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短編 「電脳恋愛」

連載の方でやっていた「電脳恋愛」というのを、

大幅に修正してなんとかかんとか畳み込んだのが

これです。

物語の内容は変更していません。

 電脳恋愛

 

 

 

 

 

 きれいだなぁ・・・・。

 

 

 火照るようにさわがしい空気や、いつまでもつづく蝉の合唱がぼくらの小さな世界に満ちていた、あの日のことだ。


左右に屹立(きつりつ)した校舎の隙間から見える、青く、壮大なそらを、おおきな白い雲がきらきらと輝きながらゆっくりと散歩していた。ぼくは君とよりそいながら、ふたり純白のアオの世界をみあげている。ぼくが小さくつぶやくと、それにこたえるように、わたしはここにいるよと教えるように、君は優しく、にぎった手のひらをつよくした。風にカーテンがゆれる教室の窓は、どこまでも元気な太陽にてらされてまぶしく反射し、ふたりはむじゃきにほほえみながら、目を細める。

 

 全てに絶望しながらも確かに希望と、未来を見上げていた15の夏に・・・ぼくは、君とであった。きっと、ぼくらは出会ったんだ。

 

 

 そうだろう・・・?

 

 

 

 



ぼくは、恋をした。

 

 

 たとえば・・・あのとき。中学を卒業し、特になんの夢も持たずに地元の高校に入学した、その年の春のことだった。

 

 高校の入学式。その日は桜が咲き誇るどころか、空はずっしりとした暗黒の雲におおわれ、いやでも耳にこびりついてくる不快な雨音が、びっしりと新入生が整列した体育館に響いていた。辺りは見知らぬ人間で埋め尽くされている。そんな中ぼくは、ひとりの女生徒の姿に、思考を奪われたのだ。

 

 しかし・・・。恋、などと表現すると、どこかに違和感を感じてしまう。そもそも、ぼくは恋というものの定義がわからなかった。現にあの時のひとめぼれも、子どもが飽きたおもちゃをぽいと投げ捨てるように、ひとつきもまたずに消え失せた。昔からそうだったのだ。確かに一時は心を揺り動かされているのだ。けれどそれはどこから来ているものなのか、いまいちよくわからない、ひどくもろいものだった。

 だから、きっとぼくは魂の髄からひとに惚れ込んだことなど、生涯でただ一度もないに違いない。結局、そんな冷めたような態度の心を知ってのことなのか、ぼくは一度もだれかから告白というものをされたことがない。もちろん、自分から愛を打ち明けるなどといったまるでまんがのような行動をとることも絶対にありえないのだ。

 

 

 けれど、そんなぼくでも恋をした。確かに、人を愛したのだ。

 

それは・・・。きっと、他人から見たら、まるでばかげた、恋などと形容すべきではない感情なのだろう。たわいのない、まるで遊びのような想い。しかしそれは、正真正銘ぼくにとってはじめての、だれかを心の底や、表面や、どこかしこから想う、「恋」というものだったにちがいないんだ。なぜだか、そう、信じてみたくなった。

 

 ネットのなかのひとりの少女。薄暗く、どこまでもつづくネットの黒い深海のなかで、彼女と出会うべくして出会った、あのときに。ブログのなかのアイドルへの、切なる片思いのはじまりである。

 

 

 一週間ほどまえの日のこと、ぼくは飢えていた。女性、というものに対してぐるぐると腹をならしていた。それも仕方のないことである。こんなぼくでもお年頃だ。本能的ななにかが自分の中心でうごめいているのを感じた。それは、いらつきを伴っているようでもあるし、ひどく、せつなさを感じるもののようでもあった。

 

 その日、仮病で学校を休んでいたぼくは、お昼頃にやっと布団からはいだし、食事をとろうともせずにノートパソコンの電源を入れた。このノートパソコンは小説家の母が以前使っていたおさがりだ。中学生のときにもらって以来、ひきこもりがちなぼくの相棒となっている。シンプルなフラットフォルムにシルバーのカラーリングだ。そして100キロの衝撃にも耐えられるという、なかなかにすごいやつなのである。

 

 表面をすこし撫で、本体を開き、左下についている電源スイッチをスライドさせると、スイッチ部分が緑色にひかりまるで、スターウォーズのR2D2のような声をあげながら起動する。部屋は、カーテンをしめきっているので昼間だというに薄暗く、機械の起動音だけが、もの寂しげに、小さくがりがりと、ひとりの世界に響いた。ぼくは勉強机に座りながら画面の光だけをじっと見つめてパソコンが起き上がるのを待つ。

