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14.地獄の業火――解ける春

 灯油は揮発した蒸気に火がつくことにより、烈しく燃焼する。

 貨物コンテナのなかは連鎖的に燃え広がり、長さ六メートルのフロアは一瞬にして火葬炉と化した。

 観音開きの扉はいくら叩いてもビクともしない。


 外側から由海がかんぬきをかけてしまったのだ。

 少女の心を弄んだからって、こんな仕打ちはないだろう!――火の手があがった密室でもがきながら光宗は思った。


「よくも心を踏みにじってくれたな。あなたの命を奪わないことには、私の心は回復しない。だからこの世から消えてなくなれ!」


 と、扉の向こうで由海が叫んだ。


「なんだそれ! わけがわからん!」


 光宗は扉を殴りつけた。

 可愛さ余って憎さ百倍ということわざがある。

 可愛いという気持ちが強ければ強いほど、いったん憎しみの感情が沸けば、憎しみの度合いも強くなるということだ。まさに男に対する思いの反動が現れていた。


 ――火遊びに対するお仕置きのつもりなんだろ?

 たっぷり怖い思いをさせてから、もちろん扉を開けてくれるんだよな? ちょっと眉毛を焦がすぐらいなら大目に見てやる――この期に及んで、光宗はそう考えていた。


 おれがこんな死に方をするはずがない。

 まだ三十二で、心身ともに充実していた。

 遊びたい盛りなのだ。

 彩香みたいな寛容な恋人のおかげで、おれはつまみ食いを許してもらえた。

 これからもそのつもりなのだ。


 なのに、閂を外してくれない。

 コンテナ内を、火の少ない空間を求めて走りまわった。人食い鮫がいる絶海で小島を探すようなものだ。

 だが無情にも、安全地帯はなくなった。


 そこらじゅうの壁を引っかいた。

 のたうちまわった。

 息をすれば、たちまち熱い空気が粘膜を焦がし、喉を焼く。肺がいぶされる。


 あまりの熱さに苦しいというより、痛みの方が勝る。

 チタンフレームのメガネが熱を持ち、焼きゴテを押し当てたみたいに苦痛をともなった。

 が、じきに強烈な痛みは全身をさいなんだ。


「由海……おまえ、本気なのか?」




 夕闇が迫るなか、風が強くなってきた。

 長方形の鉄の箱から男の絶叫が聞こえた。思わず耳をふさぎたくなるような、阿鼻叫喚あびきょうかんの断末魔。

 由海は般若の面をはずし、放り投げた。角のついた仮面は回転しながら日高川に落ちた。


 コンテナの観音扉のすき間から白い煙があふれるのを見守る。

 老朽化していたらしく、至るところから洩れている。

 まさかこんなにあっけないほど、トラップに引っかかったとは驚きだった。


 光宗が待ち合わせどおりに現れ、土手をくだったとき、由海は姿をくらませていた。

 LINEに、停留所の真下に投棄された貨物コンテナのそばまで来て、と送っていたのが功を奏した。

 そのメッセージはハッタリだ。

 光宗は当然、その周辺に由海がいるものと思い込む。


 じつは土手の反対側の、道路を挟んだ住宅街に潜んでいたのだ。

 建物の陰から光宗が河原におりていったのを見計らい、あとを追ったにすぎない。他愛もない先入観を利用したトリックだった。


 あらかじめコンテナの奥に仕掛けておいたボイスレコーダーの音声を垂れ流しにし、まんまと死の部屋に誘い込んだ。

 あとはこっそり背後に忍び寄り、扉を閉めるだけの話だ。




 気密性の高い室内で火災が発生すると、空気があるかぎり炎は衰えない。

 しかしながら空気も希薄になれば、燃える素材があったとしても炎は抑えられてしまう。酸素があってこそ燃焼するのだ。


 炎が抑えられると言っても、ちゃんと火種は生きている。

 その間にも可燃性ガスが室内に充満しており、ここに新たな空気が供給されることにより、たちまちガスに引火し、とんでもない爆発を引き起こす。

