僕の願う終焉
世界が終わるかもって、誰かが言った。
いやいや、冗談でしょって笑った。
今時それは痛いよって引いた。
そんなことより勉強しなさいって。
明日の営業会議のプレゼンテーションの資料がって。
週末にショッピングモールでデートの待ち合わせだって。
今日の晩御飯何かなって。
まるで当たり前の生活が続いて。
そうして、誰も彼もが居なくなった。
どうして?
なんで?
そんな疑問に答える声も無く、着々と居なくなった。
電車が止まって、電話が止まって、電気が止まって。
世界は終焉に向かって行った。
そして、僕は思う。
うん、思い通りだねって。
僕は君にずっと恋い焦がれていた。
それこそ僕にとって、途方もないくらい昔、僕が生まれて、君がその後で生まれた頃からかも知れない。
でも、僕達は生まれたときから毎日会うのを禁止されていた。
たまに、本当にたまに顔を合わせることはある。
同じ時間と世界で生きているのだと僕らはその度に実感させられて、その短い逢瀬を焦れるような思いで、楽しんだ。
彼女と顔を会わせる度に人々は騒いだけれど、僕は気にならなかった。
きっと他の恋人たちが皆そうであるように、僕らもきっとお互いを想い、出会える時を無上の喜びにして、生きてきたのだと、そう思う。
年下の彼女は恥ずかしがり屋だったから、その逢瀬でいつも小動物のような綺麗な笑顔を見せてくれた。
角度によって変わるその表情や、白い肌がとても綺麗で、美しかった。
会う度に僕は彼女に益々惹かれていった。
嬉しいことに、彼女もそれは同じだったようで、僕の見せる表情や、生まれ持った明るさを気に入ってくれていた。
彼女はいつでも僕を立ててくれて、僕の魅力を肯定し、他の皆に伝えようと主張してくれていた。
それは、とても甘く、穏やかな日々の積み重ねだった。
ずっと続くと、僕らは何の疑いもなく信じていて、それは確かに実感を持って僕らに降り注いでいた。
その日、この世界の最後の日、僕は途方もなく長い間待ち続けていた彼女とようやく一緒にいられることとなった。
ねえ、いつだって君は僕の後を追いかけてきてくれていたね。
そして、僕が追いかけようとすると君はいつも恥ずかしそうにして後ろを向いて、去って行ってしまうんだ。
僕はどれほど君を待ったか分かるかい。
勿論君も僕がちっとも君を捕まえないことをじりじりした気持ちで待っていたんだろうけれど。
この燃えるような思いをようやく君に伝えることが出来ると思うと、それだけで僕は天にも昇る気持ちになるんだ。
世界の人々はもうおそらくほとんど生き残ってやしないだろう。
人類が作り上げた素晴らしくも醜い文明は、今ここに滅びを迎えている。
ビルも、信号機も、車も、今はもう何の命の気配もなく息絶えている。
そんな風景を高い所から見下ろしながら、僕は彼女の後姿を見つける。
どう声をかけようか僕は今更ながらに迷う。
君は、僕がこの世界を滅ぼした元凶だと知ったらどう思うだろう?
泣くのかな、怒るのかな?
それとも狂って笑うのかな?
どんな表情を君が見せたとしても僕は全て受け入れるつもりだよ。
君を愛しているから。
彼女の後ろ姿がもう僕の目前にまで迫っていた。
もうすぐだね、もうすぐ君に手が届くよ。
一体どのくらいこの時を待ったのだろう。
どれくらい多くのものを僕は犠牲にして、ここに来たのだろう。
世界を滅ぼすことで彼女と会えると分かったのは僕が絶えず、色々な人々の声を聞き続けたからだった。
その結果、その方法を取れば、僕はこの束縛された絶望的な世界から解き放たれ、彼女に会えることが分かったのだ。
代わりに人類は滅亡するけれど、僕にとってはとてもとても安い代償だった。
迷うことも無く、僕は終わりの日を迎えるために、じりじりと僕にとって途方もない時間をかけて、世界を焼き尽くすための計画を進めていった。
誰にも相談なんてできなかった。
いつだってそうだったけれど、誰も僕の声になんか興味を示さなかったし、幾度語り掛けても言葉が通じてないみたいに無視され続けていた。
僕は毎日毎日叫び続けているのに。
だからもう僕は誰かに同意を得ることを諦めて、自分の考えだけで、自分が正しいと思うことを行うことにした。
そして、僕は彼女のいる場所へと本当にゆっくりと進み始めた。
僕が計画を実行して、いくらかして、世界は少しだけ、騒ぎ始めた。
でも、世界の人々は自分のことに精一杯みたいで、僕の起こした計画に真剣に向き合っている人なんて本当に一握りだった。
その一握りの人達だって、まさかこんなにすぐ世界の全てに僕の行動が影響するなんて思っていなかったみたいで、現実逃避にも等しい各々の思いを発表したり、せいぜい注意レベルにしか思えないような問題提示をするばかりだった。
誰も彼も、自分の世界が終わるなんてこと夢にも思っていなかったみたいだった。
全くどうかしている。
僕が本気を出せば、こんな世界本当にあっという間に終わるってことを誰も信じなかったのだから。
時間は流れ、世界のそこかしこで、僕の影響で居なくなる人達が出始めて、世界の人達は問題に立ち向かおうと考え始めた。
