相続
祖父が死んだ。
教師からそれを聞いた少なからずカイはショックを受けた。
警察によると大型の肉食獣、おそらく熊に襲われたらしい。
埼玉県の南部、川を渡れば東京二十三区だというのに。そんなことがあるなんて思いもしなかった。
たぬきが出ただけで地元紙に出るような地域なのだ。
それなのに祖父は動物に襲われて死んだ。
人が死ぬのは大変なことだとカイは思い知った。
まず遺体は検視に回された。
人間による他殺の可能性がないことがわかると、遺体は帰ってくることになった。
遺体が戻ってくるころには葬儀の手配は済んでいた。
これだけで親戚一同ヘトヘトになった。
だがまだこれは始まりだった。
葬儀の最中は悲しむ暇もなかった。
疎遠だった寺、酒や料理に、親戚や友人知人、仕事の関係先への連絡。
雪菜や真琴、それにその両親も来た。
彼らの両親は祖父の会社で働いているのだ。
カイの祖父は小さな会社を経営していた。
東南アジアのお菓子や雑貨を地元のスーパーマーケットや専門店に卸している会社だ。
会社の名前は鈴木商事。
名字そのままだ。同じ名前の会社は全国に大量にあるだろう。
雪菜と真琴、それにカイは鈴木商事でアルバイトをしている。
主な業務は倉庫内の整理と荷物の運搬だ。
純粋な肉体労働である。
祖父の会社と言えどもアルバイトが社長になるのだから、運命とはわからないものだ。
そのおかげで二人と出会って、友達をやっていられるのも事実だ。
だけど、もし社長の孫でなければとっくに見捨てられていたかもしれない。
そう考えるだけでカイは恐ろしくなる。そんなことはないのはわかっているのに。
あまりにもやることが多すぎて、雪菜や真琴と話すこともできずに葬儀は終わった。
ただ不思議だったのは葬儀に来た人々がやたら多かったことだろう。
三百人はいたらしい。
いくら小さな会社を経営していたと言っても、この数は尋常ではない。
どう考えてもおかしいのだ。なにせ葬儀会社も想定してなかった人数だったのだ。
だがその疑問はその後の問題ですぐに忘れてしまった。
そう、葬儀が終わったからと言って人の死の始末は終わりではない。
葬儀の次には相続が待ち構えているのだ。
とは言っても相続がもめることはなかった。
カイの祖父は遺言を残していた。
それは誰もが納得する内容だった。
ただ一つ、祖父の会社をカイが相続するという項目以外は。
誰もが異論を挟みたかっただろう。
一族でも一番使えないとうわさのカイが会社を継ぐなんて無理に決まっている。
だが誰も声には出さなかった。
カイの知らない事情があったに違いない。
なにせカイの両親すら会社を継ぐことは拒否できないと言ったのだ。
だが親戚や両親の心配をよそにカイは思った。
これは自分が、負け犬の自分が生まれ変わるチャンスなのではないかと。
自分の人生を自分の意志で切り開くことができるのではないかと、そう考えたのだ。
だからカイは会社を相続することを決めた。
そして数日がたった。
カイは弁護士に呼び出された。
「これが遺言にあった品です」
祖父の雇った弁護士。高見沢と名乗る男が言った。
眼鏡をかけた五十代くらい。頭髪が少し寂しいが、外国ブランドの背広をパリッと着ていて威厳がある。
これができる男というやつだろう。
相続の手続きは高見沢がほとんどやってくれる。
その日は手続きの流れの説明と、別の相続品の説明らしい。
高見沢はカイの前に桐の箱に入ったなにかを差し出す。
「開けてもかまいませんか?」
カイは一応確認した。
もし恥ずかしい品だったら困る。
祖父の黒歴史など知りたくはない。祖父の思い出は美しいままにしたい。
高見沢は中身を知っているだろうから、そういった地雷を踏まないように確認したのだ。
高見沢は笑顔で言った。
「ええ、もちろん。おかしなものではございません。中身をご確認ください」
ふたを開けると、中には懐中時計が入っていた。
と言っても、懐中時計を知識として知っていたが、カイは本物を見るのは初めてだ。
