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願えば叶わん

作者: 庭別かなた

 強く願えば願うほど、願いは遠ざかっていく。この島に残る古くからの言い伝えである。


 先生の一言から、ぼくらの冒険は始まった。


「あー、念のために言っておくが、裏山には入らないように。あそこは今、危ないでの」

 帰りのホームルームで先生がおどすような口調でそう言った。険しい表情だったけど、そんなのぼくらにとっては裏山に行ってこいと言われたようなものだった。芸人が押すなよ押すなよと言うのと同じだ。押すしかない。


 放課後になると早速ぼくらは先生たちに見つからないように、「立ち入り禁止」と書かれたバリケードのフェンスを乗り越えて、学校の裏山へ続く道に入った。正直に言うと、ぼくの胸には臆病風が吹いていた。危ないってなんだろう、工事は始まっていない感じだけど。もしかしたら、先のほうは崩れてたりするんかな。そんなところ落ちたら嫌やな。へびとかが出てくるかもしれんな。かまれたら嫌やな。ぼくのそんな気持ちに反して、あっちゃんはへっちゃらに見えた。ずんずんと進んでいった。


 しばらくすると道はなくなった。木々がうっそうと生えて、背の高い雑草も地面を埋め尽くすように茂っている。どこからなにが出てきてもおかしくない。へび出てくる確率、アップ。

「あっちゃん、どうする?」

「どうするって、行くやろ」

「そ、そうやの。ぼくも行こうと思ってた」

 道なき道を行く。そう言うとかっこいいけど、ぼくは内心ビビりまくりの自分のことが情けなかった。勇気を奮い立たせて、あっちゃんの前を歩いた。少しでも自分を格好よく見せたい。


 蚊うっとうしいな。あぶに刺されたら蚊どころじゃないしの。毒へびいるかもな、まむしとか。やめてや、ほんなこと言ってたら本当に出てくるわ。帰り道わかるか?帰れんくなったらどうする?パンくずとか用意してくればよかったの。そんで鳥に食べられました、とかの。大丈夫や、山下っていけばいいだけやし。知ってるか?遭難したら山上ったほうがいいらしいで。

 そんなことを言いながら進み続けていると、前方に開けた場所が現れた。そこには鳥居と参道、小さな神社があった。ぼくらはまるで競走するかのように、そこまで走っていく。


「ギャク、ガミ、神社?」

 先に着いたあっちゃんが、鳥居の中心に書いてある神社の名前を読む。「逆神神社」と書かれている。

「こんなところに神社あったんやの。全然知らんかった」

「掃除とかもされてないみたいやしな。だいぶ前から誰もきてないんやないか? せっかくやで参っとくか」

 あっちゃんに神社を参るという発想があるとは、とぼくは感心した。そういうのまったく無視するほうやと思ってた。意外と信心深いんやな。

「今日の晩飯はカレーがいいです」

 ん?これ、信心深いんか?

