4.悲しきレプリカントのよう
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つかず離れずの関係がしばらく続いた。
というのも、光宗はいくら女好きとはいえ、立場上忙しい身であり、なかなか時間も割けず、由海の相手ばかりをしていられなかった。
それに火遊びをくり返せば、いずれほかの生徒や教師、保護者に露見しかねない。
由海が制服をつけた状態で街中で会えば、あまりにも目立ちすぎる。
町には学園の風紀の乱れを咎める人物がいくらでも眼を光らせているのだ。
仮に私服に着替えたとしても、年ごろで怪しまれる。
会う回数を重ねれば、遠からず学校に苦情の電話がかかってくるのは眼に見えていた。
そこで光宗は由海と会うにあたり、ルールを決めておくべきだと提案した。
1.平日の放課後は基本的に会わない。どうしても会いたいときは、必ず私服に着替えること。たとえ会ったとしても、夜九時までには由海を帰らせる。
2.デートするなら、土日のいずれかにする。光宗はペーパードライバーながら普通免許を持っている。レンタカーを借り、ドライブがてら遠方まで出かけ、そこで羽目を外す。
3.当然のことながら、学校では一生徒と担任として振る舞う。必要以上にベタベタしないように注意すること。
いかんせん日高川町の人口は一〇〇〇〇人を切っており、日高学園がある御坊市だって二四〇〇〇足らず。光宗の住んでいる由良町などは五四〇〇人しかいない。ふだん利用している地元スーパーで買い物をすれば、見知った人といくらでも出くわす確率だった。
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ひと月がすぎた。
文化祭もぶじ終った。
生物部の日本野鳥の会、委託調査の発表も、漫画とアニメチックな音声を交え、ユーモアたっぷりにやったのが評判がよく、文化部にしては健闘したうちに入るのではないか。
すべて由海のアイデアだった。のちのアンケート調査の結果では、五点満点中、平均四・五の高評価となった。
部員たちは喜びを弾けさせた。
二人の微妙な関係は、その後たいした進展がないまま晩秋に入った。
むしろ光宗の方こそ保身が働き、セーブしたぐらいだ。
ただでさえ教師と生徒の恋愛――対等なそれではないにせよ――が発覚しようものなら、懲戒免職はまぬがれまい。
日の傾くのが早くなった。
赤いマフラーを巻いた由海は校門の影でゲリラのように待ち伏せしていた。
眼だけが異様にうるんでいる。
暗いので、光宗といっしょに歩いても、他人に気づかれにくいと踏んだのだ。
六時すぎ。光宗が校舎から出てきた。校門を出たところを、由海がその腕にしがみついた。
「誰かと思ったら」
と、トーンの低い声で答えた。
「お疲れさま、光宗センセ」由海は腕にぶらさがったまま、メガネの男を上目づかいに見つめた。「最近、遅いですね。日高学園は、もしやブラックな職場?」
「教師はこなさなきゃいけない雑務が多いんだよ。むしろ多すぎる。多すぎてうんざりだ」
「多すぎてうんざりだ」と、由海が口真似した。「マッサージしてあげよっか。――ね、センセの住んでるアパートへ行きたいな」
二人はまだ深い関係にはなっていなかった。
光宗もたまのデートこそ誘うとはいえ、自身のマンションに連れていったことはなかった。これも警戒したうえでのことだ。
いずれは由海を抱くつもりでいた。
が、あまりがっつくのも見苦しいと、自尊心がゆるさないようだった。
それに時間をかけて由海をその気にさせたい意向もあった。
自意識過剰な男らしく、多少放置したとしても、由海の心は離れないと過信していたのだ。
事実、由海の心には光宗だけが占めていた。
むしろ火がついた。
「家に来て、マッサージだけで済むか?」
「私、はじめてだから」と、真顔で言った。「とっておきの最初を、センセに捧げたい」
「大胆になったな。ゾクゾクしてくるよ。由海はきっといいオンナになる。将来が楽しみだ」
「だからいいでしょ、アパートに行っても?」
「やれやれだな」
二人はもつれるように暗い夜道を駅まで歩いた。
駅のトイレで由海は私服に着替えた。
マスクをつけ、伊達メガネをかけた。帽子までかぶって変装した。
「かえって怪しい人物になったな。やりすぎなぐらいだ」
「こんな重装備だと、メガネが曇って仕方ない」
由海はおどけて、視界が悪いのをいいことに、光宗にしがみついた。
由良町行きの電車に乗った。
着くなり、徒歩で光宗のアパートに向かった。
四方を山に囲まれ、道幅も広く快適な環境だ。いかんせん家の数そのものが少ない。
コンビニこそあったが、およそ活気に満ちあふれている町とは言いがたかった。地方の例に洩れず、過疎化の波が侵食していた。
アパートは築二年と新しいが、さほど大きくない、二階建ての建物。
駐車場が五台分のスペースしかないので、部屋数もそれだけしかないのだろう。
えらく寂しい場所で暮らしているものだと由海は思ったが、熱い気持ちが勝り、噯気にも洩らさなかった。
外階段をあがって、二階の部屋に招待された。
なかは実用一点張り。家具らしい家具はほとんど置かれていなかった。テレビすらない。
ほかに女の影も見当たらなかったので、由海は安心した。
――この人は昼間は生徒受けのいい、誠実な教師を演じている。
だが帰宅して部屋に閉じこもれば、壁に向かってひざを抱え、虚ろな心と向き合うような侘しい生活を送っているのではないか。
そんな思いが由海の頭をよぎった。
アパートの一室でひざを抱え、電源を落とされた悲しき人造人間。
朝が来れば、また自動的にスイッチが入り、ネクタイを締め、スーツを着込み、電車に揺られる日常に身をゆだねる。
そんなイメージが沸いた。
だからこそだ。
だからこそ慰めてやりたいと、由海をかり立てたのだ。