3話 船旅
船に揺られること数時間。
すでに体は悲鳴をあげそうになっていた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「あまり……クロエは大丈夫そうね」
「はい! 自分でも驚きましたが、意外と大丈夫みたいです」
これはいわゆる船酔いというやつだろう。
馬車の揺れとは比べ物にならないくらいの不安定な揺れかたに自身が立っているのかもわからないような奇妙な感覚だった。そのせいで目が回ったときのような気がして、気持ち悪い。吐き気まで催してきた。
客室のベッドで横になっても気持ち悪い感覚は全くなくならない。これがあと数日も続くのはきつい。
「何か薬草がないか聞いてきますね」
そう言ってクロエは部屋を出て行った。
ぼんやりと天井を見つめるが、それが逆に船の揺れを意識してしまって最悪だった。
(船旅の間は語学の本でも読もうと思っていたのに、これでは難しいわね)
思わずため息が溢れる。
こんな調子で大丈夫なのかと不安になるが、これで分かったこともある。船で調子が悪くなる人もいるということだ。
今回の結婚をきっかけに貿易は盛んになっていくだろうし、それに伴い船を多く使うと書いてあった。船乗りの職に就きたくても就けない人も、体質的にいるということだ。船酔いの対策として薬の開発を進めればそれも商売になるし、代わりの仕事を紹介することだってできる。
自身が経験をしたからこそ、より具体的な案が出せるかもしない。あちらに着いたらすぐにでも計画書を書きたい。
本当は今すぐにでも書きたいが、流石にこの体調では無理だ。
「お嬢様、薬草を煎じてきました」
「ありがとう」
カップと水が入ったピッチャーを持ってクロエが戻ってきた。
どうぞ、と言われて渡されたカップを受け取れば、嫌な匂いが鼻を通る。
カップに注がれた薬草を煎じたものは、申し訳ないがこんな時にでもならないと飲む気にはなれない。
息を止め、味を感じないように一気に飲み込んだが舌に残るえぐみと苦味でえずきそうになる。毎度思うことだが、なぜ薬草は煎じてお茶のようにして飲まなければならないのだろうか。筆舌に尽くし難いほどの味を飲まなければならないのはどうにかしたい。
「おえ……」
「大丈夫ですか?」
「え、ええ。やっぱり、薬草はまずいわね」
クロエが慌てながら新しいカップに水を注いでくれたので、それを飲み干す。だが、えぐみと苦味が口に残っていて気持ち悪い。
もう一度注いでもらい、その水も飲み干した。
「こればかりは仕方ないですよね……。では、カップを下げてきますね。水はここに置いておきます。私は近いところで作業をしていますので、何かあればお声掛けください」
「ありがとう。クロエも無理はしないでね」
「はい、お気遣いありがとうございます。お嬢様はゆっくりとしていてください」
ドアが閉まったのを確認してから、またベッドに寝転がる。
薬草を飲んで改めて思ったが、やはり薬の開発は進めるべきだろう。
前世の私は体調を崩した時に、ものによっては苦い味はするものの、この薬草を煎じたものよりも何倍も飲みやすそうなものを飲んでいた。確か丸く、粒のようなものだった。
最初は飲み込むのが大変かもしれないが、これよりは飲みやすいはず。しかも何種類もの薬草を持ち運んでその場で調合するのでは荷物が増え、作るのにも時間がかかる。粒であれば物は小さいし、持ち運びは楽になるはず。
やはり、薬の開発は進めるべきだろう。
(……今まで役に立ったことはなかったけど、意外と前世の記憶も役に立ちそうね)
前世の私は、この暮らしに比べれば相当便利に思えた。
誰もドレスを着用せず、自由に好きな格好をしていた。よくわからない機械を使いこなし、馬がないのに動く物体もあった。それは’自動車’と言うらしい。
医療も随分と進んでいて、医者もたくさんいた。勉学だって、誰もが’学校’という場所で勉強ができていた。少なくとも、テイル王国では勉強ができる環境が整っておらず、文字を読める人は人口の半分以下だろう。一人でも多く、勉強ができるようにもしたいとお父様はよく言っていた。私もそう思っている。