「タケもなんかお願いしといたら?」

「お願いかー、ほやの」

 こういうとき、どんな願いをすればユーモアがあると思われるんやろ。

「よし、決めた。世界が平和でありますように」

「まじか、えらいな」

 あっちゃんは笑いながらからかってくる。まあ、ややウケやな。


「なんか疲れたな、帰るかー」

「ほやの」

「なんも危ないとこなかったな。拍子抜けやわ」

「工事とかもやってなかったしの。先生、やっぱおどしてただけやわ」

「もうちょっと行けばなんかあるんかな。でも、やっぱ疲れたでなー」

 ぼくらの通ってきた道は、草が踏まれたままになっていたから、帰り道に迷うことはなかった。あっちゃんは大してスリルを味わえなかったと、不満を口にし続けていた。


 裏山を下り、先生たちに見つからないようにフェンスを乗り越え、こそこそと教室へ入る。ランドセルを取って、またこそこそと学校を出る。

 学校から出てしばらく歩き、あっちゃんと別れる。

「ほんならの、晩ご飯カレーやといいの」

「おう、世界も平和やといいな」

 そうやって、今日の探検は終わった。



 次の日、会うなりあっちゃんが聞いてや聞いてやっ、と話しかけてきた。

「タケ、昨日の晩飯なんやったと思う!?」

「えっ、もしかしてカレーやったとか?」

「そう思うやろ! でもな、残念、冷やし中華やったんや……。信じられるか!? この肌寒さで冷やし中華やぞ! 長袖で冷やし中華食べるんやぞ!」

「う、うん」

「もう、神も仏もないんかと思ったわ……」

 あっちゃんが、カレーに命をかける人に見えた。

「タケはいいな、世界は平和やもんな。平和っていいな」

 あっちゃんは遠くを見ながら、つぶやいている。悔しいのは分かるけれど、カレーと世界平和を天秤にかけるのは、なんか違うと思う。

「でも昨日、ニュースでアメリカと中東の石油がどうたらって揉めてる話あったよ」

「……そんで?」

「ほやでさ、世界平和のほうも外れかもしれんが。カレーも世界平和も外れで、引き分けやが」

 あっちゃんをなぐさめる。

「タケは分かってないな。世界平和は完全には外れていない。カレーは完璧に外れ。はい、論破」

 めんどくさい。


 先生が教室に入ってきて、朝のホームルームが始まった。裏山に入ったことはバレていないみたいだった。足跡とかで分かってしまうのではないかと、内心どきどきしていたのだ。


 放課後、カレーショックを引きずっているあっちゃんを、ぼくはもう一度探検に誘ってみる。子どもにとって、探検は良いカンフル剤になるだろう。

「あっちゃん、今日も裏山行かん?」

「行かん。カレーを叶えてくれん神様に用はない」

 あっさりと断られる。しかも、ひどい言いようである。

「ほんならの」

「う、うん、またの……」

 うなだれた背中を見送って、ぼくは少しかわいそうだなと思った。あっちゃんにカレーの光あれ。



「ただいまー」

 家に帰ると、パソコンの前でお父さんが難しい顔をしていた。いつものことである。お父さんはいつも家にいる。といっても、働いていないわけではない。よく分からないけれど、在宅ワークというやつをしているらしい。難しい顔でキーボードをカチャカチャ打っては、マグカップのコーヒーをずずっとすすり、また難しい顔をする。そういう仕事だ。


 しばらくすると、ひと段落ついたらしくふーっと大きな息をして、お父さんは席を立った。

「ああ、タケ、帰ってたのか」

「うん、ただいま。お父さん、あのさちょっと聞いてもいい?」

 ぼくはあの神社のことが、どうしても気になっていた。なぜかぼくの心をひきつけて離さない。あれがパワースポットというものだろうか? お父さんは物知りなので、なにか知っているかもしれない。

「ギャクガミ神社、って知ってる?」

「ギャクガミ神社?」

 お父さんはうーんと言いながら、上のほうを見ている。まるでそこに答えが浮かんでいるかのように。

「ギャクガミって、逆転の『逆』に神様の神か? それなら、サカガミ神社やな」

 そう言って、お父さんは逆神サカガミ神社のことを話し始めた。



 逆神神社っていうのは、昔この島にあった神社だな。その名の通り、逆神様っていう神様を祀っていたんだ。この逆神様っていうのが面白い神様で、すごくひねくれた神様だったんだ。

どうひねくれてたかって言うと、昔は全国の神様が集まって、神様たちの会議っていうのが開かれていたんだが、ほかの神様が意見を言うたびに、その逆さまのことを言って反論するんだ。


 たとえば、「今年は人間が悪いことをしなかったから、漁に出たら大漁になるようにしよう」って誰かが言うと、「いや、魚たちも悪さをしなかったから、嵐を起こして舟をひっくり返してしまおう」だとか、「日照りが続いたから、雨を降らしてやろう」と言うと、「まだ雨の用心ができていない。傘も作ってないだろ?雨を降らすのは反対だな」だとか言ってな。


 そんな調子でひねくれていて、人間が願いや祈りを捧げても、その反対のことを起こす神様だったんだ。



「それはそうと、なんで急に逆神神社のことなんて聞いてきたんや?」

「えっと、学校の授業でちょっと出てきたんや」

 ぼくはとっさにうそをついた。裏山を上って行ったなんて分かったら……。お父さんはふーんと疑うこともなく、マグカップに新しくインスタントコーヒーを作ると、仕事に戻っていった。



