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12.清さまの系譜

※なんと、ここで回想シーン。これぞ焦らしのテクニックでござい^^。(こんなことをすれば、物語の停滞を招きます)

◆◆◆◆◆


 さかのぼること去年の十一月。

 このひと月こそ、由海と光宗にとって幸せなひとときだった。

 その蜜月みつげつの期間はあまりにも短すぎたが。

 ある土曜日の昼下がりだった。

 由良町のアパートのベッドで愛を交わしたあとの寝物語――。


 由海は光宗の腕枕で横になったまま、男の胸から生えた宝毛たからけをつまんで悪戯いたずらしていた。

 クスクス笑いながら、やけに長い白い毛を伸ばした。一〇センチはある。

 ピンと張ると、ふいに根もとから切れた。


「痛」


 まどろみのなかにあった光宗が顔をしかめた。


「あ……。切れちゃった」


 と、由海は頭をもたげて言った。


「おまえが無理に引っ張るからだ」


「ごめん、台無しにしたかも。これでご利益がなくなったら、私のせい?」


「かもな」




 白いレースのカーテンから、眠気を誘う淡い光が差し込んでいる。

 二人は身体を重ね、しばらく他愛もない会話を続けたあと、


「ね、光宗センセ。おもしろい話、してあげよっか?」


 と、由海は男の胸に顔を埋めたままつぶやいた。


「おもしろい話? 女の子の話って、長く引っ張ったわりにはオチがなかったりするからな。内容によりけりだ」


「ちゃんとオチはあるよ。ビターチョコみたいなホロ苦いオチなら。それはね、私の――庄司の家に古くからある伝説。ご先祖さまの話なの」


「庄司家の伝説だって」と、光宗は枕もとのタバコをたぐり寄せ、一本を口にくわえた。ライターで火をつける。天井に向かって煙を吹いた。「家系に伝説があるなんて、なかなかソソられるな。だったら話してみろ。先生がAからEの五段階で評価してやる。いい加減な作り話で丸め込もうってつもりなら、論破してやるからな。おれは手厳しいぞ」


「作り話なんかじゃないよ。正真正銘の、家に伝わるお話。私が十三歳のとき、おばあちゃんに教えられた。私ん家に伝わる清さま(、、、)の悲恋伝説なの」


「なら、どうぞ――」


◆◆◆◆◆


 時は醍醐天皇だいごてんのうの時代。

 延長えんちょう六(九二八)年、夏のころだった。

 奥州白河おうしゅうしらかわより、熊野へ参詣さんけいに来た二人の僧がいた。

 片方の若い僧の名を安珍あんちんといい、たいへんな美男子であった。


 この安珍、紀伊国牟婁郡きいのくにむろぐん(現在の田辺市の山中にある熊野街道沿い)にある真砂まさご集落に立ち寄り、庄司しょうじ 清次きよつぐの屋敷に泊った。

 そのとき、清次の娘、清姫きよひめは、十三歳ながら安珍をひと目見るなり恋心を抱いてしまう。


 その夜、なんとみずから夜這いをしかけて安珍に言い寄る始末。

 安珍は仏に仕える身としてその申し出を断る。

 熊野権現への参詣を終えた帰りに、もう一度庄司家に立ち寄るからと約束し、その場は切り抜ける。


 明くる日、屋敷を発つ安珍。

 なんとか清姫をなだめて出立するのだった。

 清姫は必ず戻ってきてと手をふり続けた。

 ――しかしながら、その口約束はていのいい言い逃れにすぎなかった。


 安珍が熊野詣くまのもうでをすませたころになったが、いつまで経っても庄司家を訪ねてくる気配はない。

 やがて清姫は、いても立ってもいられず街道までくり出し、道行く人に安珍の背恰好を教え、訪ねてまわった。


 旅人たちが言うには、どうやら安珍らしき人物は、わざと真砂を素通りしてしまったとのこと。

 なにやら先を急いでいる様子だったという。

 まさか清姫との約束を破ったのではあるまいか?


