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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

オカルトマニアのぼくっ娘と陰キャオタクな先輩のラブコメホラー(仮)

小山先生は呪殺されたがっている

作者: 大萩おはぎ

○登場人物


ぼく:本作の語り手。オカルト蒐集や謎解きに情熱を燃やす女の子。学園内外から不思議な事件や体験談を募集して、先輩と共に”謎解き”活動をしている。


先輩:アニオタにして学園随一の秀才で、”ぼく”の謎解きに協力する男子。重度の懐疑主義者で、「この世には信じられるものなど何もない」という信念を唯一信じている。


小山先生:若手の数学教師。理知的な性格だが、意外にも趣味は心霊スポット巡り。美人で男子生徒からの憧れの的になっているが、いろいろと秘密を抱えているらしい。


「Aセットお願いします」

「はいよー」


 食券と引き換えに、お盆に乗った定食が返ってくる。

 一番人気のAセットは、「ごはん、からあげ、味噌汁、ポテトサラダ、キャベツの千切り」という超王道メニューだ。

 特に、からあげと生キャベツの組み合わせはバストアップに効果的って聞いたことがあるし。これでぼくのひんそ――もとい(つつ)ましくお上品なバストも少しは育ってくれないかなぁ?

 なーんて、俗っぽいことを考えながら空いてる席を探していた。


「もぉ、全部先輩のせいだよ」


 ぼくは頬を膨らませて呟いた。

 今は昼休み。いつもなら教室でクラスメイトとお弁当を食べてる頃合いだけど、今日は珍しく学食を訪れていた。

 こうなったのは先輩のせいだ。昨日先輩にオススメされたアイドルアニメがあまりにも面白くて、夜更かししてしまったんだ。

 「かすみん可愛いよー!」なんてパソコンの前で興奮してたら睡眠時間がなくなって、朝寝坊したあげく昨晩の残り物をお弁当箱に詰める時間もなくなっていた。


「先輩……どこだろ」


 それでも、自然に彼を探している自分がいるのに気づく。

 ぼくの睡眠時間を奪ったせめてもの罪滅ぼしに、思う存分『虹ヶ咲学園ス○ールアイドル同好会』の良さとかすみんの可愛さについて語り合いたいのに、どこにいるんだろう? 

 学食のすみっコまで歩いていくと、やっと見つかった。

 猫背にボサボサの髪。負のオーラをまとった背中。顔は見えなくても一目瞭然――あれこそぼくの先輩だ。

 陰キャでオタクでぼっちな先輩のことだ、今日も学食のすみっコでぼっち飯を決め込んでいるのだろう。ここは可愛い後輩ちゃんがランチをご一緒してやろうかな。

 フフフ、先輩め。感謝するのだぞ!

 こうなったらオカズの交換とか、食べさせあいとか、青春しちゃったりして♡

 い、いやぁ。冷静に考えるとそれは他の人もいるし恥ずかしいかな。

 なんてニマニマと考えながら、ぼくは先輩に声をかけようとする。


「せんぱぁい、お昼ごいっしょしま――!?」


 お盆を落としそうになるのを必死にこらえた自分はえらいと思った。

 確かにその席に座っているのは先輩、それは間違いなかった。

 だけどぼくが驚いたのは、彼の正面に人が座っていたからだ。

 女性、それもとびっきりの美人が。


「ぇ……え?」


 くらくらする視界で捉えた女性には見覚えがあった。

 数学の小山(こやま)先生だった。

 顔もスタイルも抜群で、授業はわかりやすく性格も柔和な非の打ち所がない若手女教師。

 なにより、胸が大きい。

 学園中の男子から憧れの的になっている。

 そんな彼女が、先輩と向かい合って食事? それも、なにか真剣に話し込んでるみたい。


「……っ」


 ぼくは先輩にかけようとしていた言葉を飲み込んだ。

 背を向け、立ち去ろうとする。

 ま、まさかね。非モテの代名詞たる先輩があんな美人さんと関わりがあるなんて。

 なんでだろ、手が震える。膝まで。


「……そうだよね」


 勝手に非モテだって思いこんでたけど、先輩ってべつにブサイクじゃないし、むしろあの独特な負のオーラと鋭い目つきを除けば顔の造形は整ってると思うし。

 猫背だから気づきにくいけど背もそれなりにあるし、頭は文句なしにキレる。

 なにより、いつも冷静で一見冷たいとも思える態度の奥に隠れた誠実さや優しさに気づいちゃったらもう……。


 好きに――なっちゃうよね。


 普段先輩が読んでるラノベの表紙の傾向からして、先輩はきっと巨乳好き。

 数学に精通している才女の小山先生とは話も合うだろうし、もしかして二人はお似合いなんじゃ……?

 心の奥底からどっと湧き出てくるドロドロした感情と思考が渦巻いて混乱してきた。


「――そうだよ」


 いまさらになって気づいた。

 ぼくはいったい、先輩の何を知っていたんだろう?

 先輩はいつも放課後になると、ぼくの”謎解き活動”に協力してくれる。

 だけどそれ以外の学園生活ではほとんど関わらない。

 謎解き依頼を除けば、私生活での関わりもない。その程度の関係でしかない。

 なのにぼくは、先輩が自分の知らない人間関係を築いてるからって、どうしてこんなにもショックを受けてるんだろ?

 知った気になってただけなんだ。ぼくはまだ、先輩のことを何一つ知らないのに。

 だけど。

 だからこそ――。


「せんぱぁい♡ お昼ごいっしょしていいですかぁー♡」


 ぼくは精一杯明るい声で彼に話しかけることにした。

 強引に隣の席に座る。

 逃げるのは――やめることにした。


「ああ、お前か」


 ぼくの一大決心の重みに反して、先輩の反応は意外にも軽かった。

 驚きもせず、突然隣に座ってきたぼくを一瞥すると冷静にこう言った。


「ちょうど良い。放課後、お前に相談しようと思っていたところだったが手間が省けた」

「はへ?」


 なんのことかわからず間の抜けた声を漏らすしかないぼく。

 そんなぼくを見て「悪い、説明不足だったな」と言うと先輩は続けた。


「”謎解き”の依頼だ、小山先生からのな」

「え――」



   ☆   ☆   ☆




「ええええええええええええええええええええええ!!!!!?」


 学食じゅうにぼくの奇声が響き渡った。

 みんなの視線が集まり、ぼくは顔を真っ赤にして縮こまるしかなかった。


「す、すみません。とんだ失礼をば……」

「うふふ。あなたたち、うわさ通り。仲良しなのね」


 ぼくらの前に座る小山先輩は口に手を当てて笑った。

 唇に引かれたルージュが美しい。

 ぼくは唇を尖らせて答えた。


「うわさって……ぼくらのこと、知ってるんですか?」

「ええ、有名よ。不思議なことやオカルトに詳しいって。聞くところによると、ストーカー事件の犯人を特定したこともあるとか」

「そぉですけど……それで、小山先生の依頼というのは?」


 どこかふてくされた雰囲気がにじみ出ていたのだろう。

 先輩が小声で「おい、なんでそんな無愛想なんだよ」と聞いてきた。

 さすがに「先輩と先生がいい感じに見えたから」なんて言えなくて、「数学、ニガテなので」なんて下手くそなごまかしをしてしまう。

 そんなぼくらのやり取りをみてクスクスと笑う小山先生は、スマホを机の上に乗せてさしだしてきた。


「これよ」

「これは……写真、ですか?」


 それは、夜中にトンネルの前で撮影された写真だった。

 複数人の女性が並んで写っていて、その中には小山先生自身も入っている。

 でも、夜中のトンネルなんてこんなイケてる女性たちが来るような場所だろうか?