 朝のホームルーム前に、あっちゃんがニコニコしながら話しかけてきた。

「タケ、昨日の晩飯なんやったと思う? なんと、カレーや!」

 ドヤっとした顔で言う。

「そうなんや、よかったの」

 あれ? 逆神様に願ったはずやけど、あれはその日の晩ご飯のことやったからかな。そもそも逆神様の話を信じている自分もちょっと変だけど。


「そういえばあっちゃん、昨日お父さんに逆神神社のこと聞いたんやけどさ」

「サカガミ神社?」

 あっちゃんが眉を上げる。そのとき、

「ねえ、なに話してるんやー?」

 ワカモトさんが話しかけてきた。ワカモトさんはぼくらのクラスメイトで、ほかのクラスメイトからは、カナちゃんと呼ばれている。でも、ぼくは女の子を下の名前で呼ぶことなんてできないし、ましてや「ちゃん」付けで呼ぶなんて論外中の論外なので、ワカモトさんと呼んでいる。ワカモトさんはぼくらが話していると、ときどきちょっかいを出しにくる。

「うっさい、カナ。うせろ」

 呼び捨てにできるあっちゃんはすごいなーといつも思う。

「ばーか、あつしのあほー」

 ワカモトさんが言う。このふたりが罵りあっているのはいつものことだ。

 そこで、先生が教室に入ってきたので話はそこまでだった。少し残念。


 休み時間に、お父さんに聞いた話をあっちゃんにした。

「そうなんや、それは面白いな」

 あっちゃんの口角がにやりと上がる。

「タケ、今日もういっぺん行ってみよっさ。逆神神社」



 放課後にぼくらは、また裏山に入っていった。一度通ったから、バリケードを乗り越えるのも、その先も、そんなに怖くなかった。困ったのは、道がなくなった先のどちらへ行けばいいか、ふたりともさっぱり覚えていないことだった。仕方がないので、まっすぐ進み続けた。たしかこの前もあまり曲がったりはしなかったはずだ。


 歩きながら、逆神様に何をお願いするんや?と聞くが、あっちゃんは秘策があるんやと言ってにやけるだけだった。ぼくは何をお願いしようかなと考える。反対になるといいことやしな。



 あっちゃんは石で木に印をつけながら歩いていた。

「あっちゃん、なにしてるんや?」

「こうしておけば、次くるとき楽やろ?」

 にかっと笑う。

 申し訳ないけど、今通っている道が全然的外れな道だったらどうするんだろうという疑問が湧いてしまう。でも、言わない。


 この前きたときよりかなり時間はかかってしまったけれど、どうにか暗くなるまえには神社へたどり着けた。

「タケ、悪いけど席を外してくれるか?」

 あっちゃんが真面目な顔で言う。


 遠くから見ていると、あっちゃんは何度も手を叩いたり頭を下げたりしながら願いを伝えているようだった。作法があっているのかは疑問が残るところだけど。

 満足いくまで願いを伝えたようで、あっちゃんがぼくのところに戻ってくる。

「待たせたな、タケ。タケもお願いしていくやろ?」

 当たり前である。

「うん、ちょっと待ってての」

 そしてぼくも願いを伝えにいった。ここにくるまでに、良いお願いを思いついていた。



 帰り道、あっちゃんに聞いてみる。

「なにお願いしたの?」

「秘密や。まあ、すぐにわかるやろうけどな。お楽しみに」

 ひひっと笑う。

「タケはなにお願いしたんや?」

「ん、ぼくも秘密……」

 ぼくも笑う。お願い通じたかな。

 逆になったら、いいな。



 次の日の一限目、算数のミニテストがあった。みんなうんうんと唸りながら、答案を埋めていく。そして、提出。

 二限目、早速丸点けをされた答案用紙が返ってくる。先生は仕事が早い。

 出席番号順に受け取りながら、みんな笑ったり落ち込んだりしている。仲良しの子と点数を見せ合ったりもしている。


 あっちゃんが寄ってくる。

「タケ、見てくれや」

 ポーカーフェイスでもったいぶった様子。

「あっちゃん、まさか!?」

 ぼくも芝居がかったリアクションをする。でももしかして、あっちゃんの願いって……。

「どじゃーん!!」

 あっちゃんの答案用紙には、大きく「0」と書かれていた。

「あっちゃん……」

「まあ、おれの実力を持ってすれば、これくらいどうってことないね」

 鼻の下を人差し指でさすり、へへっという仕草をする。古い。

「いやー、参った参った。そんなすぐに結果を出してはくれんのだな、逆神様は!」

「え、もしかして、あっちゃんの願いって、テストで……」

「ふっ、そんなわけないやろ、俺の願いはそんなもんじゃないって。まあ、見てれば分かる」

 またにやりと笑っている。


 その後は、だっさーっとワカモトさんがあっちゃんの横を通りすぎて行き、あっちゃんはうっさいブスとやり返していた。先生は答案用紙を配り終えると、テストの解説を始めた。