 だまされたのだ。これほど恋焦がれているというのに、純な気持ちを踏みにじられた。

 清姫は安珍を慕う気持ちから一転、烈しい怒りを抱き、わらじも脱ぎ捨ててあとを追った。

 しだいにその無垢な裸足も血まみれになる。

 髪をふり乱し、人相まで変わっていった。


 そのうち日高川のほとりまで来た安珍だった。

 背後には鬼の形相となって追いかけてくる清姫の姿。

 岸辺には渡し舟がつながれていた。

 安珍は船頭に泣きついた。

 私は恐ろしい鬼女に追われている身。後生だから向こう岸まで渡してくれと。


 こうして安珍は、すんでのところで清姫の追跡をふりきった。

 渡し舟に乗った安珍を苦々しげに見守る清姫。

 悔し涙を流しながら男を呪う。

 やがて清姫は、日高川に入るも命を落としてしまう。


 が、かんたんには成仏できなかった。

 愛しさをも凌駕する怒り、憎しみ。執念をもって、恐ろしい大蛇へと変わり果てたのだ。

 蛇身となった清姫は川を横切り、すでに向こう岸について逃亡をはかる安珍を追った。

 その禍々(まがまが)しい姿を見て、安珍は肝をつぶした。


 そばの石段をかけあがり、道成寺どうじょうじに救いを求めた。

 寺の僧や住職たちは、なにごとかと安珍の身の上話を聞いた。

 住職は不憫に思った。


 寺のどこにいても大蛇に見つかる恐れがある。

 ならば鐘つき堂の鐘をおろすので、そのなかに隠れるがよい。そこなら鉄壁の守りとなるはずだと諭す。


 寺の僧たちは重い釣り鐘をおろすと、そのなかにかくまった。

 安珍は鐘のなかで読経し、心を鎮めようとした。

 その夜、石段を這いあがってきた大蛇と化した清姫。

 憤怒のまなざしで道成寺の境内を捜しまわり、くだんの釣り鐘へとたどり着く。


 鐘のなかに隠れているのは気配でわかった。

 おのれ、憎き安珍。この悔しい思い、晴らさでおけようか。

 大蛇は鐘の龍頭に噛みつき、きりきりと胴体を七巻き半巻き付けたうえ、口から火炎を浴びせた。


 鐘は炎であぶられた。

 そのなかで、安珍は静かに読経を続けた。

 清姫は悔しくて悔しくて仕方がない。


 いくら訴えても、安珍は姿を見せ、かつてのように微笑んではくれない。

 やがて大蛇は血の涙を流し、あきらめた様子で蛇体をほどくと、道成寺を去っていった。

 その後、日高川に入水し、今度こそ清姫は死んだ。


 あとには焼けた鐘があるだけ。

 翌日、寺の僧たちがそれをどけてみると、燃え尽きた安珍の亡骸なきがらが現れた。

 一同は肩を落とし、涙ながらに合掌するのだった……。


◆◆◆◆◆


「なるほど、安珍清姫伝説か」と、光宗は驚いた口調で言った。「たしかに日高では有名な悲恋伝説だな。能や人形浄瑠璃にんぎょうじょうるり、歌舞伎なんかの題材でも古くから取り扱われてる。日本を代表するラブストーリー。いささか報われない話だが。まさか由海の家系に、そんな秘密があったとは。――いや、そもそもフィクションの話じゃなく、ほんとうにあった話だって?」


「おばあちゃんが言ってたの。ほら、これ見て。蛇の紋章ていうの。このあざを持つ庄司の人間は、なにかと恋愛でトラブルに巻き込まれやすくなるんだとか。聖痕スティグマって言ってた」


「おれとの仲はトラブルか? だとすれば、ある種のカルマだな」


「カルマ?」


ごうって意味だ」


「……よくわかんない」


「なんにせよだ。安珍清姫伝説。男にとっちゃ女に言い寄られ、身にあまる光栄な話も、やがて愛情は憎しみに取って代わられ、しまいには殺されるとは……。安珍も罪な男だ。わずか十三の女の子を惚れさせ、狂わせちゃうんだからな。元祖ストーカーの物語か」と、光宗は天井の一点を見つめながら、タバコを吹かした。「おかしなもので、古事記の話だってそうだ。イザナギが黄泉よみの国から逃走するときだ。嫁のイザナミから、あれほど見てくれるなと忠告されたのに、玄室の扉の向こうをのぞいてしまったばっかりに、相手を怒らせるわけだ。ちょっとしたボタンのかけちがえで、男は女にやりこめられる。いつの時代も、男は踏んだり蹴ったりだな」


「そういった男の軽はずみな言動が、女性を傷つけてしまうんじゃないかな。自覚のない悪意がいちばんタチが悪いんだと思う」


「自覚のない悪意か。ずいぶんと大人っぽいことを言うんだな、由海は」

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