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 五月会室は、さすがに特別な生徒にあてがわれるだけあって、広くて気持ちのいい空間だった。そこに、まともな人間が集まってさえいれば。奥に会長用の机が置かれ、四つの机がその前を取り囲むようにしている。壁紙も落ち着いた色で、明かりはベタにシャンデリア。それでも、けばけばしさがないのは趣味の良さを褒めてあげよう。隅に小型の冷蔵庫が置かれているのは、優雅にティータイム、とでも洒落込むからだろうか。

 部屋の中にいたのは、全部で四人。四瀬透に、一条真妃に、二蔵長一郎、それに――。


「あら、先生? こんなところで何をなさっているんですか」


 我らが担任、笠原雄二教諭がいた。私に篤史の死を知らせたときの深刻そうな表情は鳴りを潜め、会長用の椅子に座った一条に蕩けそうな笑顔を浮かべている。


「あっ、ああ……三雲か。その、これは……」


 しどろもどろだ。

 そういえば、笠原教諭は授業中に反抗的な態度を取った生徒を、罰としてパシリに使うと聞いたことがある。未だにお目にかかったことはないが、そうか、性根は腐っていたんだ。

 海より深く納得しているところに、甘ったるい声が食い込んできた。


「センセーは、マキを心配して来てくれたんだよぉ。ほら、今日友達の篤史君が事故で亡くなったでしょ? マキがショック受けてないかって、慰めてくれたの! もちろん、マキも初めはすごーく残念だったよ? だって篤史君はいい人だったもん! マキに勉強教えてくれたり! でも、センセーのおかげで、元気になったよ!」


 そこで一条に殴りかからなかった自分を褒めてやりたい。人の死を、まがりなりにも友達と呼ぶ人の死を、そんな風に軽々しく語る一条に、激しい殺意を覚えた。

 篤史がどれほど一条に尽くしていたか、私は知っている。毎日毎日、そればかり彼は話していたのだから。その表情は心底幸福そうで、馬鹿馬鹿しいと思いながらも、私は止められなかった。あのとき、本物の愛というものに確かに触れている気がしていた。もしかすると、お伽噺みたいなハッピーエンドが見られるんじゃないかと、三雲統が一瞬だけ思ってしまうくらいに、熱烈だった。

 でも、いま分かった。いや、本当はずっと前から分かっていなくてはいけなかった。

 一条真妃は、愛情に値しない。

 この先何があっても、彼女は自分以外の誰も愛せない。更生の可能性、ゼロ。同情も迷いも、抱く必要性はない。

 私は呼吸を整えて、心を落ち着けた。

「そうですか。それはよかったですね。ところで、三雲篤史の遺品を受け取りたいのですが」


「三雲、言っただろう。それはできない、と」


 笠原担任が遮る。そこで、一条が軽く笠原の肩を叩いた。


「もぉ、センセーったら、そんな可哀想なこと言わなくてもいいでしょ~? 三雲さん、困ってるんだから」


 怒られた笠原がしゅんとうなだれる。馬鹿は無視することにして、私は甲斐甲斐しく一条の前に紅茶を置いている二蔵長一郎に目を向けた。


「会長。教師はこんな態度なのです。でもおかしいですよね? 遺族が遺品を受け取れないだなんて、そんな馬鹿な話がありますか。姉の私には、篤史をきちんと弔う義務と権利があります。五月会長から、一言言っていただけませんか」


「あ、ああ……」


 二蔵は困ったように一条を見る。笠原と戯れていた彼女は、彼にもたれかかったまま、私に視線をやった。


「三雲さん、どうして長一郎君にそんなこと言うのかな? 教師がダメって言っているんだよ? なら、諦めるのがいいんじゃないかな。願いが叶わないからって、権力に物を言わせるのは、間違ってるよ」


 一番言われたくない人にそんなことを言われて、私の我慢も限界だった。ここにいると精神衛生上よくない。さっさと帰ろう。だいたいの状況は把握できた。


「あらそうですか。ところで一条さんは、どうして五月会室にいるんです? ここは五月会のための部屋。五月会ではない一条さんがいるのは、可笑しいと思うのですが。五月会規約にもきちんと書いてあります」


