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作者の中でもいまいちキャラをつかめない加菜子さん。
過去話がやたら長くなってしまった……。
私、葛城加菜子と統ちゃんの付き合いは、はるか幼稚舎時代に遡ります。
その頃から統ちゃんは統ちゃんでしたが、私は少し違いました。統ちゃんと出会う前の葛城加菜子と、統ちゃんと出会った後の葛城加菜子は、まったく別物と言っていいのです。
私の家は、平凡な町工場でした。そこそこ商売は繁盛していて、夢を見た両親に五月川学園幼稚部へ入れられたのです。入園式の日には、
『加菜子、ここにいる方々は私たちとは比べ物にならないほど偉いんだよ。幼稚園の子とは、しっかり仲良くなるんだよ』
などと、手をつないだ母に言われました。その時の彼女は頬を赤くし、一オクターブ高い声で話し、かなり浮ついていました。彼女の目には、五月川学園が貴族の宮殿か何かのように映っていたのでしょう。
だけれども、私はすべてを馬鹿馬鹿しいと感じていました。
こんなところに、美しいものがあるとは到底思えませんでした。
自分の血筋を誇る大人、自分では何もできないくせに家の権力を笠に着て威張る同級生、そんなものを見て学園を褒め称える両親――全部、ひどく醜いものにしか見えませんでした。
そんな私だから、幼稚舎ではだいぶいじめられました。
血筋は下賤、そのくせ態度は悪い。そういう子どもは、恰好の獲物。先生までもが、ふてぶてしい女児として扱いました。
それが変わったのは、入園した年の秋でした。
幼稚舎の学芸会はけっこう大規模なもので、高校や中学の文化祭とほとんど変わらないものでした。ホールでは有志の劇を上演し、小さな屋台を出し、園児の作った作品を展示し――。
その中で、私はずっと欲しかったものと出会いました。
あるクラスの展示作品だけが、やたら輝いているように見えたのです。今でもはっきり覚えています。それは色とりどりのビーズやガラスを使ったオブジェでした。まだ小さな子どもが作ったものですから技術的には拙いものだったでしょう。
ですが、それが目に留まった途端、私ははっと息を呑みました。世界は動くのをやめ、周りの音は全く聞こえなくなり、オブジェ以外のものは色を失いました。
これを作った人は、私が求めているものを知っている――。
そんな確信が、私を貫きました。
求めているもの。
美しいもの。
泣きたくなりそうなほど胸を締め付けてくれるもの。
それがどこかに、あるのかもしれない。
急に早く脈打つようになった心臓を抱えて、私はそのオブジェの作者の名前を見ました。
『しぜ ゆきの』
ここで、女の子なんだと勘違いしたことは、一生秘密です。
とにかく私は、Bクラスの「ゆきの」ちゃんを探し始めました。見つけるのは簡単です。上履きには名前が書かれていましたから、一つ一つ調べて回るだけなのです。
そうして、見つけました。
学芸会で浮かれる人々を尻目に、中庭のベンチにぽつんと座る男女二人組。そのうちの片方の履く上履きに、「しぜ ゆきの」と書かれていたのです。
「あの、すみません……」
私が背後から声をかけると、二人は驚いたように振り向きました。それを見て、私も驚きました。
だって、そっくりな顔が二つ並んでいるのです!
「何かごようかしら?」
二人のうち、女の子の方が口を開きました。腰まで伸びた艶やかな黒髪が風になびき、意志の強そうな瞳は生き生きと輝いています。陶器を思わせる白い肌も、耳に心地よい声も、みんな私に告げていました。
――これが、探し求めていたものだ、と。
「あ、あの……」
私は顔を真っ赤にして、黙り込んでしまいました。心が強く痛んで、今にも泣きだしてしまいそうです。本当に、本当に、会えてよかった、と一言伝えることさえままならなかったのです。
彼女は辛抱強く私の言葉を待っていましたが、その隣の男の子の方が助け船を出してくれました。
「あれ、きみ、Cクラスのかつらぎさん?」
「は、はい……」
「だれかになにか、ひどいことを言われたの?」
心配そうな目で私を覗きこんでくる彼は、いじめの事実を知っているようです。それに気付くと死にたいくらいいたたまれなくなって、ますます顔を赤くして貝になってしまいました。
「あつし、どういうこと? ひどいことって?」
あれ? と私は首を傾げました。男の子は「しぜ ゆきの」ではないのでしょうか。
不審そうな私の表情を察したのか、女の子が微笑んで男の子を指差しました。
「かれはみくもあつし、よ。うわばきにはしぜゆきのって書いてあるけれどね。今日あつしはうわばき忘れちゃって、ゆきののものを借りているの。ゆきのは一日げきに出るから、うわばきはいらないって」
「へぇー……」
では、彼はあのオブジェの作者ではないのだ。あつしくんを見ると忘れ物を指摘されて恥ずかしいのか、照れたように笑っています。その笑顔は、私がこの学園で見ることがついぞなかった、混じりけのない、本物の笑顔でした。その眩しさに、今度は胸がきゅんと縮みました。
「もしかすると、ゆきのにようがあったのかしら?」
女の子が首を傾けます。私は慌てて、一番聞きたいことを口にしようとしました。
「あっ……」
あなたの――。
「な、なま……」
――なまえはなんですか?
