本当のことを――」
「ペトラ嬢」
グレゴリー卿が厳しい口調で言った。
「あなたの演奏を、私は覚えています。確かに技術は一定水準に達していました。しかし――」
彼は一呼吸置いた。
「あなたの演奏には、魂がありませんでした。
師匠たちが教えた型を、ただなぞっているだけ。音楽への愛も、情熱も感じられなかった」
ペトラの顔が青ざめた。
「それに比べて、クレア嬢の演奏は――」
グレゴリー卿は私を見た。
「技術、感性、そして何より、音楽への深い愛情が感じられました。彼女の父君、私の旧友が遺した曲を、これほどまでに美しく奏でる。それは魔法などではなく、彼女の努力と才能の結晶です」
観客席から、拍手が起こった。
「よくぞ言ってくださった」
「その通りだ」
「クレア嬢の演奏は、本物だった」
バートンとペトラは、完全に孤立していた。
「バートン男爵」
アーロンが立ち上がった。
彼は舞台へと歩み、私の傍に立った。
「あなたは姪御を貶めようとした。それも、何の証拠もなく。これは名誉毀損に当たります」
「な――」
「近衛騎士団として、この件を正式に記録します。あなたが今後、クレアに対して同様の行為を行った場合、法的措置を取ることになるでしょう」
アーロンの声は、冷たく鋭かった。
バートンは震え始めた。
「それから」
グレゴリー卿が追い打ちをかけた。
「バートン男爵、あなたは先日、クレア嬢を選考会に出場させまいと妨害しましたね。後見人としての義務を放棄し、彼女を不当に扱った」
「それは――」
「宮廷はそのような行為を看過しません。
今後、あなたが王宮で開催される音楽行事に出席することを禁じます」
観客席から、どよめきが起こった。
王宮の音楽行事への参加禁止――それは社交界において、大きな汚点となる。
「グレゴリー卿、お待ちを」
バートンは慌てた。
「私は――私はただ、ペトラの将来を心配して――」
「ペトラ嬢の将来を心配するのは結構です」
グレゴリー卿は冷たく言った。
「しかし、それを理由に他人を貶めることは許されません。それが血縁者であっても、です」
バートンは完全に言葉を失った。
彼は蒼白な顔で、よろめきながら観客席へと戻っていった。
ペトラも、泣きながら後を追った。
会場が、再び静まり返った。
「では」
グレゴリー卿が声を張り上げた。
「改めて、今年度の宮廷楽師首席合格者、クレア・エヴァンス嬢に祝福の拍手を」
音楽堂全体が、拍手と歓声に包まれた。
私は涙を流しながら、深々と頭を下げた。
これで――全てが終わった。
叔父も、義妹も、もう私に手出しはできない。
私は自由だ。
本当の意味で、自由になったのだ。
◆
式典が終わり、私は控室で一息ついていた。
扉がノックされ、アーロンが入ってきた。
「お疲れ様」
「ありがとうございます」
私は微笑んだ。
「あなたが助けてくださったおかげです」
「俺は当然のことをしただけだ」
アーロンは私の隣に座った。
「それより、クレア。話がある」
「何でしょう?」
「俺の専属楽師になってくれないか」
私は驚いて、彼を見た。
「専属、ですか?」
「ああ」
アーロンは真剣な表情で続けた。
「近衛騎士団には、式典や重要な儀式で演奏する専属楽師が必要だ。
今までは外部に委託していたが――お前なら、完璧にこなせる」
「でも、私は宮廷楽師として――」
「宮廷楽師の職務は続けてもらう。専属楽師は、それに加えての役割だ」
アーロンは私の手を取った。
「正直に言う。俺は――お前の音楽をもっと聴きたい。お前の演奏は、俺の心を揺さぶる。だから、傍にいてほしい」
私の心臓が、激しく打ち始めた。
これは――告白なのだろうか? いいえ、違う。
アーロンは音楽の話をしているだけ。
でも――。
「傍に、いてほしい」
その言葉が、私の胸に響く。
「わかりました」
私は頷いた。
「本当か?」
アーロンの顔が、ほんの少しだけ緩んだ。
彼がこんな表情を見せるのは、初めてだった。
「ああ――良かった」
彼は私の手を、優しく握りしめた。
「これからも、よろしく頼む。クレア」
「こちらこそ。アーロン様」
私たちは見つめ合った。
窓から差し込む夕日が、私たちを照らしている。
この瞬間が、永遠に続けばいいのに。
そんな風に思ってしまった。