 あっちゃんはその日、給食を食べて昼休みが済むと、掃除の時間を前に早退した。帰るまえにワカモトさんがあっちゃんに話しかけているのを見た。

「あつし、気分悪いんか?」

「うっさい、お前の顔見たから気分悪くなったんや」

 なんやしそれ、帰れ帰れと、カナさんが言っている。

「タケ、またの」

 あっちゃんの顔が、ぼくには青白く見えた。

「うん、またの」

 ぼくは、あっちゃんの顔から目をそらす。


 あっちゃんの願いってなんなんだろう。逆神様は願いを叶えてくれているんだろうか。それとも、逆神様の話なんて、ただの迷信なんだろうか。そりゃそうだよな、そんなに簡単に願いが叶うなんて虫のいい話があるわけない。

 でも、本当に逆神様が願いを叶えてくれているのなら。願いの「逆」を叶えているのなら……。



 次の日、あっちゃんは学校にこなかった。

 週をまたいで月曜日も、火曜日も、水曜日も……。


「キムラ、悪いがサカモトにプリント届けてくれんか?お前、サカモトと仲いいだろ?」 先生にそう言われたのは、金曜日の帰りのホームルームが終わった後だった。

「あ、はい……」

 ぼくは、プリントを受け取ってランドセルに入れる。

「キムラくん、わたしアツシと家近いから、一緒に行っていい?」

 ワカモトさんに話しかけられて、ぼくは驚く。女の子に話しかけられるなんて、いつ以来だろう。

「う、う、うん」

 どもりながら、答える。



 あっちゃんの家までの道は、地獄に通じているのかと思った。ぼくはなにを話したらいいか分からなくて、もくもくと歩く。ワカモトさんはワカモトさんで、遠くを見ていて何も話さない。

 沈黙がこわくて、なにか話さなきゃ、なにか話さなきゃ、と軽くパニックに陥る。


「ワ、ワカモトさんさ」

「……なに?」

 返事の前の空白がこわい。ただ、考え事かなにかをしていて、反応が遅れただけかもしれないけど。

「あのさ、逆神様……って、知ってる?」

「え、なにそれ?知らない」

 ワカモトさんがこっちを見てくれている。


ぼくは、あっちゃんと一緒に逆神神社へ行ったことを話す。そんな冒険をするなんて、ワイルドで格好いいと思ってもらえるかもしれないと少し期待しながら。

 そして、逆神様にあっちゃんがなにをお願いしたのかなという話になる。

「あいつ馬鹿だから、『幸せになりたい』とか願ったんじゃない?」

「え?」

「お願いを逆にしないといけないんでしょ?でも、逆にしないで『幸せになりたい』なんて願ったら、不幸になっちゃうじゃん」

「あ、ああ、そうやの」

「いくらあいつでも0点取るとかダサすぎるし、元気だけが取り柄なのに、早退するとか、学校にこれないとか、ね?お願いを逆にするの忘れて、不幸になってるんじゃない?」

 そう言ってワカモトさんは、もう一度、あいつ馬鹿だから、と言った。


 また、沈黙の時間が始まりそうだった。ぼくの話の引き出しは空っぽで、もう絶望するしかないのかと思った。その辺の側溝にはまって、プリントはワカモトさんに渡して、ぼくはレスキュー隊がくるのを待っていたかった。

「キムラくんはさ、なにをお願いしたの?」 ワカモトさんが聞いてくれた。でもこれはぼくに興味があるわけじゃなくて、義理で聞いているんだろうな。

「え、ぼく?ぼくは、大したことじゃないよ」

「ふーん、そっか」

 沈黙。



 あっちゃんの家のチャイムを鳴らすと、あっちゃんのおばあちゃんが出てきた。

「あつしの友だち?あら、わざわざきてくれたの。ありがとうね」

 あっちゃんの部屋に案内される。あっちゃんは横になっていたようだったけど、ぼくらが部屋に入ってプリントを渡すと、いやーご苦労ご苦労、と言っていつものあっちゃんになった。でも、喉がゼーゼー鳴っている。ワカモトさんが、ちょっと風邪ならうつさないでよね、と言う。


