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当然であるが、サクヤが与えられた仕事を全て片付けた時には、辺りは真っ暗な闇に抱かれていた。
夜の店と街頭を覗いた光源は消え失せ、サクヤしか居ない事務所はしんと静まり返っている。
時計の針は、既に日を跨いだ事を告げていた。
「……帰ろうか」
今朝………今となっては昨日の朝、マキにあんな事を言ったワケではあるが、この分ではもう寝ているだろう。
サクヤは自分を便利屋扱いする上司に心の中で悪態を吐きながら、帰路につく。
幸い、バスはまだ動いていた。
***
自宅の扉の前に着き、鍵を差し込む前に、ドアノブが回った事に気付く。
「おかえりなさい」
そこには、エプロン姿のマキがいた。
「えっ……なんで?」
予想外の事態にサクヤは混乱するが、マキは至極落ち着いた声で説明を始めた。
「あのね兄さん、私だって立派な大人よ?兄さんの帰りが遅くなる事ぐらい、察しはつくよ」
「ああ………"そっち"にもいるんだな、派遣」
「大企業な分、待遇はいいと思うけどね………あはは」
マキの勤め先にも、どうやら似たような境遇の者が………簡単に足を切れる労働力として雇われた同胞がいるらしい事を知り、サクヤは変なため息が出た。
大変なのは、田舎も都会も変わらないのだなと。
「ささ、辛気くさい話は無しにして、早く上がって上がって!」
「あ、ああ………」
マキに催促されて、サクヤは靴を脱ぎ、自宅に上がる。
その際、風呂場に斧が放置されているのを見つけた。
それはこの家のある土地の購入者であり、既に故人である祖父が持っていた物。
おそらく曾祖父が持っていた物で、本来薪を割る為に使われるそれは、赤黒い血の跡で染まっている。
それで父親を解体した事は、言うまでもなかった。
「こんな夜中まで働いてお腹すいたでしょ?時間が時間だから軽くだけど食べて食べて!」
そう言って、台所から出てきたマキの手には小さなお椀。
中身はシチューだった。一緒にフランスパンも添えてある。
「じゃあお言葉に甘えて……いただきます」
「召し上がれ♪」
サクヤは早速スプーンを手にとって、シチューを口に運ぶ。
「うん、美味しいよ」
サクヤが感想を言うと、マキは嬉しそうな顔をして微笑む。
………これが、人を殺した人間がする微笑みなのだ。
その笑顔にサクヤはゾクリとするが、それに気付かないフリをして食事を続けた。
やがて食後を終えると、二人の間に沈黙が流れる。
「………あのさ、マキ」
「なあに?」
「朝にした話、覚えてるか?」
「もちろん」
覚えているなら話は早い。
仕事をしながら、何を話すのかは決めてきた。
おおよその予想と答えを用意し、サクヤはマキとの対話に挑む。
「父さんバラバラにしたけど………あれ、どうするつもりなんだ?」
まずは確認だ。
死体を解体した時点でおおよその察しはつくが、一応。
「ん、そりゃあ隠すよ?埋めるなりなんなりして」
「別々の場所にか?」
「まあね、小分けにした方が隠しやすいし」
予想通りの返答が帰ってきた。
サクヤはあまり推理やサスペンスの類いを嗜んではいないが、死体をバラバラにした時点で、それを隠す為に別の土地に埋めに行くのがセオリーだろうと思った。
「それで………だけどさ」
「んー?」
マキの微笑みを見ていると、とてもじゃないが彼女が人殺し………それも親殺しをやった人間だとは思えなかった。
彼女がある意味では肝が座った人間である事は、兄であるサクヤも小さい頃から知っている。
「それで………死体を隠したらどうするつもりなんだ?」
「うーん………自殺しようかなって思ってる」
今朝の時点で通帳の話題が出てきた所から予想はしていたが、考えうる最悪の返答が帰ってきた。
愕然とするサクヤだったが、マキはそんな彼の様子に構わず続けた。
「だって、素人の私が隠したって見つかるのはわかるじゃん。でも捕まって兄さんに会えなくなるぐらいなら、死んだ方がいいかなって」
まるで日常会話のように語るマキだが、彼女の言っている内容は紛れもなく異常であった。
それを聞いていると、サクヤは悲しくなっていた。
こんなダメ人間の為に、全うな人生を歩んでいたマキが狂い、自殺をしようとしていると。
「マキ………」
「大丈夫!今朝も言ったけど兄さんは何も関係ないの」
「マキ、だから………」
「全部頭のおかしくなった私がやった事で………」
「聞けよマキ!!」
それが、サクヤには我慢ならなかった。
故にまた、サクヤが声を荒げた。
そしてマキも、特に表情を崩さず微笑みを浮かべている。
「なあに?」
少しの沈黙を経て、サクヤが口を開く。
マキの選択の予想はついていたから、サクヤもあらかじめ答えも決断も用意していた。
「………俺も行くよ」
「えっ?」
この日初めて、マキが表情を崩した。
予想外の答えが飛んできたかのように、驚きと戸惑いを見せたのだ。
「だから………俺も一緒に、死体隠しにいくよ」
「えっ……でもそんな事したら………」
「解ってる、俺は父親殺しの共犯者になるな」
それは、マキの望む所ではない。
「待って、私は一人でやるからいいよ!」
「違うんだマキ、聞いてくれ………俺、もういいかなって思ったんだ」
サクヤは、自分の気持ちを正直に語った。