 

 学校も行かずにひとりでこんなことをしていると、ああ、ぼくにはたぶん何も無いのだなと静かに、ゆっくりと、きづかされてしまう。

 

 聞き飽きたメロディーが流れるとともにデスクトップの壁紙が表示され、アイコンが次々と画面に出現し、きれいに整列する。ぼくは迷うことなくさまざまなアイコンの中から目的の一つを見つけ出し、ダブルクリックする。するとインターネットエクスプローラーが起動し、ホームページに設定してあるGoogleのウィンドウが瞬時に開く。そして・・・。

 

 いつも、ここで戸惑ってしまうのだ。よどみなく動いていた指先が一瞬とまり、迷う。

 

 なにをしようか。なにをすべきなのだろう。しかし、そもそも、目的など無い。いつもの作業。ひとり部屋でノートパソコンを起動する。それはひとりの淋しさを紛らわすためのものでもあるだろう。身体を動かす意義があるということを証明し、不安をどこかに押しやろうとする行動であるのかもしれない。しかし、結局のところ、「それだけ」なのである。だから、こいつを呼び覚ますとき・・・ぼくはいつも、からっぽだ。

 

 携帯電話の時報が、午後0時をしらせた・・・。音が、むなしく空気をふるわせる。

 

 ぼくはそして、きづいてしまったようだ。けしてどうしようもならないから、いっそ、何も知らなくて良かった、なによりのことを。いつもと、どこかよく似た毎日が、幾日、幾月、そして幾年も、まるで優しく思えるかのように繰り返し、遠い道のりを超えていつしか、ついにぼくにめぐってきてしまったんだ。ぼくはめぐりあってしまった。

 

 ぼくは、それとしっかりと見つめあった。ふるえながら、なおもあがくように向き合い、必死でみあげた。恐怖し、涙するほどたかく、たかくそびえた、それを見上げた。それでもぼくは・・・。

 

 でも、やっぱりだめだった。・・・わかれの時がきたんだ。ぼくは、相棒を捨てた。

 

 

 一週間前のあの日、ぼくはおさがりのノートパソコンをわきにかかえたまま、家をとびだし、町を疾走した。うめき声を漏らしながら、はしった。通行人の主婦などが不審者を見る目つきでぼくをねめつける。けれどなおもはしった。いくつかの家角をまがり、住宅地を走り去る。うめき声はしだいに叫び声にかわった。人のにぎやかな商店街を、一直線に駆け抜ける。他人を押しのけつきとばしそれでもはしった。

 

 想像を絶する、「孤独」という恐怖に打ち勝とうとするかのように、だれかに、必死で助けを請うように、ぼくは、さけび、疾走した。人通りの少ない裏道にはいる。両脇には街路樹が覆いかぶさるようにたち並び陽の光をさえぎっていた。カラスが数羽、ぼくを哀れみ、語りかけるようにひくくこえを響かせて・・・。

 突然、前方に自転車があらわれる。猛スピードではしっていたぼくは、とっさにそれをよけるために、盛大にころび、ごろごろと吹き飛ぶように回転しながら木に激突する。自転車はぼくを怒鳴りつけると、とまりもせずに、走り去る・・・。

 

 たおれたまま、顔をあげると、相棒は、そこらへんの地面にころげていた。ひっくりかえったまま、ころげていた。ふたが、まぬけそうにすこしぽかんと開いていた。

 

 お前・・・100キロの衝撃でも耐えられるんだってな・・・。だから、だいじょうぶなんだろう?きっと、ぜんぜん平気で・・・きっと・・・。きっと・・・ひとりでも・・・。

 

 なぜなのだろうか。ぼくはなんだかよくわからないけれども、だれもいない薄闇のみちでひとり地面にうつぶせになりながら、泣いていた。相棒は、ぴくりとも動かなかった。

 

 

 ぼくが、まだ彼女と出会っていない一週間前のあのひ・・・。ぼくはおなかが減って、ぐるぐると腹をならしていた。おさがりの傷だらけのノートパソコンをわきにかかえたまま、よたよたと歩いていた。

