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三雲統は化物になった  作者: 小野寺未明
波乱の選挙
10/14

「ちょっと、何をやってるんだ? 早く戻ってきてよ」


 私が口を開こうとしたとき、背後から厳しい声が刺さりました。振り向くと、部長が顔をしかめてこちらへ歩いて来るところです。しなやかな腕にボールを抱え、頬には汗が伝っていました。


「高岳君、もういいだろう? 葛城さんもいないと困るんだから」


「あははっ、みんなの葛城さんを独り占めしてごめんね。じゃー、例のこと、よろしく」


 私の腕を引っ張り上げ、立たせてくれます。そして人を食ったような笑みを閃かせると、来たときと同じようなぶらぶらとした歩き方で去っていきました。

 得体のしれない生き物をつかんだような感覚に、知らず腕を撫でました。鳥肌がびっしりと浮いています。


「葛城さん、予算は大丈夫?」


 どこまでも地に足の着いた、淡々とした響きです。部長を向いて、私は頷きました。


「はい。ちょっとした訂正で済みそうです」


「そう、ならよかった。頼むよ」


「はい……」


「葛城さんのほかに、そういうことができる人はいないんだから」


「……」


 こんなに便利な言うなりの人、そうそういるはずないですもんね。分かっています。よく分かっています。

 部長の後から体育館に入りながら、私は黙って、高岳のことを考えていました。


▽ ▽ ▽


統ちゃんには統ちゃんで、問題が発生しているようでした。

というより、問題がつきまとっていると描写した方が正確かもしれません。それは――。


「おい、統。聞いてるのか?」


「ええ。不幸なことに私の耳にはシャットダウン機能がついていないの」


「とにかく、一条に楯突こうだなんて考えるな。お前のためにならない。むしろ害になるばかりだ。いいじゃないか、彼女は一条だぞ? 長い物にはおとなしく巻かれとけ。三雲家にとっても利益になるだろ」


 五月川綾治です。彼は昼休み、四阿で弁当を食べる私たち三人のところへ日参しては、統ちゃんのみにマシンガンのごとく話しかけるのです。行野君や私には目もくれません。


「三雲家にとって利益になっても、三雲統にとっては不利益にしかならないのよ。だいたい、私がどう行動しようと、あなたには関係ないでしょう? せいぜい一条真妃に尻尾を振って、五月川家の利益とやらを追求したらいいじゃない」


「俺は五月川の跡取りじゃないからな。家に縛られる必要はないんだ」


 五月川はなぜか自慢げです。自由な俺アピールでしょうか。

統ちゃんは顔をしかめ、デザートの手作りゼリーを取り出しました。それはオレンジ色の中に、赤や白の星々が浮かぶ、まるで夕焼けを閉じ込めたような、繊細な一品でした。昨晩から楽しげに準備していたそれを軽い手つきで五月川の手に握らせると、ぴしりと、


「それあげるから、さっさと私の前から消えなさい」


「お、俺はガキじゃねえぞ!」


 五月川は顔を赤く染め変えて怒鳴ります。それでも渡されたゼリーの容器をしっかり握り、後ろ手に隠しました。行野君がものすごい形相で睨みつけているからでしょう。彼の一睨みで、弱気な人間の一人や二人、たやすく殺せてしまいそうです。

 統ちゃんはそんなことにはまったく気づかない様子でカップを傾けています。そうして犬でも追い払うかのようにひらひらと左手を振ると、五月川を追っぱらってしまいました。


「やっとうるさいのがいなくなったわね」


 統ちゃんはご満悦です。一方不機嫌メーターの針の振り切れそうな行野君は、いつになく乱暴な口調で、


「五月川は一体何をしたいんだ」


「私を行野や加菜子から分離したいんじゃないかしら」


 箸を口に運ぶ統ちゃんを、まじまじと見つめてしまいました。


 いま、なんて……?


 行野君も手を止めて、統ちゃんの顔を凝視しています。

 統ちゃんはしばらく私たちの反応に気づかず食事を続行していましたが、やがて説明待ち顔の行野君と私を等分に眺めると、箸を置きました。


「それくらいしか考えられないと思うのよ。五月川は私にしか話しかけてこない。やたら一条派への転向を勧めてくる。これって、私たちの仲を分断しようとしているんじゃないかしら」


「ああ……」


 言われてみればそうかもしれません。彼は私たちを蚊帳の外に置いて、統ちゃんだけと会話を試みているのです。やり方は非常に拙いですが、彼にとって私たちなど塵芥同然ですから。同じ悲しみを知る人間だなんて、きっと思いついたこともないでしょう。