「正直、こんなご時世だし幸せは望めない。俺を愛してくれる人もいるとは思えないし、趣味をやるにも体力はないし………だから、空虚に生きるぐらいなら、さっさと終わらせようかなって」
それは、今までずっとサクヤの中にあった思いだった。
ずっと仕事をして、父親からはいびられ、家を寝床程度にしか使わない日々。
マキが家を出てからは、更に拍車がかかったように感じた。
何もかもが面倒になって、生きている意味がわからなくなった。
このままでは駄目だと思っていた。
しかし、アクションを起こすには何もかも遅かった。
「最期の瞬間に、自分の為に人生を捨ててくれる人と一緒なら、それはそれで幸せだとも思ったんだ」
「兄さん…………」
マキは言葉が出なかった。
ただただ、目の前の兄が愛おしくて堪らなかった。
「だから……一緒に行こう、マキ」
「うん……わかった……ありがとう」
二人の決意は固まった。
こうして二人は死体を隠し、二人で死ぬ。
これが二人にとってのハッピーエンドだと、二人はメリーバッドエンドへと続く道を、静かに歩きはじめた………。
***
用意周到なマキらしく、旅立ちの準備はすぐに済んだ。
解体した死体を袋に小分けにした状態で冷凍ボックスに入れ、部屋についた血痕は丁寧に拭き取った。
殺害に使ったゴルフクラブと解体に使った斧は、処理が難しい為死体と共に隠す事にした。
サクヤもまた、仮病と虚偽の報告によって、一週間隔離生活を送るという嘘をつき、休暇を得た。
今のご時世、風邪の症状と陽性反応が出れば仕事を休めるから楽だった。
とはいえ会社は、感染を理由にサクヤを解雇するだろう。
が、死ににいくサクヤにとっては最早、何もかもが関係ない話である。
いよいよ旅立ちが明日に迫った夜、サクヤは自室ベッドの上で天井を見上げていた。
奇妙な感覚と共に、カチコチと目覚まし時計が時を刻むのが聞こえてくる。
「………死刑を待つ囚人って、こんな気持ちなのかな」
不思議と恐怖は感じなかった。
決まってしまえば、後は待つだけ。
マキと一緒に死ねるなら、サクヤはそれだけで満足なのだ。
空虚に長く生きるより、少なくとも彼にとってはその方が、意味のある人生と言えるのだから。
「………兄さん、起きてる?」
いい加減寝ようと目を閉じた瞬間、ノックと共に来訪者は訪れた。
「………起きてるよ」
「うん、入るね」
キイイ、と
音を立てて扉が開く。
そこにはパジャマ姿のマキが立っていた。
「どうした?何かあったのか?」
訪ねるサクヤに対して、マキは声ではなく、行動を持って答えた。
「!?」
しゅるり、しゅるり、しゅるり。
蝶が蛹を脱ぐように、マキは身を包んでいたパジャマを剥いでゆく。
「ま、マキ?」
突然の出来事にサクヤは戸惑うばかり。
だがマキは気にせず、裸体を晒しながら一歩ずつ近づいてくる。
月明かりが、彼女の白い身体を照らした。
「ちょっ……ちょっと待ってくれ、何のつもりなんだ?」
常識を由来とするサクヤの問いに、マキは呆れたような顔を浮かべた。
「………兄さんさ、気づかない?」
「えっ………」
「それとも私が、兄妹愛程度で父さんを殺して、口座まで譲ろうとするとでも思ってたの………?」
ぎし。
マキがベッドに手をかけ、体重をかける音が響く。
「私だって、女だよ」
その瞳には、サクヤに対する確かな愛情があった。
「あ……」
サクヤは思い出した。
そもそも兄妹として接する中で、不可解な部分はいくつもあった。
思春期に入っても自分を汚物扱いしなかった所か、スキンシップも年頃の娘が兄にする物としては、少々距離感が近かったように感じる。
それに、マキ程の社交的な人間なら彼氏の一人もできそうだが、そういった話も聞かなかった。
極めつけが、今回の父の殺害だ。
兄妹愛として片付けるには、それはあまりに逸脱している。
だが、これが兄妹愛とは別の感情だとすれば、全ての辻妻が合う。
そう考えると、マキの行動には一切合切説明がつくのであった。
「……わかってもらえたみたいだね」
マキは妖艶に微笑みながら、ゆっくりとサクヤの上に跨った。
「……俺、童貞だぞ?」
「いいよ……」
マキはサクヤの胸に手を添えると、そのまま彼の服を捲くり上げる。
「私も処女だから」
サクヤは何も言わず、ただマキを受け入れた。
***
やがて、太陽が顔を出す。
出発の準備は整った。
解体された父親の死体は、袋に詰めてクーラーボックスに入れた。
サクヤが仕事用に渡された携帯も、この家に置いてゆく。
これで居場所がバレるリスクは下がる。
まあ、戻ってくる事はないが故に、持っていても仕方ないというのもあるが。
「マキお前運転できたんだ」
「ん、まあね」
ワゴンの助手席で、サクヤは少し驚いた。
口座の資金は既に下ろしたし、クーラーボックスも積んだ。
後は車を出して、この死体遺棄ツアーを始めるだけだ。
「じゃあ、行こうか」
エンジンをかけてアクセルを踏み込む。
車は動き出し、朝日の中へと消えてゆく。
そして、二人だけの逃避行が始まる。
「……これからどこに行く?」
ハンドルを握るマキが尋ねる。
「……とりあえず海かな」
「……わかった」
「ああ、その途中で寄る所があるから」
サクヤの言葉に、マキは首を傾げた。
だがサクヤはこれ以上答えなかったし、マキも詮索はしなかった。
二人は黙って、窓の外に流れる景色を見つめていた。