研修――本当に私にできるのかな?
私たちは、広い会議室のようなところに通された。長机にパソコンと電話機が乗っている。どうやら、急造のコールセンターらしい。
まず、書類を渡され、署名捺印するように言われる。それは、個人情報なんとかという書類で、つまり、ご相談者様(官公庁であるため、『お客様』ではなく『ご相談者様』というらしい)の個人情報を漏洩しませんよ~という誓約書らしい。そういえば最近、個人情報漏えいで大変なことになった、大手企業のことなど話題になっている。そういう事のないように、一筆欠かせるようになっているのだろう。細かい字でいろいろ書いてあるが、大まかなことはわかった上細かいところはいちいち読んでいられないので、さっと目を通して署名捺印する。
「皆様、お集まりいただき、ありがとうございます。私が、研修担当を務めさせていただきます、マネージャーの川本と申します」
見るからに真面目そうな、30代半ばくらいの男性だ。やはり、こういう『お堅い仕事』は、お堅い人がトップなのだろうか。
「早速なのですが、お手元にあるファイルボックスの中に、研修資料があるので、そちらを参照しながら、研修を進めさせていただきます」
ファイルボックスを見ると、何冊かの資料がある。パラパラとめくると、細かい字でいっぱい書かれている。まさか、これを全部覚えろというわけではないだろうな……
「いろんなことが書いてあって、一見大変そうに見えますけど、ご安心ください! 全部覚えろなんてことは言いませんので」
私の気持ちを汲み取ったのか、そんなことを言われた。周りの人達も、ホッとため息をついたようだ。みんな、考えてることは同じかもしれない。
「まず、皆さんにやっていただくお仕事ですが、あくまで『取り次ぎ』です。ご相談者様の要望を伺い、担当につなぐのがみなさんのお仕事です。そこから先は、担当の税理士や税務署の仕事です。むしろ、自分で考えて答えちゃいけません。税理士法に引っかかっちゃいます」
川本マネージャーが、ちょっとおどけた口調で言う。この人、見た目は硬そうだけど、実際にはそうでもないのかな。ちょっと安心。
ところが、そうは言っても、仕事内容が難しそうなのは確か。本当に私に務まるのだろうか……うちのタカナシ社長は、『君にできなければ、誰にもできない』と言ってたが、果たしてそれは本心なのだろうか? それとも、私を安心させるために言っただけなのだろうか?
「このへんで一旦休憩して、お昼にしたいと思います。お弁当などを持ってきている人は、あちらの小会議室を休憩所として開放してあります。中には電子レンジもあって、『チン!』することもできます。また、地下に食堂もあります。それでは一旦、解散いたします」
よかった、一旦解放される。食堂があることは事前に言われてなかったため、買っておいたおにぎりやサンドイッチを、休憩所となっている商会議室で食べることにする。しかし、周りを見回すと、いかにも仕事ができるっぽい人だらけ。服装のこともあるが、私に本当に務まるのだろうか?
時間になったのでもとの部屋に戻り、研修の続きとなる。内容は、『確定申告とは何か』『どういう手続きが必要なのか』『スケジュールはどうなっているか』ということだった。しかし、私にはちんぷんかんぷん。やはり、不安になる。勉強というものが苦手で、大学にもまぐれで受かったようなもんだし、研修の時間は、苦痛でしかない。やがて日も暮れ、終了間際になり、マネージャーさんの最後の挨拶。
「皆さんに、たった一つだけ、お願いがあります。辞めないでください! 明日も来てください! それだけが、我々の願いです。」
このマネージャーさん、結構面白い人だな。確かにしんどいし、やっていけるか不安だらけだけど、少なくとも、研修終了までは、やってみよう。
翌日。
前日にパスカードをもらい、入口でそれを提示して、会場まで直接向かうことになる。『初日だけはフォーマルな格好で』とあったとおり、二日目の今日は、幾分着崩した人も見かける。しかし私は、魔法少女スーツのままだ。タカナシ社長が、『これが君の仕事着だし、実験データも取らなければならないから、ずっとこの衣装のままで』とうるさいから。全く、人の気も知らないで。本当に恥ずかしいんだから、この衣装。
研修内容は、前日に引き続き、より細かいルールなどを説明される。余計わけわからん。何度も居眠りしそうになったが、『研修態度が悪いため、退場』などにならないために、気合で起きていることにする。
やっと、昼休み。昨日、食堂があることが判明したため、試しに食堂で食べてみることにする。
「おや、見慣れない顔だけど……確定申告の、電話相談のバイトさん?」
向かいに座った、いかにも『偉い人』っぽい人に声をかけられる。私の服装が奇抜だから声をかけられたのだろうか?
