0000 魔法使いは友達がいない
「つまり、『理由は分からないが死んだ俺を他の世界で生き返らせてやるから、その代わりに手伝って欲しい』ってことか?」
ひたすらに黒い空間。自分の身体と目の前に座る女の身体だけが認識することを許されているような、妙な感覚に違和感を覚えながら確認する。
「そう、そういうことだ。理解が早くて助かるよ。きみ以外にも数人、似たようなことを頼んだけれど、みんな理解するどころか、自分が死んだということを受け入れるまでに相当時間が掛かったからね」
やれやれとばかりに長い白髪を揺らして首を振る。
そんなことよりその髪のほうが俺には気になるんだけど……ファンタジーの住人なのか、脱色し過ぎちゃったただの痛い子なのか。
「痛い子じゃないよ、失礼だなきみ。これもこの瞳も生まれつきだ」
指で髪を摘みながら、ルビーのような赤い瞳で睨め付けてくる。なんというか、無駄に顔が整っているせいか目力が凄い。ぞくぞくする。
そんなことを考えた瞬間に、女がさっと身を守るように肩を抱いたのはひとまず置いておこう。それが生まれつきなら、俺にも心当たりはなくもないのだ。
「なるほど、先天性白皮症か」
そういう容姿で生まれることがあると聞いたことはある。納得してふんふんと頷くが、しかし、なんだか女の表情は不満気だった。
「……どうしてきみたちはこう、なんだ、わたしの容姿を病気にしたがる」
「うわ地毛かよ」
思わず素で驚いてしまった。うわとか言っちゃったよ。
「まあ、病気なんだけれど」
「やっぱ病気なのかよ!」
なんなんだこいつ。ちょっと悪いことしたな、とか思ったじゃねぇか。俺の心配を返せよ。……いや、病気なら心配するのは間違いじゃないのか。
「とは言え、そんなものは三百年ほど前に治療済みだ。外部作用によって生活に支障がないようにしているだけだから治ったとは言えないのかもしれないが」
「やっぱお前、俺の心配を返せよ」
なにを自慢気に鼻を鳴らしているのだろうか。人をおちょくるのが趣味ならきっとこいつに友達はいないのだろうなと思う。
「本当に失礼なやつだな……」
「友達いんの?」
「……いないけれど」
悔し気に下唇を噛む仕草がちょっと子供っぽくてかわいい。さっき三百年以上生きてると同義のことを言っていたため、それを考えるとババアの若作りなのが非常に残念なのだが。
「……殴ってもいいかな」
眉間に深いしわを作って立ち上がりかけた女の肩を急いで抑え、椅子に座らせる。
「……暴力は良くないと思うんですよね。ていうか、絶対痛いじゃんお前のパンチ。絶対見た目からは想像も出来ないような重い拳じゃん。痛いのダメ、絶対。殴ったら手伝わないよ俺」
必死の抗議を繰り広げる俺に、呆れたように嘆息して俺の手を払った女は頬杖をついて見上げてくる。
「別にきみじゃなくても構わないのだけれど?」
「必ず俺でよかったと言わせてやる。約束しよう」
必死だった。心が読まれることを理解して調子に乗っていたさっきまでの自分をぶん殴りたい気持ちでいっぱいだった。本当にすみませんでした。
「なにかっこいいこと言ってるんだよ、全く……」
「惚れちゃいそうだろ?」
「ぶん殴っていいかな」
「本当すんません」
ふざけたこと抜かす口はどの口だよ、ったく。
——がっと頬を掴まれた。
「この口だよ」
「ふみまへぇん」
片手で両頬を掴まれているだけなのに頭が動かない。本当に怖いんですけど、小便漏れそう。この人外に殴られるくらいならこのまま死んだほうがよっぽどマシだと思う。
「人だよ、わたしは」
まじで? 他の世界とやらでは人間が三百年生きられるのだろうか。ていうか、離してくれません?
「どうしよっかなぁ。すごく失礼なこと言われたし」
にまにまと意地の悪そうな顔で頬を掴む力を強めたり弱めたりする。
怒らせると面倒なタイプなんですね。でも、そんな怒ることないだろ。三百年も生きてて友達のいないかわいそうな子を俺なりに楽しませてあげようと思っただけなのに。かわいそうな人外……。
「いひゃい! いひゃい!」
握る力強くなってますよ! 頬潰れちゃうよ!
「その余計な思考、どうにかならないのか……?」
すいませんね、昔からこうなんですよ。ていうか、嫌なら聞かなきゃいいだろうが! ツイッターでフォロー外から「迷惑なので、そういうツイートをするのはやめてください」とか言ってるようなもんだからな⁉︎
「ついったぁ?」
ソーシャル・ネットワーキング・サービスだよ。知らないのか?
