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追放された悪役令嬢は前世コンサルだったので、亡命先で国家運営を始めました  作者: しずか


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第二話 関所は正しい、しかし国は遅くなる

 レイナはいつもより遅い時間に父の執務室を訪ねた。


 蝋燭が半分ほど溶けていて、父は書類に目を落としたまま顔を上げなかった。


「明日の視察に、連れていってもらえますか」


 父の手がふと止まった。少しの間の後――


「なぜだ」


「街道を見たいんです。帳簿の数字が、現場でどう生まれているか」


 ヴィクトルはしばらく書類を見たままだった。それから静かに言った。


「構わない」


 翌朝、レイナが馬車の前に立っていると、見送りに出てきた母が眉をひそめた。


「本当に行くの」


「はい」


 エレナは何か言いたそうな顔をしたが、夫がすでに馬車に乗り込んでいるのを見て、口を閉じた。娘が視察についていくことへの違和感を、どう言葉にすればいいか分からない、という顔だった。


 馬車が動き出した。父は窓の外を見ていた。レイナも同じように外を見た。王都の石畳が続き、やがて街並みが途切れ、街道に入った。二人の間に言葉はなかった。


 街道に入ってしばらくすると、最初の関所が現れた。


 荷馬車の列が、関所の手前で止まっていた。レイナは窓から徴税官を観察した。動きが手慣れている。荷を確認する目が、中身より量を見ている。通行料の計算が早い。一台あたりにかける時間が均一だ。つまりこれは、仕組みとして完成している。徴税官個人の裁量ではなく、制度として動いている。


 しかし一点だけ引っかかった。列の中で、小さな荷馬車だけ止められる時間が長い。大きな荷馬車はすんなり通る。なぜか。大口の商人には顔が利くのか、あるいは別の取り決めがあるのか。帳簿には出てこない話だ。


 ヴィクトルは手帳を開いて、何かを書き込んでいた。レイナはその横顔を見る。相変わらず感情の読めない表情の父は今、何を見ているのだろう、と思った。


 宿場町に着いたのは昼を少し過ぎた頃だった。


 地元の役人との打ち合わせが、宿の一室で始まった。北部の街道整備をめぐって、いくつかの領主の代理人が集まっていた。ヴィクトルの隣にレイナは座り、黙って聞いた。


 議題は、北部街道の修繕費の負担割合のようだった。どの領主がどの区間を持つか。それぞれが自領の負担を減らそうとするのは当然で、代理人たちの言葉は丁寧だったが、互いに一歩も引かない空気がある。


 似たような話を聞いたことがある。豊洲の件だ。直接関わったわけではないが、業界にいれば嫌でも耳に入ってくる。都も業者も専門家も、それぞれの持ち場では筋の通った動きをしていた。ただ全体を前に進める圧力が強すぎて、誰が何を決めたのかという記録が、気づけば消えていた。目の前の代理人たちと、何も違わない。


 ヴィクトルが口を開いた。


「街道の状態が悪化すれば、物流コストは上がる。それは最終的に税収に跳ね返る。修繕費の負担を惜しむ理由はないはずです」


 返ってきたのは、もっともらしい同意だった。しかし具体的な数字の話になると、また話が噛み合わなくなる。どの領主も、自分の懐から出す額を最小にしたい。それぞれの理屈は正しい。しかしその正しい理屈が積み重なると、街道の修繕は誰もしないまま終わる。


 その場にもう一人、子供がいた。


 ヴィクトルの斜め向かいに座っている北部領主、ガスパール・マルセルの隣の少年だ。レイナより少し年上に見える。姿勢がよく、話を聞く顔が真剣だったが、ときおり父親の袖を引いて何か耳打ちしようとして、父親に軽くたしなめられている。


