うしろの席の野田
うしろの席の野田は整った顔立ちで背が高く、スタイルもいいのだが暗い。女子が噂をしているところによると、モデルをやっているらしい。平凡な中岡は、その見た目を羨ましく感じている。
そんな高スペックにもかかわらず、女子が話しかけても基本「うん」しか答えないのがいつも聞こえてくる。男子は気味悪がって声をかけない。
中岡はそういうのがどうしても気になってしまう性分で、ある日の昼休み、うしろを向いてみた。
「野田、弁当?」
「うん」
「うまそう」
「うん」
それ以外の言葉を知らないのかと思うが、めげずに話しかけてみる。ずっと弁当箱に落とされていた視線が、ようやく中岡に向けられた。
「中岡くんはパン?」
「おう。俺の名前知ってたか」
「うん」
やはり「うん」に戻るのか。それでもしつこいくらいに話しかけていて、ふと不思議に思った。野田は弁当箱を見るばかりで食べようとしない。
野田の弁当は見るからに栄養のバランスがよさそうで、彩りも綺麗だった。中岡にもそんな弁当を作ってくれる母がいたらな、と思ってしまう。母がいないわけではない。ただ、ものすごく料理下手だ。
「食わねえの?」
「食べないといけないから食べる」
「……?」
よくわからないけれど食べはじめた様子を見ていて違和感を覚える。その表情になんの感情も見えないのだ。おいしいとか、いまいちとか、そういうものが顔に表れない。まるで義務のように黙々と弁当箱の中身を口に運んでいる。
「うまくない?」
「わからない」
「どういうこと?」
虚ろな視線で箸の先をじっと見つめていた野田が、また中岡を見た。それから首を横に振る。
「味がしないから」
「は?」
味覚障害とかそういった類かと思い、無神経なことを聞いてしまったと反省した。顔を曇らせた中岡に、野田はまた首を横に振る。
「食べないといけないから食べてるだけ」
「食いたくねえの?」
「食べないといけないから食べる」
よくわからない理由に野田が心配になる。なにか事情がありそうだが、それを聞いていいのかわからない。ただ、ほの暗いものをかかえているのはたしかだ。
「甘いもの食ったら気持ちが明るくなるぞ」
自分の食べている、いちごジャムが入っているパンの、口をつけていない部分をちぎって野田に手渡す。野田はそれをじっと見て、中岡をじっと見る。食え、というように顎をしゃくると、おずおずとジャムパンを口にした。
「おいしい」
「だろ。これうまいんだ」
目を丸くしてジャムパンを食べる野田は、夢中になって餌を食べる小動物のようだった。サイズは全然小さくないが。
あまりにおいしそうに食べるのでもう少し分けてやると、あっという間に平らげた。それだけで目に光が射したように見えてほっとする。先ほどのほの暗さは薄らいでいた。
だが弁当箱を見ると、またあのなにか得体の知れない闇のようなものが瞳に宿る。生気を失ったような虚ろな視線を手もとに落とし、唇を引き結んでいる。
「僕、モデルやってて」
「らしいな」
「母さんが、栄養バランスを考えた食事を作ってくれるんだ。カロリーとか計算されてて」
「うげ」
そういうのは苦手だ。そこではっとする。
「悪い。ジャムパンなんて食わせちまった」
吐き出せ、と言うわけにもいかないので両手を合わせて頭をさげる。栄養のバランスを崩してしまった。
野田はゆっくり頷いた。
「うん。怒られちゃうから、食べたことは秘密にしてね」
「するする」
それから野田は自分のことをぽつぽつと話してくれた。幼い頃にスカウトされて、母親が乗り気になってモデルをやっていること、髪のつやが悪いとこれ、肌が荒れているとこれ、というような食事で、昔から食べたいものなんて食べさせてもらえず、食事への関心が薄れていったこと。本当はモデルなんてやりたくないこと。
「なにを食べても味がしないんだ」
「無味ってこと?」
「ぼんやりしていて、なに食べてるかわからない感じ」
でも、と野田は言葉を続けた。
「さっき中岡くんからもらったパンはすごくおいしかった」