 本当は、捨てるつもりだった。裏山にいって、木のしたに穴を掘って、埋めてしまう気でいたのだ。そうすれば、きっとなれると思ったんだ。ぼくはどこにでもいるような、ごく普通の高校生になりたかった。戻りたかったんだ・・・。けれどなんだか、その気はきれいさっぱりぼくのなかから消えうせてしまった。

 

 しかし、あれだけ走ったせいか、とてもおなかが減ったので、とりあえず腹ごしらえをしようとおもった。帰り道にコンビニによりみちし、泥や傷のついたぼくらを店員にじろじろ見られながらも、おにぎりを数個とペットボトルの炭酸飲料を買う。誰もいない家に帰り、鍵をかけて自室にたてこもった。パソコンを勉強机のうえにおき、夢中で食事をとる。

 

 実際に言葉にはしないけれど、たぶんぼくはとてもありきたりで、まるで当たり前のようにわかりやすいことにきづきそれを得た。けれどもそれは、どこまでも切なくなるほど、必死に、誰でもなくこのぼくを支えようとしてくれる。

 

 ひとりでないために。

 

 だからぼくは、いけるとおもった。これからはいけるぞ!としっかりこころが叫んでくれた。でもやっぱり、それはいまいちなぜだかわからない。食事をおえた。息を大きくはきだす。よし・・・まだ腹はぐるぐるとなっているな。

 

 

 そしてこれから、ぼくは電脳の世界に深く深くもぐり、ついに、運命の、出会いのときをむかえることになる。ぼくは、ひきこもりになったんだ・・・。にやりと笑いながら、この世の神に、宣言してみた。

 

 

 

 赤を放っていた夕日が沈み、暗闇がおとずれた。彼がそれを知ることはない。

 

 

 

 



彼女と出会う、3日ほどまえのことだ。

 

 たとえば世の中の男子諸君は、恋をするに際して、こんな風に悩んだりするものである。こんなちびでめがねで貧弱なだめだめ人間が、あこがれのあの子とはたしてつりあうのだろうか?いや・・・むりだ。ぼくなんか・・・生きる価値が無い。・・・まあしかし、これはまるでぼくのことであるが、こんなように考えるやつも、きっと学校のクラスに1人2人いるはずである。ともかく、ぼくは悩んでいた。しかしぼくの悩む対象は、まったくもって情けなくてどうしようもなかったのだ。

 

 インターネットの世界に没入し、依存し、現実を逃避した結果、ぼくは現実世界の住人ではなくなっていた。肉体のみが電脳世界の入り口に取り残され、魂は広大な、ネットという漆黒の大地を爆走していた。魂は一日に数回だけぬけがらに戻り、そのとき存在する意味があまり見当たらない肉の塊は、ぼくになった。現実形態のぼくの容姿は、ちょいと筆舌しがたいので、なにもいわないでおくけれども、なんとそのゾンビ状態で深夜に、家宅から徒歩1・2分ほどのコンビニにふらふらと歩いてゆくもんだから、ぼくは近所の人たちのちょっとしたうわさになっていた。

 

 しかし、ぼくはそんなことおかまいなしだ。なぜなら、ぼくはひきこもりだ。この小さな空間を永遠に支配する王なのだ!ぼくはだれにも影響をうけない!だれもぼくに危害を加えることは不可能なのだ!

 

 ・・・・・・・。

 

 なぜだろう。こういうことを叫んでみると、やっぱり、さみしくなる。胸のあたりが、なんだかとてもなつかしい想いで、満たされそうに・・・いや、大丈夫さ。ぼくはすぐにぼくのあるべき場所、ぼくの本当の故郷にトリップだ。

 

 もやがかった包み込むような薄暗い部屋が、いくらかのあたたかみを帯びたパソコンが、そして、ぼくを今か今かと輝きながらまっている電脳の世界がいつものようにぼくを、やさしく迎えてくれる。

 

 

 運命の出会いまであと3日ほどだった。ぼくは今、友達と楽しくおしゃべりをしている。いや、今は確かに友達であるかもしれない。しかし、いつかきっと・・・。

 風にゆれる長い黒髪、全てを見すいているかのような、スッとしたきれながのめ、雪だるまを彷彿とさせる、透き通った真白の肌・・・。ぼくはひたすらに彼女を思い描く。そう、彼女こそ、ぼくのあこがれの(ひと)なのだった。事のはじまりは、唐突だった。

 