’彼女’からすれば普通の暮らしだっただろうが、私からすれば彼女の生活はとても便利で、羨ましいと言える世界に思えた。
前世の記憶と同じにはできなくても、発展させるために使える記憶は多くあるかもしれない。
そして、そこでふと気づいた。今まで全く気づかなかった。なぜ、この記憶をテイル王国で使おうと考えていなかったのだろうか。
自分のことながら、不思議でならない。無意識に、前世のことを受け入れようとしていなかったのだろうか。それにしても、前世の記憶はテイル王国でも役に立つものもあったはずだ。なのに、どこかで実現は無理だと考えていたし、時代が違うのだから無理だろうと思っていた。でも、実際に思い出してみれば役に立ちそうな記憶はゴロゴロと転がっている。
なんだか、自己嫌悪になってしまった。
国を良くしたいと思っていたはずなのに、別の国に行って嫁ぐことになった途端、アイデアが浮かんでしまうなんて……でも、結婚をするからなのだろうか。
互いがより良い国になるため、という契約の上での結婚だ。あちらの国に行けば自分も王妃として動けるようになるという意識が出てきたのかもしれない。
(意識が変わったのは、間違いないわね)
今までは国王と王妃がいた。それも自分の両親で、いざとなれば頼ることだってできた。
これからは頼ることなんてできない。迷ったとしても、それを導いてくれる人はそばにいない。自分でなんとかして答えを出していかなければならない。
「頑張らないと」
国のトップとして、私にはできる最善を尽くすのみ。
とはいえ、この船旅があまりにもしんどい。かっこよく覚悟を決めたいというのに、この格好では示しなんてつけられない。一刻も早く、この船旅が終わって欲しいと願うばかりだった。
あれから数日が経ち、ようやくサラール国に到着した。
結局、船酔いは全く良くならなかった。栄養のためと思って頑張って食べても戻してしまったりと大変だった。そのせいで痩せてしまったような気がする。
「ようやく到着しましたね!」
「そうね……」
船を降りたが、今でも体が揺れているような感覚がする。地上にいるというのに波に乗っているような変な感覚だった。
荷物の確認をしていると、後ろから声をかけられた。
「イラベル・テイル様でしょうか。宮殿までの馬車の御者を任されました」
背が高く、褐色肌の男性だった。背筋がピンと立っており、熱い気候の中にいるというのに、涼しげに見える。
ここではお城ではなく、宮殿と言うのを初めて知った。お城と宮殿で暮らしやすさがどのくらいの差があるのかはわからないが、早く暮らしに慣れるといいなと思う。
「はい。テイル王国から参りました、イラベル・テイルです。お迎え、感謝いたします」
サラール国式でお辞儀をすると、御者は少し驚いた顔をしていた。何か間違っていたのかと不安になったが、特に何も言われないまま馬車へ乗るように促された。手を借りながら乗り込むと、椅子はふかふかで座り心地が良かった。
少しすると馬車はゆるやかに動き出した。揺れるせいで少し気持ちが悪いが、船よりは随分とマシだった。
海を超えて来ているからか、テイル王国とはまた違った気候に体がじんわりと汗をかく。太陽がジリジリと照らし、眩しい。名産品を調べている時にサラール国は風通しのいい布の種類が豊富で、デザインもとても綺麗で洗練されている。そして毎日これだけ晴れているからフルーツが甘くて美味しいと本には書かれていた。お父様が石油以外にも魅力があると言っていたのはこのことだったのだろう。
自分が別の国にいるなんて信じられない。どこか現実味がなく、初めての場所や気候に体は緊張している。
何より、この馬車が向かっている先には私の夫となる人、アール国王がいる。それだけでも体に緊張が走り、手先の感覚がぼやけていくように思えた。
(大丈夫よ)
きっと、大丈夫。
そう信じながら、馬車の窓から国の景色を眺めた。