そのとき、中庭へやってきた三人の男の子が、私を指差して叫びました。
「おいかつらぎ! うすぎたないお前がみくもさんたちに話しかけるんじゃない!」
それはいつも私にかけられる言葉でした。
薄汚い。
けがらわしい。
あさましい。
普段なら、何を言われたって平気でした。そんなことを言うやつらは醜くて、汚くて、こちらから願い下げでした。
でも、今は――。
女の子を見ると、黒々とした瞳をぱちくりとさせて、叫んだ子どもと私に交互に視線を向けました。何が起きているのか分からない、という表情です。しかしやがて、すっと目を細めると、ベンチから立ち上がりました。あつしくんはおろおろと女の子の袖を引っ張っています。
――ああ。
私はこれから行われることを予想してがっくりとうなだれました。きっと彼女は私に背を向けて行ってしまう。もっとひどければ、近寄らないでといったことを言い渡されてしまうかもしれない。
彼女が真っ赤な唇を開きました。
頭が重くて、どうしても顔を上げられません。
「私がだれと話そうが、あなたたちには関係ないと思うのだけれど」
凛とした声で、背筋を伸ばして、彼女は言い放ちました。
男の子たちはぎょっとして立ちすくんでしまいます。あつしくんはもう何も言うまいと袖から手を離しました。
その場の空気の粒までもが、彼女に視線を向けずにはいられない。そんな圧倒的な存在感。
それを美しい衣のように身にまとった彼女は、一歩、男の子たちに近づきました。
「だいたい、人のことをうすぎたないだなんて、何様のつもりかしら? 彼女は綺麗よ。どう考えても、平気で他人をぶじょくできるあなたたちよりも、ずっと美しいわ」
じりじりと男の子たちは後ろへ下がっていきます。彼女は獲物を前にした肉食獣の瞳で、鋭く彼らを見据えています。
「あなたたちの心こそ、あさましくてけがらわしくて、吐き気がするわ。もう私に近寄らないでちょうだい」
恐ろしく低い声で告げると、彼女は優雅に踵を返しました。男の子たちは「ひっ……」と息を呑むと、「すみませんでしたぁああああ!!」と泣き叫んで蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。
「ごめんなさいね、たちの悪いのが多くて」
彼女はもう微笑みを取り戻し、ベンチにふわりと座りました。何事もなかったかのように無邪気に足をぶらぶらさせています。あつしくんが私にそっと、
「あいつら、いつも僕らにつきまとっていて、気分が悪かったんだ。別にきみのせいじゃないよ。いつかはこうなっていたから」
と囁きかけました。また顔に血が上ってきます。女の子が内緒話に入ろうとするかのように、ぐっとこちらへ身を寄せてきました。
「そういえば、話のとちゅうだったわね。なんだったかしら?」
穏やかに見つめてくれる彼女に、私はぎゅっと手を握りしめます。震える声を何とか抑え、つっかえつっかえ、
「あ、あなたの、おなまえを、おしえて、ほしいの……」
「なまえ?」
女の子はきょとんとしていました。彼女の予想外のことを訊いたようです。
「わたしはすばる、みくもすばるよ。あつしの双子の姉なの。……あなたのおなまえは?」
「か、かつらぎかなこ、です……」
「そう、かなこ。わたし、女の子になまえを聞かれたのってはじめてだわ。ねえ、こっちにきて、一緒に座りましょうよ。学芸会なんてうんざりでしょう?」
――それが、私と統ちゃんが友達になった瞬間でした。
その後、劇で(シンデレラでした)王子役を演ずる行野君を見にいったり、そのあまりの無表情さに驚いたりしました。初め彼は私のことを警戒しているようでしたが、オブジェを褒めると空気が和らいで、「あれはすばるをモチーフに作ったんだ」と内緒で教えてくれました。
それからずっと、私たちは四人組で行動するようになったのです。
――高校二年の初めまでは。