 女性に飢えていたぼくは、手当たり次第に掲示板で画像をあさった。しかしぼくの収集する女性たちはかなり偏りがあり、それは少々、問題ともとれるべきものだった。なぜならそれらは、小学生から高校生あたりのあられもない少女たちであったのだ。

 ロリータ・コンプレックス、つまりはロリコンなのだということを、自身も痛いほど理解していた。しかし、ぼくは真実を知っている。ひきこもりやオタクでなくとも、ロリコン男はうじゃうじゃといることを、自身も、吐きそうになるほど理解しているつもりである。まあしかし、正味、これはただの余談というか・・・言い訳であるけれど・・・。

 だが、許してほしい。ぼくはそれほど重症のロリコンというわけではないのであるから。これが小学生から中学生まで、はては幼稚園児から小学生という範囲にまで限定されてしまえば、それは神をも認めさせたロリコン野郎ということになるだろう。さすがにぼくも、そこまでイってしまっているとであった瞬間に逃げ出すか警察に通報するだろうな。だから軽蔑しないでくれ。確かにロリコンという事実は認めるが、根はどこまでもさわやかに、こころはまるでビーチを照らす、南国の太陽のように晴れわたる好青年なのだよ。おっと少しあちちだったかな?ははは・・・。

 

 などどいった内容のおしゃべりを、ぼくは彼女と楽しくしている。正直な話、ゆきだるまの彼女とは、さっきあったばかりである。

 出会った瞬間ひとめぼれしてしまった彼女に、なんと、出会った瞬間ぼくがロリコンだということがばれてしまったのだ。しかし、だけど・・・ああたのしいなぁ・・・。ぼくはいま、どきどきしている・・・。

 

 ・・・その約一時間後のことである。

 ロリータ画像掲示板でであった彼女は、なんとネカマだったらしい。ぼくはその事実に実際、B-29の爆撃並みの衝撃をうけた。ちなみに言っておくけれど、ネカマとは、ネットの中で女性になりきっている男のことである。ぼくに話しかけてくれた最初の一言に、運命的なものを感じたのに・・・。最後の最後、ついでに彼はこんなことを言ってくれた。

 

 おれもロリコンだぜ。セーラー服の中学生専門のな!

 

 ・・・よっぽど警察に電話して署まで連行してもらおうと思ったが、電話で人とはなすのが怖いのでやめておいた。つまりは、ぼくのあこがれた運命の女は、ただのロリコン野郎だったのだ・・・。

 

 

 そんなこんなで、ぼくの電脳の住人としての日々は、ゆるやかに過ぎていった。

 

 この安らげる、なんの障害もない平坦な日々は秋の、木々の葉がひやりとした風に吹かれて、ひらひらと舞いながら地に落ちてゆくように、身を削られ、その身を殺される、もろく、儚いひとときなのだと知らずに。

 きみのからだにしっかりと巻いた、あたたかい闇のすきまから、すこし目を凝らしてみれば、とおくの方には耐え難い終わりの光がまたたいているとも知らず。ぼくは、それでも・・・

 

 

 ただ、生きた。

 

 

 

 ぼくらが出会う、その前夜のことである。

 

 ぼくは、本当にただなんでもなく生きていた。人が成すべきこと、成し遂げたいと誰もが願うこと、とても大切なそれらを何一つぼくは見つけることは出来ずにいた。それでも、自分の生活にこんな生き方でいいのか、と疑問をわかせたことはおそらく、一度も無かった。

 

 最近なんだか不思議に思うことがある。ひきこもりになったばかりの頃は騒がしくぐるぐるとなっていた腹が、だんだん女性を求めなくなっている気がした。けれどそんなこと、ぼくの生活には何の関係もない、まるで些細なことだ。それに、ぼくもだんだんと大人になってきたじゃないか、と、ぼくは・・ひとり・・笑った。

 

 ぼくの、ぼくだけの、ひとと関わるよろこびを知らずに、いつでも理不尽に傷ついてきたこころや、ただひとつだけの命を、いままで必死に支えてきた、ちっぽけなからだは、いつしか切なげにほほ笑みながら・・・限界を迎えようとしている。それでも笑う彼らは、ぼくは、いまなにを想い、生きているのだろうか。

 

 

 今夜も、ぼくはのんきに、入り組んだインターネットをどんどん制圧してゆく。この、まるで異次元や、夢のなかにいられたかのような一週間で身に付けたさまざまな技術を最大限にいかし、ぼくはずしりと重い深海を高速で移動する。

