動き始めた歯車
「はあっ、はあっ、っ!」
見知ったはずの丘公園が、やけに広く感じる。隣には同じく息を乱した女の子――妹の【ミリア】が、必死の形相で丘を降る。
(なんなんだアイツ!なんだってんだよ……)
黒衣を纏った男は、宙を自在に飛び回り、逃げ回る二人を嘲笑するかのようにわざと攻撃を外す。
指先から弾け飛ぶ黒色の魔弾が、行く先の木や地面をえぐり、徐々に追いやられていく。
黒弾が顔スレスレに飛んでくる。
「きゃあっ!!」
ミリアの太ももに黒弾がかすめ、バランスを崩すと、そのまま地面のえぐれに足を取られて転倒する。
「ミリアっ!!クソっ!!」
少年――ヴェルト・ダンツァーは振り返り、足を止める。
(なにか、ないのか?武器か、せめてあいつの意識を逸らせる、何か――)
ふいに後ろに気配を感じた。
「っ!?!?」
(誰かいる!?誰だ?アイツの仲間か?……違う!あれは!!)
事態はヴェルトにとって最悪の方向に転がり始めていた。背後に感じた気配は、幼馴染のティアーナ・クランだった。
(どうする?このままだとミリアが捕まっちまう。だが、注意を逸らしたら今度はティアに危険がいくかもしれない)
迷っている暇はない。今この場で、決断をする必要があった。
(危険だが、ティアの光属性の魔法なら、可能性はきっとあるはずだ!)
ヴェルトはポケットから結界石を取り出し、ミリアの方へと投げつけた。
ミリアの足元に落ちた結界石が衝撃に反応し、ミリアを中心として結界が展開された。
「お、お兄ちゃん!?」
「大丈夫だ!俺が絶対に助けて見せる!!待ってろよ!!」
すかさずティアの元へと走り出す。
「ティア!!」
ヴェルトは幼馴染の名前を呼ぶ。しかし、ティアは全く反応しなかった。
「ティア!聞こえないのか!?ティアーっ!!」
さらに近づく。この距離で叫んでいるのに、聞こえないはずがない。
(おかしい!どうして聞こえないんだ!!どうし――)
ガコン!!と鈍い音が響き渡る。全速力で走っていたヴェルトは、何かにぶつかり激しく吹き飛ばされた。
「ぐあっ!っく……これは⁉」
結界――【不可侵ノ鳥籠】
内側からも外側からも介入することができない上位魔族が扱う魔法だった。
『クハハっ!どうした?助けを呼んでも構わんのだぞ?』
ニタァ、といやらしい笑顔を向け、ヴェルトを挑発する魔族。
「なんなんだよ!なぜ俺たちを狙うんだ!」
『?』
魔族は本気で解せぬ、といった表情をし、口を開く。
『食事』
「は?」
『だから、食事だよ。君たちだって牛や豚、食べるだろう?我にとって、お前たちはそういう存在だ』
魔族の手が、ゆっくりと迫る。
『特に、貴様のような魔力を多く含む子供の肉は、血は、最高――』
ヴェルトは魔族に飛びかかる。が、その拳は空を切る。
『叶わぬと知りながらも牙を向く、か。クハハハ!面白いな、人間!』
「構わないさ!ミリアが逃げられれば、それで!」
ピタリ、と魔族の動きが止まる。
『――た』
「うおぉおぉぉ‼‼」
ガシィ!
ヴェルトの拳を受け止め、ヴェルトに顔を近づけると耳元で囁いた。
『足を、喰った♪美味かったぞぉ、貴様の妹の左足はあぁあぁ♪』
高揚した魔族は、相も変わらずいやらしくニタニタと嗤い、大袈裟な身振りでヴェルトを挑発する。
しかし、すでにヴェルトの視界も意識も、目の前の魔族ではなく、先ほど分かれた妹がいるであろう方向にのみ定められた。
ヴェルトは後悔していた。なぜミリアの元を離れてしまったのだろう。
ヴェルトは激怒していた。なぜ俺は、こんなにも弱い、ちっぽけな存在なのだろう。
ヴェルトは絶望することになった。
『おや。随分と遅い到着ですねぇ』
たどり着いた先で、ミリアが血に染まり、目には涙をためて口を震わせている。
『あまりにもキミの到着が遅いので、我慢ができませんでしたよ。左足どころか、右脇腹、イッちゃいましたぁ♪』
「あ……ッ……ああっ!!ミ、ミリ……ミ、ミリアあっ」
ビクン、ビクン、とミリアが痙攣する。脇腹から内ももにドロっと血が流れ伝う。
「お……ぉ……ぃ……ゲッ、イィっ……!」
ミリアが必死にヴェルトの名前を呼ぼうとするも、吐血する。
ヴェルトの伸ばした手が震える。
ミリアの瞳から光が徐々に失われていく。
ひと際大きく身体が跳ねると、そのままガクン、と首が垂れる。
『イヒッ♪イッ……イッた?イッちゃった?アッ、アッ、アアァッッ♪』
「あ……っあ……ぅあ……ミリ……うああああぁぁぁああぁぁあぁああぁぁ!!!!」
ヴェルトは、もはや自我など無く、最愛の家族を目の前で失った事実を呪い、自分の力の無さを呪い、世界を呪った。
――何をしたというんだ。俺が、ミリアが、一体、何をしたと……。
――赦さない。何一つ、赦すものか。この眼に映る全てを呪ってやる。全て!!スベテスベテスベテ!!!!