ふわっと微笑む表情がとても綺麗で、どきりとしてしまった。男同士で「どきり」もないだろうが、不思議な魅力がある笑顔だった。
翌日、昼休みになって購買でパンを買って教室に戻ると、教室中の視線が一か所に向かっている。なんだろう、と見てみると、野田が弁当にいちごジャムをかけていた。
「なにやってんの!?」
思わず声をあげると、野田は中岡をじっと見た。
「てかそのジャムどしたん?」
「学校に来る途中でコンビニで買ってみた」
「ふうん。で、なんで弁当にかけてんの?」
彩り豊かな弁当に満遍なくいちごジャムがかかって真っ赤になっている。うげ、とつい口にしてしまったが、野田は気にしたふうではない。
「昨日、中岡くんからもらったパンがおいしかったから」
「は?」
「だから、ジャムをかけたらお弁当もおいしくなるかなって」
「はあ?」
どうしてそういう発想になるのかわからないが、本人はいちごジャムまみれの弁当を一口食べて満足そうにする。
「おいしい」
「それってどういう味?」
「昨日のパンと同じ味だよ?」
もう一度「うげ」と言ってしまった。ハンバーグやプチトマトにいちごジャムをかけるなんてしたことがないのでどんな味かなんて想像もできないが、とんでもない味だと思う。それなのに野田はおいしそうに弁当を食べている。
「野田。これやるから、せめて明日は焼きそばのせろ」
「え?」
今日の自分の昼食である焼きそばパンを半分ちぎって野田に渡すと、野田は不思議そうな顔をしてパンにかぶりついた。
「おいしい!」
「だろ。明日は焼きそばのせろ。ジャムよりましだ」
「でもジャムのほうがいい。中岡くんが最初にくれたパンと同じだから」
「なんでだよ。他に好きなものねえの?」
どう考えても白いご飯にジャムなんて無理だ。教室内のクラスメイト達はなりゆきを見守っていたようだが飽きたのか、それぞれパンや弁当を食べはじめている。
野田は「他に好きなもの?」と首を傾けてから一つ頷いた。
「僕、わかった。嫌いなものに好きなものをまぜればおいしくなるんだね」
つまりいちごジャムが好きということか。おかしなものを食べさせたつもりはなかったが、結果としてよかったのかどうか悩むところだ。
本人が満足しているならいいのか、と中岡も野田の向かいでパンを食べる。
「栄養のバランス崩れるんじゃね?」
思わず聞くと、野田は「うん」とだけ答えた。母親がうるさいだけで本人はかまわないのかもしれない。
「てかモデルってやめられねえの?」
「え?」
「嫌なこと続けるの、つらいだろ」
きょとんとしている様子を見ると、それは考えたことがないようだ。
「そっか。やめればいいのか」
今気がついたことのように口にするので、中岡は可笑しくなった。こいつは変わり者だ。普通、嫌だったらまずはやめることを考えるだろうに。
野田はいちごジャムまみれの弁当を完食していた。その表情はとても明るい。
弁当を食べ終わって中岡が席を立つと、二人の女子が野田の席に近づいた。やっぱ見た目がいいともてるんだな、とジュースを買いに教室を出ようとしたら、背後から腕を掴まれた。
「野田?」
野田が中岡の腕を掴んで引っ張る。なにごとかとついて行くと、先ほど話しかけていた女子が野田の席にいる。
「なに。紹介してくれんの?」
「嫌いなものには好きなものをまぜればいいってわかったから」
「は?」
その言葉の意味がわからず、女子達と顔を見合わせて三人で首をかしげる。
「僕、中岡くんと話すと楽しい」
「お、おう」
「パンもおいしかった」
「それで?」
だからなんだ、と続きを促すと、野田は天使のような笑顔を見せた。
「中岡くん。僕とずっと一緒にいてください」
野田は中岡の手を取って、手の甲にキスを落とした。
こんな、どこかの王子様みたいな仕草が様になる男は他にいない。思わず野田を凝視すると、顔をあげた男は両手を伸ばして中岡を抱きしめた。
「いちごジャムの他の好きなもの。中岡くんが好き」
これはまさか、愛の告白だろうか。
軽い気持ちであげたジャムパンがとんでもない事態を生んだ、かもしれない。
(終)