 今ではすっかり常連になったさまざまなサイトを訪れ、そこに心地よさげに居座る住人たちに手を振る。だけど、彼らはけして、ぼくに手を振りかえすことはない。ぼくはそんな電脳の住人たちになにを思うでもなく、うつろな瞳で再び前を向き、ゆらゆらと進みはじめる。前から、だれかがやってきた。けれど、ぼくがその手を振り返すことはなかった。

 

 

 いまのは誰だろう。なんだかとても見覚えがあるようだったけれど・・・。暗い漆黒の世界で目をこらす。すると・・・。目の前の暗黒に、恐ろしい顔をしたゾンビがうつっていた。

 

 ぼくの心臓はまるまる2センチは飛び上がったとおもうのだが、なぜだか、のどからはかすれた声しか漏れてこなかった。

 心臓がもとの位置にすとんと落下して、数秒たってからぼくはパソコンの電源が落ちていたことにきずく。色を失った画面がうつしていたのは、このぼくだ。少しばかりショッキングだが、やれやれ自分にこれほど驚くとは・・・と笑おうとしたとき、とつぜん暗黒をみつめていたはずの目の前が、まっしろになる。その刹那、ぼくの体がぐらりと揺らぐ。ぼくは知った。

 

 これが、終わりの光なのか。ついにぼくは辿りついてしまったんだ。めぐり合ってしまった・・・。

 

 なんの音もしなくなった。王国のまんなかで、ひきこもりの王様が静かに横たわっている。彼は、今度は走り出すことをしなかった。ごみや衣服の散乱した薄暗い部屋で、ひかりを放っているものは、なにもない。

 

 ぼくは、ぴくりとも動かなかった。

 

 

 

 遠くで、朝日が山の向こう側から、またたきはじめていた。

 

 

 

 

 

 

 少年と少女が出会うずっとまえ、遠いむかしのこと・・・。


 ぼくは東京でうまれた。草花の芽生えが始まり、生命の息吹があたりを潤す、春先の頃だった。下町のちいさな病院で、ぼくはおおきな産声をあげた。ほかのどの子よりもおおきな、生命の喜びを世界に知らせるかのような声だった。母親のからだが小さかったため、母は帝王切開でおなかをひらかれぼくはシャバへと、意気揚々と躍り出た。そのため、生まれたてだというのに、元気すぎるほどの男の子だった。いつまでもぶんぶんと腕を振り回していたという。

 赤ん坊は、母親の子宮から外の世界へと旅立つときに、すさまじい苦しみを味わうのだそうだ。人生のいちばんはじめに、もしかしたらいちばんおおきいかもしれない壮絶な試練を乗り越えて、ひとは生まれる。それでやっと一人前の、にんげんになれる。

 でも、ぼくはそれを知らない。

 この世界の苦しみをなにひとつ知らない、まんまるで、ふにゃふにゃのこころをもった赤ん坊が、ここにちいさく生き始めた。


 まだピアノのしたを走れるくらい、ちいさかったあのとき。

ものごころついた頃から、父親はもういなかった。だいぶ最近になるまで、それを不思議におもうことはなぜだか無かった。世界中の子どもたちが、ははおやと、ちちおやがいることをまるで当たり前のように思っているのと同じように、ぼくは何も感じることなく、母さんのほそい2本のうでがぼくを必死に支え続けるのをぼんやり見つめていた。


 小学生時代。

小学生のころは、楽しかった。だれかとうまく話せなくて仲間はずれにされたこともあったけれど、それでもまだ、ぼくは世界の本当の恐怖に気づいてはいなかった。


 学ランを窮屈に着込んでいる、中学のころ。

部活動にはいっていなかったぼくは静寂が悲しく耳にひびく一軒家で、遅くに帰ってくる母をひとり待った。この家は祖父の所有物だった。しだいに、ひとと話すことのあまり無いぼくは、その(すべ)を失くしていった。孤独の苦しさに耐えるため、こころを内側に押し潰した。

いつしかぼくは、この世界では生きてゆけないのだとしった。


 そして、15回目の春、高校生。

あのとき・・・。一週間前のあのひ、ぼくは一瞬の恐怖におびえた。そこから惨めに逃げ出し、ひととひととの間にあった大切な、いくつもの光を、すべて捨てた。ははが残していったお金もつきかけていた。なのに、ぼくはひきこもりになった。