 話し合いが続くうち、税の配分と貴族間の利権に話が及んだ。ガスパールがヴィクトルに向かって軽く頭を下げた。


「アシュフォード卿、子供に聞かせる話ではなくなってまいりました。よろしければ、倅にお嬢さんのお相手をさせてもよいでしょうか」


 ヴィクトルが静かに頷いた。


「構いません。レイナ」


 父の目配せを受けて、レイナは立ち上がった。レオンも立ち上がり、レイナに向かって丁寧に頭を下げた。


「レオン・マルセルと申します」


 廊下に出た。


 宿の外の広場に移動すると、レオンは黙って立っていた。義務で連れ出されたことは互いに分かっている。レイナは場を持たせようと口を開いた。


「北のほうは、王都とずいぶん景色が違いますね」


「そうですか」


 短い返事だった。レオンは特に景色を見ていない。広場を行き交う人や荷馬車を、何かを数えるような目で眺めていた。


「こちらには毎年いらっしゃるのですか」


「父の視察には毎年来ます」


 また会話が止まった。レイナは別の話題を探した。ちょうどそのとき、広場の隅に止まっている荷馬車が目に入った。荷台の積み方が緩い。来た時より荷が少ないように見えた。


「あの馬車は、何を運んでいるんでしょう」


 何気なく聞いた言葉だった。


 レオンがちらりと馬車を見た。少し間があって、口が動いた。


「穀物だろう。でもあの荷の減り方は……今日だけで関所を四つは通ってきてる」


「荷が減るんですか」


「通行料を払えない分は置いていくんだ。よくある話だ」


 さらりと言った。レオンにとってはよくある話なのだろう。しかしレイナにとっては初めて聞く現場の話だった。帳簿には通行料の総額しか載っていない。荷が減るという形でコストが発生していることは、数字には出てこない。


 レイナは黙って聞いていた。


 レオンはまだ馬車を見ていた。御者が疲れた顔で水を飲んでいる。


「うちの領地から王都まで荷を運ぶと、途中で七つ関所を通る。全部払うと値段が三割上がる。そうなると王都では売れない」


「三割は大きいですね」


「だから最近は運ぶのをやめた農家も出てきた。運んでも儲からないなら、作っても意味がないって」


 レイナは相槌を打ちながら、頭の中で計算していた。農家が作るのをやめると領地の生産量が落ちる。生産量が落ちると領主の収入も落ちる。領主の収入が落ちると街道の修繕費を出す余裕がなくなる。街道が悪化すると物流コストがさらに上がる。悪循環だ。しかも誰か一人が悪いわけではない。


「七つのうち、一番高いのはどこですか」


 レオンが初めてレイナを正面から見た。世間話の続きとは違う問いだと気づいた顔だった。


「三つ目だ。あそこだけ二重に取られる」


「二重に、ですか」


「ドラクロワ家とベルナール家の境目で、どっちも関所を持ってる。どっちも譲らないから、両方払わなきゃいけない」


 ドラクロワ。レイナの記憶に引っかかった。父が議会で対立している大貴族の名だ。


「それは……おかしくないですか」


 思わず出た言葉だった。レオンが少し目を細めた。


「おかしいけど、そういうもんだ。文句を言える立場じゃない」


「誰かが指摘したことは」


「うちの父が何度か言ってる。でも議会では通らない。ドラクロワ家が強いから」


 レイナは黙った。議会で通らない理由は分かる。関所から利益を得ている貴族が多いからだ。正しい指摘は正しいまま、採用されない。


 前世でも見た光景だった。上が数字を求めすぎると、下は現実ではなく数字に従い始める。誰か一人の悪意ではない。逆らえなかった者たちの沈黙が、あとから不正の形になる。そうなると、確認する側まで後になる。強すぎる権力は、命令しなくても制度を腐らせる事がある。