 ぼくはあっちゃんとふたりで話したかったのだけど、ワカモトさんが席を立つことはなかった。三人で話す。三人だと、ぼくも少しは楽に話せる。

「そういえば、あつし、逆神様になにお願いしたの?」

 あっちゃんはなんで知ってるんだ?という顔をしたけれど

「あ、ぼくが話した、ダメだった?」

「いや、全然。なにをお願いしたってか?聞いて驚けよ。まじですげーぞ。腰抜かすぞ」

「もったいぶってないで早く言いなよ」



「俺はな、『俺を最弱にしてください』って願ったんだ」

「さい、じゃく……?」

 ぼくとワカモトさんはぽかんとする。

「おう、最弱の逆は『最強』だろ、俺は最強になるんだ」

 ワカモトさんがぷっと吹きだす。

「最強ってなに、あんたどこまでお子さま発想なの。それに、どこが最強なの?今こんなに弱ってるじゃん。あんた、間違って『最強にしてくれ』とかお願いしたんじゃない?」

「そうなんだよなー。ちょっとおかしいんだよ。でも、俺は間違いなく最弱にしてくれって願った。逆神様が間違えたんかなー?それか、これはあれかもしれん。よく漫画とかである、最強になるための試練的な? ここを乗り越えたら、俺は最強になるのかもな。そうなったら、覚悟しとけよ」

 なにを覚悟するのよ、とワカモトさんが笑った。


 あっちゃんのおばあちゃんがお菓子とジュースを出してくれて、しばらく雑談してから、

「そろそろ帰ろっか」

 とワカモトさんが言った。ぼくは帰るタイミングを逃し続けていたので、ありがたい。

「おう、わざわざきてくれてありがとうな、タケ」

「ちょっとあつし、わたしは?」

 なんて軽いやりとりがあった後、あっちゃんの家を出た。


「ねえ、キムラくん、逆神様って本当にいるのかな?」

「うーん、どうやろの。普通に考えたらそんなのいるわけないけど」

 でも、ぼくは逆神様の存在を信じ始めていた。だって、あっちゃんの願いは叶っている。あっちゃんは「最強」になる「はず」だった。


 逆神様は、ひねくれた神様は、ちゃんと願いを叶えている。

 だって、ぼくの願いは、


『あっちゃんの願いが叶いますように』


 だったから。




 あっちゃんの家を出る。これでワカモトさんとも別れて帰れる。ここからぼくの家とワカモトさんの家は反対のはずだから。半分ほっとして、半分残念。

 そう思っていると、ワカモトさんが

「ねえ、キムラくんさ」

 何かを考えこんだような顔。

「逆神様のところに、案内してくれない?」



 学校までの道のりは、あっちゃんの家へ行くときよりは気楽になれた。無言で歩くのがデフォルト設定になっていたからだ。行きはこわいこわい、帰りはよいだった。


「ここから入るんやけど」

 とバリケードのフェンスを示す。

 先生たちがいないことを確認し、ぼくが先に上って裏山側に下りた。

つぎにワカモトさんがフェンスに上る。スカートの位置がぼくの目線まで上がってきて、これは刺激が強すぎだ……。などと言いながら鑑賞している場合ではない。もし見ていたと知られたら、しかるべきところへぶち込まれてしまう。気にはなるけれど、目をそらす。