 ・・・いつしか母は、いなくなっていたんだ。長い年月を生き、世界の数え切れないほどの痛みを知っていたぼくはとても自然にそれを受け入れた。ぼくの、この信じたくなくなるほどのひろい世界でたったひとりだけの家族、母さんはぼくを捨てたんだ。

 だから、ぼくはこれでいいと思った。

ぼくがもしこの世界の、なにもかもを放り捨ててただひとり宇宙のはじっこでちっぽけに朽ち果てても、悲しむひとはいない。ぼくを想い、こころでぽろぽろと涙を落としてくれるものは、どこにもない。どんなに泣き叫びながら探したってない。無いんだ・・・。


 ぼくは、いつだってひとりぼっちだった。


 

 ええと・・・。

これは、きみのこと。ぼくをこころの底から救おうとしてくれた、愛すべき、信ずべきひと。ぼくが守りたいと、願う彼女。けれどぼくはきみを知らない。きみは・・・。きみは一体、だれなんだ?

 きみはこのとき、まだこの世界に存在していなかった。けれど遠い未来、ぼくがきみと出会うとき、きみは確かにこういうだろう。

きみは、ぼくとおなじくらい長い年月を、生きてきた。きみはぼくと同じようなひと。同じ場所にいる。だから、きみとぼくはいっしょ。おんなじなんだよ。

 とてもやさしい声で・・・。


それから以前のことは、ぼくはなにも知らない。







 そしてあの日。久しぶりのそらはひたすらに青かった。暗いネットの深海から打ち上げられたぼくは、横たわりながら流れる雲と、青空をみあげていた。ぼくときみがであった、この日のことです。


 意識を取り戻したぼくが存在していた場所は白く、清浄な世界だった。開け放った窓からさらさらりところがってくる風が、心地いい。空気が輝くみどりを含んでいるのがわかる。そのちいさな四角から、巨大な雲と空がのっそりと、すぐそこに見えた。そのおおきさに恐怖して、のみこまれないようにとぼくはふわりと目を閉じる。すると光が閉ざされた。

 おなじ暗闇がえんえんと満ちていた、あの部屋でのことが、ぼくの脳内で静寂の音をともなって再生される・・・。


 昨夜、極度のひきこもり生活の末にぼくのからだは限界をむかえた。ぼくは凄まじいだるさに襲われていた。頭蓋のなかは鬱鬱としたもやにつつまれているようで、なにも言葉を生もうとしない。このからだは絶望的な何かにつらつらと支配されているのではないかという気がして、ぼくはそれに必死で抵抗してみる。すると突然、目の前がぐにゃりと歪むのがみえた。そしてぼくは意識をうしないその場に倒れこむ・・・。

 それからぼくは、電気代の集金にきた男に発見され、ここに運ばれたそうだ。玄関のドアは開いていて、部屋の扉の鍵穴からぼくの姿がうかがえたらしい。

 ぼくはいま、町の病院にいる。


 

 きみとぼくが出会うはずの、今日。


どこか偉そうで、患者を目下にみているような医者がいう。もうすこし発見が遅れていれば危なかったのだよ。きみはいったい何をしていたら

こんな状態になるんだね。まったくもってやる気の無い声で、何の意味もない説教を垂れ流す。

 ぼくはとくに聞いていなかった。せかせかと、音声を耳の穴からもう片方の耳穴へと通りぬけさながら、おもった。こういう奴がうじゃうじゃいるからこの世界がいやになるんだな・・・。しかし、ぼくはもうこのだだっぴろい世の中に着の身着のまま放り込まれてしまった。王国は崩壊し、信頼する相棒とも別れてしまったのだ。やつはまだあの部屋にぽつんと残っているのだろうか。ちいさな希望と、絶望の残骸に埋もれながら・・・。


 夜になった。

ひんやりとした空気があたりを静かに包み込み、落ちついた紺色の空には、遠い宇宙の彼方かなたに回りながら巨大に浮かぶ、ぴかぴかした惑星や、衛星たちが今夜もぼくらにその美しく、幻想的な姿をお披露目している。

 ぼくは病院のベッドの中で夜空を見つめていた。医者の言葉を断片的に思い出してみるとどうやら、ぼくは入院することになったようだった。なんだかじっとしていることに苛つきを感じた。なんだろう。なんだか妙な胸騒ぎを感じる。ダメだ。ここに居てはダメだ。わぁわぁと本能が騒ぎ立てる。すると、ぼくはすこしおかしなことを思いついた。それは、いくぶん狂っていたとも思える。


