0007 童貞はおっぱいに勝てない
わーきゃーと蜘蛛の子を散らすように人が逃げていく。その光景を眺めながら、だだっ広い庭へと降り立った。
「……案外、楽なんだな」
ここまで背に俺を乗せてくれた赤竜の鱗を撫でる。キュゥと可愛らしい鳴き声をあげて目を細める赤竜になんだか毒気が抜かれてしまいそうだ。
「弱肉強食の世界だもの。強い者に従うのは当然よ。……まあ、ここまで従順になるのはエマ様の力があるからなのだけれど」
もう一頭の赤竜から降りた楓が俺の疑問に答えた。
自分の力だと言わないあたり、こいつはこの力をエマから借りていると認識しているのだろう。その考え方は理解出来る。俺もでかい声で俺の力だなんて言うのは恥ずかしい。
「話せるんだろ? すげぇな、あいつ。本当になんでも出来るじゃねぇか」
「そうね……本当にすごいと思う。あたしとは大違いで、妬むを通り越してただただ尊敬するわ」
空を見上げると、十頭を超える赤竜の群れが飛び回っていた。いつの間にか駆け寄ってきていた兵は、その光景にがくがくと足を震わせている。
いくら世界的に見て弱いと言っても、人間にとっては強敵。赤竜一匹でも大騒ぎになるくらいなのに、こんな群れを目の当たりにしたらびびっても仕方ないだろう。こいつらに直接的な恨みがあるわけではないので、申し訳ない気持ちになる。
見た目はただの人間にしか見えない俺たちの存在も、彼らの恐怖心に拍車をかけている。やはり仮面をつけてきたのは正解だった。この状況、下手したら指名手配されかねないし。
「なあ、皇帝を呼んでくれるか」
じりじりと距離を詰めてくる兵たちに感心しながら声を掛ける。が、誰も答えてくれない。ガン無視かよ、泣きそう。
奥にいた偉そうな人物が兵を走らせたのが見えたので、ある程度地位のある人物が出てくるだろうとは思うのだが。
「まだ……使えないの?」
「ああ………視えるには視えるんだが、ジャミングされてるようにノイズが走る。全体なら問題ないから、このままいけばあいつを取り戻せるのは確実なんだが……」
まあ、十中八九エマがこの世界に転生させた人間だろう。楓の未来が見えないのも確認済みだし、俺以外の九人には能力が効かないってとこか。
時間潰しがてら楓と会話をしながら、城を眺める。立派な城だ。地球なら間違いなく世界遺産になっているだろう。
……これもエマが建てたのだろうか。というか、どうしてエマが造った都市が帝国の帝都になっているのか分からない。実は皇帝とはそれなりに付き合いがあったりするのか?
「来たみたいね」
周囲が騒めきに包まれ、兵の波が割れる。拓かれた道を悠然と歩いてくる男はなにやら軽薄そうな顔をしていた。
「あれか、アンドラス……だっけ?」
「それはソロモン。アドリアーノよ」
「……ア、ドリアーノね。つか、よくソロモンなんて知ってんな」
言われて気付いたわ。ソロモン七十二柱が一柱、皆殺しのアンドラス。日本で一躍ブームだったカードゲームに出て来なかったら俺でも知らなかったぞ、こんなの。
「日本の図書館はお金がなくても入れるの」
ふんっと真っ平らな胸を強調する。安心してくれ、わざわざそんなことしなくても常時強調出来てるぞ。とか、考えてたらぎろりと睨まれた。
「……今、どこを見て、なにを思ったのか正直に言いなさい。今なら怒らないわよ」
「いや……風通りがいいなぁ、と」
「ぐぅっ!」
相当ショックだったのか、楓はわざとらしく蹌踉めく。自分で訊いといて傷ついてれば世話ねぇな。……本当にバカだろ、こいつ。
