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蒼魔道士との出会い


(……無様だ。私は、なんという思い上がりをしていたのだ……)


 戦士クリスは死がその大顎をもって己を貪りつくそうとしている事を予感していた。

 クリスは己の実力が正当に評価されていないと常日頃より意識していた、カシミール山岳に住まう騎馬民族であったクリスは一族の中でも一番の槍の使い手であり将来を期待されてもいたが、それでも満足など一度とてした事が無かった。

 一族という狭い括りの中では己の才を生かしきれないと感じたクリスは、十五の年に一族を飛び出し世界を駆ける冒険者となった。

 新米ルーキーの実に半数が三年以内に何らかのトラブルに巻き込まれ再起不能となることも少なくは無い。ルーキーは最初の三年を無事に過ごせてこそ漸く駆け出しとなれるというのが世論である。

 だが、クリスはその三年の月日を一人ソロで過ごしてみせた。

 ある時は鉱山に溢れ出したスライムを殲滅し、ある時は辺境の村を襲う盗賊達を壊滅させ、またある時はゾンビを操り遺跡を根城にしていた外道の魔道士を討ち取った。

 それは驚異的な記録であり、クリスは冒険者の中でも期待の新人と言われ始めるのもそう遅くは無かった。

 しかしクリスは若かった、若すぎた。

 武人として己が何処まで強くなれるかという武に生きるものならではの向上心と、この程度の功績ではあの『偉大なる冒険者』には追いつけないという焦りが、クリスを盲目的にしていた。

 結果、誰しもが口を揃えて無謀だと言う危険に挑戦をするということに思い立つまで、余り時間はかからなかった。

 それが今回の『魔の森』への挑戦だった。

 無論、誰もがクリスを止めようとした。だが若さゆえの怖いもの知らずと不当な実力の評価であるとクリスは静止の声を一蹴した。クリスが本気であると解った者たちは皆、ならば勝手にしろと説得を諦めた。

 同じ冒険者達は気付いたのだ、その眼は同じような無茶をやらかして死んでいった先駆者達と同じものだと。

 そして、クリスは己が如何に無謀な挑戦をしたかを身をもって実感していた。



 時刻は既に夕暮れ時。今朝出発地点につけた目印を確認した、その上には二日目と一日目の目印が残っている。

 今日も一日費やして元の場所に戻ってきた事になる。

『迷いの森』とも『死の森』とも呼ばれるここは、これまでの経験が全く役に立たない場所であった。


 日中の陽光を遮る鬱蒼と茂った大樹、木々の合い間より僅かに垣間見える木漏れ日は弱弱しく、視界に蔓延る奇形のシダ植物は雄雄しく伸び、苔と腐葉土が足元を不確かにする。葉の色は健康的な緑などではなく、体に悪そうなどす黒い緑。


 断崖絶壁の海岸を除き、三方を山で囲われたこの地は一流の冒険者が束になっても避ける禁断の地であった。だからこそクリスはここを選んだのだが、今になって静止の声を無視した事を後悔した。


 それもその筈、今は失われた古代文明に構築された巨大な戦術魔法陣によってこの森は守護されていたからだ。地の底より吹き上がる濃密なマナにより魔法陣は文明が滅んだ後も起動し続け、いまもその効果を失わずにそこにあった。

 その魔法陣は森に入ってきたものを散々迷わせて死ぬまで彷徨い続けるという製作者の陰険具合が如実に現れたものだった。

 勿論既存の冒険者すら知らない事をクリスが知っている筈も無く、術中に完璧に嵌ってしまったのだ。 遭難した時はその場を動かず救助を待つのがセオリーだ、だが救助なんて来ない事が解っている以上、この場合には当てはまらない。

 持ち合わせの水は心もとない量となり、保存食である干し肉は尽きた。森の中なのだから食料は現地でも調達出来るだろうと、これまでの経験を基にした計画は瓦解した。何故か。


 生き物の気配がしないのだ。


 否、ずっと何者かに見られているような感覚はしている。だが何も居ないのだ。

 まるで、森自体が一つの生き物であり。己をじっと観察しているような、そんな感じがするのだ。


(何をっ……! そんな、馬鹿馬鹿しいことを……)


 クリスは己の想像を即座に否定しようとして、それを否定する事が出来なかった。

 

 この異常な森ならば、それもありえる。


 そう思った、思ってしまった。瞬間叫びだしそうになる口を咄嗟に抑える。

 ただでさえ思い上がりも甚だしい無様な様を晒してしまっているのだ、誰も居ないとはいえこれ以上の醜態はごめんだった。

 既にクリスの中にはあれほど欲した正当な評価も、功績によってもたらされる名声も遠い彼方にあった。

 ただ、純粋に武人としての自分を取り戻したクリスは自分自身に腹を立てていたのだ。


 故にクリスは無様に野たれ死ぬことを良しとしない。

 必ずや生きてこの森を脱出し街へと生還してみせると半ば意地となっていた。


 今、クリスは積み重なった疲労と三日続けて探索が空振りに終わったという無力感すら忘れ。

暫くの休息の後、今度は水源を探し始めた。

 奇しくもそれが、クリスの生死の明暗を分けることとなる。






 夜間の探索はしてこなかったが、より大胆に行動を開始したクリスは日も落ちて暫くした後、僅かに聞こえてくる水音を聞き逃さなかった。

 音の方向へと駆け出し水源を確認した、森の中にぽっかりと開いたその空間に月光がふりそそぎ、こんこんと湧き出る水は今のクリスには砂漠で見つけたオアシスに匹敵する。

 しかし、それは巧妙な罠であった。水場には動物が集まるのが道理。人間だってそうだ。そしてこの森に何故動物が居ないのか、それは居ないのではなく遭わなかっただけなのだ。

