理解の埒外
実際の所。アゼルは自身の持つ魔導書について、あまり深く理解していない。
これがどれ程の力を持っているのかについても、あまり関心が無かった。
この森で生活するに当たって便利な、古の魔導文明が生み出した遺産の一つ。ただの道具に過ぎない。
彼にとっての魔導書の価値なんて、精々がそんなものだった。
彼の世界はこの森の中で完結していたし、それ以上を求める必要が無かった。
だからだろうか?
自身の常識の範疇から大きくかけ離れた弟子の存在は、大体が不快感の連続である。
経った半日で息が詰まるような、窮屈な閉塞感を感じている。
アゼルから見るクリスという存在は、未知の種族である。どうしても同じ人間には見えなかったのだ。
アゼルの培ってきた特異な『価値観』と、クリスの常識を逸脱した行いの結果として起こった、至極当然の事であった。彼には対人経験というものが欠如している、欠落している。
多くの人間と触れ合ってきたクリスの行動は、極々限られた相手とだけ接してきたアゼルの生活に酷く干渉した。
(矢張り、一人の方が良い)
森の幸を採取しながら、アゼルは苛立つ心が静かに凪いでゆくのを実感する。
見捨てることも放り出すことも、自分の迂闊な行動の所為で出来ないアゼルには、口頭で注意するしかない。
後は、距離を取るくらいか。
一人で居るのが良いのか。他人が近くに居る事が嫌なのか。
干渉されるのが嫌なのか、ただ単にクリスという存在が嫌なのか。
答は良く解らない。では、クリスに対する理解が足りないから嫌なのだろうか。
(理解出来ないが故に、か)
それこそ魔導書も理解できない癖に、出逢ったばかりの他人の事を理解しようとするのも可笑しな話なのかもしれない。
そもそも、人は自分自身の事をどの程度理解しているというのだろうか。
などと、冷静に分析を続ける一方で、手は作業を止めない。
目の前には、こげ茶色の表皮をしたアゼルの身長の二倍はある蛙が横たわっている。
思考にふけっていたアゼルへ襲い掛かったものの、当然のごとく返り討ちにした。
手早く、仕留めた巨大蛙の後ろ足を切り離す。本来ならみっしりと柔軟な肉が詰まっている筈なのだが、随分と軽く細い。
冬眠から目覚めたばかりで動きが鈍かった、味は随分落ちるだろう。食すのに適しているのは後ろ足だけだ、新鮮な内臓は秘薬の材料になる。
汚れた白い腹を捌き毒腺を傷つけない様、更に解体を進めていく。生物特有の独特な臭気が広がり、臓器を外気にさらけ出した。
胃の内容物には未消化の虫、蜘蛛、果てには蛇まで。蛙が蛇を捕食するという、他ではまずお目に掛かれないだろう出来事だが、この森の中ではさほどの事ではない。
(胃液の所為で皮も肉も駄目)
命を奪い、己の糧にする。極めて原始的な、生存競争の姿がそこにはあった。
そして、それがアゼルの落ち着いた生活であり日常である。
その光景は人間が文明を築き、表向きの安息を得る前の原風景。
生と死が直ぐ隣に佇み、息のかかる程の距離で囁くように語られる、産声と断末魔の子守歌。
アゼルは何時如何なる時も、揺籠と墓場のど真ん中で過ごし続けてきた。