小さな奇跡
プロローグ
なんだか周りの人に見られている気がする。振り返ってみても誰も見てやしない。自分でも分かってる、気のせいだって。それでも気にせずにはいられなかった。だって、見て?このキラキラしてる時計。光に反射して輝いてるだけかもしれないけど、僕にはそれが魅惑的で妖艶な光に見えて仕方がないんだ。それは、僕だけが知っている秘密であり、トキメキであり、息をするだけで消えてしまいそうな程小さな奇跡だと思うんだ。
8月1日。夏休みの始まりで、まさに夏真っ盛りという感じの快晴の日だった。その日僕は友達と一緒に近くの市民プールに出かけていた。皆混んでいると分かっていながらも、冷たい水というものに惹かれるのか吸い寄せられるように入っていく。僕たちもその類いだった。でも僕たちの場合は混んでいようが混んでいなかろうがハシャギまくっていた。人ごみをかき分け泳ぎながら鬼ごっこをしたり、走ったり・・・。そしてこの日も同様にはしゃいできたのだった。はしゃぐところまではいつもと同じだったのだが、この日は異常なくらい暑かった。せっかくプールに入ったというのにもう帰り道を歩くだけで汗だくだ。
「暑・・・」
一人そう呟いていた。だってこの暑さのおかげで今僕がこんな奇跡的な体験を出来ているなんて思いもしなかったから。
「喉かわいたなー。確かここら辺の公園に自販機があったと思うんだけど」
きょろきょろと見回してみると右斜め前の方にその公園の入り口が見えた。
「あった!今日くらい途中で飲み物買っても怒られないでしょ。こんななか何も飲まずに帰ったら熱中症になっちゃうよ」
僕の家はわりと厳しいというかしつけがキッチリしている感じで、ご飯の前にそういう清涼飲料水とかお菓子とか食べたり飲んだりしちゃいけないし、勝手に買い食いとかもあんまりしてはいけなかった。もししたらこっぴどく叱られる。ざらに1時間は正座させられたりする。友達の亜弥ちゃん曰く
「いつの時代の話よー。よくそんなんでやっていけるわね。私なんか無理よ?五分も正座なんかしてられないわっ」
らしい。亜弥ちゃんは嘘はつかないし、ついたこともない。だから実際に五分も正座できないのだろう。きっと逆切れするんじゃないのかな。
『どうしてそんなことで正座しなくちゃいけないの?もうそんな小さくないんだから自分で物を買うことも社会勉強よ!そんなんだから常識も分からない子供が増えていくのよ。大人の理想を子供に押し付けないでちょうだいっ』
そういって腕を組み、小さな顔には大きすぎるくらいの目を思いっきり細めてしたから睨みつけているところが想像できる。そんなことを考えながら、暑さで背中が丸くなりながらも公園の中に入っていった。すると、やはり正面に自販機が置いてあった。とぼとぼ真っ直ぐそこに向かって歩いていった。前まで行き、カバンの中から財布を出す。チャックを開け100円をとり、挿入口に入れる。チャリン、という軽快な音がした。僕が買おうとしていたのは120円のジュースだった。あと20円をいれるときに僕は2枚一緒に手に取った。そしてそのまま一枚ずつ入れようとしたのだが
「あっ!」
と言ったときには遅かった。コン、という鈍い音と共に地面に落ちたかと思うとそのまま転がって自販機の下に入ってしまった。
「なんで?・・・はぁ」
ため息をつきながらしゃがみこみ覗き込む。するとこの暑さの原因の太陽の光が功をなしてか、反射で光っているおかげでどこに落ちたのか一瞬で分かることが出来た。
「どっか枝とかないのかな」
辺りを見回すと丁度手頃な小枝が落ちていた。それを拾うと光っているところにつっこんでみた。正直そんなことしているのは恥ずかしかったけれどお金はその10円がないと足りないし、家まで我慢するには少し時間が掛かりすぎる。だから仕方なくそんな格好をした。枝を何度か動かすと何かが枝の先に引っかかった。
「あ!引っかかった・・・けどなんかちょっと重い」
その引っかかった何かは明らかに十円玉より重かった。とりあえず引っ張ってみると先にくっついていたのは
「時計?」
だった。しかも普通のとはデザインが違うような気がした。そして重さといい放つオーラ(時計にオーラなんてあるのか疑問だけど)といい凄く高価な感じがした。見つめているとなぜか無性につけてみたくなった。
『ごくり』
音が外からも聞こえるくらいの量の唾を飲み込む。そしてカチャリ、と音をたて左手にはめた。
「わー」
もうそのときには十円玉のことなどとっくに忘れて、この時計の魅力に取り付かれていた。ぼくの頭の中はもう時計のことでいっぱいで、喉が渇いていたことも、自分が今していたことも忘れて時計を見つめながら気がついたら家に向かって帰っていた。
ここから僕の小さな奇跡、夢に思っていたような体験が始まったんだ。