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追放された悪役令嬢は前世コンサルだったので、亡命先で国家運営を始めました  作者: しずか


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3/15

プロローグ三 債権者のハゲタカ

 十一月の午後一時前、第三会議室は妙に明るかった。

 北向きの窓から入る光は白く、影を作らない。備え付けの蛍光灯と重なって、室内の全てが均等に照らされていた。隠れる場所のない光だ、と九条は思った。この種の会議室はたいていそういう設計になっている。

 社長の篠田と財務担当の北川はすでに着席していた。管理部門の三浦が資料を整理し、事業担当の岸本は端の席でファイルの背表紙を指でなぞっている。誰も話さなかった。社内会議の前とは違う種類の静けさで、一人ひとりが自分の言葉を点検しているような空気だった。

 九条が席についたとき、財務担当の北川がA4の資料にペンを走らせていた。

何を直しているのか、九条は横から確かめた。財務サマリーの一行、「財務基盤の安定化を進める」が「財務基盤の段階的安定化を図る」に書き換えられていた。「段階的」と「図る」を足している。確定から、方向性の表明へ。一語ずつ退路を確保する作業だった。

隣に座った有馬が、小声で言った。

「ようやく数字の話ができる場ですね。銀行が相手なら、事業の実態をきちんと見てもらえる」


 九条は黙って頷いた。

 北川の直した一行を、もう一度見た。社内会議では曖昧語を操る人間が、銀行相手には別の慎重さを持ち出す。その慎重さの向き先が、再建の実現可能性ではなく、言質を取られた場合の退路であれば——今日の会議は、有馬が思い描いている場とは違うものになる。

 定刻の五分前、廊下に足音が増えた。




 メインバンクの担当は三人だった。


 先頭に立った企業担当の部長は五十代の半ば、グレーのスーツに落ち着いた色のネクタイ。その後ろに、審査部と思しき課長が続く。三十代後半、資料の入ったバインダーを脇に抱え、目線が低い。最後尾の若手は記録担当で、部長が腰を下ろすまで椅子を引かなかった。

 挨拶は短く、礼儀正しかった。敵対的な気配はなく、むしろ穏やかですらあったが、その穏やかさが、九条には最初から不自然に見えた。経営危機の当事者に向ける顔ではない。融資先を管理する側の、慣れた落ち着きのようみも見えた。

 部長が口火を切った。


「本日はお時間をいただきありがとうございます。率直に申し上げると、現状の財務状況については、我々も深刻に受け止めています」

篠田が頭を下げた。

「ご心配をおかけしております」


「支援の継続については、前向きに検討していきたいと思っています。ただ、いくつか確認させていただきたい点がございます」

 そこから会議は、銀行側の質問と東洋光電側の回答という形で動き始めた。事業ポートフォリオの見直し、営業キャッシュフローの改善見通し、追加合理化策の具体化。論点はもっともらしく、再建会議として異常なものはなかった。

 九条はメモを取りながら聞いた。

 やり取りが整いすぎている。



 三十分が過ぎたころ、質問の密度が少しずつ変わり始めた。

 銀行側の課長が、手元のバインダーから一枚を取り出した。


「資金繰りの件ですが、来期の短期借入の返済スケジュールを確認させてください。三月末の残高と、四月以降の返済予定額です」

「コミットメントラインの未使用枠はどの程度残っていますか」

 財務担当の北川が数字を出した。

「現在、百五十億ほどです。ただし財務制限条項があります。純資産比率の条件を来  期第一四半期に抵触する可能性があり、その点はご承知おきいただいています」

「抵触した場合、条項の修正交渉は可能なスケジュール感ですか」

「それは……ご相談させていただければと思っています」

 課長がメモを取った。


 続いて部長が口を開いた。

「今期の特別損失の計上ですが、現時点での見通しを教えていただけますか。できれば第三四半期以降の想定で」


 北川が答えた。

「固定資産の減損については、査定を進めています。現時点での最大値は申し上げにくいのですが、追加引当が本部の稟議に影響するような規模にはならない、という理解で進めています」

「本部稟議に影響するというのは、どの程度の基準をお考えですか」

「それは御行の内部基準に依存する話ですので……」

「了解しました。参考までに、現在の債権分類ですが、正常先の維持は今期も見込めるとお考えですか」


 篠田の肩が、ほんのわずかに落ちた。

「……できる限り、そうなるよう努めています」

 部長が静かに続けた。

「要注意先に分類が移行した場合、支援の枠組みを見直す必要が出てきます。それは申し上げておかなければなりません」

 穏やかな声だった。感情がなかった。だからこそ、言葉の重さだけが残った。

 九条は手帳に書いた。

「正常先維持=今日の主題」。

 銀行側が気にしているのは事業の回復ではない。債権が要注意先に落ちると、引当金を積む必要が生じ、銀行自身の自己資本比率が傷む。それを避けることが、銀行側の今日の会議の本当の議題だったのだ。現時点ではこの会社の未来について、まだ誰も一言も話していなかった。




 午後二時を過ぎたころ、窓から差す光の角度が変わった。白かった室内に、わずかに黄みが混じり始める。

 ふいに銀行側の課長が、新しい論点を出した。


「再建スキームについて確認させてください。現時点では自力再建を軸に考えていらっしゃると理解していますが、資本増強については検討されていますか。たとえば第三者割当増資や、DDS——デット・デット・スワップによる劣後ローンへの転換なども、選択肢として」