「知るわけないだろ、きみの世界のことなんて」
は? 日本語喋れるのに?
「にほんご? なにか勘違いしてるようだが、わたしは別にきみの生まれ故郷の言葉など使ってはいないよ」
日本語を喋りながらそんなことを言われても、という感じだ。なら、今喋っているのは何語だと言うのだろうか。
「わたしが使っているのはわたしのいた世界の言語で、きみが使っているのも最初からそれだ。きみはそれを自国語だと認識しているに過ぎない」
俺は日本語と英語以外を流暢に喋れた記憶はないが。
「認識をずらすのも、言語を植え付けるのも、容易いことだ」
おいおい、まさか洗脳とか出来たりしねぇだろうな……。
「それも容易い、けれど、それをするならとっくにしているさ。わたしがしたのはこうして会話をするために最低限必要なことだけだ」
それを信じろと?
「それはきみの自由だよ。わたしがなにを言ったところでそれはわたしが嘘をついていない証明にはならない。誰かに信用されないのも、誰にも信用されないのも、慣れているからね」
妙なことに慣れてるんだな。随分とかわいそうなやつだ。
「そうだよ、かわいそうなんだ、わたし。この世に生まれた瞬間から病気だったし、それを改善するために努力したら気味悪がられるし、魔王を倒したら魔王呼ばわりされるし、友達は先に死んじゃうし、挙げ句の果てにはこんなところに一人で閉じ込められるし」
つらつらと自分がいかにかわいそうなのか述べる女は、その言葉とは裏腹に少しも哀しそうな表情を見せない。どうしてそんな顔で、大切な思い出を話すような表情で語れるのだろうか。
もしも、それが全て本当だったのなら、心底かわいそうだと思う。同情する。俺なら多分死んでる。
「さっきから人のことをかわいそう、かわいそうって、きみの同情なんていらないよ。なんの得にもなりはしない、それとも、そんな誰にも信用されないかわいそうなわたしになんかしてくれるのかよ」
その余計なことばかり話す口で言ってみろ、ということなのかは分からないが、ようやく手から解放される。頬を軽くさすって、たいして期待もしていない瞳を見据えた。お望み通り余計なことを言ってやろう。
「——かわいそうだから、俺が信用してやるよ」
「もう一度、その位置からその上から目線な言葉を言ってみろ。二度と喋れないように顎を砕いてやる」
ぎろりと睨まれる。顎を砕かれるなんて、ぞっとしない話だ。この口がなくなったらそれはそれで平穏な暮らしを満喫出来そうではあるが、出来れば勘弁して欲しい。
けれど、言えというのなら言ってやる。たとえ顎が砕かれたって、何度でも、何度でも。誰も信用しなかった俺が、言ってやる。
「——かわいそうなお前を、俺が、信用してやる」
ぶんっと風を切る音が聞こえて瞑目する。しかし、いくらか覚悟していた痛みはいつまで経ってもやって来なかった。恐る恐る目を開くと、女は目を隠すようにして手で顔を覆っていた。
「こっち見んなバカ……」
「三百年以上生きても、涙は枯れないってことが知れてよかったよ。つーか、本当に人間なんだな、お前」
ぽんっと軽く頭に手を乗せると、ばしんっと勢いよくはたき落とされた。
「痛ぇ……っ!」
嘘だろ、今の結構力入ってたぞ、おい。この場面でその対応? ツンデレなのかな? 若作りババアのツンデレとか誰得だよそれ!
「いい加減にしないと殺すぞ」
「こっわ……お、女の子が出していい声じゃないですよ?」
「うるっさい!」
お口チャック。どうやら機嫌をとても損ねてしまったらしい。流石にこの状況で、
「照れ隠しかよ、かわいいなぁ」
とか言えるほどに俺もバカじゃない。本当に殺されかねない。
「言ってるから! 超言ってるよ! バカだろきみ!」
「バレてしまっては仕方ない……ふははははははっぐへぇっ⁉︎」
腹にめり込んだ手を掴んで目の前の女を睨みつける。何しやがるこの女……人が下手に出てりゃいい気になりやがって。
「きみがいつ下手に出たんだよ、あと離せよ。初対面の女の子の腕を握りしめるなんて、さてはきみ……童貞だな」
「やかましいわ。やだよ、絶対離さないもんね、もう痛いの嫌だよ俺」
握る力を僅かに強めると、女は腕でぐしぐしと目を擦った後、充血した目で俺を見てにっこりと笑う。そして、空いたばかりの手を俺の手に重ねてきた。
「離してくれるだろう?」
「……はい」
そっと手を離す。が、ちらちらと視界に映る手が怖くて仕方がない。重ねられていたときに見た手は確かに俺の手より小さくて女の子らしかったのに、今は凶器にしか見えなかった。
「あの、せめて握らせてもらえないでしょうか」
「それはわたしの手に触りたいっていうことでいいのかな?」
「なんでもいいです」
どういうことかなんてそんなもんはどうでもいいから、俺が分かる形で安全を保障して欲しい。離れても一歩で距離詰めて来そうだしこいつ。
そんな俺の心を読んだのか、はあとため息を吐いた女は無言で両手を差し出してくる。
「……これはわたしの持論だが、信用してもらうからには、信用されるに足る行動をするべきだと思う」
そっぽを向いて俺でも言い訳だと分かるようなことを言う女に、つい微笑みが漏れた。
「ツンデレごちそうさまです」
ごすっと鈍い音が響いた。
「——二度と信用しねぇ!」
「きみが余計なことばかり言うからだろ! ふざけんな!」
それを言われてしまうと返す言葉がない。しかし、今思ったがツンデレは通じるのか。まさか異世界共通語だったとは。
「つんでれ、という単語に聞き覚えはないが、ツンツンしている、デレデレしている、という副詞はあるんだよ。そこから推測した」
言いながら再び手を差し出してくる。これが最後のチャンスだとでも言うように眼光は鋭い。また余計なことを言いそうになるのを我慢して、今度は大人しく両手を握る。
なんだこれ、柔らかい! すべすべしてる! すげぇ!
