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「とりあえず、遺品をもらいたいなと思うのよ」
「まだもらえていないの?」
加菜子が首を傾げる。幼い子供のような仕草に、少し和んでしまった。口元が緩んだところで、
「普通、担任から渡されそうなものだがな」
行野も首を傾げる。あまり可愛くない。
こんなことを考えている自分に苦笑した。やはりどこかで逃げたいと思っているのだろうか。弟の死を、認めたくないと。
ぐっと手のひらを握りしめ、虚空を睨む。
「私もおかしいと思ったのよ。篤史の寮の部屋に入りたいと言ったら断られて、じゃあ持ってきてくださいって頼んだら、言葉を濁されたわ。……怪しいわよね」
「怪しいよ」
「あからさますぎるな」
間髪なく続いた二人の声に、にっこり笑う。さすがに分かっている。私は腕を組み、出来るだけ恐ろしい響きでもって、言った。
「やっぱり、五月会――いいえ、一条真妃が関わっているのよ」
五月川学園においては、これだけしか考えられなかった。普通とは少し違っているとはいえ、学校は学校。一般生徒では、教師にまで影響を及ぼすことはできない。それどころか、反抗は自分の家の名を汚すことにも繋がるのだ。
だが、それを許される生徒もいる。五月会だ。
彼らは、家柄も知性も容姿も粒ぞろいの選りすぐり。生徒からの信頼も厚く、教師も一目置かざるを得ない。五月会を怒らせれば、誰であっても、この学園で生きていくことはできないだろう。それが例え教師でも。
「まあ、一条真妃は五月会ではないから、百万分の一くらいの確率で、無関係かもしれないわ。いえ、一億分の一かしら。それでもミスは許されない。ちょっと確かめてみようと思うわ」
「どうやって?」
加菜子は不安そうな顔つきだ。三雲、四瀬と仲がいいとはいえ、加菜子は葛城加菜子。一般生徒だ。私よりも、ずっと五月会の恐ろしさを肌で感じ続けてきている。
「そんなのは簡単よ。五月会へ行って、直接遺品を返してくださいと頼めばいいの」
一条が転校してきてからすっかり様子の変わってしまった五月会室を思い浮かべて、私は失笑する。あそこに一条以外の女子生徒が足を踏み入れるなんて、もしかすると私が初めてではないかしら。
▽ ▽ ▽
加菜子は危ないので、談話室で待っていてもらうことにした。私がいなくなると他の生徒たちの質問攻めに遭うだろうが、彼女は彼女なりにうまく切り抜けられる。
四瀬はどうしてもついていくと訴えて聞かなかったので、一緒に行くことになった。四瀬だし、男だし、特に問題になることはないだろう。
五月会室まで歩きながら、ちょっとからかってみた。
「四瀬は一条ハーレムに入らなくて平気なの?」
割と気になっていることだ。一条真妃は美人だし、一条だし、普通はお近づきになりたい。男子生徒は、ハーレムには入らないまでも、みな一条を特別扱いする。ちやほやして、お姫様とおだてる。
その点、女子の場合はもう少し複雑だ。一条は女子には全く見向きもしない。当たり前だ、女の子が欲しいものを、すべて持っているのだから。他の女子と交流を深める必要はない。彼女にとって、自分以外の少女など下働き程度にしか見えないのだろう。
一応、一条に媚を売る女子というのも存在する。だがそれは一条を取り囲む男子の外側をウロウロしているだけで、目に見えた効果がないのが現状だ。一条が認識しているかも怪しい。とすれば、女子の取る選択は限られてくる。無関心か、敵対か、だ。
ここが複雑な乙女心というやつだ。
正直に言って、男子を侍らせる女子など、大嫌いに決まっている。敵対したい。