「有名な心霊スポットの”旧○○トンネル”の前で撮影したものよ。意外かもしれないけど私、心霊スポット巡りが趣味なの」


 先生はちょうどぼくの頭の中の疑問に答えるようにそう言った。

 そしてスマホのディスプレイに表示された画像の一部を指差す。

 「私の身体、よく見てちょうだい」と言われた部分をぼくが注視すると、そこには――。


「脚が……ない」


 写真の中の小山先生の左脚は、膝下がなくなっていた(・・・・・・・)

 まるで、背後にそびえるトンネルの深い暗闇に飲み込まれたみたいに。


「つまり、心霊写真ってワケだ。お前の得意分野だろう?」


 先輩が言った。

 その通りだった。小さい頃にお父さんにカメラを習ってから、オカルトの中でもひときわ心霊写真には一家言あるつもりだ。


「この謎、解けるかしら?」


 小山先生の言葉は、どこか挑発的な響きに聞こえた。

 ぼくはムッとして写真をよく見た。

 心霊スポットの”旧○○トンネル”はぼくも聞いたことがある。

 昔から事故が多発していて、いわゆる”不幸が集まる場所”――”逆パワースポット”のような場所だったらしい。

 それが20世紀の終わり頃に殺人事件まで起こってしまったことから、区画整理のタイミングともあわさって閉鎖に至ったという。

 その後、21世紀に突入しても脚のない幽霊が出るとか自殺の名所だなんてうわさが流れて、ときたま無謀な若者が訪れる心霊スポットとして全国的に知られていた。

 ぼく自身はまだ行ったことがないけれど、オカルトマニアとしてはいずれ訪れたいと思っていたところだ。


「……この写真は、スマホで撮ったモノですか?」

「そうよ。私のスマホじゃなくて、友達が撮って送ってくれたものだけれど」

「お友達のスマホは、古いものじゃなくて比較的新しいものですか?」

「ええ、そうだったと思うわ」

「なるほど」


 ぼくは頭の中で考えをまとめる。

 トンネルの前での写真撮影。消えた左脚。

 比較的新しいスマホで撮影した写真――答えは、そう難しくない。


「わかりました。これは心霊写真じゃないと思います」

「へぇ」


 小山先生は関心したように微笑んだ。


「どうしてそう思うの?」

「これはスマホで加工した写真だからです」

「加工、ね。確かにスマホの写真はアプリで簡単に加工できるけれど、この写真に関しては無加工のハズよ。友達が撮影した直後にメッセージアプリで私達全員に共有したものだもの。私を含む、この場にいた全員が証言できるわ」

「手動で加工しなくても、スマホはAIで自動的に画像処理を行っているんですよ。スマホは専用のカメラとちがってレンズやセンサーの大きさに限界があるので、光学的性能の不足を補うためには加工が不可欠なんです」

「その自動的な加工があったとして、私の消えた脚の向こう側にはきちんと背景のトンネルが写っているわよ。これはどう説明する?」

「比較的新しいスマホは、撮影ボタンを押す瞬間だけではなくその前後の画像もメモリに一時保存するようになっているんです。そこから最適な画像をAIによる画像処理を経由して出力する。そういう膨大な処理が、何気なくスマホで撮影した写真一つとっても行われているんですよ。つまり、撮影者がカメラアプリを起動してから先生たちが整列するまでの間に写り込んだトンネルの全貌も、スマホのメモリには一時保存されていた可能性があります」

「成る程……」

「この写真は全体的に暗いですから、人物、物体、背景をAIが判別するのは難しいと思います。AI技術はまだまだ発展途上ですから。つまりぼくの仮説は――暗いのでAIが人物と背景を誤認したから先生の脚が消えて背景のトンネルが合成されてしまった。心霊スポットであることとこの写真は関係がない……ということになります」


 「付け加えておくと――」ぼくは続けた。


「グーグルのPixelというスマホには、撮影した写真を後からAI処理して”消したいモノを消す”ことができる”消しゴムマジック”という機能があるそうですよ。その機能で物体を消すと、ちゃんと背景もAIが計算して写るようになっているみたいです。これがスマホカメラならばこういう写真を撮影できるという根拠です」

「……」


 小山先生はぼくの話を聞いて、しばし考え込んだ後。

 手をパチパチと叩きはじめた。


「素晴らしいわ! あなたたち二人とも、短時間で同じ結論にたどり着くなんて!」

「え……?」


 先生は不可解なことを言った。同じ結論? 二人とも?

 ぼくは先輩の方をみる。


「先輩、この謎をもう解いていたんですかぁ!?」

「ああ、仮説も説明の仕方も寸分たがわず同じだったぞ。やるじゃあないか」

「だったら言ってくれたら良かったのにぃー。先輩、イジワルですね」


 ぼくが頬を膨らませて抗議すると、小山先生はクスクスと笑った。


「ごめんなさいね、私が口止めしたの。あなた単独での”謎解き”の実力を知りたくって。私の”本当の依頼”を打ち明けられるか、試させてもらったの」

「本当の……依頼? それって――」


 そのときだった。

 小山先生は腕時計をみて、「いけない、仕事に戻らなきゃ」と言って立ち上がる。


「また放課後、図書準備室にお邪魔するわね。あなたたち、いつもそこで謎解きをしているのよね?」

「は、はい……」

「じゃあね。Aセット、冷めちゃうわよ」


 そう言って、先生はそそくさと立ち去ってしまった。

 ぼくが時計をみると、もうすぐ昼休みが終わりそうな頃合いだった。

 まずい、まだ全然昼食を食べてない。

 でも、ぼく一人で食べるには時間が足りない。だからって残すのは申し訳ないし。

 とはいえ、乙女がそんな尋常じゃない早食いをするなんて恥ずかしい!

 だったら――。

 ぼくは「そろそろ俺も行くぞ」なんて立ち上がろうとする先輩の袖をガシッとつかんで制止した。


「せんぱぁい♡」

「な、なんだよ」

「半分食べてください♡ 男の子ってみんなからあげ好きでしょ?♡」

「ま、まあ好きだけど……そういう問題じゃ」

「遠慮しないでください。ほら、食べさせてあげますから。あーん♡」

「えぇ……」


 困惑する先輩の口にからあげを放り込んだ。

 こうしてぼくはまんまと「せんぱい、あーん♡」という青春を先輩と過ごせたのだった。

 必死でAセットを頬張るぼくたちは、想像していたよりも、全然色気とかロマンチックに欠ける姿だったけれども……。

 そんな青春もぼくと先輩らしいな、なんて。

 ちょっと嬉しくなる昼休みだった。

 

 そう。

 その時のぼくは、放課後に本当の恐怖が待っていることなんて知るよしもなかったんだ。




   ☆   ☆   ☆




 放課後、約束通りぼくと先輩が図書準備室で待っていると小山先生が現れた。

 傍若無人(ぼうじゃくぶじん)を地で行く先輩にも一応礼儀はあるのか、定位置だった奥側のソファを先生に譲った。

 そして先輩は手前側の席に座る。ぼくも先輩に習い、その隣に着席した。


「それで――本当の依頼というのは?」


 まどろっこしいことは嫌いな先輩が率直に()いた。

 ぶしつけな質問にも怯まず、小山先生はさらりと答える。


「あなたたちには私が幼少期に体験した不可思議な出来事を聞いてほしいの。そして、”謎”を解いてほしい」

「謎?」

「それは聞けばわかるかもしれないし、聞いてもわからないかもしれない。謎なんて、最初からなかったのかもしれないけれど……」

「……?」


 先生の婉曲的(えんきょくてき)な言い方には疑問符を浮かべるしか無かった。

 ぼくと先輩は顔を見合わせ、答えた。


「「わかりました、話して下さい」」


 こうして、小山先生は語り始めた。

 彼女の体験した出来事を。

 それは――ぼくらの想像を遥かに超える恐怖体験だったのだ。




   ☆   ☆   ☆



 私は小さな頃、田舎の集落に住んでいたの。

 いくら先進国日本とはいっても、古い家屋や風習が残された村社会というのは確かに現存する。私の集落はまさにその典型だった。

 年齢の近い子どもは数人しかいなくて、当然みんな家族ぐるみの付き合いよ。

 特に仲の良かった子が二人。そうね、仮にAちゃんとBちゃんとしましょうか。

 Aちゃんは好奇心旺盛で勉強家。将来村を出て外の世界で働くのが夢だった。

 Bちゃんは男勝りなガキ大将。村じゅうが庭みたいなもので、いつも走り回っていたわ。

 私はそんな二人の背中をついていくだけの、おとなしい子だった。


 そんな若くて元気な子どもたちが、インターネットもまともに普及していないお年寄りだらけの村の生活に満足できるはずがない。

 だから……仕方がなかったんだと思う。

 Aちゃんが”旧X地区”に行こうなんて言い出すのは。




   ☆   ☆   ☆




「”旧X地区”?」


 先生の話にぼくが口を挟んだ。

 小山先生の説明はこうだった。


「私たちの集落を”新X地区”とすると、さらに山奥に位置する廃村のことよ」

「山奥の……廃村」


 ゴクリ、雰囲気のある言葉が出てきてぼくはつばを飲み込んだ。


「再開発だかダム建設だかで住人たちが移住するまで、私たちの先祖はそこに住んでいたらしいわ。結局地盤が脆弱だとかで再開発計画は中止になったんだけどね。国からの補助金を受け取った村人は今の”新X地区”にそのまま住み続けたそうよ。その後は山奥で危険だからということで、”旧X地区”は立ち入り禁止区域になっていた。大人ももちろんだけれど、子どもは特に近づいちゃいけないとキツく言われていたわ」