あんなパンチを繰り出した手とは思えない柔らかさだった。思わずもにもにと感触を楽しんでしまう。
「わ、わたしの手を握って興奮するのはやめて欲しいのだけれど」
くすぐったそうに眉根を寄せて注意され、ぐっと我慢する。いざとなれば一瞬で振りほどいて俺を殴るのも容易なのだろうし。
「なら、これに意味はあるのか……?」
「いくら手の早いお前でも振り解くという一つの手順を踏まなければいけない以上は躊躇するだろ」
「へえ、なるほど、確かに」
あ、本当に躊躇してくれるんですね。思わずほっとしてしまった。そんな俺を呆れたような目で見て、女は嘆息する。
「いい加減、本題に入ろうか……」
疲れた雰囲気でそう言われ、はっとなる。そう言えば、結局何を手伝うのかすら聞いていなかった。一体今まで何をしてたんだろうか。
「きみがそれを言うのか……まあ、それでもまだきみのほうが他の人より早いけれどね」
「どれだけ適応力が低いんだよ……いや、いい。そんなことより先に本題だ。俺はなにを手伝えばいいんだ?」
「魔神復活の阻止だよ」
軽く言われた言葉に固まってしまう。
「い、いやいやいや、魔神? なにそれ、そんなんいんの? 無理だろ普通に。俺はお前と違ってただの人間なんだけど?」
「もちろん、それ相応の力は与えるさ。わたしも伊達に長生きしてない。魔神と戦うのには足りないだろうが、復活を阻止する程度のことが出来る力を与えるくらいなんてことはない」
「そう言われてもな……」
魔神なんて、お伽話の登場人物だろう。目の前の女も充分にそれっぽいが、まさか俺にそんな物語の主人公みたいなことが出来るとは思えない。
「別に主人公になれとは言わないさ。きみの前に九人が先に行っている。サポートだけでも構わないよ」
「それなら、まあ、出来そうではあるな……」
「悪い話じゃないと思う。強力な力を持って第二の人生を歩める対価としては軽いだろ。本当なら命懸けでやれと言われてもおかしくないはずだ」
それはそうだろうなと思う。命をもらうのだから、それと等価なのは命しかない。それは分かっているのだが、人間、魅力的な提案をされればより楽な道を探してしまうものだ。
「……その力次第、で」
控え目に言うと、女は特に気を悪くした様子もなく訊いてくる。
「なにがいい?」
「は?」
「ある程度の身体能力はわたしのほうで強化をかけるとして、どんな能力が欲しい?」
「どんなって……そんななんでも出来るわけじゃあるまいし」
「わたしをなめてもらっては困るな。大概のことは出来るさ。いいから言ってみろよ、どんな力が欲しい?」
その言葉を鵜呑みにしたわけではないが、それに突っかかっては話が進まないので大人しく考えてみる。
不老不死、死に戻り、時間停止、瞬間移動、高速再生、物質創造。漫画やアニメで見た能力だけでもかなりの数が候補に上がり、その中の一つ、自分が一番魅力的だと思う能力を告げる。
「未来予知、とか」
「任せろ」
一切の逡巡なく返ってきた言葉に驚いてしまった。
「まじで? 出来んの?」
「まじだよ。出来るよ」
「まじかよ、すげぇ! え、お前すげぇな! なんで友達いないの⁉︎」
「ぶん殴るぞこら」
すごいと言われて悪い気はしないのか、苦笑混じりに吐かれたその言葉には覇気がない。
なんなのこの子、本当に人間? 実は神様だったとか言われても信じられるぞ。未来予知スキル持ちで異世界転生か……悪くないな。
「いや、でもまじでこんな奴と仲良くならない理由とかなくね?」
「下心丸出しだな、きみは」
「おう、俺と友達になろうぜ」
手を握る力を強めて言うと、くすりと微笑んだ後にふるふると力なく首を振る。
「友達は作らないことにしてるんだ。大切な人が自分より早く死んでいくのはあまり何度も経験したいものじゃない……」
そんな経験がない俺には女の気持ちはよく分からない。両親が死んだら悲しいだろうが、それでもやはり納得は出来なかった。