 ぼくはベッドの中からはい出し、病人たちの寝静まった病院の閑散とした廊下を歩く。音を立てないよう、ちいさくゆっくりと移動した。夜の病院というのは、ときに恐怖すら感じさせた。息づかいすらも、漆黒の回廊のむこうまで響いていた。やっぱり、やめようかと思った。と理性さんが心のなかでいってみるとまた、本能くんのブーイングである。

 廊下のまがりかどでいったんとまり、視覚と聴覚の入力ポートの感度を最大にする。病院にもやっぱり見回りとかあるもんなのだろうか?けれどもぼくのセンサーはなにも拾わなかったようなので、右折して進む。そして、表の道路に面した窓を見つけた。窓の前に立つと鍵をあけ、ぼくは枠に腕をかけてなんとか乗り越える。そとの地面にどたりと着地したとたん、猛然と走り出す。


 ぼくは、病院を脱走してみた。


 

 きみと出会う、月夜の晩。

ぼくは途方にくれていた。いまさらになって気づいてしまったのだが、ぼくはあの病院が、町のいったいどの位置にあったのかを知らない。

いや、もしかすると隣町の病院だったりするんじゃないのだろうか。気を失ったまま運ばれたのだから、わかるわけない。無我夢中で駆けた為にここがどこなのかもわからなくっていた。病院に戻ることすら出来ない。

 ぴいんと張り詰めた冷たさがぼくを冷静にさせると、からだの奥の方から轟々ごうごうと音を響かせながら、恐怖の烈火がせりあがってきた。こうなってしまえば、もうあまり時間は残されていなかった。恐怖がぼくをじりじり焦がし始めているのがわかる。このまま焼き尽くされてしまえば、ぼくは恐怖に耐えられず、パニックに陥ってしまうはずだった。

 

 楽観的な状況ではなかった。


日本トップレベル、つまり世界トップレベルのひきこもり生活によって、ぼくの運動能力や、体力などといったものは極限まで削減され、そういえばさっきからなんだかふらふらするし、少し気を抜いたら嘔吐して黒い地面にうずくまってしまいそうなのだ。入院患者がタイム更新目指して全力疾走するべきではないということが判明した。しかし、そんなのは許されなかった。こんな状態のまま野外で一晩明かしたら、ぼくは死んでしまう・・・。全身からどくどく流れ落ちる脂汗が炎を激しくさせるなか、ぼくは意識をはっきりとさせていなかったが、それだけは確かに理解できた。ぼやけた景色をみまわしてみたが、光が灯っている建物はあらずもう深夜なのでしっかり戸締りがしてあるようだった。息が上がっている。きもち悪い。暗黒の景色が数秒に一度、くらりとぶれる。なにかにすがるように、闇の向こう側まで目線を馳せながらよろりぐらりと進んだ。


 つらかった。泣き出してしまいそうだった。だけど、ぼくを誰も助けることは出来ない。まわりには人っ子一人居なかった。黄金色の月が、いつもと変わらずゆったりとぼくの頭上に浮かんでいた。

 彼はなぜ、いつまでもぼくを助けることをしないのだ?そうか、とぼくはあはは、とよれた笑い声をたてる。冥界の死の使いに、金色に輝きながらぼくがここにいると知らせているのか・・・。ちくしょうめ・・・。くやしい・・・。ぼくは死ぬのか?だれも助けてくれない。ぼくは・・・。


 ぼくは、いつかのことばを思い出す。


”ぼくはひとりなんだ”


 それはひとひらの、ちいさな、忘れかけられていた言の葉だった。すると、どこからか優しく吹いた電脳の風が、ふわりとぼくを取り巻く。

強い意志をもった風が、葉をのせて、ひらひらと舞い踊りながらぼくのちっぽけなからだの全てを、あたたかい黒で包み込みながらひゅるひゅるりと幾度も駆け、巡った。


 それらは、遠くとおい遥か彼方かなたからやってきた、ぼくにとって大切なものたちだった。


 ぼくは思い出した。あの日々を。そうだ、ぼくはいつだってひとりだったじゃないか。今回だって、いつもと同じだ。なにも変わらない。ぼくの漆黒の力が、赤の炎を飲みこみながら恐怖を消し飛ばした。戦える・・・!ぼくのこころが爆発するようにふくらんで、みなぎった。