「そんな危険な場所に何故?」

「噂があったのよ。”幽霊屋敷”の」

「幽霊屋敷……!」

「幽霊屋敷を探しに行こうと最初に言い出したのは好奇心旺盛なAちゃんだった。娯楽に乏しい村に育っていつも退屈していた私とBちゃんももちろん賛成したわ。ちょっとした冒険気分だった。懐中電灯やお菓子をリュックに詰め込んで、3人は夜中に村の外れで集合したわ」


 先生はため息をついて、話を続けた。


「その夜は血のように真っ赤な満月で、やけに大きく見えて不気味だったのを覚えているわ――」




   ☆   ☆   ☆





「うぅー、怖いよぉ。やっぱり帰ろうよぉー」


 真っ赤な月に怯えた私が泣き言を漏らした。

 理知的なAちゃんは、冷静に私を諭そうとする。


「怖い? どうして?」

「だって月が……空をおおうくらいおっきくて、落ちてきちゃいそうで」

「月が大きいだなんて……まったく、小6にもなって子どもみたいな」


 Aちゃんは呆れたようにため息をついて、言った。


「いい? 月の大きさは常に一定よ。確かに、月は地球の周囲を楕円軌道で周回しているから、厳密には地球との距離は日によって変動する。けれどその大きさの違いは肉眼で比較できるほどではないのよ」

「そうなの? でも今夜の月はいつもより絶対おっきいよ! Bちゃんもそう思うよね?」


 同意を求める私にBちゃんはぶっきらぼうに返した。


「んー、アタシは全然わかんないな。ふだんから夜空なんてわざわざ見上げたりしないし」


 Aちゃんは納得しない私に、冷静に説明を続けた。


「月が巨大に見える原因は、錯覚(さっかく)とされているわ」

「さっかく?」

「私たちはいつも村の中から月を見上げているでしょう? だけど今夜は村の外に出た。私たちと、山や木々、そして月。三者の位置関係が変わっているのよ。つまり比較対象が違うことで月の大きさが違って見える錯視に違いないわ。実際の月の大きさは、常に一定。これは科学的に真実よ」

「そう、なのかなぁ」


 理解も納得もできなかったけれど、それ以上議論もできなかったのでそれ以上話は続かなかった。

 その後は他愛ない雑談をしながら夜道を歩いた。

 月明かりに照らされて、懐中電灯を使わなくても足取りは軽かった。

 友達とひと夏の特別な冒険って気分に浸れて、なんだか楽しかった。


「ここが……”旧X地区”」


 そして、私達三人は目的地へたどり着いた。

 本当に小さな廃村で、数えるほどしか家屋がなかった。

 村全体が獣避けの柵で囲まれていた。


「どうする? 柵、のりこえる? 危ないよ?」


 私が言うと、Bちゃんはニヤリと笑みを浮かべた。


「実はアタシ知ってんだよねー、柵が裂けてる場所があるんだ」

「Bちゃん、ここに来たことあるの?」

「時々忍び込んでたんだよ。ナイショな?」


 Bちゃんはいたずらっぽく笑うと私達を先導した。

 私とAちゃんがついていくと、本当に柵に裂け目があった。

 子どもの体格ならばなんとか通り抜けられそうだった。

 Bちゃんはするりと通り抜けて「早く来いよー」と私達を呼ぶ。

 私とAちゃんは顔を見合わせると、しぶしぶBちゃんに続いて柵の裂け目を通り抜けた。

 服に土がつくのはやだなぁなんて思いながら通り抜けたっけ。

 そして――。


「夜に来たのは初めてだけど、けっこうフインキ(・・・・)あんじゃん」

「フインキじゃなくて、雰囲気(ふんいき)ね。典型的な誤用よ」

「うるせー、伝わるならいいだろ」


 Bちゃんの言葉をAちゃんは冷静に訂正した。

 Bちゃんは唇を尖らせ悪態をつく。いつもどおりの私達のやり取りだった。

 いつもどおりじゃないのは、ここが私達の住む”新X地区”ではなく廃村”旧X地区”だということ。

 二人は怖くないのだろうか? 疑問に思った。私は、ずっと嫌な予感がしていた。

 ”旧X地区”は古い木造家屋がいくつか建っているだけで、あとは田んぼや畑の跡があるだけの閑散とした場所だった。


「目的はここではないわ、行きましょう」


 Aがちゃんはさらに奥まで進み始めた。

 噂の”幽霊屋敷”は廃村の一番奥にある石段を上がってさらに山奥に入り込んだあたり、らしかった。

 私は「Bちゃんは行ったことあるの?」と訊いた。

 Bちゃんは首を振って「いや、アタシもない」そしてAちゃんに訊いた。


「なあ、Aはどこで幽霊屋敷の噂を聞いたんだ?」

「さあ、どうでもいいでしょう」


 ぶっきらぼうにAがちゃんは返答し、さらに付け加えた。


「そもそも幽霊なんていないんだから」

「はぁ?」


 BちゃんはAちゃんの不可解な返答に眉をひそめた。

 当然だ。Aちゃんが無愛想なのはいつものことだけど、今回は明らかに発言が矛盾していたから。

 だって”幽霊屋敷”の噂を言い出したのはAちゃん自身で、私達は肝試しのために夜中に家を抜け出してここまで来た。

 なのに言い出しっぺのAちゃんが「幽霊なんていない」?

 Bちゃんは苛立ってさらに追求した。


「どういうことだよ!」

「そのままの意味よ。幽霊なんてもともといないのよ。この村の大人たちが作り出した”信仰”。村の人間をコントロールするためのね。私は、それを証明するためにここに来た」

「なんのためにそんなコト――!」


 Bちゃんがさらに追求しようとしたそのときだった。

 彼女が急に足をとめて言った。


「なあ……さっきからなんか……」


 ――足音、多くないか?