「? 俺を不老不死には出来ないのか?」
「……きみは何百、何千という時間を生きることのデメリットを甘く見過ぎだよ。まあ、最初はみんなそんなものだけれど」
「ふぅん、俺はお前と二人ならいつまでも生きていたいと思えるけどな」
他の人間では無理だろう。なんでも出来るこいつだから、どんな瞬間も楽しく生きていけそうだと感じる。それに飽きたとて、それならばこいつとずっとおしゃべりでもしていればいい。気が向いたら気の向くままにどこかに遊びに行くのだ。
瞬間移動が出来るのにわざわざ歩いたり、天気がいい日には足を止めて日向ぼっこをしたりする。俺がバカなことを言って、こいつが暴力的な突っ込みをする。
二人でなにかを研究してみたりするのもいい。無限の時間があれば、他の世界に渡れたりもするのかもしれない。そしたら、やることは何倍にも増える。一人でだとつまらなく感じて長く思える時間も、二人でなら瞬く間に過ぎ去って行くだろう。
二人とも充分に満足して、本当にやることがなくなって、過去の思い出すらも思い出せなくなったなら。そのときは新しい刺激を探しに行けばいい。忘れた分だけ、新しい思い出を作る。
そんな風にずっと生きていけるのなら、それはとても幸福に満ちた人生だと思う。
——ぽつり、と手に一粒の雫が当たった。
「お、おいおい、どうした……?」
俺が楽しそうな不老不死生活に夢馳せている間になにがあったのだろうか。女はぼろぼろと絶え間なく涙を流していた。
俺と手を繋いでるためにそれを拭うことも隠すことも出来ず、ただひたすらに無言で哀しみを訴えている——否、喜びだろうか。涙を堪えようとしているからか下唇を噛んでいるが、その頬は綻んでいるように見える。
「すごくっ、た、楽しそうだと……思った」
わけがわからず首を傾げるが、その言葉の意味は少し考えればすぐに分かった。
「わっ、わざわざ……手間をかけてっ、二人で、旅をするのも……っ。のんびりと、日向ぼっこをするのもっ……! きみが、バカなことを言って! わたしが、それに突っ込むのも……っ! ぜんぶ、ぜ……んぶ、容易に想像出来てっ‼︎」
「なら、やろうぜ。俺は結構お前と相性がいいんじゃないかと思うんだ。二人で楽しく生きていくことをすぐに妄想出来ちまうくらいにはな」
ぐすっと鼻をすすった女は嗚咽をしながら、涙の溜まった不安気な視線を向けてくる。
「いい、のかな……」
「ははっ、どうしてダメなんだよ」
「だって! いつもっ——いっつも、ダメだった……っ! だから……」
「いいんだよ。お前の人生だろ——お前が幸せになるのはお前の権利だ」
直後、女は声をあげてわんわんと泣きじゃくった。そっと握っていた手を離して、そんな女を優しく抱きとめ背中をさする。俺はダムの放流のように泣き続ける一人の少女を宥めながら、本当に同じ人間なんだな、と益体もないことを思ったのだった。
× × × ×
「じゃあ、またな」
「うん……」
光の漏れる空間の裂け目に背を向けて別れの言葉を告げる。と、少女は寂しそうに目を伏せて頷いた。
最初の態度からは想像も出来ないしおらしさに苦笑してしまう。
「五十年以内には出られるんだろ?」
「それは、そうだけれど、でも……」
五十年という時間を短いとは思えないが、その後永遠の時間が待っていると思えばたいした問題ではない。未来があるのは、いいことだ。
「待ってるよ、いつまでも。友達だからな」
「……分かった」
渋々といった様子で了承した少女の頭を撫でると、少女は心地よさそうに目を細める。一度目はばしんっと思い切り叩かれたことを思い出してやはり苦笑してしまったが、今となってはいい思い出だ。
「じゃあな——エマ」
ここにきて初めて名を呼んだ俺に目をぱちぱちと瞬かせるエマ・リヒテンシュタイン。そんな彼女を見れたことに満足して、俺は光の中へと飛び込んだ。
ここから、俺の長くなるであろう第二の人生が始まるのだ。
城戸奏多の、満ち足りた人生が——