49、言語
「マリアナ、いい加減にしてくれるかな?今僕はアルマの看病で手一杯なんだ。君に構っている暇は無い。」
お兄様の怒気を孕んだ声で目を覚ますと、部屋の中にはお兄様の姿は無く、マグリが私の顔を濡れたタオルで拭いていた。
『マグ、リ…またマリ、アナ?』
『…あぁ。懲りもせず相変わらず毎日来てはああやって追い返されてる。どうやらお前の兄と二人きりで出掛けたくて仕方無いらしいぞ。』
呆れながらも自分では無くお兄様に標的が移った事で、マグリはどこか他人事だ。
私がこんな状態の時に、重度のシスコンのお兄様を外に連れ出すのは無理なんじゃないかしら…
何度断られても全くめげないマリアナをどこか尊敬しながら、私はおもむろにマグリの手を握る。
『?アルマ、どうした?どこか痛むのか?』
マグリの問いには応えず私は唇を軽く噛んで血を滲ませると、マグリの手の甲にちゅっと口付けした。
マグリは驚いていたものの、自分の手の甲に魔法陣が浮かぶのを見て目を見開く。
「アルマ…?これ…。…!!??」
そして声を出して、自ら発した言語の響きが変わっている事に喉を抑えた。
「翻訳…の魔法、陣。こ、れで少し、生活し易い、でしょ?私、治、療するね…」
私はそれだけ言って、目を閉じる。
内臓の損傷が激しくなかなか上手くいかないのか、はたまた私の治療魔法が更に下手くそになったのか、回復はなかなか進まなかった。
しばらくして目を開けると、私は汗だくで息を切らせていて、マグリはすぐにまた顔を拭いてくれる。
「アルマ、無理はするな。俺の事なんかどうでもいい。自分の事を考えてくれ。」
「…私は、大丈夫。」
多少回復したからか少しスムーズに声が出せる様になってマグリに微笑んでいると、そこへ苛々した様子のお兄様が部屋に戻って来た。
「アルマ…ッ、目が覚めたの?具合はどう?」
「お兄様…。だいぶいいですわ。ご心配をお掛けして…ごめんなさい…。」
私が眉を下げると、お兄様は頭を横に振る。
「何を言ってるんだ!可愛い妹がこんな目に遭っているのに心配しない兄など居ないよ!何か食べれるかい?果物を用意しようか?」
正直お腹など殆ど空いていないが、食べなければ回復も遅くなるだろうと、私はお兄様の言葉に甘え食事を用意して貰うことにした。
あーお風呂入りたいな…
本当は魔法で洗ってもいいんだけどその分回復に使いたいんだよね…
とは言っても髪だけは洗いたくて、私はマグリに身体を起こして貰い髪だけ洗浄する。
さっぱりした所でマグリにお礼を言っていると、窓からイドラが飛んで来た。
【あっ、アルマ!!お前座ってて大丈夫なのか!?まだ傷が癒えてないんだから安静にしてろ!】
慌てて私を寝かそうとするイドラに、私はマグリにしたのと同じ様に翻訳の魔法陣を刻む。
するとイドラはキョロキョロと忙しなく視線を泳がせた後、きゅっと私の手を握った。
「…こんな高度な魔法、普通の人間には使えない筈だ。長く生きてきたドラゴンですら不可能だぞ。…アルマ、お前、どこでこれを会得したんだ。…頼むから、一人でそんな状態になる前に俺様をもっと頼ってくれ。」
この傷は自分のせいなんだけどね…
でも女神の事は言えないしなぁ。
私が困って曖昧に頷いていると、イドラは不満そうにしながらもマグリの方を向く。
「しかしこれでお前とも会話出来るって訳か!言っておくが、アルマに世話を焼かれてるからっていい気になるなよ!アルマの一番の理解者は契約しているこの俺様なんだからな!」
え、マグリに掛ける第一声がこれ?
「はっ、ドラゴン如きが。アルマが一番頼りにしてるのは俺なんだよ。番候補だし…お前こそ出しゃばるな。」
「番候補!?アルマ、どういう事だ!?」
…面倒臭い事になったわ。
二人の会話に、私は頭を抱えた。
言葉が通じればもっと円滑なコミュニケーションで仲良くなれると思ったのに…逆に拗れてる。
「もう、どっちも頼りにしてるわよ!それに、何度も言うけど番の件はまだ候補なの!これからどうなるかなんて分からないでしょ!あと二人ともいきなり人前では喋らないように!皆ビックリするから…がはっ」
喋りすぎて吐血すると、二人ともギョッとして私を取り囲む。
「アルマ!すまない、無理をさせた!もう喋らなくていい!」
「そうだぞ!俺様が付いていてやるから、休め!」
はぁ、はぁ、と胸を上下させ頷いていると、果物やスープを持ったメイドと共にお兄様が戻って来た。
「!?アルマ、また吐血したのか!?医師を呼んでくる!」
「え、お兄様…大丈夫で…ゴボッ」
「きゃあぁ!お嬢様!」
追加の吐血でメイドが悲鳴を上げ、あっと言う間に屋敷は大騒ぎになってしまう。
あー…損傷が激しすぎてすぐ傷がぶり返すわ…。
誰の相手もせず黙って静かにしてましょ…
医師に診察されながら、私は虚ろな瞳で部屋の天井を見た。