 ガサリ、と立ち止まる私達三人。

 そして――ガサリ。

 その時、たしかに一つだけ余計に足音が聞こえた気がした。


「っ……!?」


 しんと静まり返る廃村。

 え? 私は最初耳を疑った。Bちゃんが冗談を言ったんだと思った。

 だってAちゃんが幽霊はいないなんて言い張るから。

 Bちゃんも意地になって怖がらせようとしたんだって、そう思っても仕方がない。

 でも確かに聞こえた気がした。

 私やBちゃんだけじゃない。Aちゃんも深刻な表情で黙っていた。

 聞こえていたんだ。私達三人とも、その足音が。


 私達三人の後ろに、後をつけてくる”四人目”がいる。

 きっと、廃村に入ってからずっと。


「……獣の足音でしょう。山奥なんだからいてもおかしくないでしょう?」


 黙りこくって動かなくなった三人のうち、最初に口を開いたのはAちゃんだった。

 確かにAちゃんの言う通り山には野生動物がいるだろう。

 それは当然だけど……私は言った。


「だとしても危ないよ。野犬とか熊とか猪とか、もし襲われたら」

「なおさら急ぎましょう。屋内に入ってしまえば安全よ。村に引き返すより、幽霊屋敷のほうがもう近いわ」


 私達は早足で進んだ。

 相変わらず付け回してくる、”一人分多い足音”は三人とも無視した。

 廃村の最奥までたどり着いた。細長い石の階段が山奥へと続いている。


「この先よ」


 Aちゃんが呟いた。この先が幽霊屋敷みたいだった。

 古ぼけた鳥居が石段の入り口を取り囲んでいた。

 鳥居の左右の柱をボロボロになったしめ縄が結んで、入り口を閉ざしている。

 見るからに異様な雰囲気に、私達の足が止まった。

 それでも、もしかしたら獣に追われているかもしれないという現実的な恐怖が私達を前に突き動かした。 


「さっさと行こうぜ」


 Bちゃんがしめ縄をくぐると、私とAちゃんも続いた。

 石段を早足で上っていくうちに、妙なことに気づいた。


「ねぇ、な……なに、あれ……?」


 私が指さした先を、二人も見上げた。

 木の枝から何かが吊るされていた。

 暗がりで最初は首吊りしたいか何かと思った。

 だけど懐中電灯を向けるとすぐにわかった。吊るされていたのは人形だった。

 ボロボロになった布で覆われた人形の首の部分に紐が巻き付けられていて、石段の周囲に伸びる木の枝から吊り下げられていた。

 それも、よく見ると一つや二つじゃなかった。

 石段の周囲の木々には、大量の首吊り人形が吊るされていた。


「ひぃっ――なんだ、コレ!?」

「これは……”てるてる坊主”なのかしら?」


 さすがにいつも威勢が良いBちゃんも声が引きつっていた。

 対象的にAちゃんはあくまで冷静に分析し始めた。


「てるてる坊主……?」


 私も懐中電灯を向けてその人形をよく観察した。

 確かに、有名な呪術の”丑の刻参り”で使う”藁人形”のような、見るからに呪いの人形という雰囲気ではなかった。

 本当に子どもが手作りしたような布製の人形で、紐でくくられた頭らしき丸い部分には下手な絵で顔が書かれている。


「もしかしたら――」


 Aちゃんは仮説を述べた。


「鳥居があるということはこの先には神社があるということ。”旧X地区”の村人たちは、好天の祈願として人形を吊るす風習があったのかもしれないわね。”坊主”というのは仏教的な響きがあるから、この人形には”てるてる坊主”とは別の呼び名があるのかもしれないけれど」


 確かに言われてみれば、経年劣化したボロボロの布のせいで怖くみえただけで、元は普通の人形だったのかもしれない。

 すっかり安心した私達三人は先へ進んだ。

 石段を上り切ると、そこにあったのは”小屋”だった。


「神社じゃ……ない……」


 Aちゃんは意外そうに呟いた。

 そう、そこにはただの小屋があった。鐘も賽銭箱も装飾もない。

 木造の小屋がそこにあった。拍子抜けするほど何の変哲もない小屋だった。

 だけど、どこか違和感があった。Bちゃんが口を開いた。


「なあ、あの小屋……なんかおかしくねぇか? なんていうか――」

「入り口がない――でしょう?」


 Aちゃんが指摘して、やっと私もその違和感に気づくことができた。

 そう、その小屋には入り口がなかった。


「はは、これじゃ入れないよね……引き返す?」

「せっかくここまで来たんだ。入り口を探そうぜ」

「そうね」


 既に気後れしていた私と違って、BちゃんとAちゃんはあくまで小屋の中に入る気みたいだった。

 三人で小屋の周囲を一周すると、Bちゃんが少し上の方を指さした。


「あそこ、穴があいてるぞ。入れるんじゃないか?」


 確かに、子ども一人ならギリギリ通り抜けられそうな穴があった。

 迷っているうちに、さっさと私以外の二人は木造の壁をよじ登り始めていた。


「ちょっと、もう行くの!?」

「なんだよ、置いてくぞ」


 ヘラヘラ笑いながらAちゃんを持ち上げるBちゃん。

 Aちゃんが穴を通った後は自分の分のリュックを押し込んでから、Bちゃんも穴を通過した。最後は私だけになった。


「早くしろー」


 Bちゃんは中でAちゃんと肩車をしたのか、高い穴から顔と手を出して私を誘ってくれた。その様子に、少なくとも中は安全なんだと安心できた。


「うん、今い――」

「おい、早くしろ!!」

「えっ……?」


 その時だった。突然Bちゃんが血相を変えて叫んだ。

 そして、


『アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!! アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!』


 雄叫(おたけ)び、だった。

 私の背後の森から聞こえてきたその声は、獣のモノなのだろうか。

 私には、人間の笑い声(・・・)にも聞こえた。


「振り返るな、来い!!」


 Bちゃんの必死の叫びに従い、私は彼女の手をとった。

 一気に引き上げられ、穴を通過して小屋の中にドスンと落下した。

 その直後に、ドン!! と大きな音がした。何かが壁にぶつかった音だ。


「はぁ……はぁ……なんだ、アレ(・・)は……」

「ねぇB、あなた何を見たの?」

「さあ、わかんねぇ……。黒くて、図体がデカくて、だけどアレは獣じゃなったと思う……」


「「「――っ!!」」」


 その瞬間、私達三人はその視線(・・)に気づいた。

 ビクンと身体が跳ね、小屋の穴の方を見る。

 そこには、”真っ赤な月”が浮かんでいた。

 いや、それは巨大な”目”だった。眼球にはまぶたがなく、ギョロリと露出していた。

 外にいる”何か”の、過度に充血した丸い眼球が赤い月に見えたんだ。

 その視線は私達三人をじっと見ていた。

 品定めするように、じっとりとした視線を向けていた。


『ヒャハハハハハハハハハハハハ……ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ』


 獣の雄叫びのようにも、人間の笑い声のようにも聞こえる不思議な声が小屋の外から聴こえてくる。


「や、ヤバい……殺される!」


 狼狽するBちゃんに対して、Aちゃんは冷や汗を垂らしながらも冷静に言い聞かせた。


「大丈夫、あの穴は小さいから通っては来られない」


 その通りになった。しばらく小屋の周囲を徘徊していた”何か”の足音は、はやがて諦めたかのように小屋の近くから遠ざかっていった。

 すっかり気が動転したBちゃんは大声で「なんだよアレ! なんなんだよ!」と繰り返していた。


「私達を追っていた獣でしょうね」

「獣ォ!? あれはどう聞いても人間の笑い声だったぞ!」

「そうかしら」


 動転するBちゃんをなだめるように、Aちゃんはあえて冷静に言い聞かせた。


「発情した猫の鳴き声を聴いたことがある?」

「はぁ?」

「わ、私はあるかも……人間の赤ちゃんに似てるよね。初めて聴いた時びっくりしたもん」


 動転しているBちゃんに変わって私が答えた。

 「そうよ」Aちゃんは説明を続けた。


「人間の声に似た鳴き声を上げる野生動物くらい珍しくない――ということよ。仮に不審者の人間だとしても、この小屋には小さな穴以外の入り口がないから入ってはこられないでしょう。ここは安全よ」

「……そう、かもな」


 Bちゃんもなんとなく納得してこの場は収まったようだった。

 窓すらなく月明かりが入らないこの部屋がとんでもなく暗いことに気づいたのは、全員が落ち着いてからだった。

 Aちゃんは荷物をおろし、中からランプを取り出した。そして明かりを点灯すると――。


「な――なんだコレ!?」


 小屋の内部が全てはっきりと見えた。

 簡素な外観と違って、内観はひと目でわかるほどに不気味そのものだった。

 赤い字で書かれた大量のお札がびっしりと、壁と天井、床に至るまで覆い尽くすほどに貼り付けられていたのだった。


「入り口のない小屋、中身はお札だらけ。なるほど、これが”幽霊屋敷”というワケね」


 Aちゃんは顎に手を当ててうんうんと納得していた。

 Bちゃんはあくまで冷静なAちゃんの様子に苛立って、


「もう満足だろ! 獣か不審者だか知らないケド、あんなんがうろついてるんじゃこんなトコにはこれ以上いられないぞ! さっさと帰ろうぜ!」

「待って、もう少し」

「お札しかねぇ小屋に何の用があるって――」

「ここよ、小屋の中心。お札の配列が不自然でしょう?」


 Aちゃんが指さした床を見ると、確かに不規則だったお札の配列がその部分だけ妙に整列しているのがわかった。

 彼女は少しだけ考えた後、バリバリとその場所のお札を剥がし始めた。


「な、何やってるの!?」

「真実を解き明かすのよ。この村は不自然なことが多すぎる」


 私たちの制止もきかず、お札を剥がしながらAちゃんはブツブツと呟く。


「外との交流がほとんどないし、物流も一部の大人が担ってるだけ。子どもたちもほとんどが村の中で生まれて、村の中で死ぬ。この現代日本でよ? 信じられる? 村の大人たちは何かを隠してる。この廃村と幽霊屋敷には、秘密が隠されているに違いないわ」