ワカモトさんは運動神経がいいので、難なくフェンスを乗り越える。


 裏山の一本道を無言で歩く。ワカモトさんはときどき飛ぶ虫を手ではらう。行き止まりへ着く。

「で、ここからは木に印をつけてあるから、それに沿って行けばいいんや」

 まるでぼくが印をつけたかのように言う。

ぼくは、雑草を踏みしめながら前を歩く。こんなとき、あっちゃんやったら「レディファーストや」とか言ってワカモトさんを前に行かそうとするんやろうな。



 次の印、次の印、と探しながら歩く。でもこの前きたときって、こんなに曲がったりしたっけ。

「ねえ、キムラくんさ」

 ずいぶん久しぶりにワカモトさんの声を聞いた気がする。

「ん?」

「逆神様って、なんでひねくれてるんだろうね……」

 そんなこと考えもしなかった。

「もしかしたらさ……」


 ガサガサッと近くの茂みから音がして、ふたりで驚いて肩をすくめる。心臓がどきどきする。

「なんやったんやろうの、今の」

「ウサギ、とか?へびじゃないといいけど。こわかったね」

 周りを見渡す。もう音はしない。なにか分からないけど、逃げて行ったみたいだ。


 ワカモトさんがきょろきょろと周りを見渡して気づく。

「ねえ、キムラくん、次の印って……?」

 言われてぼくも気づく。あれ、どこだ、次の印。


 ふたりで周りの木を調べる。今通ってきた道の木以外、どこにもなさそうに見える。

「ワカモトさん、どうする?」

「どうするって、キムラくん……行こうよ。道を探しながらさ、帰りは踏んだ雑草でわかるんだし」

「そ、そうやの」

「わたし、どうしても神社に行きたいの。お願いしに行きたいの」



 また歩き出す。無言で歩く。ぼくのこと、女々しいと思われてしまったんやろうか。いい感じで話せるかなって思ったのに。ワカモトさんには気づかれないように、はーっと息をはく。

 ふたりできょろきょろと歩く。もしかしたら、印のある木が見つかるかもしれない。

 歩き続けて、だいぶ疲れてしまった。ワカモトさんはぼくよりも体力があるようだけど、それでも足取りは重くなっている。でも、ふたりとも疲れたとは言えない雰囲気だ。特にワカモトさんは、なんだか思い詰めているような顔をしている。

 印は、見つからない。


 そのうちに辺りは暗くなり始めた。ぼくは勇気を出して提案する。

「ワカモトさんさ、今日はもう帰ろう。暗くなってまうし。それでさ、明日またこよっさ」

「そうだね、残念だけど」

 そして、んーっと一つ大きな背伸びをする。

「あーあ、仕方ない。今日はあきらめるかー」

 ワカモトさんも帰ろうと言い出せずにいたみたいだ。



 帰り道、踏みしめた雑草をもう一度踏む。時間はかかるけど、安全に帰れる。安全に帰れる、はずだったけど、

「あれ?」

 ふたりで立ち止まる。踏まれた雑草が、ない。

周りをよく見る。よく見るけれど、やっぱり通ってきた道がわからない。辺りはどんどん暗くなっていく。


「え、なんで? なんで……?」

 ワカモトさんの顔がくもっている。というか、泣きだしてもおかしくないくらいの勢いだ。ワカモトさんがいなかったら、ぼくの顔だって土砂降りになっていたかもしれない。こわいのは、いやだ。