「研修は大変かい?」
「いや、まあ、確かに……」
「毎年、研修だけでやめちゃう人も多いんだよ。でも頑張ってね。この仕事が終わった時には、みんなの方が、税理士よりも詳しくなるから」
そうは言っても、研修のボリュームがただ事ではないし、やっていけるのか、まだまだ心配……
昼休みが終わり、午後の研修。午前中に引き続き、細かいルールの説明。睡魔と戦い、なんとか今日も一日終了。例によって、マネージャーさんが、「辞めないでね~」と。このへんで、意地でも続けてやろうと思えてきた。あれ? 今までなら、投げ出していたところなのに。ちょっとは、成長したのかな?
三日目。やはり、さらなる説明。ちょっとうんざりしてきたが、ここまで来たら仕方がない。やってやろうじゃないの!
四日目。
「皆さん、長い間の座学研修、お疲れ様でした! いよいよ、パソコンと電話の使い方について、説明します!」
やっと、座学研修――言ってみれば、教室でやる『お勉強』みたいなもの――から、解放された~。ただ、パソコン入力って、項目が多いんじゃないの? と思ったが、
「うちのPC入力は、非常に簡単です! よそのコールセンターだと、会話の内容とか、細かく入力するところもあるようですが、うちは、大体の内容を、選択するだけです!」
ふう、ちょっとは安心した……引き続き、電話機の扱いについて、説明を受ける。
午後になり、『ロープレ』の研修に入る。ロープレとは『ロールプレイ』の略で、隣の人とペアを組んで、片方の人がお客さん、じゃなかった、『ご相談者様』の役、もうひとりが実際に電話を取る役になって、会話の練習をする、とのこと。やっと、コールセンターらしくなる。確かに、タカナシ社長の言うとおり、ネット生放送でしゃべるのは慣れているが、実際、仕事で電話を受けるのは、当然ながらこれが初めて。ちゃんとできるのかな……魔法少女スーツの力を借りて、電話受付のスキルをインストールしたくなったが、タカナシ社長が言ってた、『スキルをインストールするのは、非常にパワーがいる。みだりに使うと、無駄にパワーを消費してしまう。肝心の時のために取っておかなければならない。』と言っていたのを思い出して、今はグッとこらえることにした。
私とペアを組んだのは、年配の女性、野中さんという方だ。タカナシ社長が最初に言ってたとおり、この職場は、年配の方も結構多い。皆さん、よく頑張るな~と思う。
「それでは、研修資料の、『トークスクリプト』の欄をご覧ください。まずは、ここに書かれているとおりの流れで、喋ってもらいます」
『トークスクリプト』とは、実際にどのようにしゃべるかが記載されているものだ。今日のところ、これに沿って喋ればいいらしい。
「それでは、始めてください」
野中さんに、「まずは、あなたから初めて頂戴。私、まだ自信ないの……」と言われる。自信ないのは、私も一緒なのだが……仕方ないので、まずは野中さんがご相談者様の役、私がスタッフの役で始めた。トークスクリプトに沿って話を進めるわけだが、しどろもどろになってしまい、まともに話せているか、自信がない……
「随分、うまいのねぇ。どこかで経験おありなの?」
野中さんにはそう言われるが、当然、未経験である。正直、自信がない。続いて、野中さんの番だ。ややどもってはいるものの、それなりの受け答えをしている。
周りを見回すと、みんな、ちゃんと受け答えできているようだ。みんながすごく見える。野中さんにはお褒めの言葉を頂いたが、ちゃんとできているのだろうか……
終了時刻30分前。
「みなさん、お疲れ様でした。それでは、チーム分けを発表いたします。明日からは、チームごとにまとまって着席していただくことになります。」
どうやら、1チーム10人くらいでまとまるようだ。チーム表に書かれたとおり、席を移る。
「私が、このチームを担当するSV、笠原と申します。明日から、一緒に頑張っていきましょう!」
40代半ばくらいの男性が、チーム全体に話しかける。SVとは『スーパーバイザー』の略で、チームのリーダーのことを、コールセンター用語でそのように言うらしい。優しそうな方で、少し安心した。
「明日以降、実際に電話をとっていただきます」
再び川本マネージャーにをそう言われて、やはり不安になってきた。本当に、私に務まるのだろうか……