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追放された悪役令嬢は前世コンサルだったので、亡命先で国家運営を始めました  作者: しずか


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プロローグ八 ナショナリズムの濁流

 朝の経済番組に、コメンテーターが三人並んでいた。

 九条は執務室のモニターでそれを流しながら、資料に目を通していた。音声だけ耳に入れていたが、十分だった。


「やはり日本の技術は日本の手で守るべきです」

「雇用の問題も深刻です。外資傘下に入れば、リストラが加速する可能性がある」

「名門企業がここまで追い詰められたことへの、経営責任も問われるべきでしょう」

 三人の発言は、それぞれ独立していた。互いに矛盾もしていない。しかし九条には、そこに一本の共通する欠落が見えた。

 誰も、東洋光電の資金繰りの限界を言っていなかった。国内案のスケジュールが実行不可能に近いことも、触れていなかった。鴻洋精工案の数字と、国内案の数字を並べて比較した人間は、三人の中に一人もいなかった。


(論点の不在が、論点になっている。)


 有馬が入ってきた。

「各社、同じトーンですね。朝から同じ言葉が並んでいます」

「語彙が揃っているときは、誰かが揃えている」

 と九条は言った。

「それか、全員が同じ空気を吸っている」

「どちらですか」

「今回は後者だと思う。だから厄介なのよ」

 意図して動いている相手なら、その意図の源を断てる。しかし誰も意図していない場合、空気そのものが動いている。空気には、断てる源がない。

 有馬が黙った。九条はモニターを切った。




 その週、九条は三つの場で外資案の説明をした。

 一つ目は、拡大した役員会。二つ目は、主力銀行との非公式な意見交換。三つ目は、産業振興機構側との進捗確認。

 どの場でも、九条は同じことをした。数字を示した。スケジュールを示した。国内案との比較を示した。資金繰りの限界を示した。

 どの場でも、反応は似ていた。

 役員会では、岸本が口を開いた。


「数字は理解します。ただ、社員の感情への配慮が、この説明には見えない」

九条は答えた。

「社員の雇用を守る確率が最も高い案を提示しています。感情への配慮と、雇用を守ることは、別の問題ですか」

 岸本は黙った。否定はしなかった。しかしその後、岸本が誰かと話しているのを有馬が目撃した。声は聞こえなかったが、九条の方向を一度だけ向いたという。

銀行との意見交換では、担当課長が言った。

「合理的なご説明はよく分かります。ただ、世論の反発がこれだけ強いと、融資先としての我々の立場も難しくなります」

「世論の反発と、再建の確率は、別の変数です」

 と九条は言った。

「別の変数であっても、連動します」

 と課長は返した。

 機構との確認では、東が一度だけ九条を見た。何も言わなかった。ただその目線は、「分かっている」という意味と、「だから動かない」という意味を、同時に持っていた。

 三つの場を終えて、九条は廊下を歩いた。

 説明するたびに、何かが確定していく感触があった。内容への反論ではなく、九条という人間への距離が、説明を重ねるたびに少しずつ広がっていった。合理性は武器になっていなかった。合理性そのものが、異物として機能し始めていた。


(正しいことを言うほど、人は冷たい人間に見えるのよ。)


 それは九条がいつか誰かに言った言葉だったが、今夜初めて、自分の皮膚で感じた。




 週の半ば、銀行団から文書が届いた。

 表題は「東洋光電ホールディングス再建支援に関する基本的考え方(改訂版)」とあった。九条は一読して、文書の性質を理解した。

以前の文書より、言葉が増えていた。しかし決定が減っていた。

「引き続きあらゆる選択肢を検討する」「関係者の幅広い理解を得ながら慎重に進める」「国内産業への影響を総合的に勘案する」。一文ずつは正しい。しかし並べると、何も決めないことを決めた文書になった。

機構からも同日、類似した文書が来た。「国益の観点から多面的に判断する」「関係各位との連携を密にしながら」。語彙は違うが、構造は同じだった。決定を先送りするための、丁寧な言葉の列だった。

 九条はその二つの文書を並べた。


(霧が濃くなっている。)