「ねえ、キムラくん。どうしよう……」

 不安そうなワカモトさんを見て、ぼくは必死に考える。考えて考えて、そして、あっちゃんの言葉を思い出す。


「遭難したときは、遭難したら、山を上ったらいいんだって、下るんじゃなくて上ったらいいんだ……って、聞いたことがある」

 ワカモトさんは納得がいったという顔ではなかったけれど、ほかにいい考えもなかったから、ぼくらは山を上ることにした。



 辺りはもう夜と言ってもいいくらいになって、太陽の明かりが終わり、月の明かりに変わるようだった。

「もう、どうしよう、どうしよう、帰りたい、帰りたい……」

 ワカモトさんの不安が、ぼくに伝染して、ぼくの不安もワカモトさんに伝染していく。神様どうか、ぼくらを家に帰してください。


 そんなときだった。目の前にうっすらと明かりが見えた。ぼくらは明かりのほうに向かって小走りになる。明かりの正体がわかった。

神社の灯篭だった。ぼくらは、逆神神社へたどり着いた。




 ふたりで深呼吸して、境内に入る。賽銭箱の前まで歩いていく。

「キムラくん、お賽銭もってる?」

「もってない」

「わたしも」

 ワカモトさんがふふっと笑う。もう泣き顔はすっかり消えている。まだ家に帰れるわけじゃないのに。


「お賽銭はいらないんじゃないかな。この前きたときももってきてなかったし」

「お賽銭がないから、お願いを逆にして叶えるんだったりして」

 ふたりでほがらかに話す。ここにこれたってだけで、なんだか安心する。

「お願い、一緒にしよ」

 ワカモトさんが言う。

「せーの!」



「あっちゃんを」「あつしを」

『元通りにしないでください!』



 ……ふたりで顔を見合わせて吹きだす。

「なにそれ、普通『家に帰してください』じゃないや、『家に帰さないでください』、じゃないの?」

「ワカモトさんこそ、さっきまで泣いて帰りたがってたのに」

「泣いてませんー」

 笑いあう。


 そして、冷静になる。

「でさ、帰りどうしよう……」

「お願い二つ目って、ありかな……?」



 結局ぼくらは、神社にとどまることにした。真っ暗ななかを帰るのは、ふたりともこわかったのだ。眠ってしまうのも危ないと思って、ふたりで夜が明けるのを待つ。

「そういえばさ、なんで灯篭がついてるんだろう」

「ね、誰かいるのかな」

 おそるおそる、すみませーん、すみませーんと大きく声を出すけれど、誰かが出てくる気配はない。これはこれでこわいわ、とワカモトさんがこぼした。



 しばらくしてから、ぼくは意を決して告白することにした。沈黙がこわかったというのもあるけれど、それ以上に、吐き出してしまわないといけないと思ったからだ。

「あのさ、ワカモトさん、聞いてもらいたいことがあるんだけど」

 ワカモトさんが身構える。そして

「なに?愛の告白?」

 わざとちゃかすようにしておどける。

「あのさ、この前、ってぼくとあっちゃんが一緒にここにきたときのことなんだけど」

「うん、あつしのバカが『最弱になりたい』ってお願いしたときね。本当にバカだよねー」

 くすくすとワカモトさんは笑う。でも、ぼくは

「ぼくのほうが、馬鹿なんだ。馬鹿で、最低なんだ。ぼくはそのときさ、『あっちゃんの願いが叶いますように』ってお願いしたんだ」

 沈黙。ワカモトさんの眉が寄る。


 長い沈黙のあと、ワカモトさんがふーっと長い息をはく。

「そうなんだ、それでやっと納得がいった」

「ごめん!本当にごめん!」

「なんでわたしに謝ってんのよ」

 ワカモトさんが苦笑する。

「でもさ、仕方ないんじゃない?キムラくんは、あつしがなにをお願いしたか、知らなかったんでしょ?」

「うん、でも、ぼくはあっちゃんの願いを叶えたくなくて……なんだか分からないけど、叶えたくなくて」

「よかったじゃない」

「え?」

「あつしは馬鹿だからさ。下手したら『俺に世界征服させないでください!』とか願ってたかもしれないでしょ?もしさ、あいつに世界征服されたりしたら、地獄だよー」

「う、うん。たしかに」

「だからさ、あいつの願いなんて叶わないほうがいいのよ、絶対」

 そう言って、ワカモトさんは、にかっと笑った。



 それから、ワカモトさんとぼくは一気に打ち解けたような気がする。「おぬしも悪よのう」とか「ねえ、あつしが100点とれますように、とかお願いしてみる?」なんて軽口を言ってくれるようになった。



 朝になると、ぼくらは逆神様に「このまま帰れませんように」とお願いして、山を上り始めた。ぼくは、本当にこのまま帰れなくてもいいなーなんて思っていた。

 山を上ってしばらくすると舗装された道に出て、そこを下っていくと学校の反対側に出た。ワカモトさんが胸をなでおろす。

「じゃ、キムラくん、またね」

「うん、またね」



 家に帰ったら、お母さんにこっぴどく叱られた。それに反してお父さんは「おう、タケ、朝帰りかー」とのんきなことを言って、同じようにお母さんに叱られていた。



「お父さん、あのさ聞きたいことがあるんだけど」

「おう、なんでも聞いてくれ。どーんと聞いてくれ。お父さんは朝帰りの達人やでな」

 お父さんが自分の胸をどーんと叩く。

「いや、朝帰りはどうでもいいんやけど……あのさ、逆神様って、なんでひねくれてるのかなーと思って」

「ああ、また逆神様のことか。逆神様なんてマイナーな神様やで、お父さんが知っていることが正確かどうか分からんけども……」



 あのな、逆神様はもともと、ほかの神様もびっくりするくらい真面目に熱心に働く神様やったんや。特に、神様どうしのいざこざを治めるのが得意でな、ほかの神様は逆神様のことをずいぶん頼りにしていた。


