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「――ここで一体何をしているのかしら?」
玲瓏とした声が、その場に響きわたりました。
静まり返る談話室を前にうろたえる一条と五月川が、ハッと体を強張らせます。二人の顔に、サーチライトのように幾本もの懐中電灯の光が刺さりました。
照らしているのは、反一条派の女子、十数人。そして彼女たちに囲まれて堂々と屹立しているのは、私の大好きな友人、三雲統です。
「な……っ! どういうことだ、統!?」
五月川が口から唾を飛ばしながら叫びます。眩い光を浴びているというのに、モデルの気配は微塵も感じられません。腰が完全に引けています。
「どういうことも何も、それはあなたたち二人が説明することよ。二年D組の五月川綾治君と、二年A組の一条真妃さん? こんな時間に寮を抜け出すなんて、校則違反だわ」
「そ、それを言うなら、あんたたちだって同じじゃない! ここにいる時点で同罪だよっ!」
顔の引きつる一条に指を突きつけられて、統ちゃんはゆったりと微笑みました。右腕につけた腕章を白い光彩の中に映し出し、引っ張ってみせます。
「見えるかしら? 私は風紀委員長だから、夜の見回りは仕事なのよ。他の彼女たちも同様。校内を巡回していたら怪しい声が聞こえてきたから、集まってもらったの。――ご理解いただけたかしら?」
「か、葛城が……っ!!」
五月川がぶるぶる震えながら、私を睨みつけました。
「あいつが! あいつが言ったんだ!! ここで選挙妨害の密会が開かれるって! だから俺は来たんだ! 俺は悪くない!」
「そんなもの、言い訳にもならないわね」
統ちゃんが頬に手を当てます。
「加菜子は夜回りのためにここにいるわ。対して、あなたたちは何のためにここにいるの? それを説明できないうちは、ここから帰すわけにはいかないわね」
「てめえ……っ! ハメやがったな!」
「一体何のことかしら? 意味が分からないわ」
そのままこてんと首を傾げる彼女の表情からは、罠を張っていたことなど微塵も感じられませんでした。
そうです。今回、主役は葛城加菜子でした。
高岳からスパイを持ちかけられたとき――本当に頭を抱えました。困り果てました。
篤史君の遺品? 欲しいに決まってます。どうして彼があそこまで一条に惚れこんだのか、気になって気になって仕方がないのです。
もしかしたら、私なんかには理解不能な、彼だけに感じ取れる何かが一条から発せられているのかもしれません。それを突きつけられれば、激しく傷つくことでしょう。
けれども、見たくないとは思いません。
もう二度と会えないのだから、せめて彼の遺した思考の痕跡を辿って、その心に寄り添ってみたいのです。
全てが手遅れになってしまったあとだけど。
意地、なのでしょうか。そうでもしなければ、始まる前に終わってしまった恋を胸の中に収めていられなくて。
だから、高岳の申し出に一時は本気で頷きかけました。
統ちゃんは確かに私の友人だけど、間には埋められない亀裂があるから。
しかし、高岳と初めて会った日の夜。寮に帰って彼女の顔を見た瞬間、やっぱり友人を裏切れないと心が締め付けられたのです。
私は弱い人間です。どうしたらいいのか分からずに、迷子のようにその場にくずおれて泣き出してしまいました。統ちゃんは慌てたように私のそばに膝をついて、何度も何度も背中を撫でてくれました。戸惑いがちで少しばかりくすぐったかったけれど、温かい手のひらでした。
それで私は、彼女に高岳にスパイを持ちかけられたことを涙ながらに打ち明けました。泣いている人間を無下にできるほど統ちゃんは冷たくない、と打算が働いていたことは否定しません。
統ちゃんは話を聞いてから、しばらく黙っていました。
その静寂があまりにも恐ろしくて、顔を上げることができません。
やがて、撫でてくれている手がぴたりと止まり、彼女はぽつんと呟きました。
『加菜子はどうしたいの?』
優しい、口調でした。つられるように面を上げると、ふんわりとした笑顔を浮かべる統ちゃんと、バチリと目が合いました。
『私が決めることじゃないわ。加菜子の意志は、加菜子にしか縛られない。そうでしょ?』
ぽっかり口を開けて、彼女の白い顔を眺めることしか出来ませんでした。
なぜ三雲統は、そんなことを言えるのでしょう。
普通、友人にスパイの勧誘があったら、もっと縋りついてきませんか? 二心を抱かないように、ガッチリ押さえつけておくものではないですか? 間違っても、君が決めなよ、なんて言うことはありえないでしょう。
そこが、彼女と私の違い――と目を伏せたとき、平淡な声が続きました。
『もしも篤史の遺品が欲しいのなら、処分を頼むことを勧めるわ』