「まあ、ただ五月川が傲慢だから私だけと話しているのかもしれないけれど」


 ええ、それもあり得ます。でも私の中に、別の選択肢が芽生えてしまっているのです。それは私が、下卑た思考を巡らせているだけなのでしょうか。


「五月川はさほど一条真妃に愛着があるようではないのに、よくやるわ。次男でも五月川の人間という自覚があるのかしら」


 五月川綾治は、三雲統のことが好きなんじゃないか――って、統ちゃんは考えることもないのですね。

 やたら激しい一条派への勧誘は、危険を冒そうとする彼女を止めたいからなのでは、だなんて、ちらりとも頭をかすめないのですね。

 そこに、やっぱり、統ちゃんと私の違いがあるのでしょうか。

 たぶん、統ちゃんが私の恋心を知る日は一生来ないでしょう。どんなに統ちゃんが明晰でも、こればっかりは呑み込めないはずです。


「加菜子、どうかした? 最近、考え込んでいることが多いけれど……」


 統ちゃんが心配そうに顔を覗き込んできます。私は首を振って、いつもの微笑みを刷きました。


「ううん。なんでもないの」


▽▽ ▽


 学園の様子がおかしくなったのは、次の日のことでした。

 私たち三人は、いつも通りの道を歩いて、周りを行き過ぎる生徒たちと挨拶を交わしながら、寮から学校へ向かっていました。

 そして、それを目にしました。


 それ――蔦の絡まる模様が精緻に彫られた校門の前で、地獄の番人のように仁王立ちする生徒たち。


 そこで何か、検問めいたことが行われているようでした。


 突然のことに首を傾げる生徒たちを、門番役が呼び止めて、一言、二言ばかり言葉を交わしています。もちろん何の予告もないことで、多少の混乱が生じているようですが、たいていの学生は無事に門を通り過ぎてゆきました。


「何かしら、あれ」


 統ちゃんが小首を傾けて眉を寄せています。艶やかな黒髪が、遅れてさらさらっ……と流れました。


「風紀委員の服装検査じゃないの?」


 きょとんと問うてみると、


「まさか、今月はまだよ。勝手に動くなんてありえないはずだし……」


 その言に、鼓動が急に早くなりました。背中を冷たい汗が伝い、口の中が乾いていきます。足が震えるのを抑えるのが精いっぱいでした。

 

――何か、よくないことが起こる気がする。

 

 嫌な予感ほど、よく当たるものですよね。


 私たちは人の波に乗って、校門にたどり着きました。門番役は十人ほど。全員男で、手に謎めいたリストを持っています。さほど長くはなく、名前や学年が書いてあるのがちらりと見えました。


「一体何事なのよ」


 門番の前に押し出された統ちゃんが、腕組みして尋ねます。笑顔を浮かべてはいますが、長い睫毛に縁取られた瞳はひんやりと翳っています。唇は、ぞっとするほど鮮やかな赤です。

 相対した男子生徒は、知らない間に二三歩後ずさりし、手にしたリストを盾のように掲げました。


「あ、その……」


「はっきり言いなさいな。あなたがそれを正しいと思うのなら」


「お、れ……いえ、僕たちは、一条さまと五月会の命令に従っているだけです」


 要領を得ないあげく、いきなり責任転嫁するような発言に、統ちゃんの口元がぴくりと動きました。つ、と白い腕を伸ばし、生徒の手からリストを摘み上げます。既に門番としての役割を放棄したそうな彼は、それでも何とか踏みとどまって、説明しだしました。


「昨日、通達が回ったんです。そのリストに名前のある生徒たちを登校時に捕まえて、これをつけさせろ、と……」


 制服のポケットから、小さなものが取りだされました。安っぽいイエローの布に安全ピンのついた、名札のようでした。下品にてらてらと光っています。シックな藍色の制服につけたら、さぞかし目立つことでしょう。色合いも最悪です。


「へぇー……。で、このリストに載っている生徒たちは、一体何を基準に選ばれたわけ?」


 軽蔑しきった視線を向けられて、哀れな男子生徒は肩をすぼめました。初めに見たときよりも、半分くらい縮んでいるような気がします。


「えーっと……、実家の、年収、だとか……」


「……は?」


 途端に、統ちゃんの目に、触れれば手を斬られてしまいそうなほど冷たい光が宿りました。怒りのためか頬が青ざめて、いっそ神々しいほど白く輝いて見えました。

 吹き付ける風に、闇のように深い黒色の髪が巻き上がります。

 リストを捉えた手が強く握りしめられ、紙がぐしゃぐしゃによれていきました。


「す、すみません! あの、でも、僕たち一条さまと五月会の方々には逆らえないので!! それ、と……」


 男子生徒が、恐る恐るといったふうに、私に目をやりました。


「そのぅ、葛城加菜子、先輩ですよね?」


「そう、だけど……」


 私にはその先を、ありありと頭に浮かべることが出来ました。きっと彼は私に名札を差し出し、こう言うのです。


「あなたはリストに名前が載っています、つけてください」


 体の横にだらりと垂れさがった手に無理やり名札を掴まされ、視界が回りました。

 周囲の人の視線が体中に突き刺さります。頭の上を、上品ながらも聞くに堪えがたい会話が通り過ぎていきます。向けられる目は私を舐めまわし、価値を見定めるのです。

たぶん、この場にいる人間の中で、こんなものを渡されて惨めな思いをしなくてはならないのは、葛城加菜子一人だけでしょう。リストは大した大きさではなかったから、それはつまり――。


 ああ。


 こんな残酷なことを思いつける一条たちと、どうして篤史君は一緒に呼吸ができたのでしょう。


 頭をよぎったのは、高岳の言葉でした。


 ――その日記、ここ一か月くらいは一条真妃への愛を綴る――


 ――寝ても覚めても一条さん一条さん。暑苦しいくらいの愛が語られてるよ――。


 倒れかけた体を、統ちゃんが支えてくれました。それで彼女まで転びかけたのを、行野君が受けとめます。


「加菜子!? しっかりして!」


 それが泣き叫ぶように聞こえるのは、きっと私の幻。彼女が泣くわけないですから。


 揺らぐ体とは裏腹に、心はすっかり落ち着いてしまいました。それはいっそ冷酷なほどに。


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