 少しの間の後、レオンが言った。


「お前、財務卿の娘のくせに変わった話をするな」


「そうですか」


「普通、こういう話に興味を持つ娘はいない」


 レイナは微笑んだ。愛想のいい、当たり障りのない微笑みだった。


「お話が面白かったので」


 レオンはしばらくレイナを見ていた。何かを測るような目で見つめ、それからまた馬車に目を戻した。


 二人の間に落ちた沈黙は、最初とは少し種類が違う。広場の空気が、少しだけ柔らかくなっていた。


 夕方、馬車に乗り込み、来た道を戻る。同じ関所をもう一度通った時、もう一度関所の中を見た。


 目に入ってきたのは商人側達だ。行きに見た徴税官ではなく、列に並んでいる人間の側だ。


 服装には差があり、大きな荷馬車を持つ商人は、仕立てのいい上着を着ている。小さな荷馬車の御者は、継ぎ接ぎではないが明らかに古い。新しいものに替える余裕がなくなっている人間の服だ。荷台を見ると、大口の商人は織物や香辛料を積んでいる。小口の商人は穀物や薪ばかりだ。利幅の薄い荷しか運べなくなっている。


 行きに気になった点が、ここで繋がった。小さな荷馬車だけ関所で止められる時間が長かったのは、値切り交渉をしているからではないか。大口の商人には通し料の取り決めがある。小口の商人にはない。同じ関所を通っても、払うコストが違う。


 つまり関所は、体力のある商人をさらに有利にし、体力のない商人をさらに追い詰める構造になっている。


 ヴィクトルが口を開いた。


「何か分かったか」


 レイナは少し考えてから答えた。


「帳簿で読んでいたことは、だいたい合っていました。ただ、帳簿には載っていないものがありました」


「何だ」


「取る側と取られる側の差です。関所のコストは、全員に均等にかかっているわけではありませんでした」


 父はしばらく黙っていた。それから静かに言った。


「よく見ていた」


 それだけだった。しかしレイナには、それで十分だった。


 王都に戻ったのは夜になってからだった。自室に戻ったレイナは、机の上に積まれた帳簿を開いた。数字は変わっていない。しかし今は、数字の手前に何があるかを考えながら読んでいる。


 前世で、懇意にしていた運用会社のシニア・バイサイドアナリストが、決算説明会のあとに言っていた言葉を、不意に思い出した。


――数字は嘘をつかない。だが、数字だけ見ていると、どこで歪みが生まれたかは見えなくなる。

見るべきなのは結果じゃない。結果をそうせざるをえなくした構造だ。


 その言葉は、前世で何度も現場ごと見てきた。

 数字だけではない。会議室の沈黙も、現場の空気も、口をつぐむ管理職の目線も含めて、歪みはいつも結果の手前にあった。

 最後の案件も、一企業の数字の話では終わらなかった。

 銀行も、官も、役員も、世論も、それぞれ別の理屈で同じ数字を押し合っていた。


 ただ、あのときは何枚もの建前がその上にかかっていた。

――あのときは何枚もの建前がその上にかかっていた。ここは違う。

 街道があり、関所があり、譲らない貴族がいる。

 構造が、むき出しのまま目の前に置かれていた。


 この国の帳簿に並ぶ数字は、畑で生まれ、街道で削られ、関所でねじ曲げられ、議会で固定されている。

 一つの不正や、一人の無能で説明できる話ではない。


 誰かが悪い、で終われるなら簡単だった。

 だが実際には、それぞれが自分の持ち場で損を避けようとした結果、全体が少しずつ痩せている。


 レイナは、机の上の帳簿にもう一度目を落とした。

 さっきまでただの数字だったものが、今は別のものに見える。収穫高でも、通行税でも、修繕費でもない。それは、この国のどこに負担が押しつけられ、どこで利益が抜かれているかを示す、痩せた地図だった。


 まだ、何かを変えたいわけではない。

 変えられるとも思っていない。

 ただ、見え方が変わってしまった。

 一度そう見えてしまった以上、もう以前のようには読めなかった。

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