「Aちゃん、そのためにここまで来たの……!?」

「そうよ、この科学の時代に非科学的な村社会が生き残っていていいハズがないわ。私は、この村から出ていくために……!」


 不自然に整列していたお札を剥がし終えると、その下の床には取っ手があった。

 Aちゃんがそこを持つと、確かに手応えがあったみたいだった。


「手伝って」


 Aちゃんが言う。だけどへそを曲げたBちゃんは腕を組んでその場を動かなかった。

 私は渋々Aちゃんに手を貸して、二人で床の取っ手を引っ張った。

 すると、ガタン! という音とともに床の板が外れた。

 その下に隠されていたのは……。


「これ、何……?」

「骨、だと思うわ。白骨化した指よ」

「人間の骨かな……」

「わからない。動物の骨かもしれない。判別不能よ」


 (☆)、所謂(いわゆる)五芒星(ごぼうせい)”の形だった。

 長い指の骨が何本か重なり合って、意味のある図形を成していた。

 周囲を取り囲む円はおそらく、人間の髪の毛で編まれたであろう縄でできている。

 呪術的な意味合いがあるのだろう。本で読んだ程度の知識だけど、そう思えた。

 Aちゃんはそういう迷信は信じないたちだったけど、私と顔を見合わせると「不用意に触らないほうが良い」と無言の合意に至ったようだ。

 そっと中身を観察するだけにした。


「五芒星の中心にあるのは、歯……?」


 骨でできた星型図形の中心には、複数の歯が山の形に盛られていた。


「一つ一つが小さい。まるで自然に抜けた子どもの乳歯みたい……」


 私達がじっくり観察していると、苛立った様子のBちゃんが近づいて来た。


「もういいだろ、さっさと帰るぞ! さっきのバケモンがまた来るかもしれねー!」

「待って、もう少し……」

「そんなもん――どうでもいい!」


 ガシャン! Bちゃんが腕を振るうと、いとも簡単に骨の図形と歯が崩れてしまった。

 「ああっ!」驚いて声を上げる私。

 Aちゃんは何も言わず、Bちゃんをじっと見つめた。


「……わかったわ。ここを出ましょう」

「その前にこれ、壊れちゃったよ、直さないと……バチがあたるかも」


 焦って必死で骨と歯を元通りに配置しようとする私。

 Bちゃんは自分が壊した手前、意地になったのか手伝ってはくれなかった。

 呪いとか信仰に否定的なAちゃんが意外にも「私達が来た痕跡を消さないといけないわね」と手伝ってくれた。

 こうして二人でなんとか記憶にあった通りの形に戻すことができた。

 けれど、完璧にはならなかった。大まかな形は覚えていても、それぞれの骨の判別や歯の正確な位置までは把握しきれていなかった。


「……ここまでね、行きましょう。待たせたわね、B――」


 Aちゃんと私が振り向くと、そこには。


「うっ……がっ……」

「B?」

「Bちゃん?」

 

 うずくまるBちゃんがいた。身体が震えて様子がおかしい。

 彼女は手で喉を抑えて「ガフッ……ゲフッ……」と嘔吐(えず)いていた。

 私が「大丈夫?」と背中をさすると、ついにBちゃんは「お゛ええええ!」何かを吐き出した。


「血っ……!?」

「鮮血……それだけじゃない。歯が……!」


 Bちゃんの口から出た吐瀉物は真っ赤な血と胃液と、それに何か固体がいくつか混じっていた。

 Aちゃんが顔を近づけて観察すると、それは歯のようだった。


「B、ちょっと口開けなさい!」

「あっ、あがっ!」

「歯は抜けてない、全部ある。ということは、この歯はBの胃の中から出てきたということになる」


 私はおそるおそる訊いた。


「それって……どういうこと?」

「血はこの歯が食道を逆流して傷つけたから出たモノよ。何故Bの胃の中に歯が入っていたのかは……わからない」

「あ……あがが……」


 ガクガクと焦点の定まらない瞳で震えているBちゃん。

 口の端からは泡が漏れ出していた。明らかに大丈夫じゃない。

 私達が早期の脱出を決意するには十分だった。

 謎の星型図形の蓋を再び締め、Aちゃんがお札を貼り直す。

 その後、二人がかりでBちゃんを壁の穴から引きずり出し、私達三人ともが小屋の外に出た。


『アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ! ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャハハハハハハ!!』


 外に出ると、ガサガサという足音とともに例の”笑い声”が聴こえてきた。

「まだ近くにいるよ! Aちゃん!」

「かまっている暇はないわ、Bを連れて逃げましょう!」


 火事場の馬鹿力、とでも言うのだろうか。

 小学生女子二人の力だったけど、女の子一人を抱えたまま走って小屋を離れた。

 だけど、本当の”地獄”はここからだった。


 小屋から石段に差し掛かると、再び木から吊るされた大量の”てるてる坊主”が目に入ってきた。

 そこで私の耳に飛び込んできたのだ。


『タスケテ……タスケテ……』

『ウオオオ゛……オオオオ゛オオ……』

『グルジイ……グルジイヨォ……』

『アアアアアアアアア! アアアアアアアアアアア!』

『ツレテッテクレヨォ……タノムヨォ……』


 声。人の苦しむ声。


「何、コレ……どこから……?」


 私が顔を上げると、”てるてる坊主”の一つ一つがもぞもぞと動いているのに気づいた。

 白いボロ布が被さっている”首”の、口のあたりがモゴモゴと動いてうめき声を発していた。

 ギシギシと首吊りの紐が揺れて、木々はガサガサ揺れて……。

 布で隠されたてるてる坊主たちの下半身からは何か血のような……吐瀉物か、あるいは糞尿なのか。

 暗闇の中では判別できなかったけれど、ビシャビシャと汚らしいモノが地面に垂れ流されていた。

 あまりの出来事に私は気が動転して、「ひぃ、ひぐっ……!」と声にならない声を漏らすことしかできなかった。


『タスケテグレ……ダノム……』

『ウ゛オオオ゛……オオオ゛オオ……!』

『グルジイ……グルジイ……ゴロジデ……』

『オ゛アアアアアアアアア! ギャアアアアアアアアア゛アア!!』

『ツレテッテクレヨォ……タノムヨォ……イッショニイカセテグレェ……』


「え……Aちゃん……ごわ、ごわいよ……ぉ!」

「こ、こんなことあり得ない。パニックから来る集団幻覚よ……!」


 Aちゃんは言った。「集団幻覚」と。

 この非現実的な光景はAちゃんにも見えているのだ。

 それがわかって、私は恐怖したと同時に少し安心した。

 私だけじゃない。最悪な目に会っているのは、一人じゃないのだから。


 石段を下りて廃村まで戻ってきた。

 おかしい。

 行きの時に見た廃村の様子とは、何か――違ってる。

 

「扉が……全部開いてる」


 Aちゃんはそう呟いた。そう、全部の家屋の扉が開いていた。

 私はBちゃんを抱えて走りながら、開いた家屋の扉の中を見た。

 確かに見たんだ。見えてしまった。

 ぎょろりとまぶたがなく血走った赤い瞳と、私達を指し示す”大量の指”。 

 そして廃村じゅうから、四方八方から聴こえて来る――。


 きっと、私は一生忘れられないだろう。

 




『ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ』




 彼ら(・・)の――笑い声を。




   ☆   ☆   ☆




 走って、走って、必死で走って。

 どうなったのか記憶が曖昧だけど、とにかく私達は村へたどり着いた。

 一番近かったのがBちゃんの家だから必死で戸を叩いて、「Bちゃんがおかしくなった! 助けて!」って何度も叫んだ。

 村の情報網は早い。

 すぐに大人たちが集まってきて、私達は集会所に連れて行かれた。

 私とAちゃんは先に集会所に集まっていた家族と会えたけど、Bちゃんはすぐに別室に連れて行かれた。

 Bちゃんだけ別行動なことに特に違和感はなかった。

 身体がずっと震えていて、医者の治療が必要に違いなかったから。

 村のお医者さんが診てくれるに違いないと私達は思った。


 両親にひとしきり怒られたり慰められたりした後、私とAちゃんは二人で村長さんのもとへ通された。


「こりゃエラいことをしてくれたな」


 村長さんは開口一番にそう言った。


「どこまで見た?」

「えっと……廃村の奥の小屋と……」

「ちょっと」


 Aちゃんが「正直に全部話すな」と言いたげな目で私を睨んだ。

 だけど私は助かりたいし赦されたい一心で正直に村長さんに打ち明けた。


「小屋に……穴があったので入りました」

「小屋に入ったのか……!」

「はい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「……責める気はない。全部正直に話してみなさい」


 私はうなずき、穴に入ってからのことを全部打ち明けた。

 床の下に星型図形があったこと。図形を崩したらBちゃんの様子がおかしくなったこと。

 その後は恐ろしい声や光景に襲われて、三人で必死に逃げてきたこと。

 村長さんは腕を組んでうんうんと話を聞き終え、呟いた。


「Bちゃんはもうダメだ」

「えっ……」


 耳を疑うような言葉だったけど村長さんはそれ以上深くは言及せず続けた。


「だけど○○ちゃんとAちゃんはまだ大丈夫かもしれん。祭司さんを呼んでおいたから、今夜のことはキチンと反省してお祓いを受けなさい。二人とも、ここで大人しく待ってなさいよ」