北川が答えた。

「現時点では検討しておりませんが、今後の状況次第では議論が必要になると認識しています」

「DDSを活用すれば、我々としても正常先の維持を継続しやすくなります。ご検討いただければ」

篠田が頷いた。

「承知しました。検討させていただきます」

 九条は手帳を閉じた。

 DDSは、銀行が持つ通常の貸出債権を劣後ローンに切り替えるスキームだ。返済順位が下がる代わりに、銀行は債権を『資本的劣後ローン』として扱え、査定上の分類を引き上げることができる。銀行にとっては引当の回避手段で、借り手にとっては返済猶予に近い。事業が立ち直るかどうかとは、直接の関係がない。


 部長がさらに続けた。

「準メイン行や他の取引行との協調については、我々が調整役を担えると思っています。ただ、各行の判断が足並み揃わないと、スキームとして成立しない。その点は、御社からも各行に丁寧にご説明いただく必要があります」

「もちろんです」

と篠田が答えた。

「全力で対応します」


 全力で対応します。

 九条はその言葉を聞いて、視線を窓に向けた。黄みを帯びた光が、会議室の端まで伸びていた。篠田はいま、再建に全力を尽くすと言ったのではない。銀行が求める説明作業に全力を尽くすと言った。その二つは、まったく別のことだった。




 議論が「どの枠組みなら支援を継続しやすいか」という方向に収束し始めたところで、九条は初めて口を開いた。


「確認させてください」


 声のトーンは会議全体と変わらなかった。全員の視線が九条に集まった。

「御行が本日の議論で重視されているのは、再建計画の成否そのものではなく、今期の債権分類の維持という理解でよろしいですか」


 会議室が静止した。


 部長が口を開いた。

「そういう単純な話ではありません。支援継続の判断には、総合的な見地が必要です」

「もちろんです」

 と九条は言った。

「ただ、本日の質疑の中心が、事業の回復見通しよりも、今期の引当規模、財務制限条項への対応、DDSの活用可能性に集中していました。事業の核をどこに置くか、技術者の流出をどう防ぐか、市場でのポジションをどこで取り直すかについては、本日一度もご質問がなかった。それは事実として確認させてください」


 課長が小さく咳をした。

「足元の安定があってこそ、中長期の議論が成立するという意味です」

「今期末の分類を維持することと、三年後に事業として自立することは、別の目標です」

と九条は言った。

「前者を主題にするなら、後者についての議論は別に設ける必要がある。その理解でよろしいですか」

 部長が篠田を見た。篠田が北川を見た。

 誰も答えなかった。否定しきれないからだった。


「……論点を整理して、改めてご提案します」と部長が言った。

 それが答えだった。




 銀行側が退室したあと、会議室に篠田、財務担当の北川、管理部門の三浦、事業担当の岸本が残った。窓の外の光はさらに傾き、会議室の白い壁がわずかに橙色を帯びていた。

 北川が先に言った。

「とりあえず今期は越えられそうですね。DDSの話が出たのは、むしろ好材料です。追加支援の線は残りました」

「分類変更を避けられるなら、当面の資金は動かせる」

と篠田が続けた。


 三浦が資料を重ねながら言った。

「次回までに引当の試算を精緻化しておく必要があります。先方の本部稟議のスケジュールを確認して、逆算で資料を整えましょう」

「事業別の数字は追加で出せます」

 と岸本が答えた。


 四人の会話は手際よく進んだ。次のアクション、担当者、期日。段取りの確認に淀みがなく、全員が自分の役割を把握していた。

 九条は手帳に記録しながら聞いた。事業の核をどこに置くか、技術者の流出をどう止めるか、市場での立ち位置をどう取り直すか——そういった言葉は、ここでも一度も出なかった。





 会議室を出ると、廊下は夕方の薄暗さに変わっていた。蛍光灯の白い光だけが残り、窓からの自然光はもう届かない。昼間とは違う、乾いた明るさだった。

有馬が並んで歩きながら、しばらく黙っていた。

 足音だけが廊下に続いた。

「……あの人たち」

 と有馬はやがて言った。

「再建を見ていませんでしたよね」

 九条はエレベーターのボタンを押した。


「もっとシビアに事業価値を見てくると思っていました」

と有馬が続ける。表情は明らかな落胆の色をにじませている。

「本気で立て直し策を問うてくるか、あるいは厳しい条件を突きつけてくるか。でも実際に出てきたのは、分類をどう維持するかとDDSの話で」

 エレベーターの扉が開き、二人が乗り込む。


「銀行は企業の未来を信じる組織じゃないわ」

と九条は言った。

「彼らが守るのは融資先じゃなく、自分たちのバランスシートよ」

「でも融資先が倒れたら困るんじゃないですか」

「倒産されると困る。でも劇的に立ち直られても困る」


 有馬が怪訝な目で九条を見た。

「なぜですか」

「再建が成功したら、格付けが回復する。格付けが回復すれば、条件の良い他行に借り換えされる。それより、自分の任期中だけ静かに生き延びていてくれる方が、管理しやすい。倒産しない範囲で、ずっと依存していてくれる方が、都合がいいのよ」

 有馬は黙ってエレベーターの天井を見上げ、つづけた。

 エレベーターの音はやけに響いているようにも感じる。

「じゃあ、今日の会議は」

「再建会議じゃない」

 と九条は言った。

「債権の評価損をどう遅らせるかの会議よ」

 沈黙があった。言葉を失ったのではなく、受け取ったものの重さを測っている静けさだった。

 扉が開き、エントランスの灯りが見えた。九条は先に出る。

 有馬はその背中を見ながら、今日の会議室で誰も口にしなかった問いを、頭の中で繰り返した。

 この会社を立て直すことを、いったい誰が考えているのか。



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