 でな、逆神様には一人の、ん?神様やで一柱か?まあいいや、親しい神様がいたんや。その神様は常識にとらわれずに好き勝手やる破天荒な神様やった。

破天荒な神様は何かというと、ほかの神様にちょっかいを出して嫌がられていた。逆神様は破天荒な神様を鎮められるのは自分だけだと思って、根気強く付き合っていたんだな。


そんなとき、破天荒な神様は美しい女神様と出会う。破天荒な神様は女神様にもちょっかいを出して、逆神様はそんなふたりがけんかしそうになるたびに止めていたんだ。

 だが、けんかばかりしていた破天荒な神様と美しい女神様は徐々に惹かれ合うようになっていった。けんかするほど仲がいいってやつだな。逆神様はそれを見て、面白くなかった。自分の一番仲がいい破天荒な神様を女神様にとられたと思ったのか、女神様と仲良くなった破天荒な神様を羨んだのか、それともどっちもか、とにかく嫉妬したんだな。


 逆神様がおかしくなったのは、それからだ。人が変わったかのように、自分以外の神様が言うことには、なんでも反対するようなひねくれ者になった。

 そしてほかの神様に嫌われた逆神様は、神社のなかったこの島に閉じ込められた。島に閉じ込められて神社に祀られてからも、ひねくれかたは変わらなかった。島民の願いや祈りに対して、その反対のことを起こし続けた。



「そして、怒った島民たちは神社を取り壊してしまいましたとさ。めでたしめでたし」

「えっ! 神社が取り壊された?」

「そうだ。それで今は島にほかの神社もできて、まっとうな神様が祀られているようになったんだ」

「ふーん……」

 ぼくの胸に、チクリと針が刺さった。




 週が明けた月曜日、あっちゃんは何事もなかったかのように登校してきた。

「よう、タケこの前、きてくれてありがとうなー」

「うん、おはよう……。あのさ、ぼく、あっちゃんに言わなきゃいけないことがあってさ……」

 あっちゃんが「なんや?」と聞いたそのとき、ワカモトさんがあっちゃんの背中をばっしーんと叩いた。

「おっはよー。元気そうじゃない」

「いてーな。ばか。馬鹿力」

 そんなふうにあっちゃんとワカモトさんがやりあっているうちに、先生がきてしまった。



 放課後、ぼくとワカモトさんは、あっちゃんが教室から出てくるのを待っていた。あっちゃんは、0点を取ったミニテストの再試を受けているのだ。


「ねえ、キムラくんさ」

 ワカモトさんが、真剣な顔をしている。

「わたし、キムラくんはあつしに本当のこと言わないでいいと思うよ」

「え?」

「キムラくんは真面目だから、言わなきゃいけないって思うかもしれないけど、それくらい黙ってても罰は当たらないよ。っていうか、逆神様なら罰を当てるね。なに真面目ぶってんだーって」

「ぼく、真面目ぶってるかな」

「ああ、そういう意味じゃなくて。なんていうかなー、キムラくんが真面目くんじゃなかったの、わたし嬉しいの。真面目すぎたらつまらないもん。ちょっとくらい意地悪なところがあったって、いいと思うよ?」


 そこで、あっちゃんが教室から出てきた。



「ふっふっふ……」

 あっちゃんが不敵な笑みを浮かべている。

「お前ら、見て驚くなよ」

 もったいぶってから、答案用紙をバッと見せてくる。


 真っ赤な字で、『0点』



 ぼくとワカモトさんは顔を見合わせて、それからぷっと吹きだす。




『あつしが100点取れますように、とかお願いしてみる?』

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― 新着の感想 ―
[一言] あっちゃんを思う 二人の友情が素敵だなぁーと思いました。 子供というのが上手く書けてるなぁーと思いました。 願いが叶わない中で、生れるストーリーを楽しかったです! ありがとうございました…
[一言] 個性あるキャラクターがイキイキと描かれていて躍動感あふれる作品ですね。 逆神様、その発想がユーモラスで、いかにも願いを叶えてもらおうかと試行錯誤する子供達の様子が、自分の若い頃を思い起こさ…
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