魔除けの籠
その日僕は、大した用もなく民俗文化研究会のサークル室を訪ねた。
僕は大学の新聞サークルに所属している佐野という大学生で、頻繁にこの民族文化研究会に出入りしている。新聞サークルと民俗文化研究会は協力関係にあり、それで交流があるから… というのは、表向きの理由。本当はそれを口実にして、この民俗文化研究会に所属している鈴谷凜子という女学生に会いに来ているのだ、僕は。
彼女はこの人気のないサークルの主のような存在で、よく一人で本を読んでいる。スレンダーな体型に、凛とした雰囲気。いつもスーツ姿なのだけど、それがとてもよく似合っている。今日も素敵だ。まぁ、ここまで書けば分かるかもしれないけど、僕は彼女に惚れている。だから定期的に何か理由を作っては、彼女に会いに来ているのだ。
「今日は何の用?」
ノックをして僕が入ると、彼女は軽く挨拶をした後でそう尋ねて来た。珍しく読書はしていなくて、ノートパソコンで何かの書類を作成していた。多分、講義で出された課題か何かだろうと思う。
「いや、実は新聞に書く小ネタの相談にね」
「小ネタ?」
「うん。怪談か何かがいいな」
もちろん、これは今てきとーに考えただけの後付けの理由だ。彼女もそれに気付いているかもしれない。ただ、気付いていても何も言わないだろう。多少、内心で呆れているかもしれないけど。
「うーん。そうねぇ、じゃあ、“魔除けの籠”の話なんかどう?」
少しの間の後で、彼女はそう言った。
「魔除けの籠?」
「そう、魔除けの籠。
笊や籠の類って、江戸時代辺りは、魔除けの道具としてわりとポピュラーだったそうよ。事八日の物忌に使うの。道教の、九字を切る… “臨兵闘者皆陣列在前”や陰陽道の晴明桔梗に関連させてその効果が説明される場合もあるし、一つ目小僧やミカリ婆などを避ける為とか言われる場合もある。笊や籠は目が多くて、それで怖がって逃げていくのだとか。もちろん、伝わる場所によって差があるのだけど。
でね、今でも地方によってはこの風習が残っているという話だけど、私の知合いが、それを見かけたそうなの……」
僕は彼女の話を不思議に思いながらも「へぇ」とそう言った。
「私の知合いが見たその籠は、少し大きくて、重しで固定されてあった。そして、家の裏手の地面に伏せられていたそうよ。しかも、その中には何故か土饅頭のようなものが。
その人は、初めは魔除けだなんて思わなくて、なんだろう?と、ただ不思議に思っていたらしいのだけど、そのうちに、その家の人が外に出て来た。で、その人に“何をしているのか?”と、尋ねて来たそうなの。
考えてみれば、他人の家の裏手を、じろじろと眺めていたのだから、不審に思われても仕方がなかった訳。それでその人は一言謝った後で、“この籠はなんですか?”と、質問をしてみたのだとか。すると、その家の人は“魔除けだよ”と、そう答えたのだって。
その人は籠の魔除けの話を知っていたから、それで“へぇ、まだそんな風習が残っているんだ”と、感心したそうよ」
僕はそれに頷いた。民俗学的には、貴重な話かもしれないけど怪談ではない。そうは思ったけど、ツッコミは入れない。何故なら、彼女に嫌われないか心配だから。
ええ、ヘタレですよ。
が、それから彼女はまだ語るのだった。
「これで終わるのだったら、これは、ただ珍しい風習を見たってだけの話だけど、まだ続きがあってね」
僕はその続きに期待する。
「面白いと思ったその人は、それからその辺りの人に、その“魔除けの籠”の話をしてみたのだって。風習が残っているのなら、話を聞けると思って。ところが、誰もその話を知らない。どうも、そんな風習は、その地方には残っていないようなの。
では、あの家のあれは何だったのだろう?
その人は、当然、そう疑問に思った…」
そこまでを語って、彼女は僕を見ると、こう質問して来た。
「さて。佐野君は、これ、何だと思う?」
僕は突然、話を振られたものだから、少し慌てる。こう答えた。
「え? いや、分からないけど、その家だけで、独自に風習を残していたのじゃないかな?」
「そうね。その可能性もある。ただ、私は別の可能性も疑ってみた。
そういう魔除けってね、本来は機能的な意味のあったものが、形骸化して、別の理由を付与される事があるらしいの。実は、ヨーロッパでも似たような魔除けが伝わる地方があるのだけど、その場合は網で、魔除けの効果としては、亡者を退けるというもの。これは、亡者はついつい、網の目を数えてしまうから、などと説明されているらしいわ。日本の話とよく似ているわね。
ところがこの網の本来の目的は、犬や狼といった野生動物から人の遺体を護る事だったのではないか? という説がある。飽くまで、説に過ぎないけど、一考に値する考えじゃないかと私は思う。
さて。この話を踏まえた上で、今回の話を考えてみるとどうなるかしら?」
僕はそれを聞くと、彼女が何を言わんとしているのか、ちょっと考えてみた。そして、なんとなく察する。
「え… それは、つまり…」
「ええ、そう。籠の中には土饅頭のようなものがあった。そして、重しで固定されていた。もしかしたら、その家の籠は、“魔除け”ではなく、先の話と同じ様に“野生動物除け”だったのかもしれない。もちろん、その土饅頭の下には、何かが埋まっていたのでしょうね」
僕は少し怖く思いながらも、こう尋ねる。
「まさか、誰かの死体…」
すると、鈴谷さんは笑った。
「流石に、それはないと思うわよ」
が、それから悪戯っぽく微笑み、こう続ける。
「でも、その家の人が、警戒して、まるで私の知合いを追っ払うようにしていた点は気になるわね。それに、その昔、この日本には死んだ自分の子共を、自分の家のすぐ傍に埋めるという風習があった……」
僕はそれを聞くと、こう言った。
「怖い事を言わないでよ」
すると、彼女はおどけた感じで、こう返して来た。
「あら? 怪談を聞きたかったのでしょう?」
“それは、単なる口実だよ…”
と、僕は思う。
……もしかしたら彼女は、それを分かった上で、こんな話をしたのかもしれない。やっぱり彼女には敵わない。色々な意味で。
こんな感じで、民俗文化系の知識及びに、その他の知識がたくさん出てくる、鈴谷さんを探偵役(?)にした推理小説っぽな話を、2月3日のコミティアで売ります。
タイトルは「鈴谷さん、噂話です」
なんか前回のが好評で、カタログでピックアップしてくれたそうです…
僕は、これがどれだけ凄い事なのか分かっていないのですが、調子に乗って、新刊も作っちゃった。
因みに、一冊200円。
全部売れても、赤字ですー