 村長さんはそう言って部屋を後にした。

 残された私とAちゃんはひそひそと今夜のことについて話した。


「やっぱり、呪いなのかなぁ。あの小屋の図形がほら……”呪物”みたいなモノで……」

「呪物? 呪い? 非科学的よ。あの指や歯が不衛生だったからBは不調をきたした、そう説明したほうがよほど合理的ね」

「だったら小屋を出た後のヘンな声は?」

「獣の声が人間の声に聴こえることがあるって話をしたわよね。私達はパニックだった。聞き間違えても仕方がないわ」


 Aちゃんは今夜起こった出来事をなんとか合理化しようとしているみたいだった。

 私はAちゃんと意見を合わせるのは難しいと悟って、「トイレに行ってくるね」と部屋を出た。そういえば夜になってから一度も出していなかった。

 村長さんは「ここで大人しく待ってなさい」って言ったけれど、これからお祓いらしいし、出すものは出しておかないと。

 トイレくらいはかまわないよね?


 用を終えて、もとの部屋に戻る途中で何か声が聞こえた。

 もちろん、廃村で聴いた不気味な笑い声じゃなくて聞き慣れた村の大人たちの声だ。

 だけど今は怒号のようだった。


「……?」


 私はそっと抜き足で静かに聞き耳を立てる。


『オ゛エエエエエ゛エエエエエエエ!! ウボオオオオオオオオオオ゛オオオオオオ!! ヒャハハハハ!! ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ』

「お前、そっち抑えとけ!」

「ヤバい、何だよこれ……! 歯が、どんどん……指も……!」


 何、この声……?

 大人たちが集まっている部屋――たぶんBちゃんが運ばれた部屋だ――の中を、隙間から覗き込んだ。

 そこには。

 大人たちが必死で抑え込もうとしている”何か”の姿があった。

 ”何か”は雄叫びを上げて必死でもがいていた。

 それは、Bちゃんだった(・・・)。だけどもう、すでにBちゃんじゃなかった。

 髪の毛は全て抜け落ちて、口からとめどなく血と吐瀉物と”歯”が流れ落ちてくる。口を大きく開けすぎたのか、口の端は大きく裂けて出血していた。

 何より不気味だったのは、指が……。

 彼女の首や腕、本来生えてくるはずの無いその場所から、大量の……指が。

 指が、生えてきていたのだ。

 

「っ――!」


 私は必死で走ってもとの部屋まで戻った。

 Aちゃんは何事もなかったように「遅かったわね」なんて私に声をかけた。


「え、Aちゃ――やば……ヤバいよ、私達、しんじゃう……バケモノ……なっちゃうかも……」

「落ち着いてよ、何言ってるのかわからないわ」


 必死で言葉を絞り出し、今見た出来事を説明した。

 だけど、自分の目でみていないAちゃんがそれを信じることはなかった。

 「だったら自分で確かめてきてよ!」と叫ぶと、Aちゃんはやれやれと部屋を出ていこうとする。

 その時だった。扉は先に開いた。


「キミたちか……」


 この村の祭司さんがそこに立っていた。


「儀式を始める。座りなさい」




   ☆   ☆   ☆




 当時は宗教についてよくわからなかったけど、祭司さんは神主でも僧侶でもなかった。

 神道系ではあるけど、この村の土着信仰を司る一族らしい。

 あの廃村や小屋のことも、この高齢の祭司さんが村で最も詳しいみたいだった。


「正座したまま下を向いていなさい。何があっても顔をあげないように。あとは私に任せなさい」


 優しい声色の祭司さんにそう言われると、なんだか「助かった」気がした。

 彼は部屋の中に五つの蝋燭を立てて、部屋の中心に私達を座らせた。

 私とAちゃんは座布団に座り、頭を下げた。

 祭司さんは蝋燭に火を灯すと、何やらブツブツと”呪文”のようなモノを唱え始めた。

 いや、当時は呪文だと思ったけれど、今思えばそれは”祝詞(のりと)”だったのかもしれない。

 とにかく、私は「これでもう大丈夫だ」という安心感を覚えた。


 儀式はつつがなく進行した。

 だけど、どうやらそろそろ終わりに差し掛かりそうだぞ、という雰囲気の時に突然ピタリと呪文が止んだ。

 え、祭司さん? 頭を下げ、床を見つめる私には何が起こったのかわからない。

 いったんしんと部屋が静まり返ると、やがてガン! ガン! と何かが衝突する音が聞こえてきた。

 何? 何が起こってるの? 祭司さんは「何があっても顔を上げないように」と言った。だけどそれはきっと、儀式が順調に進んでいる場合に違いない。

 今は間違いなく――非常事態だった! 私は顔を上げた。


 ガン! ガン! ガン! ガン! グシャ!


 信じられない光景がそこには広がっていた。

 祭司さんは私達に背を向けたまま壁に向かって立ち、頭を壁に打ち付けていた。

 何度も、何度も、やがて頭が割れ、血が吹き出しても。


 グシャ! グシャ! グシャ! グシャ! ビチャ! グチャ!


「ひ、ひぃ……!」


 私はつい声を出してしまう。

 するとピタリと祭司さんの動きが止まった。

 だけど次の瞬間、ゆっくりと、身体を壁のほうに向けたまま彼が私のほうを向いた。

 バキバキと首の骨が折れる音とともに。首だけが反対を向いたのだ。


『ミタナ……アタマヲ……アゲタナアアアアアアアアアアアアア!! ア゛ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!』

