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卵料理と華胥の花  作者: 浅黄悠
8/12

薄野/昔話(帰り道6~7)

詩というより普通の小説形態になってしまいました。長くなったので二つに分けました。

「薄野」


 また名も知らぬ駅を通り過ぎた。連結部分の長閑な軋みが時間経過を曖昧にする。

 中々次の駅に到着しないので、先刻からずっと少年は気を揉んでいた。逃げ出すことこそしなかったが、紙の箱を握りつぶさないよう月魚に幾度も注意されていた。

「さっきから何なんだ。初めて電車に乗った稚魚だってそうはならないぞ。」

 穴から顔を出す月魚はどうやら浮かれている。苛立ちを努めて抑えながら少年は言ってやった。

「人間の世界には怖い話が幾つもあるんだけど聞く? 例えばあの世行の電車に戻ってこれなくなった人の話とか沢山あるよ?」

「あの世って何だ。光はあるのか、美味しいものあるのか。あるんなら行ってやってもいいぞ。」

 悪いことが起こる可能性など毛頭考えていない。よくこれほど能天気になれるものだと少年は苛立ち、縁起の悪いことを言わないでくれと少し声を大きくすると、魚は語り出した。


 どんな場所であれ、駅とは「ここに降りたい」と願った人間の手によって息吹を得る。更なる繁栄を願われ名標を掲げられる場所もあれば、既に魅力的な場所に建てられる例もあるが、つまり駅とは誰かの理想の場所、あるいはこれからそうなる筈の場所である。 

 電車はそれらを人間の力を越えた方法で繋ぐ乗り物であり、従って誰も望まぬ世界に繋がる心配もない。


「駅員、って名乗った奴がそう言ってたぜ。万一、戻れなくなったりすることがあれば電車(こいつ)に文句言ってやるから……」

 しかし少年の耳には届いていなかった。そうだ、この電車にだって車掌がいるに違いない。立ち上がった途端に電車が揺れて少年は手摺にしがみつく。

「走ってる時に電車に話しかけたら危ないぞ?」

 魚の癖に真っ当なことを言うと思ったその時、電車の照明が一斉に落ちた。

 やはり恐怖映画で出てくる電車の類だったのかと身の竦むような恐ろしさを感じたのも一瞬で、少年は代わりに明るくなった外の景色に目を見開く。


 そこは晩夏の平原であった。

 涼風に薄の穂が白く跳ねる。いつしか曇り一つなく晴れた空に、満月が爛々と輝いていた。 

「ほらな。この電車は奉仕(サービス)精神に溢れたいい奴なんだよ。」徐行運転を始めた電車の窓の外を覗いて月魚が言う。「此処は俺が来る途中で見た景色だな。どれ、あの月を浴びに出てみるか。」

 月魚が電車の窓から頭を出そうとしたので慌てて少年は月魚を掴まえた。

 しばらくの後、蛍の舞う小川の近くで電車は停まった。草原の中に支柱を立てて少し高くした上に板を渡して建てただけの、ごく小さな乗降所だった。 

「此処はどういった地名の、何て名前の駅なんだろう。」少年は薄野の景色に心当たりがなかったし、おまけに電子機器の画面は圏外を示していた。

「知らないな。けどほら、見ろよ。」

 月魚が示す先には誰もいない。月魚の勘違いかと思ったその時、蛙の声に混ざって蜘蛛の糸程の細い会話が聞こえてきた。

「それじゃあ、先に行ってるからね。水浴びをしすぎて風邪を引くんじゃないよ。」

「蛍の御飯と地図はちゃんと持った?」

 それは5、6匹の月魚の群れであった。少年が出会った月魚より、少し大きく人差し指ぐらいの大きさであった。蛍を一緒に連れていたもので、光る度月魚の輪郭が浮き沈むのから目が離せない。

 魚たちは少年がいることに気が付いてたちまち周りを飛び回り始めた。

「君だあれ。」「きっと工場の作業員だよ。」

 注目を浴びて硬くなりながら少年が今晩はと挨拶したところで、魚たちはやっと小さい月魚に気が付いた。

「ねえ、この人君の連れなの? 人間を連れてるなんて凄いね。」

「おう、凄いだろう。こいつ駅とか電車とか、何も知らないんだぜ。だから今はおれの子分みたいなもんで、色々教えてやってるんだ。」

「でも君、僕たちより小さいね。まだ旅は早いんじゃないか?」

「これはおれが光を零しただけなの!」

 少年の月魚は小さいと言われて少し機嫌を損ねたようだったが、少年も少年で月魚に子分と呼ばれたことが大分心外だったので助太刀を出さずに黙っていた。

 列車はまたのそりと動き出した。



 _____

「昔話」


 月魚たちは初めての旅に興奮しているのか、止めどなくお喋りを続けていた。さっきより随分と賑やかな暗闇の中で月魚たちがひれを振る。月魚たちはみな烏野豌豆(からすのえんどう)の蔓を持っていた。蔓には小さな鈴が付いている。魚たちが手製した鈴の舌は、莢に元々入っていた豆である。強く細かく振れば、ころんころと牧歌的な音がした。

 辺りを回遊していたとても小さな虫――豆蛍(まめぼたる)と魚たちが呼んでいた――が鈴の音を聞くと、次々と烏野豌豆の莢に下の割れ目から入っていき、莢は宛ら若草色の洋灯の様になった。一種の魔法のようだと少年は目を見張った。