「あははっ! そんなこと、知ってるよぉ~。でもね? ……長一郎君、説明してあげて」


 話を振られた二蔵が、頬を染めて姿勢を正した。手近の棚から白色のファイルを取りだし、一枚の紙を私に見せる。


「三雲さん。ここに書いてあるんだけどね、五月会顧問の許可があれば、部屋を自由に使えるんだよ」


「それでぇ~、顧問ってゆうのがぁ~、センセーなんだぁ」


「……なるほどね」

 ちらと笠原を見ると、一条に名を呼ばれて満面の笑顔を浮かべている。ダメだ、こいつも馬鹿か。


「そうなんだ、三雲。一条には俺が許可を与えた。だから、彼女は堂々とここに出入りできる」


「そーゆーことっ。じゃ、三雲さん、用事は済んだよね? それなら出てってくれないかなぁ? ここは五月会室なんだから」


「ええ、そうさせて頂きますわ。失礼いたします」


 願ってもないことだ。私は踵を返し、ドアへ向かった。

入口に立っていた四瀬透が恭しく扉を開けてくれる。その横を通り過ぎる寸前、優越感たっぷりの声音で囁かれた。


「外で待っている四瀬行野君によろしくお伝えください。彼は分家ですが、一応親戚なので、礼を失しないようにしなくては」


「ええ。一言一句漏らさず伝えておくわ。あなたも元は分家ですものね。何があるか分からないのだから、古い巣も大事にしておくべきだわ。さようなら、失礼いたします」


 ものすごい形相で睨みつけてくる四瀬透に微笑みかけ、私はまっすぐに行野の元へ歩いていった。


 ▽ ▽ ▽


「なるほど、五月会は今、そんな風になっているの……」


 ――談話室。ちゃんと待っていてくれた加菜子は、私の話を憂鬱そうに聞いている。行野もむっつりと押し黙り、私たち三人の周りは非常に空気が悪い。五月会から流れてきてしまったものだ。今度からは厄除けに塩でも持っていくこととしよう。


「明らかに筋が通ってないよね。統ちゃん、どう思う?」


「加菜子の言う通りよ。これじゃあ、明らかに、一条真妃ないしは五月会が篤史の死に関わっていると言いふらしているものじゃない。そして、死の原因は篤史の遺品にあるんだわ」


「それだったら、もう捨てられちゃってるんじゃないかな? 私だったらそうする……」


「そこなのよね、問題は」


 ため息をつく。あの様子では、処分されてしまったと見ていいだろう。では、どうしたら殺害を公に出せるのか。


「残された道は、一条真妃の自白。それしかないわ。篤史が殺されたってことは、それだけ重大な弱みがあいつにはあるってことだもの。それを探り出すわ」


「うーん……一条真妃の弱みか……。ありそうなんだけど、いやあり過ぎると思うけど、全部一条グループの力で揉み消されてるよね」


「そうね。やっぱり、あの女が一条っていうのは問題ね。明らかに作り方を間違えてるわよ。どうして権力の上に、あんな性格を入れちゃったのかしら」


 頬を膨らませる。篤史だって三雲グループの跡取りだったけれど、あんな人間じゃなかった。


「……それで、統。どうするんだ? もう五月会室に行ってもどうしようもないだろう」


 行野がぼそっと口を入れた。四瀬透に会ったのが、やはり堪えているらしい。申し訳ない。

 私は机の上に両肘をつき、これからの計画を打ち明けた。


「まず、笠原雄二を攻略するわ」


 思いもよらなかったことなのだろう。行野と加菜子の目が点になった。その表情がおかしくて、図らずも噴きだしてしまう。


「……統ちゃん?」


「ごめんね。加菜子も行野も、すごくびっくりしてるから、おかしくなったの。簡単なことよ。今は教師がダメだと言っているから、遺品は渡せないと言っている。なら、その教師を教師でなくしてしまえばいいの。そうすれば、言い訳の余地もなくなるでしょう。……あと、一条真妃が五月会室に我が物顔で出入りしているのを見て、少しイラッとしたから」


「それ、どうやってやるの?」


 加菜子の問いに、私は悪戯っぽく笑う。頭の中では、すでに万事計画が整っていた。


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