1話「ありふれた日でした」
その日はありふれた日だった。
朝少し早く起きてしまって寝つけなかったので、午前中に家を出て、婚約者の家へ行ってみることにした。
というのも、私ウェルネリアと婚約相手である彼トマスは、付き合いが長いということもあってお互い自由に訪問し合うような仲だったのである。だから、連絡せずに相手の家に行くことも珍しいことではなくて。その日も何の気なしに彼の家へ行ったのである。
――だがそこで私は見てしまった。
「ねぇトマス、いいのぉ? あたしなんかとぉ、こんな風にいちゃいちゃしててぇ」
「いいんだよ」
「いるんでしょぉ? 婚約者さん」
「ああ、いる」
「怒られちゃわなぁい?」
私の知らない女性と自室で二人いちゃつくトマスの姿を。
僅かに開いた窓越しに見えた光景。それが現実のものとは到底思えないようなもので。足が震えて、でも帰るのも嫌で。だから震えながらでも彼がいる部屋へと近づいていっている私がいた。
「いいんだ、ウェルネリアは鈍いから気づかないんだ」
「本当にぃ? 大丈夫なんでしょうねぇ」
「いやほんとだって。なんせウェルネリアは部屋の綿棒をぱくっても気づかないようなぼんやりした女だからな」
「そう……ならいいけどぉ。遊び過ぎちゃ駄目よぉ? 調子に乗ってたらそのうち痛い目に遭うわよぉ」
二人は明らかに互いを異性として見ているようだった。
「お前が言うか」
「だってぇ、事実でしょぉ」
「ま、そうだけどな。悪いことしてるっちゃあしてるよ、俺たち。でもそれがいいんだろ?」
「そうねぇ、刺激的だわ。愛してるわよぉトマス」
「ああ、俺も、お前だけを愛してる。オフィリア、お前だけは代えがない、特別な女性だ」
……嫌なら帰ったらいいのに。
頭の中にはそう意見を述べている私もいる。
でも、どうしても、去ることはできなかった。
「あぁん好きぃ」
「俺だって」
口づけを交わす二人。
「トマスと結婚できたら良かったのにぃ」
「でもお互い婚約してるから無理だよな」
「ええ……なんて切ない運命かしらぁ……あたしたち、引き裂かれてしまうのねぇ」
「仕方ない、婚約者がいるから。でもずっと、ずっと、愛していることに変わりはない。これからもな」
「そうねぇ、あたしも同じ気持ちよぉ」
もしかしたら少し怖いもの見たさみたいなものもあったのかもしれない。それに加えて、ここで見て見ぬふりをして帰ったら後悔する、という思いもあったような気もする。
動揺して、何もかも滅茶苦茶で。
けれども私は前へと進んでいた。
トマスに会いに行く。
その決意を胸に。
今まさに彼が女性といちゃついている、その部屋へと、心を落ち着けつつ進んでいった。
扉の前に立つ。
「でもぉ、婚約者さん、本当に気づいていないのぉ?」
「ああ」
「女性ってぼんやりして見えても意外と鋭いのよぉ、本当に大丈夫なのかしらぁ」
「あいつに限って気づきやしねえって」
「そうなのぉ、ならいいけれどぉ」
どうやら鍵は掛かっていないみたい。
でも、この扉を押し開ければ、もうこれまでのように接することはできなくなってしまう。
この扉は終焉へと誘われる扉。
開けた瞬間、すべてが壊れ始める。
――それでも開けるか?
私は私に問う。