リィラとユゥⅠ
リィラは昼より夜のほうが好きだった。月の光は、太陽の光より優しい。眺めても目を傷めるようなことはないし、満ち欠けのために毎日少しずつ光の加減が変わっていくので、見ていて飽きることはなかった。小さく聞こえる虫の音も夜のほうが穏やかだ。
今日も一日が終わっていくんだ……。ベッドにいるまま何もしないでも時間は過ぎてゆく。リィラにはそれが不思議だった。そして、少しだけ怖かった。
「みんなに、取り残されているみたい……」
リィラの目から涙が零れ落ちた。怖くて、寂しくて、苦しくて。死は怖くないつもりでいたが、やはり駄目なようだった。
「死にたく、ないな……」
その時、閉じていた窓がぱたんと開いた。夜の冷たい風がさぁっと吹き込んでくる。
「あれ、おかしいなあ……。ちゃんと鍵してたはずなのに……」
リィラは窓を閉めようと手を伸ばした。しかし、その腕は窓を閉めることはできなった。
「開けておけばいいのに。ここ、暑くてたまんねぇよ」
窓の外に、白い服を着た自分と同じくらいの男の子が現れたのだ。何もなかった空間にゆっくり描き出されたように。そして、その男の子は宙に浮いていた。
驚いて声も出ないリィラをよそに、その男の子はするっと部屋の中に入ってきて椅子に腰かけた。
「人間ってのはどうしてこんな暑いとこに住めるんだか……。あぁでもそれを言うと朱雀様やポセイドン様達に怒られちゃうよなぁ。あのお方たちは暑いところが好きだから……。まぁ……」
朱雀様? ポセイドン様? リィラには男の子のつぶやいていることは全く分からなかった。いきなりの出来事で頭の中がごちゃごちゃになっていたし、声をあげようにも力が入らなかった。しかし、目の前でぶつぶつつぶやき続けられるのも気になるので、リィラはありったけの勇気と気力を振り絞って声をかけてみた。
「あ、あのう……」
男の子は聞こえなかったのか、まだ一人でつぶやき続けている。そこでリィラはもう少し大きな声を出した。
「すみませんっ……。あのう……」
今度は男の子も気づいたらしい。驚いたようにリィラのほうを振り向いた。丸くなった蒼い瞳を、リィラはとてもきれいだと思った。
「ユラ……? でもお前、俺のことは見えなかったはずだろ……? 」
リィラは男の子の口からユラの名前が出たことに驚いた。ユラはほとんど家から出ずに、部屋で着物を作っている。だから小さな男の子と知り合いになることはないはずだと思った。けれど、それ以上にリィラとユラを見間違えたことに驚きを隠せなかった。
「ユラは私のおばあちゃんだよ。あなた、おばあちゃんの知り合いなの? 」
男の子の目はさらに丸くなった。
「おばあちゃん? ってことはお前、ユラの孫なのか……。あれからこっちはそんなに時間が経っていたんだな……」
男の子は窓の外の月を見つめた。哀愁を含んだ瞳と風でさらさら揺れる薄青の髪。その様子は昼間のユラにどこか似ていた。
「あなた、だれ? 」
「俺は、雪の神だ」
月から目を外し、リィラをまっすぐ見つめて、男の子はそう言った。
リィラはもうこれ以上ないくらい驚きと興奮に溢れていた。まさか、本当に雪の神様に会えるなんて。
「本当に、雪の神様なの? おばあちゃんからいつも話を聞いていたの。わたし、ずっと会ってみたかった! 」
目をキラキラ輝かせているリィラに、雪の神様は得意げな顔になった。
「そうなのか? まぁ、ユラは俺のこと好いてたからな」
その自信はどこから来るのかと思い、リィラは苦笑した。雪の神様はそんなリィラの様子も気にしていないようだった。
「ユラの孫、お前の名前は、なんていうんだ? 」
雪の神様は椅子からふわっと飛び上がってリィラの目の前にやってきた。その体は宙に浮かんでいた。
「私の名前はリィラだよ。」
「リィラか……。いい名だ」
リィラは雪の神様から褒められて頬が熱くなった。彼女のそんな様子を、雪の神様は面白がるように見ていた。それに気づいたリィラは一層顔を赤くしてうつむいた。
「そんなにうれしかったのか? 」
リィラはこくんとうなずいた。
「おかあさんと、おばあちゃんが私にくれたプレゼントだもの……」
それからリィラは顔を上げて雪の神様を見た。
「雪の神様は、名前はないの? 雪の神様っていうのが名前なの? 」
すると雪の神様は少し困ったような顔をした。リィラはなにかいけないことを聞いてしまったのかと心配になった。しかしすぐにもとの調子に戻って、ういたまま宙返りをした。
「俺には名前がないんだよ」
「え?」
「もう少し位の高い神なら称号と名前があるんだけどな。神は天界に住んでるんだが、そこでも人間界みたいに地位ってものがあるんだよ。名前のある神ってのは人間界でいう貴族みたいなものさ。生粋の天界生まれの神だけに称号と名前があるんだよ。例えば、天界の第一皇子は生を司る神なんだが、あの方の称号はゼウス、名前はウエン・シャグミスだったな。俺は人間界でいう一般市民みたいなもんだから称号も名前ももってないんだよ」
まあ例外もあるがな……、とつぶやく雪の神様。リィラには彼の話はよく分からなかった。貴族、一般市民、称号などという言葉も聞いたことはなかった。わかったことは、雪の神様には名前がないということ。
「じゃあ、わたしが名前を付けてあげるよ! 」
雪の神様は目を丸くして、それから意地悪そうに笑った。
「そうか。なら、俺に合う名前をつけてみろよ」
リィラは少し考えた。雪の神様……。雪……。そしてリィラはにっこり笑っていった。
「あなたの名前は、ユゥね! 雪の神様だし、男の子だし、響きが素敵だし」
「ユゥか……。ふん、まぁ悪くないか」
雪の神様、ユゥは満足そうな顔をした。そして再び宙返りをした。
リィラも満足して、興奮が少し落ち着いてきた。するとどっと眠気が押し寄せてきて、思わずあくびが出てきてしまった。
「眠いのか? 人間ってのは不便だな」
ユゥはつまらなさそうにつぶやいた。リィラは眠気を覚ますことはできず、目をこすりながらユゥのほうを向いた。
「今日はもう寝るね……。たくさん話せてたのしかったよ」
ベッドに体を横にしたリィラの枕元に、ユゥはふわりと飛んできた。
「おう。俺も久々に人間と話せて楽しかった。ありがとな」
リィラは笑顔になった。ユゥに聞きたいことはまだまだたくさんあった。ほかの神様のことや、兄弟たちのこと。ユゥはどうしてここに来たのかということ。でも、瞼が重くてそれを口に出す気力はもう残っていなかった。けれど、一つだけ、今どうしても言っておきたいことがあった。
「ユゥ……。わたしと、友達になってくれる? 」
「ああ。いいぜ」
その言葉に、リィラは幸せな気持ちになった。そのまま彼女は深い眠りに落ちていった。