「きゃああああああああああああああああああああ!!」

「逃げるわよ!」


 叫び声を上げる私に、Aちゃんが声をかけた。

 Aちゃんは火のついた蝋燭立てを祭司さんの方に倒して怯ませると、私の手を掴んで部屋から出た。

 部屋から出ると、そこは地獄絵図だった。

 そこら中で村の大人たちがのたうち回って、床を転がっていた。

 口からは血と……そして、大量の歯を吐き出して。


「いやあああああああああああ!!!」


 Aちゃんと手を繋いで走った。必死の思いで集会所を出た――その瞬間だった。


『マッテヨ、○○……A……』


 知ってる声だった。

 私達の前に立ちはだかったのは、Bちゃんだった。

 Bちゃんだったモノだった。全身から指が生え、モゾモゾと波打っている。

 顔面からは、口以外の部分からも大量の歯が生えてきて、もはや面影はなかった。

 まぶたもなくなって、ギョロリと赤い眼球が私達を見つめていた。


『アタシモ……ツレテッテ……アタシタチ……イツモイッショ……ダロ?』

「い、いや……」

「何よコレ……こんなことが現実でおこるハズが……!」

『アビャ……ビャビャビャ……!! ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!』


 私達はうろたえ、後ずさる。

 後ろにはうめき、のたうち回る大人たち。そして祭司さんの笑い声。

 どんどん近づいてくる。もはや絶対絶命だった。


「あー、遅かったか」


 その時だった。Bちゃんの背後に一人の男が立っていた。

 20歳くらいの、奇妙な若い男だった。パーマを当てたオレンジの髪。ジャラジャラとシルバーアクセサリーが首周りや手首、指に装着されている。

 なにより奇妙なのは、上半身は茶色の作務衣(さむえ)なのに下半身は紺のジーンズというファッションだった。それでいて革靴を履いているのだから全てがちぐはぐだった。

 村でそんな男を見たことがなかった。直感的に私は、この男が村の外からやってきたんだと理解した。

 男は「悪い、こうするしかない」と、Bちゃんの髪の抜けたハゲ頭の上に手を置いた。次の瞬間、『ウブッ!』とBちゃんが嘔吐(えず)き始める。

 裂けた大口から、太い髪の束が吐き出されたかと思うとBちゃんはその場に倒れて動かなくなった。


「Bちゃん!」


 私は倒れたBちゃんに駆け寄った。

 姿はバケモノだけど、なぜだか私はいまでもBちゃんを友達だと思った。


「助かったの……?」

最初から(・・・・)な」


 私の問いかけに、若い男は答えた。


「なあお嬢ちゃん、死は救済だと思うかい?」

「それって……殺したってコト……?」

「もう死んでた。オレは”呪体”を分離しただけさ」


 男は「さて、と」と手をパンパンと鳴らす。


「そっちのお嬢ちゃんは賢そうだな。ガソリンはあるかい?」

「ガソリン……? 集会所の倉庫に備蓄があるわ」

「ありがとよ」


 男は集会所の倉庫からガソリンを取り出すと、集会所の周辺にぶちまけてマッチで火をつけた。

 私は血相を変えて「何やってるの! みんないるんだよ!」と叫んだ。けど男は「もう手遅れだ」と返した。

 今まで起こった出来事を見れば、男の言っていることが正しいのだと、理屈ではなく直感で理解できた。




   ☆   ☆   ☆




 男は”黒咲(くろさき)”とだけ名乗った。

 堂々と「偽名だがな」とも付け加えて。

 燃え盛る集会所を背に、私とAちゃんは黒咲の車に乗って村を脱出していた。

 私もAちゃんも口に出さなかったけど、村はもうダメだった。それを確信していた。

 私は運転席の黒咲におずおずと疑問を口にした。


「ねぇ黒咲さん、霊能者なの?」

「そんな高級なモンじゃねえさ。通りすがりのおじさんってトコかな」

「でもさっき、Bちゃんのコト……その手で何かしたよね!」

「この手か……」


 黒咲は片手を開いて、手のひらを私に見せた。

 焼印のような傷のような線によって、不思議な図形が描かれていた。

 それは、ギリシャ文字のΦ(ファイ)のような。空集合を表す∅のような、

 円の図形を一本線で縦に割った図形だった。


「なに、これ……」

「”呪印”だよ。”ファウンダリ”の連中は”VSP”だとか”ファイ・スティグマ”とか呼んでいるが、そんな格好いいもんじゃあねェさ」

「呪いってコト……? ねえ、Bちゃんは、村のみんなは……呪いでああなったの?」

「ああ、半分はな」


 黒咲は妙な断言の仕方をして、続けた。


「だが儀式はマズかったな。火に油を注いだ形になっちまった。子どもを救いたい一心だったんだろうが、あの祭司は力も知識も足りなかった」

「どういうこと?」

「あの廃村の呪いはな、とっくに”賞味期限切れ”だったんだ」

「は……?」

「呪いが薄れてたってコトさ。このまま忘れ去られて、誰も思い出さなければ。何も起こらなかった。”旧X地区”を放棄して新たな土地に移住したのはそのためだったんだろう」


 「つまり――」ここにきて黙っていたAちゃんがやっと口を挟んだ。


「”旧X地区”から”新X地区”への移住や”入り口のない小屋”の封印は呪いを風化させるためにかつての村人がやったこと……という理解でいいのかしら?」

「そうだな、お嬢ちゃんの言う通り。村の大人たちには呪いの詳細は伏せられ、”旧X地区”へ近づくなとだけ言い伝えられた。このままいけば何も起こらなかった」

「呪いなんて非科学的よ」

「だったらミームってのはどうだ? お嬢ちゃん――Aちゃんって言ったかな。賢そうだからこっちの言い方なら理解しやすいだろ?」


 黒咲は不可解なことを口にした。

 Aちゃんは理解できたようで、「ミーム……情報の遺伝子、ということね」。

 黒咲はうなずき、


「遺伝子だけを持っているが生命体ではない、人から人へ伝染し、壊していく。そういう存在をウイルスと呼ぶ。呪いってのはミームのウイルスみたいなモンなのさ」

「隔離され、弱毒化されていたウイルスを私達が解き放ったと、そういうこと?」

「ああ」

「だったらなぜ私達だけが無事なの?」

「お嬢ちゃん二人が信じなかった(・・・・・・)からだ」

「は……?」


 意外な返答に、Aがちゃんは目を丸くして驚いていた。


「弱毒化された呪いは、それだけじゃ生者に影響を及ぼすなんて無理な話だ。そもそも死者が生者より強い道理はない。呪いを強くするのは、生者だ。おそらくBちゃんって子は、特別信心深かったんだろうな」

「Bちゃんが……?」


 そういえば。私は思い当たるところがあった。

 小屋に入ってからのBちゃんの様子はおかしかった。

 私やAちゃん以上に、何かを怖がっていたし怯えていた。

 何より、小屋の中心にあった”呪物”を破壊してしまった時からだ。Bちゃんの様子がおかしくなったのは。


「呪物自体が問題なんじゃない」


 黒咲は言った。


「そいつを壊しちまったという自責の念がBちゃんに呪いを宿した。言ってしまえば、村に遺された呪いではなくBちゃんこそが自分自身を呪ったんだ。そして、Bちゃんが呪われたと認識してしまった村人や……お嬢ちゃんたちを祓おうとした祭司。みんな呪いの存在を確信しちまったんだよ。信じなければ何事もなかった程度の、弱い呪いをな。彼らの信心が呪いを現実のモノにしちまった」

「つまり……私達は信心が浅かったから。呪いを信じてなかったから無事と……そういうことなんですね」

「ああ」


 黒咲は淡々と質問に答えた。


「……村は、どうなるの?」

「”ファウンダリ”が処理するだろう。呪物も廃村もな。”駅”の連中が欲しがるだろうよ」


 私には黒咲が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。

 だけど訊くのをやめられなかった。

 何か口に出していないと、不安で仕方がなかった。


「私達は、どうなるの?」

「お嬢ちゃんたちは心配ない。村の外で普通に生活すればいい。ツテがあるから紹介してやるよ」

「本当に呪いは終わったんですか?」

「……」


 黒咲は少し黙ってから、言った。


「そいつはお嬢ちゃんたちしだいだ」




   ☆   ☆   ☆




 そして十年ほどの月日が流れた。

 私とAちゃんは無事大学を卒業した。

 黒咲のツテを頼って二人、なんとか助け合って暮らしていた。

 だけど。

 もう、限界だった。

 Aちゃんは夢を叶えた。私はそれを見届けることができた。

 もう、これ以上続けていられない。

 Aちゃんはちょうど出かけている。私はルームシェアしている部屋に一人残っていた。

 今だ。このタイミングしかないと思った。

 五角形に蝋燭を配置して、その中央に椅子を置いた。

 体の上から白い布をかぶる。周りが見えない。あとは手探りだ。

 天井の照明器具に取り付けた縄を首に巻いた。


 ”てるてる坊主”の完成だった。


「さよなら、Aちゃん」


 私はそのまま立ち上がると、足の下の椅子を蹴り飛ばした。


「あっぐぅひゅ……ひゃ……ヒャハハ……ヒャヒヒャヒャヒャヒャヒャヒャ――」



   ☆   ☆   ☆




「え……!?」


 ぼくはつい大声を出してしまった。

 壮絶な話だった。

 どんな結末を迎えるのかドキドキして聞いていた。

 だけど、おかしい(・・・・)そんなハズはないのだ。


「先生、自殺未遂(・・・・)したことあるんですか!?」

「どうして自殺未遂って思うの?」

「だって今、先生が言ったんじゃないですか。”私”はてるてる坊主みたいに首を吊ったんだって!」

「私はこの通りピンピンしているわね。さて、これは大いなる謎よ」


 先生はからかうような口調でぼくにそう言った。

 「え? え?」と混乱するぼくをあざ笑うかのように、最終下校のチャイムがなった。


「あら、いけない。もう行かないと。話、聞いてくれてありがとうね!」


 小山先生は立ち上がると、


「それと、ごめんなさいね。先生、嘘ついちゃった」


 ぺろりと舌を出して図書準備室を出ようとする先生。

 その時、


「待って下さい」


 先輩が小山先生の背中に声をかけた。


「気にすることないと思いますよ」


 先輩は断定するように続けた。


「先生のせいじゃないと思うんで。先生はいい先生だし、冷たい人じゃあない。ここの生徒なら、みんな知ってる。先生はこれまでの人生で、それを証明し続けてきたから」

「……そう、ありがとう」


 先生はこうして図書準備室を出ていった。

 ぼくらの活動時間も終わりだった。

 後片付けをして、ぼくと先輩も学園を出た。




   ☆   ☆   ☆




 帰り道。先輩は何も言わなかった。

 ぼくは先生の話がモヤモヤと頭にひっかかって、離れなかった。


「ねぇ、先輩」

「なんだ?」

「先生の話、真に迫ってました。作り話じゃないと思うんです。まるで、自分自身が体験したみたいに……詳細だったし、感情もこもってたと思います」

「そうだな。アレが作り話だったら先生は女優か何かに転身したほうが良い。すげェ演技力だ」

「ふざけないでください!」


 プンスカとぼくは頬をふくらませる。

 「わるい」と軽く先輩は謝り、話を続けた。「だったらお前は今の話、どう思った?」


「……先生は”嘘をついた”とだけ言いました。全部の話が作り話だなんて言っていないんです。仮に今の話が全て真実だとして、でも先生が嘘をついているとしたら……一つだけ、それを説明できる答えがあります」