だが、一条の名を負う少女を無下にはできない。そこで現状では、自分の恋人を盗られても、廊下でハーレムに突き飛ばされても、私は何の関係もございません、と淑女の皮をかぶっている生徒が多いのだった。
「……俺は、一条には興味がない」
四瀬は熟考の末に口を開いた。
「俺は四瀬として、一条と手を組んだ方がいいのは分かっている。親もそれを望んでいるらしい。分家だから、巻き返すチャンスだと思っているんだろう。でも、嫌だ」
「別にそうしたからって、私は行野を恨んだりしないわよ」
これは紛れもない本心だ。行野には行野の道がある。それが違っていたからといって責めるのは友人のやることではない。それになにより、私は行野の選択にどうこう言える立場ではないのだ。行野が分家に出されたのは、私のせいなのだから。
行野の眉がぴくりと動いた。不機嫌のサイン。どうやら地雷を踏んでしまったらしい。何か気を悪くするようなことを言ったかしらと考えを巡らせていると、地獄の底から響いてくるような恐ろしい声が聞こえた。
「俺は、絶対に統のそばから離れない。いい加減、分かってくれ」
「……そう。分かったわ」
確かに、責任は取るべきだ。行野が着実に歩んでいけるように支える義務が、私にはある。それまでずっと、行野の隣にいるべきか。軽々しく一条ハーレムの構成員になって将来安泰になろうだなんて、言ってはいけなかった。
長い廊下の先に、五月会室の重厚な黒檀のドアが見えてきた。
「では、行野は五月会室の外で待っててね。対峙するのは、私で十分」
「……何も分かっていないじゃないか」
私を睨みつけて、たいへん不満そうだ。しかし、ここは譲れない。まだ様子を見るだけだが、あそこは一条馬鹿の巣窟だ。何があるか分からない以上、友人をあえて危険地帯に突入させるわけにはいかない。
「大丈夫。少し話すだけだから、何もないわよ」
「じゃあ俺も行っていいだろう」
「わざわざ行野が行くほどじゃないのよ。それに五月会には、嫌な思い出のある男もいるし」
ちらっと存在を仄めかすと、行野が押し黙った。その隙に乗じて、五月会室のドアをノックする。
「は~い、だれぇ~?」
吐き気を催しそうなほど甘ったるい、甲高い女の声が聞こえてきた。私は背筋を伸ばし、来意を告げる。
「二年A組、三雲統です。弟、三雲篤史のことで伺いました」
耳を澄ますと、中からざわざわと相談する声が聞こえてくる。男たちは入れるなと主張し、一条が話を聞きたいとねだっているようだ。
結局、一条の意見が通ったようだ。時を置いて、ギィィ……とドアが開かれた。
「詳しいご用件は何でしょう? 三雲統さん」
現れたのは、いかにも優等生然とした雰囲気の男。制服を一部の隙もなく着こなし、銀縁眼鏡が冷酷に光っている。
五月会書記、四瀬透。四瀬本家の男。私や行野とは、因縁浅からぬ仲だ。
「中に入れてもらえませんか? 人に聞かれたいような内容ではないので」
眼鏡の奥の冷たい瞳を見据えると、ふいと視線がそらされた。私の背後にいる行野に目をやり、唇に嘲笑を浮かべる。
「ええ。あなただけならいいでしょう。ナンバーの一人、三雲本家の娘さんですからね。しかし、その後ろの男はいけません。分家の人間を五月会室へ入れたら、空気が汚れますから」
行野の拳が握られる。今にも爆発しそうなその表情を見て、私は素早く口を挟んだ。
「構いませんわ。もともと、彼は外で待たせる予定でしたから。今の五月会室の様子を、無邪気な一般生徒には見られたくないでしょう」
信頼を得られなくなりますからね。言外にそう含ませると、四瀬透の秀麗な顔がしかめられた。だがすぐに穏やかな笑顔を浮かべ、一歩下がる。
「どうぞ。ようこそ、五月会室へ」
「お邪魔させていただきますわ」
できるだけ優雅な微笑みを張りつけ、私は部屋の中へ足を踏み入れた。