暴力が飛んで来ないだけ、安全にいじれるのが俺的に超嬉しい。エマだとぶん殴られるからなぁ、痛くないけど。
「なんで正直に言うのよぉ……」
「はぁ? おまえが言えって言ったんだろうが……」
「本当に言うとは思わないじゃない! もっと気遣いなさいよ! 怒らないと言った手前怒れないし!」
どうすればいいのこの気持ち、と地団駄を踏む。エマの攫われた怒りで大人しくなっていたのが元に戻ってしまった。
「お前のその馬鹿正直なとこ、好きだよ俺……」
「そ、そんな調子のいいこと言ってもダメなんだからっ! 人の胸を見ては残念そうな顔するのやめなさいよ! やめてっ……やめ、やめてよぉ……ぐすっ」
今度は自分で自分の地雷を掘っていた。まったく、怒ったり泣いたり忙しいやつである。しかし、あまり泣かれて俺の風評が悪くなっても困る。
「こう……脇を締めておけばいいんじゃないか? 多少あるように見えるだろ」
寝ていたときは確かに少し大きく見えたし。
「ほんとっ? ……こ、こう?」
思わず目を逸らしてしまった。冗談だろおい、床タイルじゃねぇんだから……悲惨過ぎる。けど、面白過ぎるよぉ……勘弁して、お腹痛い。服着てるせいか全く違いが分からねぇ、ごめんね楓ちゃん。
「……本当にごめん」
「どういうことよっ!」
あたしだってとかなんとかぶつくさつぶやく彼女に再び笑いそうになる。が、そこで困ったような声が耳に届いた。
「……い、いいかな?」
顔を向けると、苦笑いをしているチャラ男がいた。チャラ男と呼べるほど若くはないな……なんだろう。
常に甘い声で愛を囁いてそうなお兄さんだ。愛囁のお兄さんとでも呼ぼうか。適当に造語したら意図せず体操のお兄さんみたいな語感になってしまった。アドリアーノよりひろみちのが似合いそうだな。
「あ……ああ、悪い。完全に忘れてたわ。アドリアーノだよな?」
「アドルナートだ」
「ぐふっ!」
「おい違ぇじゃねぇか!」
自信満々で確認しちゃったよ! 恥ずかしっ! 原因となった楓は爆笑している。こいつ……もう容赦しねぇ。
「ご、ごめんなさい……だって……くくっ……し、仕方ないじゃない! 何ヶ月も前に一回会っただけなのよっ? はぁ……はぁ……ぶふっ」
「この鉄板……」
ぶん殴りてぇ……。しかし、まあ、これまでからかった分のお返しをされていると思うと、なんだか怒れない。向こうにいた頃には出来なかった経験だ。お互いにバカにしあう関係も中々悪くないとか思っちゃう。
「誰が鉄板よ! あたしだってちょっとくらいの柔らかさはあるわよ! ちょっ、ほらっ!」
「おい待っ——」
ふに、と柔らかい感触が手のひらに伝わってくる。思わずそのまま一揉み二揉み。
「はぅっ……」
ようやくにして自分がなにをしたのか理解したらしい。楓は顔を真っ赤に染めて目尻に涙を浮かべる。よくない……よくないよ、その表情は逆効果だよ!
寸胴に! こんな寸胴に! ああ、でも手がおっぱいから離れない! ああ、おっぱい! 鎮まれ俺のおっぱい! 違うそうじゃない!
多分これに一生勝てないんだろうなぁ……などと現実逃避をするも、手は気色悪い動きを止める気配がなかった。
「はぁっ……あっ、ん……」
「やめろその声! 腕離せ!」
「あっ、あなたが払えばいいのよっ! ま、負けないわっ!」
やだよもうこの子! これを払えって、童貞には荷が重いよ! 二十歳過ぎて童貞だよ悪かったな! 心が痛いっ!