もうその頃にはとっくに遅かったんだけど、それでも人は自分達の終焉を認められずにただ無様に無意味に美しく足掻き続けた。
僕はその様子をずっと他人事のように眺めていた。
その光景はとても寂しくもあったし、悲しくもあった。
でも、その先に僕の望む二人だけの世界がある。
彼女と触れ合える世界が僕にとって望む世界の形である以上、その犠牲は必然で、払うべき対価だと思って僕はあっさり受け入れた。
だから、せめて、世界中の人々がどんな風に滅びを迎えたのかをただ覚えていようと思った。
幾千万もの星のような数の人生や、耳を覆いたくなるような慟哭や、夢に見そうな悲惨な死に顔や、希望がまだあると錯覚させてくれるような無償の愛を。
勿論、そのどれもが、僕の彼女への思いには届かなかったけれど。
世界の人々の総人口が近い将来的に絶滅を危惧しなければならない程度に減った頃、僕は世界に攻撃を受けた。
僕が居なければ、世界は維持できないのに、最早世界に生き残った人々には冷静な判断が下せなかったみたいだった。
でも、僕には何の効果も無く、世界はそれ以後ただ滅びを待つばかりの種となった。
どこかに逃げる度胸も技術も無く、かと言って元凶をどうすることもできず、和解する術も持たず、それは人がはるか昔から想像だけはしてきた滅びと呼ぶに相応しい姿だった。
その姿を見て、憐れむことも、楽しむこともどちらも僕にはできなかった。
だって、この世界をこんなにしているのは間違いなく僕の仕業だったからだ。
加えて、僕はそのことを分かっているうえで、それでも叶えたい未来があるからずっとここまで続けてきたのだ。
そのことに一切の躊躇も後悔も僕はしたくなかったし、それは世界に失礼だと思う。
でも、生まれたばかりの赤ん坊を母親と一緒に焼き尽くしたとき、手を繋いで滅びを受け入れて崖の向こうに消えた恋人を見たとき、向かってきた兵士が最後に親の名前を呼んだとき、その一つ一つに僕はどうしてか心が締め付けられた。
そして、その度に彼女のことを想った。
ああ、早く君に触れたい。
その時は君の胸の中でゆっくり泣かせておくれ。
僕はずっと長い間君に会うために戦い続けてきた。
それくらいはどうか許してくれるよね?
この世界で最後に残る恋人はきっと僕達だなと僕は思う。
終わりの世界で僕達はきっとお互いを認め合って、踊り歌う。
僕達が愛し続けて、僕が滅ぼした世界の果てで僕らは誰よりも光り輝いて、その光が消えるその時までただそこに在ろうと思う。
それが僕の贖罪であり、祝福であり、義務だと思うから。
きっと世界はそれまでのことなんか全部忘れて、僕を恨むだろう、恐怖するだろう、羨むだろう。
でも、それも仕方ないかなとは思う。
だってそれだけのことを僕はしてきた。
彼らからすれば、僕はそれまで普通に居たくせに、突然襲ってきた狂った侵略者みたいなものだと思うからだ。
でもね、僕や彼女が君達のことをどう思っているか考えたことはある?
僕達の身が凍るくらいに深い孤独を想像したことはある?
話をしてみようと思ったことはある?
勿論、それを世界で行っていたら、完全に異常で外れた行動なんだとは思うよ。
でも、僕には僕の、彼女には彼女の、君達には君達の、存在の意味や価値があって、それは倫理観で測れるものではないんだよ。
だから、僕の行動もきっと理解してくれる人なんていないんだろうって思う。
そして、世界は滅びた。
まるで当たり前のように、そうなることが必然であったかのように。
そうして静かになった暗い世界で、僕達は出会った。
滅びの日、僕達の始まりの日。
いつも皆の中心にいた僕は、彼女と会うために、近くにいた水銀と黄金を殺し、そして今、地平と死の接吻をして殺した。
やっと、会えたね、触れ合えたね。待たせたね。
僕に比べれば本当に小さく華奢な彼女の表面にようやく僕は触れる。
白く冷たく、そして繊細なその肌に、闇に光る女神だった彼女に。
抵抗はなかった。彼女は僕の燃える想いをただ静かに受け入れていた。
ああ、消えてしまう。
熱く激しく絡み合って、僕は彼女に身体を重ねていく。
少しずつ、彼女が僕の全てに焼き尽くされていく。
触れればそうなることは分かっていた。
でも、分かっていても僕は止めることが出来なかった。
彼女は僕の全てを分かって、その炎にゆっくりと溶かされていく。
手に入れた瞬間に終わる恋だった。
何もかもを焼き尽くす僕の愛が彼女を消し去っていく。
痛みは多分無い。
それほど僕は圧倒的だった。
かつて人々に神と崇められたこともあるのだ。
それは絶対で、必然で、摂理だった。
細胞の一片までも彼女を飲み込み、僕は考えるのを止めた。
いなくなってしまった、僕の最愛の彼女。
このまま僕は孤独にどこまでも生き、やがて果てるのだろう。
そうなることを僕は知っていたし、その先を考えるのは野暮だった。
さよなら、世界。さよなら、人類。そして、さよなら、僕。
大好きだった、君との恋の終わり。
これから始まる想像を絶する孤独が、蹂躙が、虚無が僕を飲み込んでいく。
それは、人の言葉で幸福と呼ばれた感情で、純然たる事象だった。
僕の願う終焉の全てがそこに在った。