 圧倒的な強者によってこの森は表面上は静かだが、それでいて熾烈な生存競争を勝ち抜いたもの達が互いの領域を侵さないよう牽制しあい、些細な隙を見つければ一気呵成に攻め立て勢力を広げようとする。


 それこそギリギリの綱渡りの状態だったのだ。

 今日、その均衡を崩す切欠は間違いなくこの森で最弱のクリスであった。


 求めていた水を手で掬い口元に運ぶ途中、咄嗟に長年の相棒である槍を構えながら己の勘に従いその場を飛び退いた。

 その選択は間違いではなかった。

 水面が弾け、湧き水を撒き散らし、静寂に包まれていた森の中に轟音が響く。

 月下の水源に先ほどまでは無かったオブジェが突き刺さっていた。


有角甲虫ランサービートルか!」


 それは昆虫族上位種に分類される恐ろしく獰猛なモンスターである。

 外見は額より螺旋を描く円錐状の角を生やしたカブトムシであり、音も無く飛翔しその角で急所を的確に攻撃してくる。

 昆虫族のモンスターは皆、総じて高いHPを保有しているがそれだけではない、強靭な外殻の恩恵から来る圧倒的タフネスも脅威。

 弱点は炎術、しかしここは森の中であり駄目押しに水源がある。例えここで炎術による攻撃に出たとしても術詠唱をする間もなくクリスはランサービートルに腹腔を貫かれるだろう、炎術が当たったとしても水に飛び込み全身ずぶ濡れ、仕留めるには足りない。

 クリスは打つ手が無いと判断するや否やたちどころに覚悟を決める。


 ああ、私はここで死ぬやもしれん……


 己に死を齎すモノとの対峙が、何時の日か自分を上回る強者に敗北しその結果命を落としても構わないという子供の頃の決心を思い出させていた。

 クリスは己が嘗て無いほどに集中している事を自覚する。

 これまでの高慢と欲で鈍った槍は其処に無く、曇り一つ無い刃が月光を反射する。


 ――そう、例え自分が無力であろうとも


 自慢の角を振り払い羽を盛んに羽ばたかせ宙に浮く敵を見据える。


「一矢報いず死ねるかぁああああああ!」


 夜の森に、怒号が響くと同時に駆けだす。

 疲労に震える体に活を入れ自分に出せる最高の技を叩き込む!

 一瞬の交差のうちに三度敵の身を抉る三連突、長年の相棒である長槍とこれ以上無いほどの一体感で放たれる。

 切っ先がランサービートルの黒塗りの瞳を穿とうとした寸前、あらぬ方向へと逸れる。


 見切られた。


 クリスは惚けた頭で呆然とそのことを悟った。

 ランサービートルのやった事は角をただしゃくりあげるようにもたげただけだった。しかしその速度は尋常ではなくその技術は俗に言う『弾き(パリイ)』本来は剣で行なうそれを、この昆虫は己の角でやってみせたのだ。

 ランサービートルの角が、心の臓へと向けられる。

 ああ、くやしいなぁ……

 それは全力を尽くした一撃が軽くあしらわれた事にか、昆虫に負けるという事にかクリスには最早解らない。

 螺旋の角をその身に受けようとする刹那。囁くような小さな声を、クリスの耳は確かに聞いた。


――マインドフレア


 精神を焼き尽くす蒼き炎がランサービートルに炸裂した。

 クリスは目の前で今まさに死を齎そうとした脅威の昆虫が、断末魔の絶叫すらあげずに墜落していくのを見た。

 眼前で起こった出来事に、クリスは石化したように身じろぎ一つ出来なかった。

 その原因は人の声と思われるモノの言った呪文。

『マインドフレア』

 意思ある生命全てが保有する精神アストラル体を直接攻撃する魔法。

 その魔法を受けたものは神経の焼ききれるような想像を絶する激痛に襲われ、知力の低いものはショック死するという。

 この魔法の恐ろしい所は精神を直接攻撃するという点、防御手段が途轍もなく少ないのだ。存在しない訳ではない、だが高価なうえ市場にはなかなか出回らない。

 しかし、今重要なのはそんな事ではなく……

『マインドフレア』はモンスターの使ってくる呪文であるという事だ。

 モンスターは人を救わない、故に今クリスを助けたのはモンスターではない、だがモンスターが使う呪文であるという矛盾。

 其処まで考えてクリスはハッと顔を上げると、唐突にその事実を思い出した。


「こんな夜中に、騒がしいと思ったら……」


 がさがさと草を掻き分けて足音が近づいてくる。

 モンスターの呪文を解析し、魔法をその身体で覚え、血肉を喰らって力を得ようとした者達が居た。

 その危険な手法により死に最も近いと呼ばれる者、耐えた者達、現代に至る魔術の原点にして根底を支えたもの。

 蒼魔法。


「客人とは随分と珍しい」


 緊張でこわばりギギギと音でもしそうな身体で振り向く。

 森の暗がりの中から淡月の照らす水源へとその男は現れた。

 深い紺色で揃えた魔法使いの帽子とローブ、サイズが大きいのか少し袖が余り気味で足元まである。

首に巻かれた白いマフラーには青い雪の結晶のエンブレム。

 蒼い瞳は眠そうに細められ、背中まで伸びた銀髪を三つ網にしている。



「ようこそ、マナの森へ。私の屋敷に招待しよう」



 ――魔道王朝の黎明期を駆け抜けた冒険者達は数多い。

 これは、なかでも『最勇』と呼ばれたクリスと『紫に最も近き蒼』と呼ばれるアゼルの出会いの物語。

 今はただの、駆け出しの冒険者である――

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