 ぼくは孤独とたたかう戦士だ。孤独の戦士。電脳の、戦士だ。


 ・・・めざすは、没落の王国。ちいさな世界のなかの王さまは、いまむくりと立ち上がった。少年の、最後の戦いがはじまる。




少年の背後で月がうなずくように、きらりと輝いた。







 ぼくは辿りついた。命のようなものを賭してめざした目的の地に、ぼくだけのちいさな世界

へ。

 魔城は月光を背に受け、光のないからだをさらに黒々と染めながらそびえていた。その孤独の色をみつめると強烈な安堵感が湧き上がった。

するとこころが形をなくし、ふわりとくずれて全身に溶け渡る。とけだしたこころは激しく渦巻く暗黒色だった。ぼくの眼光は赤く、からだからはどす黒い紫の蒸気が噴出している。ぼくの一呼吸ずつが闇を揺るがし、亀裂をいれる。

 きっと誰もがぼくを責めるだろう。ぼくに怯え、蔑み軽蔑のまなざしをこっそりと突き刺すのだ。でも大丈夫だ。ぼくはやっと気づくことが出来た。もう、なにも捨てたりしない。

他人がどうとかじゃないんだ。自分のこころに強い芯を一本突き立てておけばいい。ときどき重くて支えきれなくなってしまいそうになるかもしれない。懸命に一つの柱を支え続ける自分を孤独と感じ、涙を落としそうになるときもあるんだろう。

 目を閉じてみる。

 たぶん自分は、いろんな覚悟がまだ足りなかったんだ。孤独を演じ、悲劇の主人公になりきり続けた。世界の全てを憎み敵にした。その強大さに恐怖し、絶望の涙を幾度そのうつろな目に宿したことだろう。あのとき自分を好きになってくれない世界なんて死んでしまえと絶叫した声は、そこらじゅうに散らばりながら激しくぼくを傷つけた。

 違うよ、世界やぼくの周りのいろんな者たちは初めからぼくに興味なんて無い。誰だって自分のことで精一杯だってのに自分を強くみせようとしたりしてるんだ。世界がぼくを好きになるんじゃなくて、ぼくかぼくを好きになること、なんだかそれがとっても大切なことだってわかったんだ。

 できるかなぁ。このちっぽけで弱いこのぼく。

なにかを好きになることなんて出来るんだろうか。そんな、この宇宙よりも果てしなく感じる、形のない不安げな何かをこんなぼくが見つけられるのかな。だけどさ、なぜだか今なら、信じれたんだ。

 きっと、できるさ。だってぼくが世界で一番最初に愛するべきなのは、このぼくなんだ。

さみしげな涙を浮かべたちっぽけなこのぼくなら、しっかりと抱きしめて愛してあげられるだろう?


 部屋へと入った。



 表の通りには再び静寂がもどり、空気も元の場所におさまった。いつのまにか世界は朝になっていて、そしていつしか季節も移り変わり、ぼくのただ一度だけの今年の春も、いっぱいの思い出を人々に残して、騒がしい夏空の影に去っていった。朝の空気は、誰の思念や苦しみにも汚されていない清浄な透明で、生けるものの肺や心を優しく満たす。太陽の光とともに風が通りすぎる。香ばしい、夏の匂いだ。それは人々の痩せた心に、なんだかよくわからないけれどおもいきり笑いたくなるような高鳴りを与える。


 闇が、ぼくをしゅるりとすばやく包んだ。ぼくの生きるべき場所がそこにあった。強く、そう感じた。ぼくの小さな世界は、今でもあの時のままだった。

 机に置き残されていたノートパソコンを撫ぜながら、ひきこもりの日々を思い出す。



                                                    おわり


                                                             

僕の相棒のデスクトップには、左右に屹立した校舎の隙間から見える青く壮大な空があった。ただそれだけの、ある少年の恋愛物語でした。しかしそれはここから始まり、これからも続いていく。ああ、腹が鳴っているや。・・・






















 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


僕が「小説を書く」ということがどんなものか

さっぱり解らないなかで、気の向くままに書いて

いった作品です。というか作品なんて呼べるものなのか果たして自信はないけれど僕はこのお話が嫌いではないので、読んでくれてありがとう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 引籠り生活を行っていたことのある自分には、ひどく胸を打たれた作品です。 ちょっと文章が読みにくかったことをのぞけば、面白い内容だと思いました。
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