「もう分かったから! 柔らかいから! 俺の負けだからっ!」
「そ、そう……? んっ……本当にっ、そう、思う?」
「思います! 楓ちゃんのおっぱい柔らかくて気持ちいいです! すみませんでした!」
ぶんっと腕を放り投げられた。力関係が同等なため普通に痛い。
それはともかく助かったと思い楓を見ると、唇をわなわなと震わせている。首を傾げると怒号が耳を貫いた。
「——誰もそこまで言えなんて言ってないじゃないっ!」
みんなに聞かれた……もうお嫁にいけないよぅ、と蹲っていじける。ツインテールが地面すれすれでぶらぶらしてるのがなんか妙に面白いけれど、今はそこじゃない。
「わ、悪い……いやでも俺は事実を述べたままであって……」
「お、おっぱいとかっ! き、気持ちいいとかっ! そういうのはもっと、その、二人きりのときとかにしてよっ!」
「二人きりならいいのかよ……」
びっくりだよ。つい、手をぐーぱーしてついさっきまで触れていた感触を思い出してしまう。……いやいや、俺にはエマがいるから、五十年後に幸せ待ってるから。
「ま、まだ揉み足りないというの……?」
化物でも見るような瞳で見てくる。
「いや、次はもっとプライベートな時間にじっくりとだな……」
「じ、じっくり……」
「ねっとり」
「ねっとり……」
「直接」
「ちょ、直接……直接っ!? ダメよそんなの! エ——あの子に怒られちゃうじゃない!」
直接じゃなきゃいいのかよ……大丈夫かこいつ。悪ノリしてしまったが、もちろんそんなつもりはない。……ほんとにないよ?
「はぁ……ああ、でも揉むと大きくなるとか言うよな。俺のいた場所だと、だが……アドルナートはどうだ?」
急に話を振られて驚いたのか、アドルナートは間の抜けた顔を晒す。イケメンの顔が崩れるのはとても心がすっとするな、とかくそどうでもいい情報が手に入った。なんだこれ、劣等感か?
「……異性に揉まれると性ホルモンの分泌で大きくなる、みたいな話は聞いたことがあるよ」
「ほんとっ!?」
楓の瞳がキラキラと輝く。……あっれ、これあれじゃねー? 墓穴掘ったんじゃねー?
ぎゅっと両手を女の子らしい小さな手に包まれた。
「揉んで!」
「任せ……嫌だよ。お前よく考えろよ……俺男、お前女。オーケー?」
「だからこそじゃないっ! かなたにしか頼めないの! 一回も十回も同じことじゃない!」
とても女の子の考え方ではない気がする。散々味わったあとで言うのもなんだが、もうちょっと自分の身体を大切にして欲しいなぁ……ただでさえアホの子なんだから。
「……揉んでよぉ。揉んでください……お願いします……」
「なにこの状況……」
意味が分からない。どうしてこうなった。なんで俺はツインテール美少女に自分の胸を揉んでくれと懇願されてるんだろう。とても揉みたい。
「揉みたい気持ちでいっぱいなんだが……どうすればいい」
「僕に聞くのか、それを。……揉んでやればいいんじゃないか? 手が汚れるのが気にならないなら」
手が汚れる……? 俺がエマに罪悪感を感じることにかけての比喩か?
いや、まあ、どうでもいい。普通に考えて断る選択肢しかないでしょう、これ。
「一日十分でいいからぁっ! かなたが望むときに、好きなだけ全身好きにしていいから……っ! お願いします……っ」
悲痛な願いだった。なんだかもう見てられない……惨め過ぎる。なにもそこまで気にしなくても……と言えるレベルの貧乳だったら、こんなことにはなってないよなぁ。
「あの子には……あたしからお願いするから……どうか、ご慈悲を……」
「やめろよ……必死過ぎてどん引きするレベルだよ、もう。分かったから、とりあえず、考えとくから。な? 落ち着こう?」
よしよしと宥めるとやっとのことで落ち着いてくる。なんだこの一連の無駄なやり取り。必要……はあったけど! 否定出来ない! 悔しい!
「それで……だ」
とても疲れた。一応、シリアスな流れだったはずなのだが、一気に力が抜けてしまった。エマを探すのを放置するわけにはいかず、改めて自己紹介をする。
「俺の名前は奏多、もう分かってると思うが、この残念女と同じだ」
「僕はアルミロ、アルミロ・アドルナートだ。一応、ここでは騎士団長を務めている。よろしくな」
すっとフレンドリーに差し出された手を掴む。と、アルミロの口がにやりと歪んだ。
「突然だが——君に惚れてしまった。僕と付き合ってくれないか?」
どうやら、三人目の使徒はホモだったらしい。




