表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された私、宮廷楽師になったら最強騎士に溺愛されました  作者: mera


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/14

第一章


「クレア、お前の音楽など二束三文の価値もない」


叔父の冷酷な宣告が、薄暗い書斎に響き渡った。

私は唇を噛み締め、バートン男爵――父の弟であり、両親の死後、私の後見人となった男――を見上げた。

彼の小太りの体躯は革張りの椅子に深く沈み込み、脂ぎった顔には侮蔑の色が浮かんでいる。


「しかし叔父様、宮廷楽師の選考会は――」

「黙れ」


バートンは机を叩いた。インク壺が揺れ、羽根ペンが転がり落ちる。


「宮廷楽師の選考会に出場するのはペトラだ。お前ではない」


ペトラ。叔父の後妻が連れてきた連れ子。

血の繋がらない義妹。

私より三つ年下の彼女は、今頃、豪華な居間で新しいドレスの採寸をしているだろう。


「ペトラ様は基礎すらまともにできておりません。あれでは選考会で恥をかくだけですわ」


私は必死に訴えた。両親が遺してくれた音楽の才能。

それは私にとって、唯一の誇りであり、この息苦しい屋敷から抜け出すための希望だった。


「恥をかく?」


バートンは鼻で笑った。


「お前のような小娘が何を知っている。ペトラには私が金と人脈をつぎ込んだ。著名な楽師を三人も雇い、最高級の楽器を与えた。それに比べてお前は? お前の両親が遺した楽器など、古臭い骨董品ではないか」

「それは――」

「黙って聞け、クレア」


バートンは立ち上がり、私を見下ろした。


「お前の父、私の兄は愚か者だった。

音楽などという不安定な道に人生を費やし、まともな財産も遺さずに死んだ。お前も同じ道を辿りたいのか?」

「父は王室楽団の首席奏者でしたわ。あなたには父の功績を貶める権利などありません」


私の声は震えていた。怒りか、悲しみか、それとも恐怖か。自分でもわからない。


「功績?」


バートンは嘲笑を浮かべた。


「兄が死んだとき、残された借金の額を知っているか?

