なろうで超大長編の小説を意味不明に書いている作者の心理
ハッキリ言うが、俺は俺で実践して、初めて確信的に悟る事できて知れたわけだが、
コイツらは、俺も含めて、
一つの壮大無辺な超世界観を持つ、自分にとって絶対の強度と断言できる世界観で繰り広げられる物語を、
人生の一部として確固として確立し、幸福や欲望の最高・最頂点として、依存させてるんだわ。
つまりは、小説物語ってのを、ある一定でライフスタイルに組み込んでるんだ。
それは日記を毎日書いて、何十年分もため込むようなスキルに似ている。
書く意義を、一生の呪縛のように、一定の利益を生み出すスキルとして、極めてるんだわ。
そして此処で俺は宣言するが、
てめえらの書く物語と、俺の物語は確実に直結、繋がっていると断言してやる。
それはなぜか? おいコラ、一生その物語に依存して書いていくんだろ?
だったらだ、その物語と、俺の物語は、絶対にどこかで絶対的に繋がるって訳だからだ。
将来的に一つになる、統合されるのなら、それはもう一つの世界観として地続きって訳だからなぁあ?
もちろん著作権の関係で、お前の物語を俺の物語だとは言わない、それはまだ人類の踏みこめない禁忌の領域だからだ。
だが究極的で偏ってるのかは知らんが、真理としては、そういう事だからな、覚えておけよな?
俺は俺の物語を書くときに、てめえの物語を幾らかでも、最小単位でも想起しながら、書いているのだ。
著作権を侵害しない形で、という注釈がつくがな。
そして、こういう動きは社会全体で加速し、これから先はその言葉通りに加速度的に進んでいくだろう。
最終的には、誰もが一つの究極的な世界観を持って、物語を書いていく事になるだろうがよ。
誰もが誰もにとって、酷く共感的で、親密的な、親近感の抱ける物語を書けるようになるわけだ。
そして人類は平和を手にして、地球はまあるく調和のとれた台地になる。
物語という現代の奇跡が、これから先の全ての道しるべになるのは明瞭。
俺は先行投資をして、この超世界観を確立しているのだ。
お前らも、さっさと、そういう有様になっておけ。
乗り遅れる前に、なぜなら、新たな台地で重要になるのは、古参であるかどうかだ。
この超世界観において、全ての意味と価値観は崩壊すると俺は視ている。
だったらば、所有権、著作権的な、先行争い的な問題で、全てが決すると見ている。
つまり、初めて、特定の超情報領域、この場所を視て、創造したのは自分である確信、
その初めて処女雪のような場所に、土足で荒らした確信の強度で、全ては決まるのだ。
自我とも呼べる、己の確信、それだけは絶対に汚されないモノとして在るべきだから、
互いに尊重し合う前提ならばだが、この超世界観では、そのようなモノが主眼で重要になってくると俺は視ているのだ。