「……いいのか?」


 ぼくが全て言い切る前に、先輩が口を挟んだ。


「その答えを口にしちまったら、後戻りできないかもしれないぞ。知らなければ、何もないままかもしれない、先生の話の中に出てきた”黒咲”ってヤツの言う通りかもしれない」

「……いいんです。先輩、たぶんぼくは……話の中に出てきた”Aちゃん”の正体が小山先生だと思うんです。先生がついた”嘘”っていうのは、語り手である小山先生と主役である”私”が同一人物であるというその一点だった」

「ほう、面白い説だな」

「理知的な性格、そして村から出てやりたかった”夢”。それはきっと理数系の教師になること。推測できる人物像は一致しています。先生の話の中で、”私”という女の子とAちゃんはずっと一緒に行動していた。互いの体験を知り尽くしている間柄なんです」

「だから小山先生が”私”の視点から話すことができた、と」

「そうすれば、”私”が最後に自殺する物語でも口にできるんです。自殺する詳細な方法も……だって”私”の遺体の第一発見者は、ルームシェアしていたAちゃん――つまり小山先生に違いないですから」

「だがその説には穴がある」


 先輩は言った。


「どうしてわざわざそんな回りくどいことをした? 別に小山先生がAちゃんの視点で語っても、ずっと一緒にいたなら同じストーリーになったハズだ。俺たちに”私”の視点で話をした理由はなんだ?」

「……それは」


 この時、ぼくはこの体験談を始める前に小山先生が言ったことを思い出していた。

 

『あなたたちには私が幼少期に体験した不可思議な出来事を聞いてほしいの。そして、”謎”を解いてほしい。それは聞けばわかるかもしれないし、聞いてもわからないかもしれない。謎なんて、最初からなかったのかもしれないけれど……』


「”謎”――」


 ぼくはポツリと呟いた。


「本当の謎は、人の心だ」


 そして、わかったんだ。


「小山先生は、”私”が何故自殺したか考えてほしかったんです。それが小山先生にとっての”謎”だった。だからぼくたちに自殺したその子の思考をトレースできるように、わざわざAちゃんじゃなくて”私”を主人公にして話をしたんだ……先輩!」

「ん?」

「先輩は、どうして”私”は自殺したと思いますか? せっかく無事に村の外に出ることができて、大学まで出られたのに」

「……お前は、どう思う?」

「ぼくは……やっぱり呪いのせいなんじゃないかと思います。呪いは続いていた。Aちゃんと違って、”私”のほうは呪いや村の信仰を完全に否定してはいなかったじゃないですか。だから遅効性の毒みたいに効いてきて……ってコトだと思いますけど」


 「ふム……」先輩は顎に手を当てて考えた。


「そうかもしれないし、そうじゃあないかもしれない」


 いつものように、はぐらかすような答えを口にした。

 先輩は続けた。


「結局他人の心の中なんて、誰にもわからないんだ。小山先生だって、友達が自殺した原因がわからなかった。だから今でも悩み続けて、たまに耐えきれなくなって、俺たちみたいな他人に相談したくなったんだろうよ。だからお前の仮説もきっと正解だし、不正解なんだ」

「だったら先輩はどう思うんですか?」

「俺は、たぶん……”私”は普通に自殺したんだと思うぞ」

「はへ……?」

「Bちゃんも村人も呪いを信じたせいで死んだ。”私”は助けてくれた祭司や村人を尻目に生き残ってしまった。”私”はずっと罪悪感を抱えて生きてきたんじゃねえのか?」

「あ……」

「それにな、友達や家族が呪いによって死んだ後でもなお、自分は呪われない。普通に生き続けている。……そんな順調な生活が、嫌になったんだよ。だってそうだろ? まるで”私”が冷たい人間みたいじゃないか。友達や家族を奪った呪いを心の底では信じていないんだって。全部彼らの自業自得なんだって。それを証明しているみたいで」

「だから……だからこんな結末になったってコトですか?」


 ぼくは震える声で絞り出した。

 最悪の”真実”を。


「彼女は自分の心の冷たさに耐えかねて自殺した。そういうコトですか?」

「そして、小山先生も同じ罪悪感を抱え続けている」

「え……?」

「先生、心霊スポットに友達と行ったって言ってただろ」

「確かに、スマホで加工した写真は心霊スポットで撮ったって……趣味は心霊スポット巡りって……」

「呪いを信じない科学的な小山先生がわざわざそんな場所へ行く理由は――今の話を聞いたら一つしか考えられない」


 先輩は、ゆっくりとぼくに告げた。

 この物語の結論を。




「小山先生は呪殺されたがっている」




 もう言葉が出なかった。

 それ以上何も言えなかった。

 ただ無言で先輩と別れ、家路についた。


 先輩の仮説は、正しいと思った。ぼくの直感がそう告げていた。

 小山先生もまた、悩んでいたのだ。

 呪いを信じられない自分自身の心の冷たさに。

 親友である”私”の死は、その孤独感をさらに強めたのだろう。

 だから何度も心霊スポットを訪れて、霊障を受けようとしていた。

 最初にぼくらに見せた心霊写真は、きっと加工したモノじゃなくて本物だった。だけど先生自身が思ったのだろう「カメラのAIが自動で合成した結果で、本物の心霊写真じゃない」と。

 呪いのせいじゃないって結論づけてしまったのだろう。

 ぼくらに意見を求めたのは、「これは呪いです」と保証して欲しかったからなんだ。

 

 先生は呪いを信じたかった。

 どうしても呪いを信じられない自分の心に絶望していたから。


 だから先輩は、図書準備室を去る小山先生にこう言ったんだ。

 『先生はいい先生だし、冷たい人じゃあない。ここの生徒なら、みんな知ってる。先生はこれまでの人生で、それを証明し続けてきたから』って。

 それは、気休めでしかないかもしれない。

 小山先生を救える言葉じゃないかもしれない。

 だって小山先生は「呪いは本物だ」って言ってほしくてぼくらに打ち明けたんだから。

 だけど先輩は呪いなんて信じない。

 それでもあの言葉は、先輩にできる精一杯の気遣いだったんだ。


 ああ、ぼくはなんて無力なんだろう。

 知るべきじゃなかったのかもしれない。

 “真実”は残酷なんだ。

 それを知ってもなお。ぼくは――。


「それでも……知りたいんだ。その先にある“真実”を」


 空を見上げ、祈るように呟いた。

 真っ赤な満月がぼくを冷たく見下していた。




   ΦOLKLORE:旧X地区       END.


ここまでお読みくださりありがとうございました。

本作をお楽しみくださった方はぜひとも評価をいただけると嬉しいです。


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本作には連載版がありますので、そちらもよろしくおねがいします(下にリンクを貼っておきます)

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ΦOLKLORE:オカルトマニアのぼくっ娘と陰キャオタクな先輩のラブコメホラー
本ホラー短編シリーズをまとめた連載版です。
短編版に加筆修正を加え、連載版オリジナルエピソードも多数挿入しています。
本作を読んで面白かった方は是非お読みください!
― 新着の感想 ―
[一言] 元ネタの一つは『呪詛』ですか? 切り口は違うものだったので楽しかったです! このシリーズいつも楽しみにしています 先輩も絶対に一般人じゃないですね…
[一言] 確かに先生は言い難い事を伝え様としている事さえ分かって貰えれば十分なので、真実かどうかは些細な問題ですね。 先輩のカウンセリングは成功していますが、先輩は根本的な解決になっていない事に無力感…
[良い点] てるてる坊主の描写から同室の『私』がどんな状態で発見されたか想像できた。 [一言] 村の話自体がきれいに纏り過ぎている事から先生の創作の可能性が高いです。 知り合いを想像通りの状態で発見す…
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