突然のことに凍りついてしまいました。
それは、どういう意味――。
口を開きかけた私に、統ちゃんは謎めいた微笑みだけを残して、そのまま立ち去ってしまいました。
「この状況、周りからはどう見えているか理解できるかしら?」
統ちゃんの澄んだ声に、ハッと夢想から醒めました。
一条と五月川は互いに寄り添うようにしながら顔を歪めています。
「どういうことだよ、それ?」
五月川が苦々しげに吐き捨てました。こんなときでも生意気な響きを漂わせているのには少し感心します。彼にしかできない芸当でしょう。
「夜、寮を抜け出して、一人の男子生徒と一人の女子生徒が校内をうろつく――見出しはなんてつけたらいいのかしら。人気モデル、令嬢と真夜中の逢引? ……センスがなくて嫌ね」
お互いが相手を突き飛ばすように離れました。さっきまでの親密な様子はどこへ消えたのか。しかし、統ちゃんはのんびり背後を振り向きました。
「きちんと撮れたわね? 行野」
「当たり前だ」
とぐろを巻く闇の中からうっそりと現れたのは行野君。手には暗視カメラを持っています。
「それは良かったわ。部長に感謝しなきゃ」
あらかた機材を持って行かれた放送部ですが、機械好きの部長が自作したというなんだかよく分からないガラクタの山は残されていたのでした。その中に、いま初めて役に立った暗視カメラも紛れていたというわけで。
「そんなのどうするつもりだよ!?」
ほとんど悲鳴のように声を上ずらせて、五月川が呻きます。一条は青ざめて、壊れたようにガタガタ震えだします。
行野君の手からカメラを受け取って、統ちゃんは白い歯を見せました。
「さて、どうしましょうか。これだけでもなかなか面白そうだけれど、まだ刺激が足りないわよね?」
「やめてよ!」
一条が両手で頭をかきむしり、カッと目を見開いて統ちゃんを凝視しています。白目に蜘蛛の巣のような血管が浮き上がり、今にも破裂しそうでした。
「あらあら一条さん。残念だけど、止める理由が見当たらないの。あなたの顔がモザイクで隠されてしまうのは、とっても我慢ならないわよね? 目立つことが何より好きなあなたのことだもの」
「ゆる、さないわ……、そんなことしてみなさい。あんたを殺してあげるから」
「それはどうも。篤史を殺したように?」
途端に、一条の表情が凍てつきます。わなわなと唇が震えていましたが、ぎゅっと引き結びました。それは言わない、という意思表示でしょうか。これくらい追いつめただけでは、口を割る気はないようです。
統ちゃんが肩をすくめ、
「まあいいわ。とにかく、これは私が預かって、先頃五月川綾治が出した馬鹿な通達と一緒に、しかるべきところへ送っておくわね」
「は……?」
五月川がだらしなく口を開きます。統ちゃんは制服のポケットからあのリストと名札を取り出し、
「この命令の時点で、学園は、あなたたちが馬鹿にしてきた人たちからの支持を失ったの。そうね、学園内だけなら大した数ではないし、この箱庭の外に出そうとしても阻まれたでしょうね。でも、五月川の坊ちゃんの汚い疑惑とセットならどうかしら?」
ひらひら、とカメラを振ってみせます。
「こんな乱れた学園に、誰が生徒を入れたいと思うのかしら? そしてそれを防ぐために、誰がどんなことをやってくれるのかしら?」
「お、俺が何をやればいいんだ! 何でもする! 何でもするから……!」
とうとう体を地面に投げ出し、土下座をし始めました。虫みたいです。統ちゃんは冷え切った瞳で、その姿を見下ろしていました。
「言ったでしょ? あなたが私と同格なんておこがましいと。どうして取引できると思うのか、まったく理解できないわ」
「じゃ、じゃあ……」
「あなたのお父様と話し合おうと思うのよ。あの方も見たいものしか見ないようだから、目を開かせてあげようと思って」
「俺は、どうなる――」
「さあ? 可愛い次男坊のために、お父様は一体何をしてくれるかしら。私には予想もつかないわ」
ぼろきれのように廊下にうずくまる五月川から目を離して、統ちゃんが私を見つめました。
「これで約束は守れそうだわ」
そうですね。
私はまた、記憶の中へ分け入りました。
保健室で高岳と会った日の夜。
スパイを告白したときのように、私は統ちゃんに、処分を頼んだことを告げました。
立ち尽くす私の前で、硬い椅子に座った統ちゃんは黙って耳を傾けていました。
そこまでしておきながら、いざとなると私はどちらにつくか、彼女にはっきりさせることができませんでした。
まだどっちつかずでいたいと、ぐずぐず甘えていたのです。あんなに、後悔しないと決めたのに。もう後戻りできるかどうかも分からないのに。
こんなに悩む私に、涼しい顔しか見せない統ちゃんを視界に入れていると、ますます思考は混乱していきます。
そんな私を見かねたのか、統ちゃんはぽつんと呟きました。