ヴェルトの髪が白く変色し、右目が紅く変化し、瞳孔が開く。
『な、何?これは……⁉』
ヴェルトの身体から溢れ出る暴力的な魔力に魔族はたじろぐ。
明らかに制御できていない魔力の暴風が、木々をなぎ倒していく。
『こ、この魔力は……まさか、ふ、フハハ!!そういうことか!』
ヴェルトは完全に理性を失い、暴走した魔力が自身をも傷つけていく。
『素晴らしい!!その紅い瞳!【紅蓮の魔眼】とはな!』
――殺す!!ころす!コロスコロス!!スベテヲブチコワシテヤルッッ――
ヴェルトが右腕を振り上げると、荒れ狂った魔力の嵐が目の前の魔族に襲い掛かる。
『ぐぅ……!!さすがの魔力量ですねェ……。ここは退きましょうか。――っ!?』
ヴェルトの指先から黒い針のような閃光――【黒針閃】が放たれる。
辛うじて避けることに成功した魔族だったが、避けた黒針閃が【不可侵ノ鳥籠】に触れた瞬間にパリン!と結界が粉砕された。
『……下位魔法のダークレイでこの威力、ですか……』
「…………グゥ、ア、アガアァアァァ!!」
ヴェルトが苦しみだす。本来、人間の身体に馴染むような魔力濃度ではないのだから、当然だ。
結界が破壊されたことにより、二人のとてつもない魔力が溢れ出る。
―すぐ近くの表通り―
――えっ?この魔力は⁉
ティアーナ・クランは、突如現れた正体不明の魔力の乱れを感じ取った。
6歳の頃に光魔法に目醒め、協会にて聖女見習いとして研鑽を積んでいるヴェルトの幼馴染だ。
禍々しい魔力のすぐそばに、膨大な魔力がまるで嵐のように暴発している。その魔力は、よく知っている人の魔力だった。
「え?これって……ヴェルト?!」
感じ取るや否や、走り始めた。
「ティアーナ!」
後方から呼びかける声に、ティア
はとてつもない安堵感を覚えた。
「グリム団長!……ヴェルトが!」
「この魔力、やはりヴェルトなのか。完全に暴走しているが……。もう一つの魔力は?」
問われたティアにも、正体はわからない。しかし、魔族の――かなり高位の魔将や魔人クラスであることは明らかだった。
「わかりませんが、一刻を争うことは間違いありません!」
グリム――フェイト・グリムは頷き、急ぎヴェルトの元へと駆ける。
「ヴェルト!!ヴェルト!!」
遠くから二人の人影が迫る。一人はティアーナ・クラン。もう一人は――
「【終焉ノ一振!!】【肆ノ型・ソノ斬撃ハ爆発スル】!!」
ギルドの紋章が入ったマントを翻し、ヴェルトと魔族の間に斬撃を飛ばす。
――フェイト・グリムは、とんでもない魔力を感じ取り、馳せ参じた。ギルド【蛍火】の団長である。
『……。邪魔が入りましたか。あぁ、丁度良いですね。【彼】の相手をあなた方に任せましょうか』
「ヴェルト、ヴェルトォ!!どうしちゃったの⁉戻ってきて!ヴェルトッ!!」
ティアは必死に幼馴染を呼び続ける。そんな叫びが届くことなく、ヴェルトは自身の暴走したの魔力の嵐で傷を負っている。
「なんて……なんて膨大な濃い魔力なの……っ!!【癒しの生命の光】!」
ヴェルトを包み込む癒しの光が、傷を癒していく。しかし、次々と傷を作る魔力の渦にはほとんど意味を成していない。
「っ!【心洗綻体】」
体の強張りを弛緩させたり、精神を落ち着ける効果のある魔法。魔力の波長も安定させる効果も持つ。
それでも、ヴェルトの暴走は止まらなかった。
魔族が立ち去ろうとする。
「――逃がすと思うか?」
『魔剣【終焉ノ一振】、そうか、君がフェイト・グリムだな』
「魔族にまで名が知れているとは、不快極まりないな」
フェイトは、剣を構え、剣先に魔力を流し込む。
『おや。あなたの相手は私ではありませんよ』
間に割って入るように、魔力の嵐が吹き抜ける。
『さようなら。楽しかったですよ。また、お会いできるといいですネェ♪』
「チイッ!!待て!」
『楽しませていただいたお礼に、最後に教えて差し上げます。私は【魔将シャイターン】。そこの彼、完全に覚醒したら、人類を滅ぼしますよ?』
ピタリと、足を止めて顔だけフェイトへ向ける。チラッとティアへ視線を流した後、再び歩み始める。
『彼、【魔王の器】ですよ』
言い残して、シャイターンは闇に溶けるように姿を消した。
ヴェルトの身体が限界を迎えたのか、魔力の暴走が弱まっていく。
「ティアーナ!【聖鎖拘束】で拘束を!急げ!」
「は、はい!」
ヴェルトの両手両足を拘束し、フェイトへと引き渡す。
「どうして、こんな……」
闇の中でザワザワと木々がざわめく。呪われた運命を嘲笑うかのように――




