事務所にて
6月の、雨の日。
あす、新作のゲームの発売日であることをすっかり忘れていて、急遽、給料を取りに行くことにした。タカナシ社長は忙しいようだったが、了承してくれた。
『給料を取りに行くときも、魔法少女スーツで』しつこく言われているこのいい付けを、律儀に守っている。もしかしてこれ、あまり意味ないんじゃ……社長の趣味? だとしたら、趣味悪~。
事務所に行くと、充子さんはいない、社長は応接室で、若い女性と面接中のようだ。少し待つことにしよう。
「よう、真希ちゃん。給料だな。ちょっと待ってな。」
「面接は、いいんですか?」
「ああ、今終わった」
社長が、給料袋を取り出す。私は、印鑑を押して、給料を受け取る。
「紹介しよう。今度、短期の事務で入った、大柴サラちゃんだ」
サラちゃんと呼ばれた女性は、はじめまして、と声をかける。私も、挨拶を返す。
「実は、みっちゃんが、1ヶ月ほど実家に帰らなきゃなんなくなってね、その間、短期で事務を頼むことにしたんだ」
なるほど。
「じゃ、僕は、営業に行ってくるから、二人で、電話番しておいてくれ。真希ちゃんの方が、ここでは先輩だから、いろいろ教えてやってくれ~よろしく~」
そう言うと、社長は、表に出ていってしまった。さすが、珍味屋の佐藤社長の元部下ということもあって、ノリが似ているな。
事務所には、私と、サラ……という女性の、二人きりになってしまった。
「よろしくね。ここでは、私のほうが後輩だから、いろいろ教えてもらうことになるわね」
「はあ……よろしく」
やたらと、馴れ馴れしい子だ。
電話番をやれと言われたが、電話は、以前の確定申告コールセンターで慣れている。敢えて、スキルをインストールする必要もないだろう。
早速、電話が鳴った。先輩として、先に出ることにする。
「はい、ことりキャスティングです。面接希望の方ですね。申し訳ございませんが、担当が今、席を外しておりますので、折り返し、ご連絡差し上げます。お電話番号を頂戴してもよろしいでしょうか……」
ふう、スラスラ言えた。タカナシ社長が、『とりあえず、要件だけ聞いて、折り返しにしてもらっていい』と言ってたから、こんな感じでいいのかな。
しばらく電話はならず、沈黙が続く。気まずい。なにか話しかけないと。え~と、話題は……
「真希さん、ですよね」
沈黙を破ったのは、サラの方だった。
「あなたが今着ているのが、魔法少女スーツってやつですよね」
「なんで知ってるんですか!?」
「派遣業界で、結構話題になってるみたいよ」
どこで、情報漏れたのかな……
「なんでも、どんな職業のシスキルも身につくということで評判みたい。これまで、どんな仕事してきたの?」
「え~と、宅配便、コールセンター、催事販売……」
「これを着ると、医者や弁護士にもなれるのかしら?」
「ここの派遣会社にあるデータのみだって言ってたから、それは無理みたい」
「職業のデータを『インストール』した時って、どんな感じ?」
「そうねえ……それまで不安だったのが、この仕事が絶対できるという、自信がつくというか」
「なるほどね……」
そう言うとサラは、いたずらっぽく笑う。
「もし私が、スパイだって言ったら?」
え? スパイ? 映画やドラマの世界でしか知らないけど、007みたいな?
「産業スパイ。企業に潜入して、情報を盗み出すという」
はぁ?
「実は私、ほかの派遣会社のバイトなの。確定申告のコールセンターで一緒にいたんだけど、席が遠くてわからなかったかな? でも、あなたのことは、うちのチームでも話題になってて、そのことをうちの派遣会社の人に行ったら、ちょうどいい、情報を探ってこいと。ちょうどアナタのところが事務員募集していたから、ちょうどいいわ。立場上、いろんな情報が手に入るから……ところで」
サラは、にやりと笑う。
「あなた、私の仲間にならない?」
はぁ?
「私の会社に入って、『魔法少女スーツ』の情報を提供してくれたら、高額のギャラを約束するわよ」
いやそれはちょっと、倫理的に考えてもまずくはないか? それに私、ここの会社に恩があるわけだし。お断りします……と言おうとしたところ、入り口のドアがバターンと開いた。
「社長! おかえりなさい!」
「どうだ~二人、仲良くしていたか~?」
サラの正体がスパイであること、言わなきゃいけないのだろうが、さすがに、本人前では言いにくい。いつか機会を狙って、言うことにしよう。
「それじゃ私、そろそろ帰ります」
私が荷物をまとめよて、出ようとした時に、サラが一言。
「さっきの話、考えておいてね」