 じっさい、この産業廃棄物のなかには、なんらかのガスを発生させるゴミが紛れ込んでいたのかもしれない。


 老朽化の著しい観音扉だった。さびが鉄をむしばみ、サッカーボールほどの大きさの穴があいていた。

 そのとき、突風が吹いた。

 一気にすき間風が送り込まれたにちがいない。


 貨物コンテナ内で、ごおっ!と穏やかではない唸りが聞こえた。

 次の瞬間、耐衝撃仕様のコルゲート状の側壁が、轟音とともに吹っ飛んだ。

 内部爆発だ。真横に火柱が伸びた。

 コンテナから五メートルは離れていたというのに、衝撃波で由海の身体はうしろに投げ出されたほどだ。


 由海は冴えていた。

 砂利の浜で一回転すると、猫みたいに身体を丸め、柔道選手よろしく受け身をとり、すばやく起きあがった。

 それこそ柔術の達人が目撃したら、鮮やかな手並みに舌を巻いたことだろう。だてに初めてポルシェを運転し、すぐ操作法を体得しただけある。


 それでも由海は肘を痛めた。

 痛みに顔をしかめながら、コンテナの側壁を見た。

 鉄板がめくりあがり、大きな穴があいている。

 内部の鉄クズやらガラクタが丸見えになった。

 溶鉱炉さながら、コンテナ内は燃え盛っていた。


 そのなかで、ひときわオレンジ色に輝いている物体があった。

 まるで備長炭のように燃えている。

 それは明らかに人体であった。

 性別不明の炭化した遺体だった。すっかり頭髪は燃え尽き、禿げ頭になっており、レンズの消失したメガネをかけていた。口や眼、鼻から炎を発し、人間キャンプファイヤーと化している。


 両腕は、まるでボクサーがファイティングポーズを取っているかのように拳をかため、肘を折り曲げたうえ、背筋まで丸めていた。

 人間は生体のまま焼かれると、このように屈曲させた形状になるのだ。

 光宗にとって、最終十二ラウンドのゴングはあまりにも遠すぎたようだ。




 三月はもうすぐだった。

 凍えた心をも解かす紅蓮ぐれんの炎と黒煙が、いつまでも寒空に挑んでいた。

 由海はあまりの熱さに手を顔にかざし、なす術もなく見守った。

 やっと追いついた。やっと願いが叶った。


 と、思いきや――。

 またしても私のせいで台無しにしてしまった。せっかく眼のまえに立ちふさがる暴れ川を渡ったかと思ったのに、私の激情で壊してしまった。――由海はいまさらながら我に返った。


 光宗は現代の安珍となり、鉄の棺桶で命を落とした。

 外側から炙り殺すのと、内側から火葬にするとのちがいこそあれ、いずれにせよ恋の炎で処刑した。

 だとすれば、清姫の系譜である由海は、このあとどうする?


 由海はなんの感情も交えず、日高川のせせらぎを見つめた。

 清姫同様、やはり彼のあとを追うべきか?

 あまりにも報われない。先人と同じてつを踏まなければいけないのか。


 ふいに由海は、手首に疼きを憶えた。

 制服の袖をめくり、蛇の紋章を見た。

 聖痕スティグマは蛍のように輝いている。


 同じ紋章を持つ祖母、響子の顔が浮かんだ。

 響子はあのとき(、、、、)、こう言っていたではないか。


「いろいろとあったさ。若いころも、旦那といっしょになってからも、紆余曲折うよきょくせつの連続だった。死なせた男もいる――」


 なのに、祖母はいまも生きている。

 男を死に追いやった理由や方法までは知る由もないが、少なくとも後追い自殺はしなかった。

 清さま(、、、)と同じ運命を踏襲する必要はないのだ。たくましく生きる祖母から学ぶものがあった。




 だったら生きよう。

 たとえ罰を受けるにせよ。

 私は私の脚で、立って歩いてみせる――由海はそう思った。





        了

※参考文献


『心にとどめておきたい悲恋伝説』木村暁朋と夢プロジェクト 河出書房新社

『清姫物語――「道成寺」愛の伝説』大路和子 PHP文庫


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