「どうやって上手く手なづけているの?」

 少年が己の好奇心を抑えられずに聞くと、魚たちは代わる代わる教えてくれた。

 豆蛍というのはどうやら少年が知っている蛍とは違い、幼虫の頃に烏野豌豆の豆を食べ、空になった莢の中をそのまま一生の床とする虫であるらしい。ここいらの魚たちは豆蛍も共同で育て、飼い慣らし、鈴の音が鳴ると莢に入るように教え込むのである。

「この豆蛍は私のお姉ちゃんが育てたんだ。」

「この鈴は僕の兄ちゃんの。」

「僕たちが生まれ落ちてから旅立つまでは数日間なので、生まれた豆蛍が成虫になるまで面倒を見る暇も無いんです。そこで、僕たちは先に生まれた魚たちから豆蛍の育て方を教わり、豆蛍を貰うんです。そして後から生まれる魚たちに豆蛍の育て方を教えて、その更に後の魚たちが旅立つ時も豆蛍の莢を持っていけるように、皆で育てるんです。育て方はわりあい易しいし、蛍たちも僕たちのことを仲間だと思っているようなので、みんな豆蛍が好きなんですよ。」

 少し話をしていると、少年にも魚たちの性格の違いが分かってくる。きっと人間だったら真面目な纏め役なのだろう、葉っぱで出来た地図を持った月魚が滔々と語る話は、少年の関心をそそり、聞き入らせるには十分であった。

「仲間意識が強いんだね、凄いなあ。」

「そんなことしなくても、月露草(げつろそう)の花の光があるじゃないか。」

 それまでだんまりを貫いていた少年の月魚が、少年の感嘆に水を差す。

「月露草の花は一日で枯れますよ。」

 真面目な月魚が、まるでそんなことを言われると思っていなかった風に驚いて返事をした。

「枯れたら、次の日また新しい花が咲くだろう、その次にはまた別のが咲く。」

「何を言ってるんですか、月露草なんて滅多に生えるものじゃありません。僕たちだって今あるのを枯らさないように見守るだけで精一杯なんです。」

「へえ、信じられないな。おれが生まれた原っぱは一面、雑草みたいに月露草が生えてたぜ。」

 いつの間にか、呑気に騒いでいた他の月魚たちも二匹の応酬を受けて俄かに静まり返っていた。

「まさかとは思うが、月露草が月から貰った光を受けて開くことも、その花の中からおれたちが生まれてくることも、お前達は知らないのか。お前達だって月になろうとしているんだろう?」

「月? あの輝く月?」一番体長のある月魚がよく通る声で笑った。

「月になんかなれるはずないじゃないか、誰も辿り着いたことがないのに。」


「どういうことなの?」何やら口論めいたものが始まっていることは分かるが、話についていけない少年が小さな月魚たちに耳語する。小さな月魚たちは体をふりふり教えてくれた。

「夜に開く、月露草の花から、僕たちは生まれるんだよ。」

「月露草のお花は、白だったり、黄色だったり、時々紅色や空色もあるけれど、皆とても綺麗で、夜になると光るの。それでね、一晩中光っていられるのは、月が自分の体にたまった光を地面に落として、花に授けてくれるからなんだって。生まれて最初の晩に、私のお姉ちゃんが話してくれたんだ。」

「その続きはこうでしょ? 暗い晩もみんなに光をくれる月に憧れた一匹の月魚が、或る日旅に出た。色んな所を回って光を集めるうちに、月魚の体は大きくなって、光が無くなっちゃった月の代わりに新しい月になった。それから僕たちは月魚と呼ばれるようになったし、また誰かが次の月になるために、みんなが旅をするようになったんだって。僕たちならみんな知っている昔話だよ。」

「でも、じっさい月はとても遠くて、どれだけ高く上っても月魚の力では辿り着くどころか近づくこともできないし、噂好きの目高達も月になった月魚がいたというお話は知らないの。だから、月魚が月になったなんてお話は、昔話の中だけの嘘なんじゃないかって、皆そう言ってるの。」

「僕たちは月じゃなくて、本当の魚になるために旅をしているんだ。空は泳げなくなるけれど、大きくなったら僕は海まで旅する鮭になりたいな。君は海って知ってる? 原っぱよりずっと大きいんだって。」

 幼い月魚が期待に心を躍らせて煌めく。

「魚には成れると思っているのに、一度も行ったところの無い海ってやつには行けると思っているのに、なぜ月には行けないと思っているんだ? 遠い所に行ったから地上にいる俺たちに宜しく言うことができないだけかもしれないじゃないか。」

 突然、少年の月魚が会話に口を挟んできたので、小さな月魚たちは仰天して飛びすさった。莢が激しく揺れたので何匹かの豆蛍が泡を食って出てきた。

「そりゃあ、誰もがなれるとは思っちゃいない。でも俺たちは当たり前に信じてた。俺の友達には月と話ができるって奴までいたんだぜ。だから、どうやってなるのかは分からなくても、月魚は月になれると思ってる。」

「こら、小さい子を怖がらせちゃ駄目だろう。」

 少年が月魚を諫めると、月魚は明後日を向いて紙箱に入ってしまったきり、何も言わなくなった。どうしてこんな所で喧嘩の仲裁をしなくてはいけないのかと少年が釈然としない心持ちでいると、纏め役の月魚が、おずおずと言った。

「僕たちはあなたの月魚とは違うのかもしれません。不愉快な気持ちにさせてしまったのなら申し訳ありません。」

 少年の目からは強いて言えば、自分の月魚が一方的に吹っ掛けたように見えたので、ちょっと笑って首を振ってみせた。

 それからその纏め役の月魚は、箱と少年を交互に見て、何か聞きたそうにしていた。

 けれど、他の月魚が少し気まずそうに顔を見合わせて黙っていたので、それきり何も聞くことはなかった。


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