高価な楽器、楽譜、音楽会への出費。全て私が肩代わりした。

お前がこうして屋根の下で暮らせているのは、誰のおかげだと思っている」

「それは......感謝しています」


私は言葉を絞り出した。この男に頭を下げるのは、ガラスの破片を飲み込むような苦痛だった。


「感謝しているなら、黙って従え。お前は選考会に出さない。

ペトラが宮廷楽師に選ばれれば、バートン家の名声は高まる。お前にできることは、大人しく良縁を待つことだけだ」

「良縁、ですって?」

「そうだ。先日、商人のウィルフレッドが興味を示していた。

五十過ぎの男で、妻に先立たれたそうだ。娘が三人いるらしいが、家政婦代わりにはちょうどいいだろう」


血の気が引いた。

ウィルフレッド。あの下卑た笑いを浮かべる肥満体の商人。

先日の晩餐会で、私の手を握りしめながら、妙になれなれしく話しかけてきた男。


「冗談でしょう? 私はまだ十九ですのよ。それに音楽の道を――」

「十九? もう十分適齢期だ。ペトラは十六だが、私は二十歳まで大切に育てるつもりだ。お前とは違う」


バートンは書斎の扉に向かって歩き出した。


「来週、ウィルフレッドと正式に話を進める。お前は覚悟しておけ。これ以上、私の慈悲に甘えられると思うな」


扉が勢いよく閉まる。


一人残された私は、膝から力が抜けるのを感じた。

壁に手をついて、なんとか立っている状態だった。


このままでは、全てが終わる。

音楽も、自由も、未来も。


いいえ。

私は奥歯を噛み締めた。

まだ終わらせない。絶対に。

私には、誰も知らない秘密がある。


叔父も、義妹も、この屋敷の誰もが気づいていない、私だけの力。

――音花の恵み。

音楽を、物質として具現化する能力。


幼い頃、母が亡くなる直前に教えてくれた。

「クレア、あなたには特別な力が宿っている。でも、決して他人に見せてはいけない。この力を狙う者がいるから」と。


母は何を恐れていたのか。当時の私には理解できなかった。


けれど今なら、わかる。

この力は、使い方次第で世界を変えられる。


音楽を武器に、防壁に、癒しに変える。

それは宮廷が、いや、王国全体が喉から手が出るほど欲しがる能力だ。

私は書斎を後にし、屋敷の最上階にある、私だけの小さな部屋へと向かった。


窓から差し込む夕日が、父の形見のリュートを照らしている。

古い楽器だが、手入れは完璧だ。

毎日磨き、弦を調整し、まるで生きているかのように扱ってきた。

私はリュートを手に取り、窓辺に腰を下ろした。


指が弦を爪弾く。

澄んだ音色が部屋に広がる。


そして音符が、光の粒子となって宙を舞った。

淡い金色の輝き。それは蛍のように部屋の中を漂い、やがて私の手のひらに集まってくる。


私は集中した。

音花の恵みの力を使えば、音楽を様々な形に変えられる。


今、私が必要としているのは――情報。

光の粒子が形を成す。それは小さな鳥の姿となり、私の指に止まった。


「行って。宮廷楽師の選考会について、全ての情報を集めてきて」


私は囁いた。

光の鳥は一度鳴き声を上げ、窓から飛び出していった。

この力があれば、叔父の妨害を乗り越えられる。


そして――。

私はリュートを抱きしめた。

宮廷楽師になる。必ず。

叔父にも、義妹にも、思い知らせてやる。


本当の才能を持っているのは誰なのか。

本当に価値があるのは誰なのか。

後悔させてあげるわ。

必ず。







翌朝、私は使用人用の階段を使って、こっそり食堂へ向かった。

バートン家の朝食は、叔父と義妹が優雅に過ごす大食堂と、使用人が集まる小さな厨房に分かれている。

私はもちろん、後者で済ませることを許されていた。


「おはようございます、クレアお嬢様」


厨房で働く初老の料理番、ノーラが深々と頭を下げた。

彼女は私の母が生きていた頃からこの屋敷で働いており、私にとっては数少ない味方の一人だった。


「おはよう、ノーラ」


私は小さく頷いた。


「今朝は簡単なもので構わないわ。パンと紅茶だけでいいの」

「それはいけません、お嬢様」


ノーラは心配そうな顔で言った。


「きちんと召し上がらないと、お体に障ります。少々お待ちくださいませ」


ノーラは温かいスープとベーコン、焼きたてのパンを用意してくれた。


「昨夜、バートン様の書斎から大きな声が聞こえました。また、お嬢様が......」

「ええ、叱られたわ」


私はスープを啜りながら答えた。


「宮廷楽師の選考会のことでね。叔父は私を出場させるつもりはないそうよ」

「そんな......」


ノーラは唇を噛んだ。彼女は言いたいことがあるようだったが、

使用人の立場で主人の決定に口を挟むわけにはいかない。

その葛藤が、表情に現れていた。


「仕方ないわ。ペトラの方が、叔父にとっては大事なのでしょう」

「しかし、お嬢様の方がずっと......」


ノーラの言葉が途切れた。

厨房の入口に、義妹のペトラが立っていた。

彼女はピンク色のドレスを着て、金色の巻き毛を肩に垂らしている。

顔立ちは整っているが、その表情には常に不機嫌さが漂っていた。


「あら、クレア。こんなところで使用人と一緒に食事? 相変わらず品がないのね」


ペトラは鼻で笑った。


「おはようございます、ペトラお嬢様」


ノーラが慌てて頭を下げる。


「おはよう、ペトラ」


私は立ち上がり、軽く頭を下げた。


「あなたもご機嫌よう。今朝は早起きね」

「明日から選考会の準備で忙しくなるから、今日は新しいドレスを仕立てに行くの。宮廷楽師になったら、素敵なドレスをたくさん着なきゃいけないもの」


彼女は得意げに言った。


「楽師になるのは演奏の腕よ。ドレスではないわ」

「あら、妬んでいるの?」


ペトラは私に近づき、顔を覗き込んだ。


「かわいそうに。あなたには選考会に出る資格もないのよね。父上がそう決めたんだから、諦めなさい」

「私は――」

「それに」


ペトラは声を潜めた。


「あなたみたいな古臭い音楽、誰も聴きたがらないわ。時代遅れなのよ。今は華やかで派手な演奏が求められているの。地味で退屈なあなたの演奏なんて、宮廷では通用しないわ」


彼女はくるりと踵を返し、厨房を出て行った。

私は拳を握り締めた。

爪が掌に食い込む。


時代遅れ?

地味で退屈?

私の音楽を、そんな風に言うなんて。


「お嬢様......」


ノーラが小さな声で呼びかけた。


「どうか、お気を落とされませんよう」

「ありがとう、ノーラ」


私は深呼吸をした。


「でも、ペトラの言う通りかもしれないわね。私の音楽は確かに古風だもの」

「そのようなことは決してございません」


ノーラは力強く言った。


「お嬢様の音楽には、魂がこもっております。それが何よりも大切なことでございます」


魂。

そう、魂。

私には、誰も真似できない力がある。

それが音花の恵みだった。


私は部屋に戻り、昨夜放った光の鳥を待った。

夕方、鳥は戻ってきた。

その小さな体には、無数の情報が刻まれている。

私は鳥に触れ、情報を読み取った。


選考会は三日後。

王宮の音楽堂で開催される。


審査員は宮廷首席楽師グレゴリー卿と、王室楽団の主要メンバー五名。

出場資格は、推薦状を持つ貴族の子女、または音楽院の卒業生。


推薦状。

叔父は決して私に推薦状を書かないだろう。


ならば――。

私は別の方法を考えなければならない。

音楽院の卒業生、という資格。


私は正式に音楽院を卒業していないが、母から個人指導を受け、実力は卒業生以上だと自負している。

問題は、それを証明する方法。


私は窓の外を見た。

王都の街並みが、夕日に染まっている。


明日、私は王都に行く。

そして、自分の力で道を切り拓く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