黄金色の金属でできていて、大きさのわりにとても重い。鉄ではなさそうだ。
ふたには花と小鳥が彫刻されている。
高見沢はカイの様子を見て、説明をはじめる。
「十九世紀に作られた懐中時計です。鎖も本体も金で作られています。乱暴に扱うと鎖が切れますのでご注意ください」
カイはビクッとした。
この時計の価値はわからない。
だが懐中時計が高級品なのはよくわかる。
なにせ金なのだ。
壊したら取り返しがつかない。
「……高級品、ですよね?」
「象牙の文字盤に、ダイヤの装飾、それにフレームは金、作られた当時でも高級品だったのでしょう。現在の市場価値は五百万円ほどかと。もうあなたの物です。おじいさまの形見ですので大事になさってください」
カイはキツネにつままれた気分だった。
祖父は会社を細々と経営していた。
ある程度の蓄えはあるだろうが、こんな時計を手に入れるほど大きな商いをしているとは聞いていない。
カイが小さいときにバイクを迷ったあげくに買わなかったほどだ。
「会社の方ですが取締役の変更届はこちらでやっておきます。学生のうちに少しずつ仕事を学んだ方がいいでしょう」
「よろしくお願いします」
カイは弁護士事務所から出ると、会社が用意してくれた車が迎えに来た。
黒のワンボックスタイプの車で、社名もロゴもないが会社で所有している一台だ。
運転をするのは雪菜の父である浩だった。
会社では部長をしているはずだ。
よく考えると雪菜のお父さんはオシャレな雰囲気の男性だ。
今日も高そうな背広とワイシャツを着ている。
外国のブランドだろう。
(あんな小さな会社の稼ぎで大丈夫なのだろうか……)
と、カイが余計な事を考えていると助手席から雪菜が顔を出した。
カイは少しドキドキする。
「やっほー、カイ!」
「どうしたの雪菜!?」
「お父さんに無理言ってついて来ちゃった! あははははは」
カラカラと雪菜は笑った。
名前に『雪』なんてついているのに実に明るい性格なのだ。
「あ、ありがとう……あの真琴は?」
「いないよー。ってホントあんた真琴好きだよね」
なぜか雪菜はむくれる。
「いやそっちの気はねえから。つうか、そもそもお前の彼氏だろ」
カイのツッコミを聞くと雪菜はさらに機嫌を悪くする。
「とにかく真琴はいないの! 早く乗って!」
カイはなぜ雪菜が怒ったのかわからなかったが、取りあえず素直にバンに乗り込んだ。
「じゃあ行こうか。お父さん、車出して」
「はいはい」
雪菜の父親が車を出す。
カイの祖父の会社は埼玉県の倉庫街にある。
東京のすぐ近くという立地だが、東京の駅からも埼玉の駅からもかなり離れているため、家賃は安い。……らしい。
そのせいか二千十年代後半になっても、発展から取り残された昭和の雰囲気を残している。
いまだに夜な夜な暴走族がパトカーと追いかけっこをするという北関東風の地域だ。
「カイ……本当に大変だったね」
「うん……迷惑かけてごめん」
すると雪菜はカイの肩をぽんぽんっと優しくたたいた。
「そんなこと言わないで、親友でしょ」
カイの胸がずきりと痛んだ。
どこまで行ってもカイと雪菜は親友なのだ。
そう思うと死にたくなる。
「私たちにはなんでも相談してね」
「……うん、ありがとう」
カイはまたもや泥の中を泳いでいる気分になった。
だが、雪菜が自分を心配していることには感謝しなければならない。
自分の気持ち悪い心を知られてはならない、そんなことをしたら本当に見捨てられてしまう。
そうカイは思いもう一回、「ありがとう」と言った。
雪菜は驚いた表情をすると言った。
「あのね……カイ……本当はね……」
雪菜はなぜか話の途中で黙った。
カイも追求はしなかった。
それが二人の間に存在する壁だった。
二人が無言のまま、自動車は走る。
しばらく走ると運転をする浩が舌打ちをした。
しっかりした社会人というイメージがあった浩の行動にカイは正直びっくりした。
次の瞬間、車が揺れた。