『加菜子が高岳についても、私は許すわよ。情報なんていくらでもあげる。だって加菜子は私の友達だもの』
そう告げたときの統ちゃんの目を、私は一生忘れることができないでしょう。
鷹揚な言葉とは裏腹に、心では一体どんなことを考えているのか――ずいぶんと、湿っぽい色に満ち満ちていました。
統ちゃんも私と同じ、なのか。
統ちゃんはいつも強くて、凛々しくて、優美なのだとかたくなに信じていたけれど、もしかすると、彼女の心のどこかにも、同じ柔らかな部分があるのかもしれない。
こんなふうに、迷って、悩んで、叫びだしたい気分を、味わったことがあるのかもしれない。
さっきまでぐちゃぐちゃだった頭の中が、綺麗に晴れ渡っていくのが分かりました。
私は、やっぱり。
『――統ちゃんを信じることにする。ずっとそばにいたいから。できれば役に立って、ちょっとでも荷物を軽くしてあげたいから』
統ちゃんのほっそりした手を握って顔を近づけると、彼女の体から力が抜けていくのが分かりました。椅子がギッと軋みました。
ああ、そんなにも緊張していたなんて。
統ちゃんは顔を綻ばせて、私の手を握り返してくれました。
『良かったわ。加菜子が裏切ると言ったら、私は友達を破滅させなくてはいけなかったんだもの。そんな悲しいこと、あまりやりたくないわ』
ゆ、許してくれるというのは……。
『もちろん裏切りは許すけれどね。その後どうするのかは別問題よ。本当に良かった』
統ちゃんは、やっぱり統ちゃんでした。
脱力してよろよろとベッドへ向かう私の背中に、彼女が呼びかけました。
『加菜子、ちょっと頼みがあるんだけれど』
『なぁに? 私にできることなら』
振り向くと、真剣な統ちゃんの顔があって、じっと私に目を向けていました。そこで私は、今回の狂言回しの役を引き受けたのです。
少し予定が狂ったところもありましたが――司会はくれてやるつもりでしたが、機材まで没収されたのは予想外だったようです――なんとか、大役を終えることができました。
そして最後に、彼女はこう付け加えました。
『私は必ず一条の顔を潰すわ。そのせいで今回みたいに加菜子が傷つくこともあると思う。けれど、その時は絶対に守ってみせる。――だから』
その先の言葉を、統ちゃんは思いつかないようでした。
私は小さく笑って、そっと囁きました。
『何があっても大丈夫だから。私は統ちゃんのそばにいて、信じ続けるから。……それでいい?』
ほっとしたように目元を綻ばせるのが、可愛らしく見えました。
「結局弁解はないのね? ならばもう結構――部屋へ戻ったらいいわ」
統ちゃんは低い声で五月川と一条に命じます。身じろぎもしない二人を風紀委員が囲んで、引き立たせました。
「ひとまずこんなものでしょう。私たちも帰りましょうか」
そう言って髪を払う統ちゃんはやっぱり暗がりの中でも光を帯びて見えて。胸が締め付けられるのです。
私は彼女のそばにいる限り、揺れることもあるし、劣等感を抱くこともあるでしょう。統ちゃんは私の目には眩しく映るから。当然です。
でも、今みたいに役に立てたら、そんな気分も軽くなるだろうし、ちょっとは自分を誇りに思えるのです。しかも、統ちゃんが見せてくれた一瞬の弱気を、私は永遠に覚えています。だから、きっと、彼女の近くをうろうろし続けることでしょう。
それに――。
高岳の言っていた傷心の統ちゃんを慰める役どころを、行野君に易々と譲るわけにはいきませんからね。
先は闇に消えてどこまでも続いていくように思える廊下を、統ちゃんと行野君と並んで歩きながら、そんなことを考えたのでした。
▽ ▽ ▽
その後、名札システムは撤廃され、誰もが等しく設備を使うことになりました。それから、五月川学園の生徒は皆平等で、このような通達が出たのは大変遺憾だと、げっそりと痩せこけ、消え入りそうに青ざめた理事長から発表がありました。今後一切、生徒間に不平等をもたらす仕組みは作らないと。
そして、五月川綾治は学園から姿を消しました。五月会は人員不足となりましたが、正式な選挙を行うつもりはないようです。
だって、新たに導入された相談役選挙があんなに惨めな結果に終わってしまっては、役員総入れ替えは必至。石にかじりついても、その座は譲らないでしょう。
宣言通り、司会を務めた統ちゃんは一条の愚かさを全校生徒に見事に露呈してくれました。ハーレムが常識もわきまえず大声を上げて応援しようとすれば、風紀委員が即退場させます。どうやらその中にカンペを差し出す係がいたらしく、一条は舞台の上でおろおろするばかりでした。これではさすがに、彼女に票を入れようと思うものはいなかったのです。
こうして、波乱の選挙は幕を閉じました。
選挙編はひとまず完結。ありがとうございました!