 これは判断の保留ではなかった。判断の所在を消す作業だった。全員が関与し、全員が慎重であれば、最終的に誰が決めたのかが見えなくなる。外資案が失敗しても、国内案が失敗しても、「あの時点では最善を尽くした」という説明が成立する状態を、各主体が競うように作り上げていた。

 有馬が資料を持って入ってきた。

「東さんから個別に連絡があって、今週中に一度会いたいと」

 九条は少し考えた。

「受けます」

 東が動くのは、霧が最も濃くなったときだ。それがいつかは分からなかったが、近いとは思っていた。


 翌日の午後、九条が廊下を歩いていると、向こうから三浦が来た。

三浦は歩みを止めた。

「少し、よろしいですか」

近くの小会議室に入った。三浦はドアを閉め、机を挟まずに立ったまま話した。


「篠田社長が、今週中に外資案への対応について判断を出したいと言っています」

「それは」

と九条は言った。

「どういう判断ですか」


 三浦は少し間を置いた。

「外資案を、現時点では採用しない、という方向で」

 九条は三浦を見た。

「社長の判断ですか」

「社長と、役員の大多数の意向です」

「北川さんも」

「……はい」

 九条は窓の外を見た。昼の光が、フロアに薄く差していた。

「三浦さんが私に直接言いに来たのは、なぜですか」

三浦は少し黙った。


「九条さんには、正式発表の前に知っておいてほしかった。それだけです」

 九条は三浦を見た。この人間は保身だけで動いていない。それは最初から分かっていた。だからといって、結果が変わるわけではなかった。

「分かりました」

 と九条は言った。

「ありがとうございます」

 三浦は何か言いかけ、やめた。頭を少し下げて、部屋を出た。




 夕方、有馬が九条を探して小会議室に来た。

「聞きましたか」

と有馬は言った。顔が青かった。

「三浦さんから」

有馬は椅子を引いて座った。しばらく何も言わなかった。それから口を開いた。

「なんで、ですか。数字は明らかだったのに」

「数字は明らかだった」

と九条は言った。

「でも、みんなが守ろうとしていたのは数字じゃない」

「では何を」

 九条は少し考えた。

「自分の信じたい物語を、よ」

 有馬が九条を見た。


「役員たちは、日本企業としての東洋光電を信じたかった。銀行は、国内案に乗ることで自分たちの判断の正しさを守りたかった。世論は、外資に渡さないという結末を望んだ。誰も意地悪じゃない。ただ全員が、自分の信じたい絵を守るために動いた」

「それが、共同幻想ですか」

「防衛戦、と言った方が正確かもしれない」

と九条は言った。

「論点はもう企業価値じゃなかった。会社を救えるかどうかでもなかった。みんなが、自分の信じたい日本を守ろうとしていた。数字はその防衛線を突き崩すものだったから、排除された」


 有馬は黙った。長い沈黙だった。

「九条さんは、それを最初から分かっていたんですか」

「分かってはいなかった」

 と九条は言った。

「でも、分かろうとしていた。それが足りなかったのかもしれない」




 夜、九条は一人で執務室に残った。

 外の街灯が窓に反射していた。机の上に資料が積まれている。鴻洋精工との交渉記録、国内案の試算、銀行団の文書、機構の文書。それぞれが、別の論理で動いた人間たちの痕跡だった。

 数字で勝てる局面でも、実務で正しい案でも、人間社会では負けうる。

 それは今夜、初めて抽象論ではなく、実感として九条の中に入ってきた。

林に問われたことを思い出した。なぜこの案件にここまで関わるのか、と。答えは今も変わらなかった。立て直せる可能性がある案件を、立て直さずに終わらせたくない。

 しかし今夜はその答えに、一つだけ付け足したいものができていた。


(正しくても負けることがある。それを知った上で動くのと、知らずに動くのは、違う。)


 九条は手帳を開いた。今日の日付の下に、一行だけ書いた。

外資案を正式に退けられた後に何ができるか。林にはまだ連絡していない。東との面談も控えている。篠田の判断が出る前に、九条にはもう一手だけ試したいことがあった。

 ただし、その前に一つ確認しなければならないことがある。

 七話で有馬に頼んでいた件、前職案件の匿名記事を誰が流したか。その答えが、まだ来ていなかった。

 九条は手帳を閉じ、コートを取った。照明を消すと、窓の外の街灯だけが残った。



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