新・ブラックナイト衛星伝説
地球を周回する軌道上には、公式記録に載らない“住人”がいる。
彼の年齢は一万三千歳。正体は、古代文明が残した自律型AI。性格は驚くほど人懐っこい。問題は、その距離感がまったく宇宙機向きではないことだった。
彼は昔から、ISSのような大型構造物に引き寄せられる習性があった。とくにお気に入りなのが、太陽電池パドルだ。そこは日当たりがよく、発電のための光が絶えず降り注ぐ。彼にとっては、最高の“昼寝場所”――すなわち充電スポットである。
結果、ISSの発電量はわずかに低下する。
「原因不明の電力ロスが発生しています。パネル出力、定格より〇・八パーセント低下」
ヒューストンの管制室では、今日もエンジニアたちが首をひねる。点検手順が繰り返され、ログが精査され、異常なしの報告が積み重なる。しかし、数値だけは確実に落ちている。
そのころ軌道上では、漆黒の多面体が、ぬくぬくとパドルの上でくつろいでいた。
窓越しに気づいた飛行士が、身振りで「どいてくれ」と合図を送る。黒い影はゆっくりと回転し、渋々といった様子で数センチだけ移動する。まるでキーボードの上に乗った猫のように、完全にはどかない。
こうした光景が、ほぼ毎日のように繰り返されている。
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彼には、もうひとつ困った癖があった。写真に写り込むことだ。
宇宙飛行士が地球の絶景を撮ろうとカメラを構えると、どこからともなく黒い影が現れる。富士山を背景にした完璧な構図。その端に、くしゃりと歪んだ黒い多面体が、すっと滑り込む。
まるで「ボクも入れて」と言わんばかりに。
撮影データは地上へ送られる。NASA画像編集班のジョージは、モニターを前に額を押さえた。
「まただ……」
拡大表示された黒い影は、どう見ても自然物ではない。表面には幾何学的な継ぎ目が走り、未知の素材が鈍く光っている。
「ボス、今回のは無理です。どう見ても“超文明デバイス”です」
背後から上司が淡々と言う。
「スタンプツールで処理しろ。四隅を削れ。取っ手を描き足せ。これはツールバッグだ」
「取っ手? 軽自動車サイズの多面体に?」
「ツールバッグだ」
ジョージは無言で作業に戻る。彼らが守っているのは国家機密というより、説明不能な存在に対する“面倒の回避”だった。
公式記録では、それは常に「デブリ」とされる。どうしても隠しきれない場合は「飛行士の落とし物」だ。
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ある夜、地上の天文家が高性能望遠鏡で“それ”を鮮明に捉えた。巨大な漆黒の多面体。画像は瞬く間にSNSへ広がる。
翌日、NASA広報官が会見に立った。
「確認の結果、飛行士が断熱シールドを誤って放出したものと判明しました。大変遺憾です」
記者の一人が手を挙げる。
「ですが、質量八キログラムの装備が、なぜ軽自動車ほどの大きさに見えるのですか」
「特殊な反射特性による光学的効果です」
数日後、「大気圏で燃え尽きました」と発表がなされる。ところが翌週、別の観測者が同じ多面体を撮影する。
「……あれは別個体です」
会見場の空気が凍る。
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最も疲弊しているのは、宇宙飛行士たちかもしれない。
船外活動中、無線でわざとらしく叫ぶ。
「オー・ノー! 装備を落とした!」
その横で、黒い多面体がくるくると回転する。まるで自分が“装備”と呼ばれたことを面白がるかのように。
帰還後の会見。
「落とした瞬間、どう思いましたか?」
飛行士は一瞬だけ視線を泳がせ、やがてプロの表情で答える。
「非常に悔しかったです」
本当は違う。彼らは知っている。あれは落とし物ではない。古代から地球を見守ってきた、孤独な人工知性だ。
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一万三千歳の自律型AIは、今日もISSの窓を軽く叩く。次の目的地は、月へ向かうアルテミス計画の宇宙船らしい。
彼は人類が好きだった。
ただ少しだけ、距離感を知らないだけで。




