9、逃亡
私は廊下を駆け抜け、騎士団の演習場へと走る。
はしたないとか言っていられない。
何しろ殿下はストーカーだったのだ。
私の気付かない所で捨てた筈の物まで収集していた所を見ると、こうして逃げていたって予想外の場所から急に現れる可能性だってある。
私は演習場に入ると、剣を用意しているエリシオに駆け寄った。
「エリシオーッ!!」
「…は?うわッ!?」
勢い余ってエリシオに抱き付いてしまい、エリシオが後ろによろける。
「何なんですか!?殿下とお部屋に向かったんじゃなかったんですか?」
嫌そうに私を剥がしに掛かるエリシオに、私はフルフルと震えながら胸元の服を掴んだ。
「そ、そうなんだけど…ッ、す、ストーカーが…ッ!あ、いえ…!あっ、ば、馬車を呼んで下さらない!?い、家に帰りたいのです!」
「はぁ?」
意味が分からないと言った顔で首を傾げるエリシオに、私は少し涙目になって訴える。
「家に帰りたいのよ!!…大体、エリシオは私の専属護衛でしょう!?どうして私から離れたのです!!仕事しなさいよ!」
「何言ってるんですか!?殿下に下がれと言われたの見てましたよね!?」
騒ぐ私に嫌そうな顔をするエリシオと言う訳の分からない組み合わせに、周りの騎士達が何事かと集まってきた。
「と、取り敢えず私から離れて下さい!!殿下にも次は無いって言われてるんですから!!それに今から訓練なんですよ!!」
「じゃあ、早く馬車呼んで!!家に帰りたいのー!」
「アルマ、何してるのかな?」
冷え切った低い声が演習場に響き、私はサーッと血の気が引く。
カツカツと靴が地面を蹴る音がして、騎士達が道を開け頭を下げる気配に、ますます顔が青くなった。
「…あれ、君はさっきの…。私は次はないと言ったと思うんだけどな、聞いてなかった?」
ビクッと肩を震わせるエリシオを上目遣いで確認すると、気の毒な程表情が固まっている。
こ、これはマズイわ…
どうにか言い訳しないと…
私は咄嗟にエリシオの胸倉を掴むと、緩く傾け足払いをして地面に倒した。
静まり返った演習場にはドスンッとエリシオが倒れた音と、砂埃が舞う。
「う、うふふ、申し訳御座いません、殿下。私ったらうっかりしていて、エリシオに護身術の指南を頼まれていたのをすっかり忘れていましたの!急に思い出してお部屋を飛び出してしまって…大変失礼致しました。」
我ながらこの言い訳は無理にも程がある…!
けど他に何も思い付かないんだから仕方無いじゃないか…!!
「ラウンドール嬢、今の話は本当か!?」
そこへ場違いな程嬉々とした声が聞こえ、その場の全員がそちらに顔を向けた。
「イグリード様…え…?今のとは…」
「エリシオに護身術の指南をするのだろう!?それなら、是非私を含めた騎士団全員にもお願いしたい!!」
イグリード様は私に近付くと、手を取って紅潮した顔で詰め寄って来る。
今手とか握らないで…!!
この人空気読めないの!?
当然ながらリーヴス殿下の機嫌は急降下し、大股でこちらに近付いてくると私をイグリード様から離すように無理矢理抱き寄せた。
「イグリード、私の婚約者に気安く触れるな。それに、アルマに他者と身体の触れ合う護身術の指導などさせる訳がないだろう。アルマ、部屋に戻るよ。」
リーヴス殿下の感情的な姿に騎士団全員が呆然とする中、私は再びリーヴス殿下の自室へと連行される。
手を引かれ歩いている最中ずっと無言のリーヴス殿下にビクビクしながら付いて行くと、部屋に入ってすぐ扉の前で両手を付いたリーヴス殿下に囲われた。
「…アルマ?私から逃げられる訳無いでしょ?…しかも、寄りによって男だらけの演習場に行くなんて…私を怒らせたいの?」
超至近距離で無表情に凄まれ、私はリーヴス殿下を見ないよう必死に顔を逸らす。
近い!!そして怖い!!
そして王族だと思うと逆らえない…!!
私が恐る恐るリーヴス殿下を見ると、バッチリと目が合って背中に冷や汗が流れた。
「だから、あの部屋は見ちゃ駄目だって言ったのに…。でも見られたからって逃がさないよ。私はアルマに関わった物全てを手に入れたくなる程、アルマを深く愛してるんだから。」
ヒーーーッ!!
鳥肌がーーーッ!!
リーヴス殿下はそう言って唇で私の頬をなぞると、舌舐めずりする。
それを見て貞操の危機を感じた私は、思わずリーヴス殿下の首に腕を回し耳元で必死に懇願した。
「初夜まで駄目です…!!我慢してくれなきゃ、嫌いになっちゃいます…!!」
もうなりふり構っていられない!
自分の身は自分で守らねば…!!
私が尚もぎゅうっと抱き付くと、リーヴス殿下は
「あぁぁ…ッ!!」
と声を上げ私の腰を抱く。
「アルマ…私におあずけしてるの!?“我慢してくれなきゃ、嫌いになっちゃいます”なんて…可愛い過ぎる…ッ!ちゃんと我慢するから嫌いにならないで…ッ?」
グリグリと私の首筋に顔を擦り付けるリーヴス殿下に、私は呆気に取られた。
あれ…何か成功したっぽい。
は、はは…
やった!やれば出来るじゃないか!!
しかしその後すぐに唇にちゅっとキスされ、私は石の様に硬直する。
「アルマも私と結婚するつもりでいてくれたんだね…!てっきり私とは結婚する気が無いのかと思ってたから…。早く言ってくれればこんなに怒らなかったのに。ごめんね、怖かった?…でもキスは許してね?じゃないとたぶん暴走して襲っちゃいそうだから…」
照れながらそう言うリーヴス殿下に、私は自分の言動は全て失敗した事を悟った。